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今のままではいられない

 今日、五月十三日の金曜日をもって文月さんが入部してから三日が経過したけれど。

 いつの間にか雪音と文月さんが作業のため部室に自前のノートパソコンを持ち込むのは日常となっており、今日も今日とて二人は仲良く執筆に励んでいる。


 当然ながら俺がそんな二人を邪魔するわけにもいかないので、ここ最近は部活の際中に雪音と話す機会も少なくなった。

 

 正直、文月さんが入ってくる前と比べると、今の部活は少しだけつまらない。


「氷織、パソコン空いたから使っていいよ」


 部のパソコンの前で伸びをしながら、部誌の原稿を書き終わったらしい琴葉が声をかけてくる。


 今月はみんなハイペースで原稿を書き上げていたのでもう僕以外はパソコンを使う必要もないようだし、本当なら今から琴葉にパソコンを譲ってもらって作業を始めるべきなのだろうけど。

 あれだけ熱心に活動している雪音と文月さんの前で毒にも薬にもならない退屈なレビューを書くのだと思うと、どうにもやる気が出ない。


「ごめん、僕はいいから電源落としといて」

「え? でも、氷織まだ原稿できてないって」

「そうだけど、今はいい」


 琴葉は怪訝そうにしているものの、やっぱり今はそんな気分じゃない。


 たぶん、今何がしかの作業をやろうとしても、ロクなものはできずただ落ち着かない気持ちを余計にざわつかせるだけだ。


「氷織、悪いんだけど本運ぶの手伝ってくれない? 新歓用に借りてたやつ、返すの忘れててさ」


 何をするわけでもなくぼうっとしている僕にかけられた声に反応して顔を上げると、千咲さんが部室後方の棚に詰め込まれた文学全集だの随筆だのを億劫そうに眺めているのが目に入った。


 これらの本はさり気なく部室の中に置いておくと文芸部っぽい雰囲気が出て新入生に受けがいいだろうという安直な考えの基、千咲さんが図書室から借りてきたのだけれど。

 そもそも勧誘期間中に一人たりとも新入生が訪れることのなかった我が部では、暇潰しに部員が幾らか手に取った程度で当初期待していた役割は終ぞ果たされることがなかった。


「どうせ暇だし、いいですよ」


 借りてある本はそれなりの冊数があるので千咲さん一人で運ぶのは面倒だろうし、何よりこのまま部室にいるのも少し気詰まりだ。

 今は、無心で本を運んでいた方が幾らかマシかもしれない。


 そんな風に考えた僕は気分転換も兼ねて千咲さんを手伝うことにした。

 


 ◇



「氷織、今から二人でお茶でもどう?」


 借りていた本を返し終え部室へ戻ろうとしたところで、思わぬ提案と共に千咲さんに呼び止められる。


「お茶って、自販機で何か買っていこうってことですか?」

「いいや、喫茶店でケーキでも食べようって話だよ」


 別に、千咲さんと一緒に喫茶店に寄るの自体は構わないのだけれど。

 それなら何もこのタイミングで言い出さずとも、部活終わりに提案して全員で行けばいい話だ。


「それなら、部活が終わってから雪音たちも誘って――」

「それもいいけどね。今日は、二人きりで楽しもうじゃないか」


 千咲さんが強引に声を被せ、僕の台詞を途中で遮ってしまう。


「千咲さん? 急にどうしたんですか? というか、まだ部活中ですけど」

「そこら辺は気にしなくていいよ。部室の鍵は琴葉に渡してあるし、私と氷織が戻らないこともさっきメッセージで伝えておいたから。私たちがいなくなったところで、支障はないさ」


 僕がそういうことを聞きたいんじゃない、というのは千咲さんもわかっているのだろうけど。


 結局、千咲さんはロクに説明もしないまま僕の腕を取り、部室ではなく昇降口へ向かって歩き出した。

 


 ◇



 運ばれてきたブレンドコーヒーに口をつけてから、目の前にいる千咲さんの様子を伺ってみる。


 いきなり学校近くの喫茶店まで連れてこられたときには驚いたけれど、こうして見ていると千咲さんはいつも通りで、今は注文したティラミスを美味しそうに食べている。


「あの、千咲さん。何か用事があるんじゃないんですか?」


 いい加減、ここに連れてこられた理由を知りたくて千咲さんに声をかけると、彼女は手に持っていたフォークを置いてからわざとらしい愛想笑いを浮かべた。


「甘いものでも食べながら、氷織と二人でゆっくり話したかったから、ではダメかな?」

「別に、ダメとは言いませんけど……」

「納得いかなそうだね。まあ、うん。正直、場所自体はどこでもよかったんだけどね。氷織と話がしたいというのは本当」


 千咲さんが愛想笑いを引っ込め、僕とまっすぐに目を合わせる。


「灯が入部してから、我らが文芸部も少し変わったと思わない?」


 ずっと気にしていたことを口に出されて、眉間に皺が寄るのがわかった。


 褒められた態度じゃないことくらいは自分でもわかるので急いで表情を取り繕ったけれど、たぶん千咲さんは気づいただろう。


 その証拠に、僕を見る千咲さんの表情には一瞬だけ苦笑が浮かんでいた。


「その変化に対し肯定的か否定的かは人それぞれだろうし、どちらが正しいとも言わないけどね。たとえ以前と同じように振る舞ったところで、既に起きた変化をなかったことにはできない」


 千咲さんが一度言葉を区切ってから、小さく息を吐き出し窓の外に広がる空へ視線を向けた。


「どれだけ望んでも、ずっと今のままというわけにはいかないさ」

「僕は……」


 言外に雪音とずっと一緒なんてあり得ないと言われているようで反射的に反論するため口を開いたけれど、結局続く言葉は出てこなかった。


「なんて、ちょっと先輩風を吹かせ過ぎたかな」


 千咲さんは冗談めかして笑みを浮かべてから、再びティラミスに口をつけ始めた。


 千咲さんの言いたいことは、わかる。


 きっと、僕が何をしたところで部活が文月さんの入る前と同じ形に戻ることはないだろう。

 いや、それどころか、きっとこれから先も少しずつ変わり続ける。


 なら、変化を受け入れ僕も変わるべきだ、というのはある意味当然の結論だ。


 でも、じゃあ、流されるまま全部諦めて、それで本当に僕は満足なのだろうか。


 わからないまま、目の前のカップを傾け僕はコーヒーを飲み干した。

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