一度目の人生
「アウレリア。悪いが君と結婚することはできない」
男の感情のこもらない言葉に、令嬢は持っていた扇子を取り落とした。
夜会用礼服姿の男性の隣には、まばゆい金髪を背中に流し、豊かな胸の形がはっきりするような深紅のドレスを着た令嬢が。
二人が寄り添う様は、まさに――お似合いの恋人、といったところだ。
(……え? ど、どういうこと……?)
そんな二人の様子を、アウレリアと呼ばれた令嬢は落とした扇子を拾うこともできず、ただ見守っていた。
アウレリア・ペルレは、王国のペルレ子爵家令嬢だ。
緩いウェーブを描くミルクココア色の髪は、「婚約者のいる令嬢」の証しとしてハーフアップにまとめている。王国では婚約者のいない令嬢は髪を下ろし、婚約者を持つと一部だけ結い、結婚すると華やかに結い上げるというルールがある。
紫色の目はあまりぱっちりとはしていないが、穏やかで優しそうな雰囲気を醸し出している。
肌は令嬢らしく白く、纏う若草色のドレスは彼女の控え目な性格を表すかのような落ち着いたデザインだ。
今宵、アウレリアは王国内の貴族が集まる夜会に招待されている。
そこで彼女は、婚約者であるゲルトナー伯爵家子息・ラウルと落ち合って一緒に過ごす予定になっていた。
それなのに、いざ合流したラウルは自分とは真逆の快活そうな美女を連れており、無情な言葉を放ったのだ。
内向的で気も強くないアウレリアは、かたかた震えながらラウルと美女を見比べる。
「ラ、ラウル様、どうしてですか? 私もやっと十八歳になったので、今年中に結婚するのですよね?」
「いや、悪いが婚約の話は白紙に戻させてもらう。僕は……君を女性として好きになることはできない」
「え……?」
「ラウル様はね、わたくしみたいに明るくて社交的な女性がお好きらしいの」
そう語るのは、ラウルの隣で微笑む美女。
アウレリアのそれとは雲泥の差の胸をラウルの腕に押しつけ、彼女は満足げに言う。
「そもそも、ゲルトナー伯爵家は資金対策のためにペルレ子爵家との縁談を決めたのでしょう? 伯爵家の財政が立ち直った今、もうあなたと婚約する意味もないそうなのよ」
「そ、そんな……!」
「婚約解消の件は、改めて僕からペルレ子爵にもお伝えする。……アウレリア、どうか幸せに」
それだけ言うと、ラウルは美女を伴ってきびすを返した。
アウレリアは声を上げることもラウルの背中を追うこともできず、ただ彼の黒髪が遠くに去っていくのを見守るだけだった。
その日、アウレリアはどうやって自邸に帰ったかよく覚えていない。
気がつくと自分の部屋におり、夜会用のドレス姿のまま床に座り込んでいた。
アウレリアとラウルが婚約して、八年。
人見知りなアウレリアは交友関係が狭くて、ラウル以外の男性とは話もできないくらい臆病だった。
アウレリアにとって、ラウルが全てだった。
彼と結婚することでペルレ子爵家とゲルトナー伯爵家は交友関係を結び、実家も格上の貴族と縁を組めるのだと。
アウレリアは引っ込み思案だが、ラウルのいい妻になろうと礼法をマスターして、刺繍や裁縫など部屋でできる芸術の能力も伸ばしてきた。
だが、ラウルは一方的に婚約を解消してしまう。
もう、アウレリアには用がないから。
それに、アウレリアのようなおとなしくて地味な娘ではなく、あの美女のような快活な女性が好きだったから。
(私は……もう、ラウル様のおそばにはいられない……)
ラウルに捨てられた自分には、何も残らない。
このまま生きていても、何の未来も見いだせない。
家族にも、迷惑を掛けるだけ。
(それくらいなら……)
アウレリアはゆらりと立ち上がるとドレスの装飾として使うリボンをクローゼットから出し、それを手にベランダに出た。
内向的なアウレリアは、王都の図書館に出向いて読書をするのが好きだった。ただし難しい内容のものは苦手なので、読むのは主に小説だ。
その中で、人生に絶望した主人公がリボンで首を吊る場面があった。だから、やり方は知っていた。
ベランダにリボンを結びつけて、軽く引っ張り強度を確かめる。アウレリアは体重が軽いので、これくらいでも十分耐えられるだろう。
(……もし、人生をやり直せるのなら)
リボンの輪の部分に首を通し、ベランダの手すりによじ登る。
(あの令嬢みたいに……明るくて活発な性格になりたい)
顔を、上げる。
夜空が、とてもきれいだ。
空に瞬く星を見つめ、アウレリアは口の中で祈りの言葉をそらんじ――手すりから、滑り降りた。