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「天王寺は……家庭の事情で転校することになった」
冬休み明け初日の朝ホームルームで、担任が苦虫を踏み潰したような顔で告げた。それはつつがなく始まるはずであった新学期に爆弾が落とされた瞬間だった。
*****
ようやく一日が終わった。
天王寺 宮古の電撃転校という爆弾が朝一に投下されたせいで、今日は一日中頭がもやもやしていた。
俺、益子 薫と天王寺宮古なる少女は高校入学時からの付き合いだった。
最初の席が隣だったので自然と話すようになり、女友達がそれまでてんでいなかった俺にしては珍しくこの仲は大事にしたいと思えるくらいの友達だった。
そんな宮古が俺に一言もなしに転校してしまうなんてこと、あるのだろうか。実は宮古にとって俺はただのクラスメイトAくんくらいの扱いだったとしたら結構ショックだぞ。
「薫」
そんなとき俺を呼ぶ声が聞こえた。この声は多分彼女だろう。
声のする方に顔を向けると、予想通りの人物が立っていた。彼女の名は山内 加恋。彼女は宮古の親友で、宮古を通じて話すようになった友達だ。彼女は人との距離の詰め方が絶妙で、いつの間にか下の名前で呼び合うようになっていた。
「多分今あんたが考えてること……宮古のことで話があるんだけど、この後時間ある?」
どうやら加恋は宮古の転校騒動について何か知っているようだ。このもやもやが晴れない限りは何も手につきそうにない俺は、
「やっぱなんかあるんだな? ……聞かせてくれ」
と答えたのだった。
*****
その後、俺と加恋は加恋のバイト先である喫茶店に来ていた。
「話……聞かせてくれ」
ミルクとシロップを入れたアイスコーヒーをかき混ぜながら俺は口を開いた。コーヒーをかき混ぜていると、学校帰り俺と加恋と宮古の三人でここに来ていたことを嫌でも思い出す。もうあの日々は戻ってこないものかと、懐かしさと寂しさがごちゃ混ぜになった感情が襲ってくる。
「……宮古、今入院してるの」
加恋が重い口を開いたと思ったら、とんでもない爆弾発言が繰り出された。
思わずコーヒーをかき混ぜる手が止まる。
「それって……宮古は大丈夫なのか?」
俺はどうにかこうにか、言葉を絞り出した。
「昨日お見舞いに行ったときは元気そうだったわ、とりあえずは大丈夫みたいよ?」
加恋が優しい声色でそう告げたので、おかげで少し落ち着くことができた。
そんな俺の様子を見て取ったのか、加恋が続けて口を開いた。
「それでさ、宮古があんたとも話したいって言ってたから宮古にあんたの連絡先教えるねって話」
なるほどな。俺としても是非話したいところだ。だが、せっかくなら友達として直接お見舞いに行きたいという気持ちがある。
「直接お見舞いに行くのは駄目なのか?」
俺は加恋にそう問いかけた。
すると、加恋が少し困ったような表情を見せた。俺は何かいけないことを聞いてしまったのだろうか……。
「えーっと……そう! やっぱ制服姿じゃないから恥ずかしいらしいのよ!」
加恋がまくしたてるように言った。なんか勢いにごまかされた感はあるが……でもまあそうか。女子には色々あるよな、と思うことにした。
「……なるほどな、分かったよ」
「そう、分かればいいのよ! ……じゃあ宮古にあんたの連絡先教えとくから。今夜にでも連絡があると思うわ」
とのことだった。
どうやら加恋はこれからバイトのようで、店の裏の方に入って行った。一人で喫茶店にいてもしょうがないので、残りのコーヒーを飲み干し、程なくして俺も店を後にした。
*****
その日の夜、ベッドの上でゴロゴロしていたら携帯が鳴った。
携帯の画面を見てみると、どうやら宮古からのメッセージが届いたらしい通知が表示されていた。おっ来たか! と思いつつSNSアプリを開くと、
『こんばんは、宮古です! 今からバーチャル通話できる?』
というメッセージが届いていた。なんだか久々に宮古という存在を感じて安心した気持ちになる。
『久し振り、大丈夫だよ』
と返信しておいた。
ちなみに『バーチャル通話』とは、端的に言うと仮想空間内で他人と会って話すことである。ヘッドホン型のデバイスを頭に装着すると、仮想空間内で五感を伴った活動が可能になるのだ。元々フルダイブゲームのために開発されたものだが、最近は遠方の人とも仮想空間内で会えるというその特性に目を付け、コミュニケーションツールとしても利用されている。そして、仮想空間内で他人と会ってコミュニケーションを取るというその行為を、一般的に『バーチャル通話』というのだ。まあ、全部技術の授業で習ったものの受け売りである。
