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何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない世界

 ひそみに倣う、なんて言葉があるけど、これほど麗しさに振り切った困り顔があるだろうか。目の前で30分近く頭を悩ませている女は、あーでもないこーでもないと唸り、3~4個の碁石を両手でジャラジャラ弄んでいる。

 店に来る男共なら、こいつの表情見たさに何時間でも待つだろう。しかし生憎私は客でもなければこいつに恋をしているわけでもない。長めのタイムもこれで三度目だし、もう少し待ってなんて言い次の手をうたない青海波に、いい加減イライラが募っていく。プロ同士なら1時間2時間の長考もあるけど、なぜにこんなお遊び対局で平然と相手を待たせることができるのだろう。自分が雇われている立場でなければ殴っていたところだ。


「よーし。ここ!」

「…………。」

「え!?ウソウソ!そんな手があるなんて。…………どうしよう。」

「…………。」

「……うーーーん。」


 青海波が打って三秒後に打ち返す。そしてまたまた長考が始まった。誰か助けて。いやこれは最初に持ち時間を設定しなかった私が悪いんだけど、言い訳をさせてほしい。もはや人権侵害レベルの長考をされることなど、一体誰が予想できただろう。

 ちなみに待っている時間が暇なら、茶を飲むなり書を読むなりすればいいとお考えのそこのあなた。それを私が試みないはずがないでしょ???しましたよ!しかしこの美女が!私が席を立つなりコッソリと盤上の石を動かす(不正)、碁盤の上下を入れ替える(不正)、茶に痺れ薬を混ぜる(犯罪)等々。えげつない妨害工作を繰り広げてくるのだ。

 痺れ薬でさすがの私も命の危険を感じ、下手に席も立てず青海波から目も離せない状況になった。こんなんが最高位の花魁とか世も末。

 ウンウン、自分の言葉に自分で納得し頷いていたら青海波が持っていた碁石を、パチンコの如くとばしてきた。


「うっぎゃあーーー!目ぇぇえええ!目が!!!」

「なんか失礼なこと考えてたでしょ。」

「アホか!!!それなら声かけるとか、せめて叩くとかでしょうが!なんで持ってる碁石とばす!?しかもコントロール抜群かよ!!!」

「はいはい。次からそうするね。」

「はあああああ!?こちとら目に当たってんだぞ!謝罪しろや!しゃざ……グエ!」

「「姐さん!」」


部屋のどこかに控えていた2人の禿が私の上にのしかかってきた。


「あなたね!また姐さんに何かしようとしたでしょ!」

「いや、何かされたのはこっち。」

「私達が目の黒いうちは、姐さんに指1本ふれさせませんよ。さあ、正々堂々と戦いなさい。」


 それはお前の姐さんに言ってやれ?今までの不正のオンパレードを見ていなかったのかな?

 子ども二人の下で苦しむ私を目の前に、吞気にも青海波が「えいっ。」なんて可愛らしい掛け声付きで碁を打つ。


「じゃあ……。はい。」

「む?えーっとぉ。」

「…………。あの、大変に重たいので、早くこの二人をどかしてほしいんですが。」

「えー?どうしようかな。」

「お願いいたしまする。」

「アハハ!……ホラ、2人ともみことの上からおどき。」

「「はい。」」


 予期せず軽く走った後みたいに、全身汗だくになってしまった。青海波が言えば、アッサリと引き下がった二人。二人にもみくちゃにされた着物を直していれば、青海波から声をかけられる。顔を上げて返事をしたけど、彼女は盤上とにらめっこしたままだった。


「あの子、どうなっちゃうんだろ。」

「まあ、放っておけば売られますね。」

「ちーがーうー。私が言いたいのはその後だよ。」

「趣味悪……。」

「あの旦那さんさ、本当の変態さんだよ。一回だけ相手したことあるけど、あたしを一目見るなり目玉を売ってくれってすっごいしつこかったの!言い値でいいからって、それでも嫌じゃない?」

「………………。」

「絶対に嫌だって断ったのね。そしたらまあ、変な抱かれ方したなー。あー、やな思い出。」

「………………。」

「…………あいつさ。すっごいお金持ちのくせして高級旅館には滅多に来ないの、なぜか知ってる?」

「……高級旅館は遊女の管理が行き届いている分、怪我をさせると面倒だから。」

「半分正解。」

「じゃあもう半分の理由は?」


 ゆっくりとした動作で青海波は顔を上げた。いつものようにヘラヘラした表情ではなく、一切の感情をそぎ落とした顔。初めて見る顔に思わず、右足を引いてしまう。普段は脳天気なように見せていて、やはり彼女も修羅の道でてっぺんをとった人間だったのだ。

 目と目を合わせる。通常、自分より身分の高い人間の顔を見ることは不敬とされている。けれど、青海波は意図して目を合わせるよう視線を投げて寄越してきた。それに答えて視線を絡ませる。ゾワゾワと背筋を駆け上っていくこの感覚は、一体何なのだろう。青海波は例の旦那に目玉を売らなかったと言ったけど、先程から2つの眼が、空洞に見えて仕方なかった。

