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亜・琵琶法師

 シュルシュル、と青海波が服を着直している間、その身体を目に焼き付けるよう見ていた。もちろん青海波は見られていることに気づいており、時折せっかく来た服をわざとはだけて真っ白な肌を見せてくれる。キャアとふざけた声を青海波が出したものだから、グヘヘと巫山戯てみた。変な気分になるからよくないよ。こういう遊びは。


「はいはい、お遊び終了ね。じゃあ座ってください。今日もいっぱい書きましょう」

「えー!もうちょっとやろうよ!スケベな親父ごっこ。いいじゃない」

「は?それだと私がスケベな親父にならんか?」

「もちろんみことがスケベ親父役だよ」

「許されない!21のうら若き女子に向かって暴言がすぎる」

「適役なのに」


 なんだこの女。今日の授業、泣いたって許してやらん。さっさと机の上に硯やら筆やらと準備をしていく。青海波も着替えを終えたらしく机の横に同じく準備を始めた。3ヶ月前より手際よくなったと思う。初めひらがなの「ぬ」を鏡文字で書いたことが忘れられないが、こうして練習を重ねていけば正しい字を覚えられるはずと覚悟を決めて指導にあたっている。しかし、未だに「ぬ」どころかほかにも鏡文字で書く字があったり線や点が多かったり少なかったりと、成果は出ていない。正直、自分は字が上手であろうが下手であろうがどちらでもいいと考えているが、青海波が頑張りたいと言っていて、大旦那からお金をいただいている以上はできる限り彼女の望みが叶うよう働くべきだ。青海波と墨をすりながら、ふと疑問が浮かんだ。


「青海波は書物を読んだことはある?」

「うーん。読んだことあんまりないからねー。たまに開いても、私飽きっぽいし」

「読んだことがないんだ」

「そうなるよね」

「え、じゃあどうやって文字を覚えたの?」

「今までの先生に手取り足取り教えてもらったの」

「へー」


 はいはい。手取り足取り教えてもらって楽しかったようでなにより。しかし、他の先生方もこの字を見ているのなら……、フム。指を唇にあてて考える。


「じゃあ、今までの先生にどんな指導方法で教えてもらってたの?こんな練習した、っていうのがあったら教えてほしい」

「えー?うーん……」

「覚えてないの?」

「そうだねー。あっ、そうそう。お手本の字をマネして書いたり、先生が書物を読んだ後で続けて読んだり、とか?」

「それだけ?」

「最初だけだもん、お勉強したの。私は勉強できないし、それなら他のことしたくなるじゃない」


 真剣にお勉強しよっか……。まさか、今までの先生を全員食っていたとはさすがである。


「気になったんだけどさ。今お手本に使ってる本って大旦那から支給されたの。ところどころ墨で汚れているし、多分今までの先生も使ってると思うんだけど」

「うん。使ってたよ。ここ私が汚しちゃったんだよ」

「随分盛大に汚したね。でさ、お手本に使ってた本や前の先生と一緒に音読した内容って、こんなことしたって言うより、○○っていう本を写したとか○○物語を読んだってならない?」

「そうなの?あんまり本ってわかんないし」

「今お手本に使ってるこの本も、あんまり知らない?」

「全然知らない」


 これはちょっとだけ驚いた。文字を勉強する方法はいろいろあるけれど、その中の一つに物語と併せて覚えていくという方法がある。物語を知っていれば自分が話している言葉と書いてある字を一致させやすいという考えから編み出されたのだと思う。だから、文字を読み書きできると言うことは、少しくらいは青海波だって物語や書物を知っていると踏んでいた。


「せっかく墨をすってるけどさ、いったん休憩してこの本……坂上物語って言うんだけど。どんな物語か今から読んでほしい」

「えっ、私自分一人で読むの苦手なんだけど」


 おや、難色を示すとは意外だ。坂上物語は主に子ども向けの物語が載っている。だから子どもでも読みやすいように書かれているため、今までの先生方よりも簡単なことを提案したと思ったのだが……。


「よーめーなーい」

「わかった」


 あれ?と青海波は首をかしげた。いつものみことなら強硬手段に出るか嫌味の一つや二つ言ってくるのに、案外アッサリ引き下がってしまった。少々拍子抜けである。その様子に、この女も今までの男たちのように結局は自分の言いなりになってしまうのかとほの暗い感情を抱く。風変わりな人間だと思ったから三ヶ月間授業を受けてみたが、今日で最後になるだろう。ふとみことに目をやると、彼女は禿に何かを伝えていた。


「なにしてるの?」

「青海波は自分で読むのがいやなんでしょ?だから私が読み聞かせしようかなって」

「へえ」


 1度期待が外れてしまうと、途端に興味を無くすのは自分の悪い癖だと思う。しかし、読み聞かせとは、三文字楼の遊女も舐められたものだ。そんな時間があるくらいなら寝たほうがマシだ。断りを入れるのも面倒だから目を閉じてそのまま寝てしまおうとしたときだった。


ベベン


 琵琶の音が聞こえた。現金にも今まさに寝ようとしていた頭が覚醒する。みことは琵琶を少しかき鳴らして音を確かめてから、


「じゃあ今から琵琶を弾きながらお話をさせてもらうね。琵琶法師なんてたいそうなもんじゃないけど楽しんでね」


 楽しんでね、なんて言葉を青海波は勉強の時間にこれまで1度も聞いたことがなかった。

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