四度目の人生⑧
ユーリスが乗ってきた馬車に一緒に乗り、アウレリアはユーリスの屋敷を訪れた。
アウレリアの実家であるペルレ子爵家本邸も王都にあるが、あちらは貴族たちの屋敷が建ち並ぶ一等地にあるのに対し、こちらは金に余裕のある上流市民階級が住む一角にあった。
ユーリス曰く、貴族出身の騎士はある程度昇格すると、この区画にある小さめの屋敷を与えられるそうだ。
「俺は二年前に昇格して、この屋敷を賜った。すぐに王都に戻るという選択肢もあったんだが、もう少し辺境で働いた方が昇格しやすいし給与も上がるということだから、二年延長することにしたんだ」
「そうだったのですね……。辺境でのお暮らしはやはり、大変なのですか?」
「慣れればなんてこともない。ただ……一つ文句があるとしたら」
馬車から下り、荷物を運ぶよう使用人に指示を出したユーリスはしばし黙ってから、ちらっとアウレリアを見てきた。
「……辺境は、郵便が遅い。王都にいた頃は二日もあれば届いた君からの手紙がなかなか届かず、やきもきしていた」
「……そうなのですか?」
確かに、ユーリスが辺境に行ってからは半月に一度手紙が来るか来ないかというくらいだった。
彼も忙しいだろうからこんなものだろう、とアウレリアの方は半分受け入れていたが、ユーリスの方はそうでもなかったようだ。
ユーリスは頷くと、癖のない前髪を掻き上げた。
「あと、同室のやつらがとにかくうるさかった。やれ、婚約者がいるなら姿絵を見せろ、手紙を見せろ、手紙にコメントを書かせろとうるさくて……少しでも艶めいた内容を書こうものなら大騒ぎするから、あいつらに見つからないように書かなければならなかった」
「……あっ、そういえば一度、便せんの裏に小さく書いていたことが……」
「あったな。……あれも、ああでもしないと同室の連中に見つかってたらい回しにされるからだ。あまり気の利いたことが書けなくて、すまなかった」
「いえ、そんなことないです。ご多忙なユーリス様からお返事をいただけただけで、私は十分ですし……」
「ユーリス」
手を伸ばせば玄関のドアに触れられる、というところでユーリスは足を止め、妙にこわばった声で名乗った。
アウレリアも足を止めてユーリスの顔を見るが、彼は難しい表情でドアを見つめている。
(まさか、ドアを開けるためには名乗る必要があるの?)
「アウレリア」
「違う、そうじゃない。……君が、俺に対してよそよそしいのが少し気になって」
「え」
思い切って名乗ったのに滑ったという恥ずかしさもあるが、続くユーリスの言葉でアウレリアは息を吞んだ。
だが今の彼の発言について問う前に内側から執事がドアを開けてくれたので、二人は玄関ホールに入った。
「おかえりなさいませ、ユーリス様。……そちらは、婚約者のアウレリア様ですね?」
「そうだ。今夜、アウレリアを屋敷に泊める。ペルレ子爵の許可もまもなく取れるはずだ」
ユーリスがはっきりと言うと、執事も廊下から歩いてきた使用人たちも驚きの顔になった。
だがすぐに皆仕事の顔になり、「アウレリア様の客室を準備しなさい!」「お二人分の浴槽の準備を!」とてきぱきと動き始めた。
「なぜなのか」と深く聞くことよりも主人の命令を受けてまずやるべきことを優先させる彼らは、使用人としての教育がなっているようだ。
「アウレリアは、こっちへ。温かい茶でも飲もう」
「ありがとうございます。……でも、先ほどのは……?」
「……ああ。まあな。会場で再会したときから思っていた」
ユーリスに続いて、アウレリアはリビングに向かった。
すぐにメイドが温かい紅茶とつまみの菓子を出してくれたので、夜会会場で何も食べられなかったアウレリアはありがたくいただくことにした。
「……確かに実家の階級は君の方が下だから、俺に対して敬語口調で話すのはおかしなことではない。俺も、昔は君に対して敬語だったと思うしな」
「そういえばそうでしたね」
「昔の方がいいか?」
「いえ、今の方がユーリス様との距離が近い気がするのでいいです」
「そうだろう? 俺も同じことを思っている」
向かいの席のユーリスはそう言うと、一つ咳払いをした。
「……その、君はしとやかな女性だから、そういうのには慣れていないとは分かっている。だが、俺としては……もう少し気さくな態度で接してくれると嬉しい」
「そうなのですか? しかし気さくな態度といっても、ようユーリス! なんて言ったら困りますよね」
「お、驚きはするが嫌ではないぞ」
三度目の人生で知り合った隣国の少年が使っていたような言葉遣いをすると、ユーリスはびっくりしたようだが首を横に振った。
(でもさすがに、今の私がそんな口調をしたらおかしいし……)
「……分かりました。ではちょっとずつ、崩していけるように努力しますね。……ユーリス」
「……うん、こっちの方がなんだかいいな」
ユーリスは微笑むと、紅茶を飲んだ。
その後まもなく子爵家からの使いがやって来て、アウレリア用の寝間着や明日用のドレスが届いた。
どうやら父親はかなり悩んだ末にアウレリアをユーリスに託すことに決めたようで、使者が持ってきたユーリスあての書簡はアウレリアがうっとするほどの分量だった。
短時間でこれだけの文字を書く父もすごいが、それにきちんと目を通して同じくらい長い返事を書いているユーリスもすごいと思う。
アウレリアの世話係兼身辺警護として、普段屋敷で面倒を見てくれるメイドたちがやって来た。
ユーリスの屋敷にも女性使用人はいるがやはりいきなり若い娘の客が来て困っていたようで、皆もほっとした様子だった。
「では、後のことは皆に任せる。アウレリアはゆっくり休んでくれ」
「はい。……何から何までありがとうございます、ユーリス」
「気にするな。……」
そう言ってユーリスはリビングを出ようとしたが、ふと足を止めて何やら考え込むような仕草を見せた。
(……何かしら?)
じっと見ていると、彼はくるりと体を回転させて再びアウレリアに向き直り、ソファに座るアウレリアと視線の高さが合うようにしゃがんだ。
「その……もう、怖くはないか?」
「……。……はい。ここにいると……なんだかとても安心できます」
アウレリアはユーリスの気遣いに感謝しながら、素直に答えた。
ユーリスがこの屋敷で過ごす日数は少ないようだが、それでも……一度目の自殺現場でも、二度目の他殺現場でも、三度目の事故死現場でもなくて、しかもユーリスが守ってくれる場所だと思うととても安心できた。
(……お父様たちには、明日きちんと謝らないといけないわ)
そう、明日。
アウレリアがぎゅっと膝の上で拳を固めたのを見て、ユーリスはこほんと咳払いをした。