決意
琴葉と映画を観に行く約束をしていた土曜日、約束の時間に一人で現れた僕を琴葉は意外そうに出迎えた。
「あれ? 氷織だけ? 雪音はどうしたの?」
映画には琴葉と僕に雪音も加えた三人で行くことになっていたから、琴葉の疑問はもっともだけれど。
昨日の夜、雪音は映画に行く約束のことなどすっかり頭から抜け落ちた様子で執筆作業に明け暮れ、彼女にしては珍しく徹夜したようだった。
その反動か、雪音は家を出る前に僕が呼びに行ったときには寝落ちしており、ちょっとやそっとでは起きそうになかった。
結局、無理やり起こすのも可哀そうなので僕一人で行くことにしたのだけれど、琴葉との約束を破る形になったのは申し訳なく思う。
「ごめん。雪音は都合が悪くなったから、今日は来れそうにない」
「そっか。うん、じゃあ、仕方ないね。雪音にも気にしないでって言っといて」
幸い、琴葉は雪音のドタキャンについて特に気にしていないらしく、機嫌は良さそうだ。
わざわざ誘ってくるくらいだし、これから観る映画が楽しみなのだろう。
◇
「映画、結構面白かったね。主人公とヒロインがキスするところとか、ベタだけど感動しちゃった」
映画を見終わった後に昼食をとるため入ったファミレスにて、僕は琴葉が映画の感想を語るのを聞きながらとある相談を彼女に持ちかけるか否かについて迷っていた。
「……琴葉はさ、文月さんが入ってきてから雪音が変わったと思わない?」
本当に聞きたいことについてはぼかしながら最近の雪音について探りを入れると、琴葉は目を瞬かせてから何でもないことのように平然とした調子で口を開いた。
「そう? 確かに作品作りに積極的になったなーとは思うし、話してるときもそっち系の話題が増えた気はするけど。変わったって言うのは大げさじゃない?」
僕としては全く大げさに感じないし、琴葉は現状を呑気に捉え過ぎだと思うけれど。
僕と違って文月さんに全くバイアスのかかっていない琴葉でも、雪音の言動に生じた変化を認識してはいるのだ。
こうなると、いよいよ僕の置かれている環境が変化しているのを認めないわけにはいかない。
そして、変わった状況下で僕の取れる選択肢は二つ。
一つは、千咲さんの言うように変わった現状を受け入れること。
普通に考えればこれが一番まっとうな結論だろう。
そして、二つ目は現状に更なる変化を起こし僕にとって好ましい環境へ作り変えることだ。
雪音と文月さんの仲が急速に深まっているのは、雪音にとって今最も関心のある事柄が創作であり、その分野において文月さんが最も話の合う相手だからだ。
仮に僕が創作談義において文月さんより適した相手だったなら、部室で雪音が話しかける相手は僕になっているだろう。
つまり、僕が文月さんよりも優れた作品を書けるようになれば、自然と僕の目的は達せられるはずである。
……というようなことを喫茶店で千咲さんと話して以降、夢に見るまで考え続けているのだけれど。
自慢じゃないが、今まで僕は雪音たちのように自分で物語を作ったことはない。
正直、そんな僕が文月さんよりも優れた作品を書くというのは机上の空論もいいところだろう。
「琴葉、一つ頼みたいことがあるんだけどいいかな?」
「何?」
放っておけばどんどん弱気になって本当に相談したいことを切り出せなくなりそうなので、乾いた口を開き無理やり言うべき台詞を捻り出す。
「何というか、その、僕も雪音たちみたいに物語を書いてみようと思ってるんだけど、できれば琴葉にはそれを読んでアドバイスして欲しいんだ」
僕が何とか伝えるべきことを伝え終えると、琴葉は驚いた様子で目を見開いた。
まあ、当然の反応だとは思う。
僕だって、自分がこんなことを言い出すとは思っていなかった。
けれど、何もしないでいれば好き勝手に変わっていく環境をただ受け入れることしかできないから。
それが嫌なら、自分で何とかするしかない。
「それは全然かまわないけど、氷織って作る方に興味あったの?」
「……どうかな。自分でも、よくわからない」
僕の返事を聞いて琴葉は不思議そうに首を傾げているけれど。
僕自身、何かを書いてみようとしている今の自分が創作に興味を持っていると言えるのか、はたまた単に文月さんへの対抗心だけで動いているのかよくわからないのだ。