ヘッドホン型デバイスを頭に付けて少し待っていると、デバイスと同期している携帯の方に『天王寺宮古さんからバーチャル通話に招待されています!』と通知が届いた。
承認ボタンを押し招待に応じると、俺の意識はそこで途絶えた……。
*****
目の前に大きな桜の木があった。どうやら場所は高校の校庭のようだ、宮古が指定したのだろう。俺は木の近くにあるベンチに座っていた。
すると、隣から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「薫くん、久し振り!」
顔を見なくても分かる、宮古だ。声のする方を見ると、そこには制服姿の宮古が笑顔で座っていた。俺も自然と笑顔になり、いつになくはしゃいでしまう。
「おう、久し振りだな! ……ったく、心配させやがって!!」
再会の挨拶をしつつ、宮古の頭をわしゃわしゃしてやった。
「あはは! ご、ごめーん! 私が悪かった! 私が悪かったってばぁ!!」
宮古も元気そうだ。
それからはいつものようにたわいもない話が続いた。
*****
五分ほど話したころだろうか。突然、宮古が立ち上がった。
「どうした? 宮古」
俺がそう聞くと、宮古は真剣な表情で、言葉を紡ぐように話し始めた。
「今日は実は大事な話があったんだ……聞いてくれる?」
俺が頷き立ち上がると、宮古は桜の木の根元の方に歩き始めた。俺もそれについていく。少し歩いた宮古は根元の近くで足を止め、くるりと俺の方へと向き直り、口を開きこう言った。
「薫くんのことが好きです。私と付き合ってください。」
思考が一瞬停止した。
「え……ほんと?」
予想外の出来事で、こんな間抜けな返事しかできなかった。
「ほんとだよ」
宮古の表情は真剣そのものだった。そうだ、宮古はこういうときに嘘をつくような子ではない。本気そのものなんだ。
宮古の本気をひしひしと感じ取り、俺はようやく冷静になることができた。
口の中がからっからだ。かなり緊張している。でも、ここでやらなきゃ男じゃないだろ。
足にぐっと力を込め、俺は口を開いた。
「あ、ありがとう、とても嬉しい……宮古、俺からも言わせてくれ! 俺もお前のことが好きだっ! 付き合ってくれ!!」
言えた……やっと言えた。ずっと言えなかった「好き」という言葉。もう諦めかけていたこの気持ち、やっと伝えることができた。宮古の答えはもちろん……
「はい、喜んで……!」
だった。
宮古は満面の笑みを浮かべていたが、安心からか嬉しさからか、頬を一粒の雫が伝っていた。宮古は顔を赤らめながらそれを拭い、
「もうっ……待ってたんだからね?」
と、俺への不満をこぼし、口を膨らませてみせた。
宮古は俺の気持ちに気づいた上で俺から動くのを待っていてくれたのだろう。ただ、宮古の転校というイレギュラーな事態が発生してしまったため、いよいよ宮古から動かざるを得なくなってしまったということか……。
心に蓋をして、これでいいんだと逃げ続けていた自分が情けない。
「気づいてたのか……ごめんな? 待たせてしまって……」
「もー! 謝罪はいいの! それより後で加恋ちゃんにお礼言っとかないとだからね?」
「そうか……今こうして宮古と話してられるのも加恋のおかげだもんな。ほんと頭上がんないな……」
バーチャル通話終了後にまず何をするかが決まった薫であった。
それからは、お互い緊張で疲れていたこともあって、程なくしてお開きにしようということになった。
*****
バーチャル通話終了後、薫は早速加恋に報告と感謝を兼ねたメッセージを送ろうとしていた。
(加恋、まだ起きてそうだな)
まだそこまで遅い時間でもないし、今すぐメッセージを送っても問題は無いだろう。むしろ、この手の連絡は早い方がいいはずだ。などと自分に言い聞かせ、
『俺、宮古と付き合うことになったよ。加恋のサポートがなかったらと思うと恐ろしいや(笑) 色々ありがとな!』
というメッセージを送った。
すると、すぐに既読が付いた。やはり加恋はまだ起きていたみたいだ。
『全く、あんたら二人はほんっとに世話が焼けるんだから! でもまあ、良かったじゃない』
すぐに返信が返ってきた。加恋も色々と気づいていたみたいだ。
