四度目の人生⑤
ユーリスが辺境に行ってから、六年が経過した。
(今日はついに、あの因縁のパーティーの日……)
ナターリエより若いメイドに仕度をさせながら、アウレリアは考え込んでいた。
今夜は、過去三回の人生におけるアウレリアの命日だ。
何の因果か、ラウルに婚約解消を申し出られたアウレリアは例に漏れず毎回、今日の夜に死亡している。
(自殺だった一度目はともかくとして、とばっちりやうっかりで死ぬのはもう勘弁……!)
とにかく今夜を無事に過ごし、明日の朝を迎えるのがアウレリアの一番の目標だ。
……というのも、今日の夜会にはユーリスがいない確率が高い。
(二度目の人生でのユーリス様は、もっと早くに王都に戻ってきていたのに……)
確か、アウレリアが十六歳くらいの頃には既に王都に戻り、ちゃっかり女遊びをしていたはずだ。
それなのに彼はそれから二年経った今も辺境で働いている。
(仕事が忙しいのか……私に会いたくないのかな)
十分あり得ることで苦い笑みをこぼしたからか、アウレリアの髪をまとめてくれたメイドが不安そうに顔を上げた。
「お嬢様、何か気になることでもございますか?」
「いいえ、大丈夫よ」
メイドに言い、アウレリアは前を見た。
この夜会に参加するのもこれで四回目だが、アウレリアは毎回違うドレスを着ていた。
引っ込み思案だった一度目は、シンプルな若草色のドレス。
社交的だった二度目は、華やかな薔薇色のドレス。
学力を磨いた三度目は、清楚な薄青色のドレス。
そして今回四度目にアウレリアが選んだのは、淡い黄色のドレスだった。
今夜、ユーリスには会うことができない。
だが彼の髪の色と同じドレスを着ることで、少しでも彼に近づけたら……という願掛けのような気持ちがあった。
(……まあ、一番見せたい人には見せられないのが悲しいけれどね)
ふっと笑い、仕度を終えたアウレリアはこれまでの三回分と同じように家族に褒められ、馬車に乗って会場に向かった。
(これまでは、正面玄関の近くでラウル様と合流することになっていたわね)
そうして別の女性を連れた彼に婚約解消され、アウレリアは会場に入ることなくその場を離れた。
今回はせっかくだから、会場で知人とお喋りしたりおいしい料理を堪能したりしたいものだ。
今回のアウレリアは婚約者同伴でないので、親戚筋の女性を介添人として連れていた。その際ちらっとラウルとのかつての待ち合わせ場所を見たが、誰もいなかった。
夜会会場は華やかに飾られており、人々の会話する声やドレスの裾が立てる衣擦れの音などがアウレリアの耳をくすぐった。
(二度目の人生の私は、この場所が好きだったわね……)
今回は二度目ほど積極的に社交には参加していないが、それでもこの賑やかな場所は結構好きだ。
「ごきげんよう、いい夜ですね」
「あら、ごきげんようアウレリア様。今宵はお一人でして?」
「ええ、婚約者のユーリス様はまだ王都にお戻りでないので」
知人の貴族令嬢にそう言うと、彼女は「そういえばそうですね」と口元を扇子で覆った。
「でも、アウレリア様は幸せですね。ユーリス・シュナイダー様の活躍は王都でも噂になっておりますもの」
「……そうですね。私も誇らしいです」
確かに、ユーリスが騎士として辺境で活躍しているというのはなかなかの評判になっている。
(二度目の人生でのユーリス様は遊び人としては有名だったけれど、騎士としての働きはあまり聞かなかったような……?)
とはいえ、婚約者としてはユーリスがいい方向に変化したのだから嬉しいことだ。
そう思っていると、夜会の主催者が挨拶をして会が始まった。今宵は有名な楽団も招いているようで、紳士と淑女たちが次々にダンスに応じている。
「お嬢様。ダンスはいかがなさいますか」
そう尋ねてきた付添人の女性の手には、小さなカードがある。
あれはダンスの予約表で、人気のある令嬢はあちこちの貴公子からダンスに誘われるため、あの予約表を使うのだ。どうでもいい相手は「もう予約がいっぱいですの」と悠然と微笑んであしらうのが、できる令嬢の振る舞いでもあった。
(……でも、私はそもそもあまりダンスに誘われないし……踊るなら、ユーリス様とだけ踊りたいわ)
「今夜はいいわ。ユーリス様もいないし……適当な理由を付けて断ってくださいな」
「そうですか……残念ですが、お嬢様はユーリス様一筋ですものね」
アウレリアより五つほど年上の既婚者である付添人は、残念がりつつもアウレリアの気持ちを尊重してカードをしまってくれた。
(一筋……と言っていいのか分からないわね)
なんといってもアウレリアは、恋愛感情のみでユーリスに求婚したわけではない。
ユーリスの方も、面倒な結婚話を回避するためにちょうどいいと思ったのだろうし、付添人が思うほど二人の関係は純粋なものではないだろう。
そう思いながらアウレリアは壁際に移動し、ダンス中の男女の邪魔をしないようにした、のだが――
「……失礼。君は、ペルレ子爵家のアウレリア嬢では?」
ふと、遥か昔に聞いたことのある声が聞こえてきて、アウレリアの背筋がゾクッとした。
(この声は……)
空気を読んだ付添人がそれとなくアウレリアを壁の方に移動させる傍ら、大股で近づいてくる男性の姿が。
黒髪に、緑色の目。
三度目までの人生と違い、四度目の今回はこれまでほとんど顔を合わせることのなかった、彼は――
(ラウル様……?)
