第九話 異世界
まただ。
また私の目の前で、人が倒れていく。
「ウィル君! 動かないで、そこで待ってて!」
駆け出そうとするルーシーの肩を、またしてもヒューゴがつかんだ。
「離して! 隊長さん!」
ヒューゴは、これ程までに狼狽したルーシーを見たことがなかった。
「私が強化なんかしたせいで、ウィル君が……!」
馬鹿。
危険な命令を下したのは、俺だ。
うかつだった。
俺がこの世界に「医学」を持ち込んだように。
「科学」が持ち込まれていても、何の不思議もなかったのに。
女魔導士が構えているのは、黒光りした長大なスナイパーライフルだった。
ここでもシンクロニシティか。
この世界は、確実に変化してきている。
アイリスはウィルをかえりみることなく、女魔導士へとまっすぐに突っ込んだ。
武器を私に向ける時間は、もうない。
「魔装具『Bウイング』、励起」
彼女の四つの魔装具が、金色に発光を始める。
と、突然アイリスは何を思ったか、体をひねると急制動をかけた。
彼女の足底から、もうもうと砂煙が舞い上がる。
その彼女の眼前を、ぎらりと通過する銀色の光。
「俺の居合を、かわした?」
声とともに頭上から降ってきた一人の男が、身構えたアイリスの眼前に降り立った。
濃い褐色の髪に黒い瞳。
彫りの深い顔立ちの、中年の男である。
たくましい右手には、今まさに振るったばかりの巨大な戦斧を下げている。
そしてその全身鎧は、小手に至るまでが漆黒。
身長こそ決して高くはないが、その鍛え抜かれた肉体は、容易には近づけない威圧感を周囲に与えていた。
巨大なバトルアックスと重量のあるプレートアーマーを装着しながらの、この身のこなし。
どうやら女魔導士に引導を渡すチャンスを失ったらしいことを、アイリスは悟った。
深紅の女魔導士が、驚きの表情を浮かべる。
「デュカキス! あなた、どうして」
漆黒の戦士は、全滅したゴブリンの群れと、もはや動くことのない二体の巨人を眺め見た。
「君は腕は立つが、策に頼りすぎる。戦いってものはそうそう計算通りにはいかないぜ、クゥシン」
アイリスはゆっくりと数歩下がると、間合いを離す。
この男、さっき居合と言ったな。
戦斧で居合を放つとは。
デュカキスと呼ばれた男は、屈託のない調子でアイリスに話しかけた。
「レディ、水を差して失礼した。俺たちも仲間は大切だ、恐らくは君たちと同様に」
そして指を鳴らすと、空中から突風とともに、巨大な何かが男のかたわらに降りてきた。
それは、翼を広げれば八メートルはあろうかというワイバーン、飛竜であった。
もうもうと立ち込める砂煙の中で、デュカキスの声が響く。
「クゥシンを連れ帰らせてもらう代わりと言っては何だが、君たちも仲間の手当てをしてあげてくれ。いずれまた、相まみえる時もあるだろう」
言われなくても、そうさせてもらう。
それにどうやら、こちらも時間切れだ。
アイリスが無表情にうなずいたのを確認したデュカキスは、一跳びに飛竜の鞍にまたがった。
「感謝する。さあ、クゥシン。彼女たちの気が変わらないうちに、乗った乗った」
デュカキスに続いて飛竜の背に乗った深紅の女魔導士クゥシンが、大声でアイリスに呼びかけた。
「ごめんなさあい。あの少年君に、代わりに謝っといてくれない? やっぱり、若い男の子に年上の女と心中なんてまねさせちゃあ、いけないわね。反省、反省」
ワイバーンは大きく羽ばたくと急上昇し、旋回して北の空に消えていった。
ライトブラウンの瞳が、のぞき込んでいる。
それは彼が渡ってきた海のように、ゆるやかに波立っていた。
「……おはよう、ウィル君」
「……おはようございます、ルーシーさん」