全く俺はほんとにいい友達を持ったな、と思いつつ、改めて感謝のメッセージを送ったのだった。
『ありがとう』
*****
翌朝、俺はいつもとは違う音で目を覚ました。
目覚ましの音変えたっけな……と思いつつ携帯の画面を見ると、そこには『山内 加恋』という名前が表示されていた。つまりは加恋からの電話である。
時間はまだ六時半を回ったばかりだった。こんな朝っぱらからなんの用だと思いつつ、通話に応じた。
「もしもし……こんな朝早くにどうしたんだ……」
まだ完全に目が覚めていない俺は、なんとも覇気のない声で通話に応じたのだったが、加恋の言葉で俺は完全に目を覚ますことになる。
「さっき宮古のお母さんから電話があったんだけど……宮古が今朝早くに亡くなったらしいの……」
「……え?」
宮古に告白されたとき以上の間抜け声が俺の口から洩れた。
「宮古が天国に行っちゃったのよ……」
信じられなかった。昨晩あんなに楽しく話していたのに……。昨日俺と話していた宮古がもういなくなってしまったというのか? そんな……そんなことが……
ピロン
そんなとき、俺のパソコンの通知音が鳴った。この音は、普段は使わないメールの通知音だ。差出人は……
「宮古?」
「え、どうしたの?」
「たった今、宮古からメールが……届いたんだ」
「え、そんな……とりあえず読んでみようよ!」
俺も加恋も混乱していたが、とりあえず読んでみることにした。
*****
メールを開いてみると、そこには何も書かれておらず、一つのボイスメッセージが添付されていた。
「ボイスメッセージが添付されてる……再生するぞ?」
「うん……」
俺は加恋に確認を取り、再生ボタンを押した。
*****
「宮古です。薫くんと加恋ちゃんに手紙を書きたかったんだけど、ちょっと今は話すのがやっとって感じなので……ボイスメッセージを録って送ることにしました。ちなみに今は薫くんとのバーチャル通話が終わった直後です。……あはは、なに話せばいいんだろ? とりあえず二人に一言ずつ話そっかな? ……まずは加恋ちゃん! ……いつも私の背中を押してくれてありがとう! 加恋ちゃんは今までもこれからも、私の一番の親友です。大好きだよ……。……次は薫くん! ……私を彼女にしてくれてありがとう! ただ、私は遠距離が苦手な女なので……ここですっぱり別れたってことにしましょう! これからは友だちとして改めてよろしくお願いします……なんちゃってっ! ……あんまり長いのもなんだし、そろそろ終わりにしようかな? ……じゃあ二人とも、これからも仲良くするんだよ? またねっ!」
*****
これで終わりのようだ。聞きたいことがいくつかあるが……まずは……
「もしかして加恋は、宮古の状態が悪いのを知ってたのか……?」
「……うん、知ってたわ。お見舞いに行ったってのも嘘。転校だってしてない。今回の一件もぜーんぶ私の差し金。お節介だったかもしれないけど、お互い自分の気持ちに蓋をして……見てられなかったの」
「そういうことだったのか……。悪いな、いつも世話掛けて……」
「全くよ、もう……」
加恋のため息交じりの声が聞こえる。電話越しなので直接見えはしないが、加恋が肩を竦めて笑う様子が頭に浮かぶ。……そして気になることがもう一つ。
「……ところで、宮古はなんでこの時間にメールを送ったんだろうな……」
メールが届いた時刻は朝の六時三七分だった。送信予約をするにしても、もう少しキリがいい時間にしそうなものだが……
「それは私も気になるわね……あっ」
加恋が何かに気づいたのか、短く声を上げた。
「どうした?」
「六時三七分だから、637で調べてみたの。そしたらこの数字の並びには意味があったみたいで……」
「どんな意味だったんだ……?」
「『always and forever』。日本語では、『いつもそして永遠に』って意味らしいわ。きっと、私たちの友情は永遠だって伝えたかったんじゃないかしら……」
その意味を知った途端、涙がぶわっと溢れ出てきた。
「全く宮古のやつ……泣かせやがって……」
「ふふ……そうね」
加恋が鼻をすすりながらそう答えた。
「……よっし! 泣くのやめ!! 俺らはズッ友なんだから悲しくなんてない、そうだろ?」
宮古は俺と加恋が泣いて悲しむのなんて望んでいないはずだ。
「ははっ、ワードチョイス古っ! ……でもそうね、私たちはズッ友よね」
そう、俺たち三人はズッ友、『いつもそして永遠に』仲良しなのだ。