四度目の人生⑥
「……そこまでにしてもらおう」
涼しげな声と、長靴が床を蹴る音。
脇から大きな手が伸びてきてラウルの手を掴むと、みしり、と音を立てそうな勢いで彼の手を引き剥がした。
「い、痛っ……!? 何だ、貴様!?」
「婚約者でもない淑女の手を掴むような無作法者に名乗る名はない」
手を掴まれて痛みに吠えるラウルを一瞥すると、「その人」はアウレリアを見た。
金色の髪に、青色の目。
纏っているのは、王国騎士団の正装である白の軍服。胸元に付けたバッジの種類はよく分からないが、彼がかなりの勲章を得た軍人である証しだ。
アウレリアは呼吸も忘れ、その人を見上げていた。
優美なかんばせと、凜々しい眼差し。
最後に見たときからアウレリアより長身だったが、六年でますます彼は成長し、今では見上げなければならないほどの身長差ができていた。
「ユーリス……様……?」
思わず婚約者の名を呼ぶと、彼は微笑んだ。
(でも、どうして、ここに……?)
「……ユーリス様、お仕事では……?」
「今夜のパーティーに間に合うように王都に戻ってきた。開会には遅刻したが……アウレリアを助けるのは間に合ったようで、よかった」
六年前とは違う、つややかで低い声。かつては少しかしこまった様子で敬語口調だったのだが、今の彼は手紙の文面と同じ喋り方になっている。
その姿は、かつて二度目の人生で遠目に見ていたあの色男とよく似ている。
(でも、髪が長い……?)
確か二度目の人生で見かけた彼は、髪が短かったはずだ。だが今のユーリスは後ろ髪を長く伸ばし、後頭部で一つに結わえていた。下ろせばアウレリアほどではなくともかなりの長さになりそうだ。
ユーリスは悔しそうに退散していったラウルを一瞥すると、そっとアウレリアの手を取った。
「戻るのが遅くなってしまい、申し訳ない」
「そ、そんなことありません。お仕事で忙しかったのでしょうし……」
……本当は寂しかったし、再会時の彼が二度目のように女性を引き連れていたらどうしようかという不安もあった。
だが、今のユーリスは真摯な眼差しをアウレリアだけに注いでくれるし、アウレリアが見つめ返すと恥ずかしそうに視線をそらした。
初対面のときもそうだったが、彼は元々恥ずかしがり屋で……しかもどういうことなのか、そのまま大人になったようだ。
「……ユーリス様、会いたかったです」
「っ、俺もだよ、アウレリア。君に自慢できる騎士になるために、ひたすら仕事に打ち込んできた。もちろん浮気もしていない。ずっと、君だけを想っていた」
ユーリスが頬を赤らめてそう宣言した途端、周りでキャッと黄色い声が上がった。
どうやら先ほどまではアウレリアとラウルの様子を怪訝そうに見ていた者たちも、ユーリスが一途な想いを見せたことで気持ちが変わったようだ。
(ユ、ユーリス様、変わったのね……?)
二度目の人生で散々悪評を聞いていた女たらし騎士ではなくて、八年間アウレリアのことだけを想ってくれた誠実な貴公子になった。
そんな彼は照れたように笑うと、ダンスフロアの方を見た。
「……もし君の体調がよさそうなら、これから俺と踊ってくれないか」
「ユーリス様……」
とんとん、と背中を叩かれた。見ると、付添人の女性がダンスの予約表のカードを無言で差し出してきていた。
アウレリアはそれを受け取り――ユーリスに、渡した。
予約表には普通、これから踊る予定の異性の名前を書いていく。
だが、これには特殊な用途がある。
「これを、あなたに」
「アウレリア……」
アウレリアが差し出したカードを、ユーリスははにかんで受け取ると胸ポケットに入れた。
付添人が「ここに名前をどうぞ」と渡すのではなく、令嬢本人が「これをあなたに」と差し出すのは、予約表を相手に贈る――つまり、今夜のダンスの相手はあなただけ、という意味になる。
ユーリスに手を取られ、アウレリアはダンスフロアに向かった。ちょうど一曲を終えた楽団が、スローテンポな次の曲を奏で始める。
ユーリスとは、彼が騎士団に入るまでのほんのわずかな期間に一度か二度、踊ったことがあるだけだ。
そのときのユーリスは、「俺はこれでもダンスが得意です」と自慢げだったが、人生四回目のアウレリアには勝てずに呆然としていたものだ。
だが大人になったユーリスは長い手足としなやかな筋肉を生かし、積極的にアウレリアをリードしてきた。
「……俺、昔よりもダンスがうまくなったよな?」
抱き寄せられたときに耳元でささやかれたので、アウレリアは笑った。
「そうですね。任地でも、訓練を? 相手が女性だったら、嫉妬してしまいます」
「大丈夫だ。見て学んで一人で練習しただけだから、君以外と踊ったことは一度もない」
ユーリスはささやくと、くるりとアウレリアの体を回転させた。
まもなく曲が終わり、曲の合間に周りの男女の中には相手を代える人もいるが、アウレリアとユーリスは相手の体に触れたままだ。
「……このまま、次の曲も?」
ユーリスに熱い瞳で誘われ、アウレリアは迷うことなく頷く。
一度目のダンスは、社交辞令。
二回連続だと、本気の証し。
そして三度目も踊るのは――生涯あなただけ、という気持ちの表れ。
「ええ。次も、その次も、踊ってください」
アウレリアがささやくと、ユーリスの目が見開かれた。
そして彼は一旦アウレリアの体を離すと、その場に跪いてアウレリアの左の手の甲にキスを落とした。
「……アウレリア・ペルレ嬢。改めて、言わせてください。……どうか、俺と結婚してください」
婚約者同士で、まさかのプロポーズ。
あまりない事例を目にした周りの者たちは驚いた様子だが、アウレリアは胸を甘くときめかせ、頷いた。
「はい、結婚してください……ユーリス様」
アウレリアが返事をして、周りの者たちがわっと湧き上がってまもなく、楽団が次の曲の前奏を奏でた。
立ち上がったユーリスがなめらかにアウレリアの腰を支え、アウレリアも彼の背中に腕を回した。
「……幸せにするよ」
「ありがとうございます。……浮気は、しないでくださいね」
「するものか。……君と離ればなれになった日から、絶対に浮気をしないと願を掛けた」
「……もしかして、その髪は願掛けですか?」
「あ、ばれたか。……そんなところだ」
ユーリスは器用に片目をつぶると、曲に合わせて踊り始めた。