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気づき

 文庫本に記された文字列が中々頭に入ってこず、読書がいつもの半分も進まない。


 対面の席から聞こえてくるキーボードを叩く音が気になって、どうしても意識がそちらに行ってしまう。


 文月さんが作業を初めてかれこれ一時間は経ったけれど、その間彼女はパソコンの画面から目を外すことはなく黙々と文字を打ち込み続けていた。


「……んー、あー、えー」


 目線は文庫本に向けつつも視界の隅で文月さんを観察していると、彼女は突如として椅子の背もたれに体重を預けて上半身を逸らし、よくわからないうめき声を漏らし始めた。


「文月さん? 急にどうしたの?」


 急な変化についていけなくて思わず声をかけると、文月さんは上半身を起こしてからこちらへ疲れの滲んだ顔を向けた。


「見苦しいところをお見せしてすみません。その、大したことではないんですけど、ちょっと先の展開を思いつかなくて困ってまして」


 文月さんが急にうめき出したときには何事かと思ったけれど、なるほど実際は単に物語の展開について悩んでいただけらしい。


 まあ、文月さんは何だかんだ一時間はぶっ通しで作業していたわけだし、疲れた頭ではまとまる考えもまとまらないだろう。

 ここらで一度、休憩しておいた方がいいかもしれない。


 僕がそう思って彼女に休むよう言おうとしたタイミングで、一拍早く千咲さんが口を開いた。


「先の展開が思いつかないってことは、プロット段階じゃ細かく決めてなかった部分に悩んでる感じ?」

「あ、いえ、そもそも私、プロットを書いてないんです。もちろん、本当は書いた方がいいんでしょうけど、何を書けばいいのかよくわからなくて」

「そっか。まあ、絶対書かなきゃいけないって決まりがあるわけではないけど、やっぱある程度は最初に設定固めといた方が書きやすいと思うよ」


 千咲さんの台詞を遮らないよう反射的に黙ってしまったせいで、完全に口を挟むタイミングを逃してしまった。


 流石に創作談義に花を咲かせる二人の邪魔をするのは気が引けるし、文月さんに話しかけるのはもう少し待ってからにした方がよさそうだ。


「よければ、私と一緒にプロットを作ってみない? 基本的な設定とストーリーラインを軽くまとめるだけなら、そんなに時間もかからないだろうしさ」

「はい! ぜひ、お願いします」


 文月さんが提案を受け入れ椅子を隣に座る千咲さんの方へ寄せたところで、僕の左隣に座る雪音が微かに身じろぎをしたのがわかった。


「できた」


 雪音は部の備品として一つだけ買うことのできたノートパソコンを使って先程まで部誌の原稿を書いていたのだけど、小さく呟かれた台詞から察するに彼女の作品はちょうど完成したようだ。


「千咲さん、来月の分の原稿は書き終わったので後で確認をお願いします」

「ん、了解」


 雪音は千咲さんといつも通りのやり取りを終えると、ちらちらと文月さんの方を見ながら何か言いたげに小さく口を開いては閉じるという動作を繰り返し始めた。


 千咲さんはそんな雪音を見て一瞬だけ驚いた様子で目を見張ってから、すぐに苦笑を浮かべた。


「灯、作品作りにはいろんな人間の意見があった方がいいだろうから、できれば雪音にも手伝ってもらいたいんだけど、ダメかな?」


 千咲さんに問われた文月さんは微かに戸惑ったような表情を浮かべたものの、すぐに落ち着きを取り戻し雪音の方に向き直った。


「いえ、藍川先輩に手伝っていただけるならありがたいです」


 文月さんの台詞を聞いて、雪音が安堵したように笑みを浮かべる。


「雪音でいいわ。藍川先輩では、氷織と区別がつかなくて紛らわしいでしょう」

「言われてみれば確かにそうですね。では、改めまして。雪音先輩、よろしくお願いします」


 文月さんに下の名前で呼ばれた雪音は微かに嬉しそうにしていて、それ自体は大変結構なことなのだけれど。


 雪音先輩という響きは、どうにも落ち着かない。


 今まで、雪音のことをそんな風に呼ぶ人間がいなかったせいだろうか。



 ◇



「灯ちゃん、ちゃんと馴染めたみたいでよかったね」


 雪音たちが文月さんの作品についてああでもない、こうでもないと意見を交わし合っているのを傍目に僕が読書を続けていると、不意に琴葉が顔を寄せ話しかけてきた。


 確かに、琴葉の視線の先にいる三人の仲は僕にも悪くないように見えるけれど。


 千咲さんや琴葉なら大抵の相手とは上手くやれるだろうし、文月さん自身も他人と付き合うのが下手なタイプには見えない。

 だから、その点に関していえば元々僕は心配していなかった。


「まあ、僕が言うのもなんだけど、雪音と僕以外はみんな初対面の相手とも上手くやれそうな面子だしね」


 僕が思ったことをそのまま伝えると、琴葉は意外そうに目を瞬かせた。


「確かに、二人ともあんまり初対面の相手にぐいぐい行くタイプじゃないけど。今回に限っては、一番仲良さそうにしてるのって雪音じゃない?」


 琴葉に言われて、文庫本を手放し改めて三人の様子に注意を向ける。


「できれば爽やかな雰囲気の作品にしたいんですけど、やっぱりそれだと途中でヒロインが死んじゃう展開はよくないでしょうか?」

「いえ、結局はそれも見せ方の問題だと思うわ。タイムリープものなら最初にループするタイミングでインパクトのあるイベントを起こした方が読者を引き込めるでしょうし、最後にヒロインが救われるのなら途中の理不尽な死も却って読後感の良さに貢献してくれるんじゃないかしら」


 よくよく三人の様子を伺ってみると、主に会話しているのは雪音と文月さんの二人で、千咲さんはどことなく一歩引いた様子で二人が意見を交わすところを眺めている。


「なら、ヒロインが死ぬシーンは主人公の絶望感が伝わるよう描写に力を入れないとですね。内臓が飛び出したり四肢が欠損してるところとか、きっと詳しく書いたらインパクトありますよね」

「そうね。市の図書館あたりに行けばリアルな解剖図の載った本も見つかるかもしれないし、一度探してみた方が――」

「二人とも、そういうのはあんまりやり過ぎるとジャンルがスプラッタホラーに変わっちゃうよ」


 一応、千咲さんも二人が暴走し始めたときや行き詰ったときには口を開き助け舟を出しているようだけれど。

 こうして観察してみると、文月さんと一番打ち解けているのは琴葉が言うように雪音に見える。


 その事実に気づくと、二人を見ているだけでモヤモヤするにようになってきた。


 本当に、雪音が文月さんといるだけでどうしてこんなにも落ち着かないのだろう。

 そこまで考えて、ふと気づいた。


 僕の見つめる先には雪音がいて、千咲さんがいて、文月さんもいる。


 でも、そこに僕はいない。


 今だけじゃなく、これから先の未来だって、きっと僕があの輪の中に入って創作談義に花を咲かせることはないだろう。


 そうか。


 今まで、雪音の友達は僕の友達で、僕の友達は雪音の友達だったから気づかなったけれど。


 僕は、僕と関係ない所で雪音が誰かと仲良くなるのが嫌なのか。

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