四度目の人生④
少し離れたところで、令嬢たちの華やかな笑い声が聞こえる。
一方で、アウレリアたちのいるこの木陰周辺には痛いほどの沈黙が流れていた。
「アウレリア様?」
そっ、と肩に手が乗る。
振り返らずとも、ナターリエがこわばった笑みを浮かべている姿が容易に想像できて、アウレリアはぎょっとした。
「お気持ちは分かりますが、少し焦りすぎではございませんか?」
「え、あ、あの……私……」
「気にせずともいい」
しばし沈黙していたユーリスはナターリエを止めると、くすっと笑った。
「これは、やられましたね。まさか、伯父に強制的に参加させられたパーティーで令嬢の方から求婚されるなんて」
「す、すみません! 今のは、なかったことに……」
「お断りします」
ユーリスはすがすがしいほどの笑顔でばっさり言うと、挙動不審になりかけていたアウレリアの両手をそっと包み込んだ。
「確かに急で驚きましたが……嬉しいです。俺も、アウレリア嬢となら仲よくやっていけるのでは、とかすかな期待を抱いておりました。しかし、出会って一刻足らずの男に求婚されても困らせてしまうだろうと、本日はお喋りだけで止めておくつもりだったのですが……」
「うっ……」
「そんな顔をなさらないで。……本当に、嬉しいのですよ。でも、これでは俺のプライドが文句を訴えていますので、どうか俺の方からも言わせてください」
そう言うとユーリスはアウレリアの手を取ったままその場に跪き、緊張でぷるぷる震えるアウレリアの手の甲に、そっと唇を寄せた。
――これまでの四度の人生でも、男性から手の甲にキスされたことはない。
びくっと身を震わせたアウレリアを見上げ、ユーリスは微笑んだ。
「……アウレリア・ペルレ嬢。俺と婚約してくれませんか?」
「……あ」
思わず、アウレリアは背後を振り返り見た。
先ほどは怖い笑顔で止めてきたナターリエだが、今は悩ましげな表情をしながらも黙って成り行きを見守っているようだ。
彼女が心配していたのはきっと、アウレリアが玉砕覚悟で告白して振られて恥を掻くことであり……ユーリスの方から改めて告白された今は、「様子を見る」ことにしたのかもしれない。
アウレリアは前に向き直り、情熱的な青色の目で自分を見上げてくるユーリスを見つめ返して……頷いた。
「……はい。父にも相談させていただきます」
「光栄です」
ユーリスの微笑みはとてもまぶしくて、アウレリアは胸の高鳴りを抑えることができそうにもなかった。
その後、「お互いの両親に報告すること」と約束をして、アウレリアはユーリスと解散した。
友人とのお喋りから戻ってきたラインハルトは、アウレリアがわざわざ残していたピンク色のケーキは嬉しそうに食べたものの、直後に「私、ユーリス・シュナイダー様に求婚しました」と言うと真顔になっていた。
すぐに屋敷に帰って両親に報告しようとした――が、帰宅したときには既に屋敷にシュナイダー侯爵からの書簡が届いていたようで、父親がリビングのソファに伸びていた。
(ユーリス様の伯父様、とてもお仕事が早いわ……)
「リア、リア。先ほどシュナイダー侯爵家の使者が来て、侯爵の甥御がリアに求婚したと聞いたのだが……本当なのか!?」
「いえ……」
「そ、そうか! そうだよな!」
「最初に求婚したのは私の方です」
「……。……あ、ああああ!」
一瞬は起き上がって安堵の表情になった父親だが、またソファに伸びることになった。
そんな夫の腰をぽんぽんと叩く母親の方は至って冷静で、「ユーリス・シュナイダー様ね……」と考え込んでいた。
「リアの結婚相手としては、悪くないと思うわ。侯爵家筋の騎士の妻なら、身分としても釣り合うわ。それに、ユーリス・シュナイダー様の悪い噂は聞かないし」
「……あの、お父様、お母様。私はユーリス様とお話をして、そのお考えがとても素敵だと思ったのです」
父親は伸びているので実質母親に語る形になっているのだが、アウレリアはしっかりと言った。
「ユーリス様も婚約に悩まれていたようですし、意見が一致したというのもあります。……でも、誰でもよかったわけではありません。ご自分の考えを持たれていて、とても真っ直ぐなユーリス様に……惹かれたのです」
「リア……」
「だから私の方から婚約を申し出て、ユーリス様も同じように婚約を求めてくださったのです」