ライフルから放たれた弾丸は、ウィルの額の皮膚をそぎ取ったのみで、後方にそれていた。
「隊のみんなは?」
「全員無事よ。それより、自分の心配をしてよね」
ウィルはふうっと大きな息をつくと、ルーシーに微笑んで見せた。
「ルーシーさんのおかげです。脚を強化してくれたおかげで、間一髪かわすことができました」
そこまで言ってウィルは、自分がルーシーに膝枕をしてもらっていることに気付いた。
「ウィル君の、馬鹿。頭やられちゃったら、もう治せないんだよ」
「あはは、そうでしたね」
「……ごめんね。おわびに、額の傷、今から治しちゃうから」
ウィルは、ルーシーからわずかに瞳をそらした。
「ルーシーさん。額の傷、少し残しておいてくれませんか?」
年下の少年の意外な申し出に、ルーシーは傷に伸ばした右手を止めた。
「え、どうしてよ。かわいい顔が台無しじゃない」
「いいんです。傷があったほうが、歴戦の戦士って感じがしていいじゃないですか」
「でも」
言いかけたルーシーは、少年の、言葉とは裏腹な予想外の真剣さにとまどった。
彼女は納得できない表情のままで、しぶしぶとうなずいた。
「わかったわよ、もう。でも消したくなったら、いつでも言ってよね。まったく男の子って、いつまでたっても子供なんだから」
そして目を閉じると、治癒魔法のための集中を始めた。
ウィルも、ゆっくりと目を閉じる。
額の傷が、全部消えてしまったら。
ルーシーさんに膝枕をしてもらった記憶も、消えてしまいそうな気がするから。
戦いの終わった谷間には、午後の静けさが戻ってきていた。
谷間を抜けると、すぐに森に入った。
「分隊長。ここなんか、どうです?」
「いいだろう、エリック。今晩はここで野営すると全員に伝えてくれ」
「了解」
やや開けた広場に出ると、ギルバートは背負ったコンテナを下ろして天幕を張り始めた。
「ギルバート、もう大丈夫なのか?」
身に付けた装備を外しながら、ヒューゴが声をかける。
「結局俺は、魔装具を励起させませんでしたからね。この通り、体力があり余ってますよ。左腕も、もうかなり動きます」
ギルバートはそう言うと、大きなバケツを両手に持ち、小川の方へと降りて行った。
入れ違いに森の中から、射手のデビッドが姿を現す。
その背にウサギを数匹かついでいるのを見て、マシューの顔がほころんだ。
「俺たち独立分隊の最大の問題点は、補給線にあるからな。デビッド、お前のおかげでいましばらくは作戦行動が維持できそうだな」
「今の俺には、矢で敵を倒すよりもウサギを倒す方が、はるかに重要な任務です」
デビッドがまじめな顔で返す。
「違いない」
ヒューゴも、笑顔でそれに答えた。
「じゃあ私、今晩はシチュー作っちゃうね。えーと、塩と、胡椒と……」
バンダナを頭に巻いたルーシーがコンテナから調理道具を取り出しながら、いそいそと夕食の準備を始める。
それを見たエリックが、何気ない素振りでヒューゴにたずねた。
「あのお嬢さん、料理ができるんですか?」
上陸作戦の直前に分隊と合流したルーシーの料理の腕は、ヒューゴしか知らない。
「ああ。彼女、寮生活でずっと自炊していたらしいからな。実際、かなりのものだったぞ」
エリックがにやりと笑った。
彼のダークブラウンの瞳が、きらりと光る。
嫌な予感がする。
「ほう。すると分隊長殿は、すでに彼女の手料理を食べられたことがある、と。ウィル君、どう思う?」
「最低です」
しまった。
またしても、はめられた。
こめかみを押さえてうめくヒューゴ。
「ところで隊長。あの女魔導士、クゥシンといいましたか。奴の持っていた武器は、いったん何だったんですか?」
そう疑問を口にしたのは、デビッドだった。
同じ飛び道具使いとして、訊かずにはいられなかったのだろう。
