四度目の人生⑩
「……リア様?」
(……何?)
「アウレリア様……」
誰かに名を呼ばれて、アウレリアはぴくっと体を震わせた。
(……あれ? この声は――)
「アウレリア様、もう朝ですよ」
優しい声に名前を呼ばれて、アウレリアは目を覚ました。
彼女が寝ていたのは、馴染みのない客室。
目元をこするアウレリアを、懐かしい女性が笑顔で見守っていた。
「……ナターリエ?」
「はい、おはようございます、アウレリア様」
お辞儀をして朝の挨拶をしたのは、アウレリアが六歳の頃から仕えてくれている優秀なメイド・ナターリエ――だが、彼女は三年前に結婚を機に子爵家を離れたはずだ。
「……ナターリエ、どうして戻ってきたの?」
「昨夜、お嬢様についてのご連絡を受けました。どうやらお気持ちが不安定になってらっしゃるようなので、わたくしで何かできることがあればと思い、急ぎ参上させていただきました。夫も快諾してくれましたよ」
ナターリエはそう答えるとベッドに座るアウレリアのそばにしゃがみ、寝起きでまだ力の入らない手を握ってくれた。
「お体の調子はいかがですか?」
「……あ」
そうだった、とアウレリアは今の状況を思い出す。
あの運命の夜を無事に越せるか分からなくて不安になったアウレリアは、皆に無理を言ってユーリスの屋敷に泊まらせてもらうことにした。
寝る前におやすみのキスをしてもらい、朝になったらおはようのキスをくれるのだからきちんと目を覚まさなければ、と思いながら眠りについて――
「……朝に、なったのね……」
「ええ。とても天気がいい朝ですよ。お外をご覧になりますか?」
「ええ」
頷いたアウレリアにナターリエが手を貸して起こしてくれた。
アウレリアはふわふわのルームシューズを履き、窓辺に向かう。
真新しい真っ白なカーテンをナターリエが開き、朝日のまぶしさにアウレリアは目を細めた。
(あ……)
ゆっくり目を開いた先に見える光景は、当然子爵邸にある自室から見える眺めとは違う。
こぢんまりとした庭の向こうに見えるのは、貴族の大邸宅ではなくて上流市民たちの屋敷。煙突からもくもくと煙が上がっており、さらにその向こうに大通りがちらっと見える。
朝日が柔らかな日差しを地上に降り注いでおり、ナターリエが窓を開けると爽やかな空気がアウレリアの長い髪をくしけずる。
「朝だ……」
「ええ。……とても美しい朝でございますね」
ナターリエの声が優しくて、じわじわと胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
(私は……あの夜を越えられた。朝を迎えられた……)
過去三回の人生では迎えられなかった「翌日」が、やってきた。
一粒だけ涙をこぼすアウレリアにナターリエは気づいたようだが、「お着替えをしましょうね」と柔らかな声で言うだけにしてくれた。
まもなく他のメイドもやって来て、アウレリアの身支度が調えられた。
メイドたちは三年前に結婚退職した先輩メイドがいるということで緊張している様子だったが、「よくできていますね」「お嬢様の御髪にぴったりですね」とナターリエに褒められ励まされ、かなり嬉しそうだ。
その後、ユーリスの計らいで部屋で朝食をとれるようにしてくれたので、ナターリエたちに給仕をしてもらいながら食事をした。
食事後に食器が下げられてしばらくするとドアがノックされ、ユーリスの使用人が顔をのぞかせた。
「失礼します、アウレリア様。ユーリス様がお待ちです」
「ええ、すぐに伺います」
アウレリアは立ち上がり、ナターリエたちに礼を言ってから部屋を出た。
使用人が案内してくれた先は、屋敷一階のリビングだ。
(昨晩もここで、ユーリスに……キ、キスしてもらったのよね……)
そのときのことを思い出すとじわじわと頬が熱くなってくるが、まずは一晩泊めてくれただけでなく使用人を呼びナターリエも迎え入れ朝食まで準備してくれたことの礼を言わなければ。
ナターリエを伴って入室すると、ソファに座って紅茶を飲んでいたユーリスが顔を上げた。
今日は休日なのか、彼は騎士団の制服ではなく貴公子が普段着として着用するシャツとスラックス姿で、長い髪もシンプルにまとめているだけだった。
「おはようございます、ユーリス。昨晩は本当にお世話になりました」
「おはよう、アウレリア。よく眠れたようならそれが一番だよ。……悪い夢は、見なかったか?」
「はい、おかげさまで。……ナターリエも来てくれたので、朝から元気になれました。ありがとうございました」
「そうかしこまらなくていい。君が元気になれたのなら何よりだし……それに」
立ち上がったユーリスは少し黙った後、アウレリアの前まで足を進めると少々ぎこちない手つきで頬に触れてきた。
「……昨晩の約束、覚えているか?」
「……はい、もちろんです」
「そ、そうか。では……しても、いいかな?」
緊張した様子のユーリスが問うたため、このシチュエーションを見るのが初めてのナターリエが背後で「あら!」と嬉しそうな声を上げた。
(そ、そうよね。私も……楽しみにしていたし)
答えに迷ったのは一瞬だ。
「……はい、してください」
昨晩と同じく、お願いをして目を閉じる。
んんっ、とユーリスが咳払いをする声が聞こえて――そっと、柔らかいものがアウレリアの唇に触れた。
人生二度目の、唇へのキス。
目を開けると至近距離で青色の双眸と視線がぶつかり、二人ほぼ同時にばっと離れてしまう。
「……おはよう、アウレリア」
「……おはようございます、ユーリス」
改めて交わされた朝の挨拶は、どこかぎこちない。
だがおそるおそる視線を合わせた二人は微笑みあっており、そんな婚約者たちの姿をナターリエたちは微笑ましく見つめていたのだった。
(ユーリス様)
婚約者に身を預けながら、アウレリアは思う。
(私、もしかしたらあなたに会うために、人生をやり直したのかもしれません)
淑女の仮面を被るのは、もうやめた。
これからアウレリアは、ユーリスと共に生きていきたい。
これにて完結です。
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