「……分かったわ」
母親は頷くと、「起きてくださいな」と夫を引っ張る。
「あなたの自主性を尊重すると言った手前ですから、この件についてはシュナイダー侯爵家と前向きに話を進めることにしましょう」
「……あ、ありがとうございます! あの、お父様は……」
「……まあ、シュナイダー侯爵家は名門だし、そこの縁者も優秀な騎士を数多く輩出するとのことだから、大丈夫だよな……」
もぞもぞと身を起こした父親も、やがて頷いた。
「……分かった。だが、もし相手の若造が可愛いリアを悲しませるようなことをするのならば、即刻婚約は解消とする!」
「お父様……」
「それだけは譲れないし、いざとなればシュナイダー侯爵相手だろうと抗議を申し立てる」
はっきりと言う父親を見、アウレリアはそっと胸元に手を当てた。
(もしかすると……三度目までの人生のお父様も、私が死ななければ同じように抗議をなさっていたのかもしれないわ)
ラウルの裏切りは、だまし討ちのようなものだった。
だが父ならきっと、最後までゲルトナー伯爵家に立ち向かっただろう。
(……私は、今度こそいい人生を送りたい)
「……分かりました。よろしくお願いします、お父様」
アウレリアは、深く頭を下げた。
アウレリアとユーリスの婚約について両家の当主同士で話をした結果、拍子抜けなほどあっさり話はまとまったようだ。
二人の婚約が決まり、当然ラウルとの話は却下される。これに関しては、アウレリアも胸をなで下ろした。
そうして婚約して半年ほどはたびたびユーリスとお茶を飲んだりしたが、まもなく彼は王国騎士団の門を叩いた。
基本的に暇なアウレリアと違って彼は騎士としての鍛錬を行うようになり、会うことも難しくなった。
だが、定期的に手紙を書いて送って交流は持つようにしたし、アウレリアもユーリスに浮気されないよう、淑女としての能力も磨くことにした。
そして、二年後。
十五歳になったユーリスは特殊な任務を授かったようで、王都を離れて僻地で働くことになった。
これに関して両親や兄は怪訝な顔をしていたが、ユーリスが僻地に行くというのは二度目の人生でも同じだったので、アウレリアは驚きもせず受け入れた。
僻地での任務は忙しい上、王都にいるアウレリアと手紙の交換をするだけでも日数が掛かる。
それでも二人はまめに手紙のやり取りをして、近況報告をした。
(ユーリス様……手紙を見る限り、とても誠実なのよね)
十六歳になったアウレリアは、今朝届いたばかりのユーリスからの手紙を読みながら思った。
二人は、アウレリアが十八歳になったら結婚することになっている。
そうしてユーリスと遠距離関係になって四年経つが、手紙で分かる限りではユーリスは女たらしの気配もなくとても優しくて愛情に満ちていた。
彼は恥ずかしがり屋なのか、「好き」や「愛している」といった言葉やロマンチックな文言は使わない。
だが、「君の笑顔を早く見たい」「支給品のココアを見ると、君の髪の色を思い出す」「毎晩寝る前に、君のことを考えている」といった、誠意と思いやりに満ちた言葉の数々はアウレリアの心を揺さぶり、甘いときめきを生んでくれた。
一度、思い切って「お慕いしています」と書いてみたことがある。
それの返事は二ヶ月後だったが、文面はいつも通りで毒気を抜かれてしまった。
だが、最後の便せんの裏に何か書かれており、ひっくり返すと――「俺も君が慕わしい」と、小さく、本当に小さく書かれていた。
それに気づいた日は興奮と喜びのあまりなかなか寝付けず、メイドを困らせてしまったものだ。
ユーリスとの文通は順調だし、ナターリエも去年結婚して退職した。来年には兄も、予定通り未来の義姉と結婚することが決まっている。
(といっても、私とユーリス様の関係がこのままずっと順調とは限らない)
なんといっても彼は、二度目の人生では女たらしとして有名になっていたくらいだ。
アウレリアの父親からシュナイダー侯爵に対して「娘を泣かせたら~」という牽制は入っているにしても、いざ再会した彼が両腕に美女をぶら下げていても、「やっぱりそうなったか」と諦めるしかない。
それでも。
(ユーリス様。あなたと一緒に生きられたら……)
婚約者からの手紙を胸に抱き、アウレリアは祈っていた。