「ノータイムであの威力の、矢か何かですか、を射出した。発声も予備動作もなかったし、魔法ではないですね。かといって、魔装具でもない」
ずば抜けた視力のデビッドにも、発射された物体を識別することはできなかったらしい。
それはそうだ、ライフルの弾丸なのだから。
「……敵の、試作新兵器。今は、そうとしかいえないな。だがゴブリンアーチャーがいるんだ、弓よりも数多く普及しているとは思えない。当面、人間の敵のみが使用していると考えていいと思う」
ヒューゴは、言葉を選びながら答えた。
ルーシーはウサギをさばいていた手を止めて、そんなヒューゴの横顔を思案気に見つめていた。
夜が更けた。
ルーシーは、まだ燃えている焚き火のそばに座って、ノートに何かを書きつけていた。
聞きなれた足音が近づいてくる。
「ルーシー、まだ起きていたのか。早く休まないと、ライフ・フォースが回復しないんだろう?」
彼女の隊長が、声をかけた。
「うん、もう少しだけ。今日学んで実践したこと、復習しとかないと。みんなの命が、かかっているんだもんね」
ルーシーは、ノートから顔を上げずに答える。
「隣、座っていいかな」
「もちよ。私の隣は、隊長さんのためにいつでも空けてあるわ」
まったく。
どきりとすることを、さらっと言う。
ヒューゴはルーシーの隣に座ると、焚き火を見つめたまま、ためらいがちに言った。
「今日は、すまなかった」
「え?」
ルーシーはノートから顔を上げると、ヒューゴを怪訝そうに見た。
「君の治癒魔法を、治療ではなく、戦いのために使わせてしまった」
ルーシーは小さなため息をつくと、ぱたんとノートを閉じて、優しく目を細めた。
「あの作戦がなかったら、私たち、全滅していたかもしれない。分隊の全員が、隊長さんを信頼しているわ」
「俺が訊きたいのは、君の気持ちだ。君は、本当はどう思っている?」
私の、気持ち。
ルーシーはヒューゴから視線を外すと、つぶやくように言った。
「ゴブリンたちが、たくさん死んだわ。戦いだからって、割り切っていたつもりだけれど」
ルーシーのライトブラウンの瞳が、遠くを見つめる。
「誰もが『大陸』の怪物たちのことを、邪悪だと決めつけている。私は、そう思わない」
彼女の口調は、自然厳しいものになった。
「『大陸』には悪い魔王がいて、いつか怪物どもと共に海を渡って、私たちの『島』を侵略しに来るんだって、みんな昔から教えられてきたわ。だから私たちは、悪い魔王を倒すために戦うんだ、って」
ルーシーの横顔が焚き火の炎に照らされ、幻燈のように揺れる。
「だけど、そんな子供だましみたいな話、信じられる? そんな理由で、命をかけられる? この戦いには、治癒魔法で相手を傷つけるだけの、それだけの価値があるの?」
戦う理由。
「ルーシー」
たとえ、彼女の優しさに付け込むことになるとしても。
「さっき君が言ったこと、正確に翻訳してみようか。俺たちの任務は」
選ぶのは、彼女でなければならない。
「『異世界』に対抗するために怪物たちを作り出している『機関』と、その研究施設を壊滅させる、だ」
ルーシーは焚き火を見つめたまま、動かなかった。
「……そう、なんだ。私たちの世界、『異世界』と戦ってるんだ」
「いや、まだ戦っていない。しかし早晩、戦うことになる可能性が高い」
ルーシーはしばらく沈黙していたが、やがて顔を上げると、普段と変わらない表情でヒューゴを見た。
「いろいろと訊きたいことはあるけれど、とりあえず、質問」
ルーシーは、まるで世間話でもするようにたずねた。
「隊長さん、どこから来たの?」
それは以前と同じ、あの質問だった。
