四度目の人生③
ユーリス・シュナイダーの名を初めて聞いたのは確か、二度目の人生で十五歳くらいの頃に参加したサロンだ。
社交性を磨くべく努力していた当時のアウレリアは、同じ年頃の令嬢たちからいろいろな情報を仕入れていたが、そのときに初めてユーリスの情報を聞いた。
簡単に言うと、ユーリスは「とんでもなく軽薄で、可愛い女性に目がない女たらし」だ。
当時の彼は十八歳で騎士として辺境で働いていたそうだが、現地でも女を口説きまくっていたとか。
その後彼は王都に戻ってきたようで、アウレリアも何度か彼を見たことがある……が、常に女性を侍らせている彼とはあまりお近づきになりたくなかった。
(こんなに紳士的で優しい人が、五年後には女たらしになってしまうの……)
ユーリスと並んで樹木のそばで菓子を食べながら、アウレリアは考え込んでいた。
彼は八年後も婚約者なしの数少ない例だが、どう考えても地雷物件だ。
二度目の人生でも何度も、ユーリス・シュナイダーに泣かされた女性の話を聞いていた。隠し子だけはなかったというのがまだ救いだっただろうか。
ちら、と隣を見ると、現在十三歳のユーリスは黙々と菓子を食べていた。大人になったら匂い立つような色香を放つ美青年になっていた彼も、今は成長途中で少年独特の愛らしさも残っている。
……じっと見ていることに気づいたのか、ユーリスはアウレリアの方を見ると微笑んだ。
「そんなにじっくり見られると、照れてしまいますよ」
「い、いえ、その……申し訳ありません。ユーリス様がとても、格好いいので……」
苦し紛れの言い訳だが、彼が美形であるのは少年期でも青年期でも変わらない事実だ。
だがユーリスは目を丸くすると、なぜかぷいっとそっぽを向いた。
(えっ? 嫌がられてしまった……?)
「あ、あの……?」
「……すみません。あまり、そういうことを言われるのに慣れていないので」
「え?」
嫌われたのかと思ってショックを受けたが、よく見るとユーリスの髪の隙間から見える耳がほんのりと赤く染まっているし、頬も色づいている。
(照れて、いる? まさか、あの色男のユーリス・シュナイダー様が……?)
「わ、私、ユーリス様は恋愛経験豊富なのかと……」
「まさか! そういうことはよく聞かれますが、俺、これまで女性の手を取ったこともほとんどないのですよ」
「え……えええ?」
「今日も伯父に言われて渋々参加しましたが、どうにも周りに馴染めず……でもまあせっかくだからおいしいものだけでも食べて帰ろうと思っていたところなのです」
「……」
意外だ。
(もしかして少年期のユーリス様は、元々こんな方だったのかな……?)
アウレリアが知っているユーリスの情報は、十八歳からだ。それ以前の彼がどんな人物だったのかは知らなかったし、まさか色気より食い気だったなんて。
「……ユーリス様は、婚約者はお探しではないのですか?」
思い切って尋ねると、そばにいるナターリエがぴくっと動いた気配がする。だが止めには入らないので、このまま会話を続けても大丈夫のはずだ。
アウレリアの問いに、ユーリスはまだほんのり赤い顔を向けてから頷いた。
「急ぐつもりはありません。それに俺はシュナイダー侯爵家の縁者とはいえ、騎士を目指しています。跡取りの従兄とは違うので、最悪一生独身でもいいかと思っています」
「……そうなのですか」
「アウレリア嬢は? 見たところ俺よりお若いようですが、もう婚約者捜しを?」
「子ども」とか「幼い」ではなくて「若い」という言葉を使うあたりから、ユーリスの紳士な心構えが伝わるようだ。
「はい。……その、両親からは別の方を婚約者に勧められているのですが、どうにも気乗りしなくて」
「相手の方に会ったけれど、好きになれなかったのですか?」
「いえ……今日ちらっとお見かけしただけです」
「……」
ユーリスが黙ってしまった。
(貴族の令嬢でありながらそんな理由で婚約を嫌がるなんて、って思われたかしら……)
思わず胸の中を冷たいものが流れるが、しばしの沈黙の末にユーリスは口を開いた。
「まあ、そういうものでしょうね」
「えっ?」
「いいんじゃないですか、直感で決めても。……世の中の人はよく、『やらないで後悔するくらいなら挑戦して後悔しろ』って言いますけど、俺は反対なんですよ。挑戦することは美談のように語られがちですが、なんででしょうね」
「……では、ユーリス様は?」
「俺は、やって後悔する可能性があるくらいなら最初からやらない派です。まあどちらにしても、自分が選択の末に失敗したとしても、それを他人の責任にするような生き方はしたくないですね」
ユーリスの言葉は、アウレリアの胸を貫いた。
(なんて、立派な方なのかしら……)
これまでの人生、だんだん自分で道を選ぶようになっているようで結局は「ラウルの意見」に振り回されてきた自分とは、大違いだ。
アウレリアは四回も人生を繰り返してようやく自分で道を選べたのに、ユーリスは既にはっきりと自分の考えを持っている。
「……素敵です」
「……えっ?」
「あ、いえ、その、私はユーリス様ほどしっかりしていないので、ユーリス様のお考えがすごいと思いまして……」
「……そ、そっか。ありがとうございます」
ユーリスはふいっと顔を背け、皿に残っている菓子を無言で食べ始めた。アウレリアも、兄用に残しているピンク色のケーキ以外を黙って食べる。
賑やかなガーデンパーティーで、アウレリアたちの周辺だけは沈黙が流れる。
しかし、この沈黙が案外嫌いではなかった。
「……アウレリア嬢」
「はい」
「俺も、伯父から結婚は勧められているのです」
ピンクのケーキだけ残った皿をナターリエに渡し、アウレリアはユーリスを見た。
「俺は侯爵の甥ですが、いざ騎士になれても強力な後ろ盾がいるわけでもない。味方になってくれる人を早く見つけておいても、損はしない。……伯父は親切心から言っているのでしょうが、俺にとっては苦痛です」
「苦痛……なのですか?」
「期待されるのが嫌なわけではありませんし、伯父の言い分も分かります。……でも、たまに『俺って何なんだろう』と不安になることがあるのです。そう考えると、寂しくなって……」
どき、とアウレリアの胸が高鳴る。
(今のユーリス様はごく普通の少年だけど……もしかしてこういったプレッシャーが、八年後の彼を形作ることになるのかも……?)
女性を侍らせるユーリスは楽しそうだったが、反面今のユーリスは悲しそうだ。
期待されるのは嬉しいけれど、苦痛にもなる。
やりたことはあるけれど、漠然とした不安に襲われることがある。
そう吐露する彼が……なぜか、とても魅力的に思われた。
どくん、どくん、と心臓が緊張を訴える。
「ユーリス様」
自然と、アウレリアの口が動き。
「私と、婚約してくれませんか」
気づけば、そんなことを口にしていた。