 どれくらい見つめ合っていたのか、緩やかに青海波は肘掛けにもたれかかった。不思議なことに、周囲の空気まで姿勢を崩したように動くのだ。凝り固まった空気に、風が吹き込むよう。天を仰いで息を吐く。


「……あんまり待つの好きじゃないくせに。」

「まあ。それほど得意ではありませんが、こっちからお願いしてるんですし。最後までします。」

「もう負けてるのなんかわかってますよーだ!」


 ベー!と、舌を出して青海波はとうとう仰向けに寝転ぶ。あっという間にいつも通りの彼女になった。これにて終局。



―――――――――



「あれ?みことちゃん?こんな所で何やってるの。」

「…………反省会と今後の対応。」

「……難しいことしてるね。よかったらお茶していく?」

「……………………はい。」


 子どもが連れられ、白砂が消えてから数時間後のことだ。みことはあれからずっと同じ態勢で固まっていて、たまたま通りかかった青海波に発見されたのだ。もちろん青海波が来るまでに何人もの遊女や男衆が通り過ぎて行ったけど、皆おかしな者を見たかのように足早に過ぎ去るか、馬鹿にして笑うかのどちらかだった。

 青海波は仕事終わりでこれから床につこうかとしていた。そんな彼女に、高級茶と高級菓子でもてなされ、なぜあんな所で蹲っていたのかと聞かれれば答えない訳にはいかなかった。話し終えると、どこか真剣な顔をした彼女が、後ろに控える禿に以後の用意をするよう命じたのだ。せっせと碁の準備を進める禿を見ていると、彼女に「じゃあ、みことちゃんやろう?」などと、潤んだ目で言われ「えっ!?じ、自分っすか!?」と慌てふためく童貞よろしく返事をしていた。


「…………。」

「もしかして、みことちゃん。」

「はい。」

「……初めてじゃない?」

「そっすね。」

「しかも………………。結構。」


 囲碁を打つのは久しぶりで、最初はなかなか感覚が戻らなかった。しかしそんな状態でも難なく太刀打ちできるくらいには、青海波は弱かったのだ。

 序盤から中盤にいくにつれ、誰が見ても青海波が負けていることは明らかに。それに比例してタイムも多くなる。終盤では長考の嵐で、負ける瞬間を先延ばしにしているとしか思えない有様だった。


「これだけ強かったら、囲碁で食べていけばいいんじゃない?」

「確かに。大六から逃げ切れたらそれもアリですね。」

「でしょ。捨てられたら本当にやってみない?」

「なぜ私が捨てられる立場なん?」

「間違えた。」


 本音ってふとした瞬間に出るから気をつけろよな。


「冗談はさておき、別に囲碁なんてみんな、そこら中でやってるしね。そこのお仲間に入れてもらって、稼げばいいんだよ。」

「もしかして、船着場のあの集団のこと言っています?」

「うん。」


 「船着場のあの集団」とは、船着場にある小さな建物内で違法賭博をする集団のことである。もちろん見つかれば即お縄だが、聞くところによると警察の関係者も入り浸っているという噂。そのためか、連日連夜どんちゃん騒ぎで賭け事が行われている。

 毎日物凄い金額が動く。不正はなしだが、上限もなし。一瞬で億万長者になった者や、物乞いになった者まで様々。一度借金をすれば最後、親族郎党の骨までしゃぶり尽くされる地獄の一丁目。


「いやいや。毎日汗水垂らして稼ぐのが性に合っていますって。」

「そう?賭け碁で食べていけると思うけどねー。一度だけ試しに行ったいいのに。」

「……。」

「あの旦那も、よく来るみたいだし。」


 その情報は初耳だった。


「え?ほ、本当ですか!?」

「信用できる筋の情報だよ。まあ、信じる信じないはみことちゃんの自由だけど。」

「……そ、れは。…………。」

「ね!ね!どうする!?行っちゃおうよ!」

「……いえいえ。やっぱり違法賭博ですし。行かないですよ。」

「ちぇーーー。」


 ぷくーっと右頬を膨らませる。おい、人の人生を暇つぶしみたいに扱うんじゃない。


「……じゃあ、そろそろ失礼します。」

「えー、もう帰っちゃうの。もう1局やろうよ。」

「すみません!またいつか。」

「また今度、じゃなくていつかって。それもう二度としたくないって言っているようなものだよ。」

「その通りだけど?」

「なによあたし、そんなに強くないけど弱すぎるって程でもないでしょ!」

「いやそこじゃない。勝負に挑む姿勢だよ。」

「それはさておき、終盤いい勝負じゃなかった?けっこうな粘りをみせたと思わない?」


 粘り=長考じゃないだろうな?足にまとわりついてくる青海波を振り払い、颯爽と部屋から出る。

 襖を閉める際に、彼女からどこら辺で勝負がついていたのかと問われた。答えるために、指で数字を示す。


「そんなに前!?」


一呼吸置いて、青海波は笑い出した。可憐な彼女らしくない大笑いだったため、思わず振り向く。襖の隙間から覗いて、彼女の様子を確認すると、蹲りながら笑い続けている。

 笑いが収まるまで待っているのも癪だし、とっとと帰ろう。


「やっぱり行っちゃいなって!」


もう一度、部屋の奥から声をかけてきた。それには返事をせず、三文字楼を後にする。

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