四度目の人生⑨
「その……それで、だ。どうやら君は、今夜眠って明日目覚められるかどうかをとても気にしている様子だな」
「……はい。明日さえ迎えられたら、もう大丈夫だと思います」
「それならいい。だが……なんというか……その」
最後の方はもごもごしていたが、ついにユーリスは顔を背けてしまった。
部屋の隅にいた執事や女性使用人たちが、妙に鬼気迫る顔でユーリスを見ている。
かと思ったらペルレ家から来たメイドたちは、妙に目をきらきらさせてユーリスを見ている。
(……何?)
内心首を捻っていると、何やら決心したらしいユーリスがアウレリアの方を向いた。
その顔は、ほんのりと赤い。
「そういうことだから、アウレリア。寝る前と起きた後に……キスをしてもいいか」
「……えっ?」
アウレリアは拳を緩め、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
寝る前と起きた後の、キス。
もう少し俗な言い方をすると……おやすみとおはようのキス、というものだろう。
アウレリアが何も言わずじっと見ているからか、ユーリスは端整な顔をますます赤らめながら早口にまくし立てる。
「ほ、ほら、何か目的とかがあった方が物事も取り組みやすいだろう? だから君も、明日起きたら俺からのキスがあると思う方が……いや、違う。今のはナシだ」
「いえ、おっしゃることは分かりました」
「今のは明らかに俺の自意識過剰な失言だから、できれば忘れてほしい」
「無理です。……だって、明日起きたらユーリス様からキスしてもらえると思うと、私、絶対に目覚めようって思えますもの」
まさに、ユーリスの言うとおりだ。
きちんと目が覚められるのか、それとも三度目までの人生のように今晩自分の命は消えてしまうのか……と思っていると不安で胸が押しつぶされそうになる。
だが、明日起きることの意義や目標があれば、「それじゃあ寝よう」という気になれる。
「確かに寝るのは怖いですけれど、朝起きたらご褒美がもらえると思うと安心できます」
「……。……君にとっての俺のキスは、ご褒美なのか?」
「あ」
照れまくるユーリスをフォローしようとしたのに、逆にアウレリアの方が失言で真っ赤になる羽目になった。
(わ、私今、とんでもなく恥ずかしいことを……!)
かあっと熱を持つ頬を手で押さえ、アウレリアはうつむいた。
「……今の、忘れてください」
「断る。……さっき君は同じような俺の懇願を一蹴しただろう? それなら、これでお互い様だ」
「な、何なんですか、その理論!」
むっとしつつも、顔を上げたらユーリスの楽しそうな笑顔があり、すぐに怒りの感情は消えてしまう。
ユーリスがそっとアウレリアの頬に触れ、顔を近づけてきた。
長いまつげに縁取られた青色の目は、そこはかとない色香をたたえている。
唇にふっと息が吹き付けられると、甘いしびれが背中をくすぐる。
「……唇にして、いい?」
「っ……お願いします……」
してもいいです、ではなくて、アウレリアの方からねだる。
ユーリスの目が幸せそうな弧を描き、「目を伏せて」と優しく命じられる。
言いつけに従い目を伏せると、そ、と柔らかいものが唇に触れ、すぐに離れていった。
目を開けると、真っ赤になって口元を手で押さえるユーリスが。
だが、今の自分もユーリスのことをからかえないくらい真っ赤になっていることが頬の温度で分かる。
「……キス、初めてでした」
「俺も、初めてだ。……歯をぶつけなくてよかった」
ユーリスもそう言うと立ち上がり、ドアの方に向かった。
「……それじゃあ、後はゆっくり過ごしてくれ」
「……はい。あなたがキスしてくれるのなら……私、夜も怖くありません」
「そう言ってくれると、なんだか俺も嬉しいよ。……おやすみ、アウレリア」
ドアの前で振り返ったユーリスに言われ、アウレリアは微笑んだ。
「はい。おやすみなさい、ユーリス」
アウレリアはユーリスが雇っているメイドに案内されて浴室に向かい、温かい湯で髪と体を洗ってもらった。
その後はペルレ家のメイドと交替し、彼女らに髪を乾かしてもらったり肌に化粧水を塗ってもらったりして、普段使用している寝間着に着替えた。
その間に使用人がアウレリア用の客室の準備をしてくれていたようで、部屋に向かうと既にベッドメイキングもされていたし、オープンクローゼットには明日用のドレスも準備されていた。
「では、おやすみなさいませ、お嬢様」
ナターリエが結婚してからは毎日アウレリアの就寝と起床に付き添ってくれるメイドが言ったので、アウレリアも挨拶をしてからベッドに潜り込んだ。
……ベッドの中に何かあるのでごそごそと探ってみると、それは普段アウレリアが寝る際にベッドで抱きついているクッションだった。
できるメイドたちはアウレリアが婚約者の家のベッドでも安心して寝られるよう、必要なものをいろいろ持ってきてくれていたようだ。
(皆……ありがとう)
もう皆出払ったので心の中で礼を言い、アウレリアはクッションを抱いて丸くなった。
……もうすぐ、日付が変わる。
二度目と三度目では帰宅する前に死んだし、一度目も夜会を早抜けして屋敷に帰るなり首を吊った。
だから、この時間まで生きているのは過去最高記録だ。
(……大丈夫。私は、まだ死なない)
ぎゅっとクッションを抱きしめ、気持ちが落ち着くように深呼吸しながらアウレリアは心の中で念じる。
(私はもう、絶望もしていないし人生をやり直したいとも思っていない。私はこのまま、ユーリスの婚約者として生きていくって決めたの)
それに。
無事朝になったら、ユーリスに会える。
先ほどリビングで別れる際に送ってくれた「おやすみのキス」と同じ、「おはようのキス」をしてくれる。
気弱で、過去の人生における死に怯えていたアウレリアは、今晩で卒業できる。
(おやすみなさい、ユーリス。明日……絶対にあなたに会いに行きます)
固い決意を胸に、アウレリアはゆっくりゆっくり眠りに落ちていった。