「……ごきげんよう、ラウル・ゲルトナー様」
「ごきげんよう、アウレリア嬢。……お一人ですか?」
「ええ、婚約者は本日欠席ですので」
笑顔で応じながら、アウレリアは開いた扇子の下ではちっと舌打ちしたい気持ちだった。
(今回は、ラウル様との接点はほとんどなかったはず。それなのに今更、どうして……)
そこまで思い、そういえば、とアウレリアは思い出した。
三度目まではアウレリアという婚約者がいたラウルだが、今回は婚約者がいるという話を聞かない。婚約者のいる男女ならば普通、夜会で最初にダンスを踊るものだ。
それなのに、彼が一人でいて……しかも自らアウレリアに寄ってくる理由は。
ラウルはにっこりと――これまでの人生ではまず見られなかった愛想のいい笑みを浮かべ、お辞儀をした。
「そうでしたか。アウレリア嬢の婚約者殿は確か、田舎勤めの騎士でしたね」
「ええ。実力を評価していただけているようで、私も誇らしいです」
「そうですか? しかしいくら騎士として優秀でも、王都に戻らず婚約者を放置するのはいただけませんね」
(はっ、どの口が言っているのよ!)
間違いなく、ラウルは一度婚約の話が持ち上がったアウレリアに目を付けて寄ってきたのだ。
きっと……彼には婚約者がいない。そして王国では、男性側が夜会で一度もダンスを踊らないのは不名誉なことだ。
だから一人でいるアウレリアに声を掛け、あわよくばダンスを踊ろうとしたのではないか。
アウレリアはむっとするが、代わりに付添人が進み出てくれた。
「失礼します、ラウル様。今宵お嬢様は、お一人で過ごすご予定です」
「それはもったいないことだ。君のように美しい女性が一人でいるなんて」
「……お嬢様のことはお気になさらず、ラウル様はダンスがお好きな他のご令嬢をお誘いくださいませ」
分かったらさっさとあっちに行け、と付添人の女性は笑顔の下で警告するが、ラウルはにっこりと笑うと肩をすくめた。
「いえ、私は是非ともアウレリア嬢とダンスを踊りたく。……踊っていただけますか?」
「お断りします。私、ユーリス様以外の男性と踊るつもりはございませんので」
これ以上付添人が何を言ってものらりくらりかわすだけだと思い、アウレリアはばっさりと切り捨てた。
今のラウルは、アウレリアの変化を知らない。
だから彼女のことを一度目と同じ、「おとなしくて引っ込み思案な、押せばなんとかなる令嬢」と思っていたようで、かなり驚いた様子で目を瞬かせた。
「驚きましたね。アウレリア嬢はもっとしとやかな女性だと思っていましたが。ここまでにべもなく断るようでは、婚約者殿も手を焼かれそうですね」
「それはそれは。……ユーリス様はこんな私でも慕わしいとおっしゃってくださっていますので、私は一向に気にしませんが」
ラウルがユーリスをだしにしたりこき下ろしたりするので、アウレリアも笑顔の下で毒を吐きながら言い返した。
(……一応礼儀として参加したけれど、ユーリス様もいらっしゃらないし、もう帰ろうかしら)
付添人に目配せをすると、彼女は小さく頷いた。
「申し訳ありません、ラウル様。お嬢様はそろそろ会場を出られるそうですので」
「何を言っている。まだ開会したばかりだろう」
「ですが、実は今朝から少し体調が優れないところを無理してお越しになっていたのです。そういうことですので……」
「お、おい、逃げるつもりか!?」
普通ならこれだけ言えば引くだろうに、あろうことかラウルは付添人のガードも何のそので手を伸ばし、アウレリアの扇子を持つ手首を掴んできた。
(……なっ!?)
「何をなさるのですか!?」
思わず付添人が小声で叫ぶが、ラウルは焦った様子を隠すことなくアウレリアの手首を引っ張った。
「そちらこそ、伯爵家である私に対して無礼だろう! ここまであからさまに私を避けて、恥を掻かせるつもりか!」
(な、何よその理論は!?)
ぎりっと歯を噛みしめたアウレリアは、つい三度目の人生と同じようにラウルの横っ面を殴り飛ばしたくなり、すんでのところで堪えた。
(前回は婚約者同士の痴話げんかの延長で済んだけれど、今回は他人同士だからそうもいかない……)
周りの客たちも異変に気づいたようで、ちらちらとこちらを見てくる。
「あれは、ペルレ子爵家令嬢と、ゲルトナー伯爵家の?」「どうして?」という声も聞こえてきて、焦る。
これでは、婚約者がいながらよその男に言い寄られる女として醜聞になりかねない。
つう、とアウレリアの背中を汗が伝った、そのとき――