「私に教えてくれている知識って、『異世界』の知識だよね。ということは」
彼女はヒューゴを静かに見つめた。
「隊長さんって、『異世界』の人、でしょ」
「そうだ」
やはり、ルーシーの表情は変わらなかった。
「……驚かないんだな」
「『異世界』を、外国、と置き換えてしまえば、理解可能よ。でも、よかった。異世界の人たちも、私たちと同じ姿なんだ」
ヒューゴは、自分のあごひげをなでた。
「生物学的に差異はないが、今の俺は元の世界の姿じゃない。俺は、この世界の人に転生させてもらったから、この体はいわば借り物なんだ。俺がこの世界に来た方法は、転生であって、転移じゃない」
「え。それは、ちょっと驚き」
ルーシーはヒューゴの頭から足先までを、遠慮なくじろじろと見た。
「調子に乗らないで欲しいんだけれど、隊長さんの今の姿、ちょっといい感じ。だけどひょっとしたら、元の世界での隊長さんは、もっと、こう、老けてて太くて髪が薄かったりして……」
こいつ。どんな想像だ。
「話がそれている気がするが。記憶とともに転生する場合、元の世界の個体に近い肉体が選ばれるようだ。DNAやRNAのマッチングの問題だろう」
「……?」
「要は、今の俺と当たらずとも遠からず、ってことだ。もちろん、むこうでは女性だったってこともないぜ」
「あ、そうか。女の子同士で結婚って、私ちょっとそっちの方面は……」
ヒューゴは、また軽い頭痛を覚えた。
「話を戻すぞ。俺たちの敵である『機関』は、『異世界』からの侵略に備えて、怪物を含めた軍隊を拡充しようとしている。そいつを制圧するのが、今回の、いや、はるか昔から行われてきた『大陸』への上陸作戦の目的だ」
ルーシーは、間髪を入れずに質問を返す。
「ふーん。じゃあ私たちの王国は、『異世界』の事を知らないのね? 自分たちの世界を侵略しようとする『異世界』に対抗してくれる『機関』を、つぶそうってんだから。ただの怪物の軍隊だと、誤解しているって訳?」
ヒューゴは、ルーシーの頭の良さをうらめしく思った。
「いや。王国も、『異世界』のことはすでに把握している」
「それなら、どうして?」
「『異世界』への対応が、『大陸』と『島』で異なっているからさ。簡単に言えば、『大陸』は、攻め込まれても守れるだけの戦力を備えておきたい、あるいは、あわよくばこちらから攻め込みたい。それに対して『島』は、そもそも攻め込まれないようにしたい、ってところだ」
ルーシーは、ばかばかしいとでもいうように肩をすくめた。
「意見の相違だけで戦争するなんて。『異世界』っていう共通の敵がいるんなら、協力すればいいじゃない」
「その二つは、相反する施策なんだ。どちらかしか、選べない」
「そう。政治って、難しいわね」
ルーシーはため息をついた。
「ごめんなさい、もう少しだけ質問させて。私たちの王国は、隊長さんが『異世界』の人だって、知ってるのかな?」
「いや、それは知らない。知られていたら、俺はとっくに消されてる」
「ふむ。王国的には、普通の分隊長さんとしか思っていないわけか。じゃあ、一番答えにくいかもしれないけれど、とりあえず最後の質問、いい?」
「なんだ?」
問い返してはみたものの、ヒューゴにはその質問が予想できていた。
「隊長さんがこの世界に来たのは、偶然?」
こんにちは! 天才で美人でおまけに治癒師な、ルーシーです!
もう、ウィル君ったらびっくりさせるんだから。
私の前で死んだりしたら、お姉さん許さないからね。
それに隊長さんも、なんかとんでもないこと言いだしてるし。
まあ、さすがに私だから、頭がパンクなんかしないけれど。
それじゃ、第十話「それぞれの夜」で、また会いましょう!
それまでは、シチューでも食べて待っててね♪