第七話 伏兵
「こいつは驚いた。奴ら、正面攻撃とは」
初夏の夜明けは、早い。
見通しがきくようになった谷間の街道を見て、赤毛の重攻兵が感嘆の声を上げた。
「何を言っている、ギルバート。こいつは罠の可能性が高い。相手は魔導士だぞ」
マシュー副長が、それをたしなめる。
前方の谷間をふさぐように、ゴブリンの群れが隊列を組んでいた。
その数、数十。
更に、その頭上を通してはるか向こうには、二体のフルアーマーの巨人も見える。
ゴブリンの前衛と彼らとの距離は、もう三十メートルもない。
まさに一触即発である。
と、ゴブリンたちが左右に割れ、奥から真紅のローブ姿の女性がゆっくりと歩み出てきた。
無数の醜悪な怪物を従えた若い女という異様な構図は、美しさよりもむしろ、まがまがしさを感じさせる。
「おいおい、こんなところで女神様がご降臨か。オリヴァーのかたきじゃなきゃあ、食事でもご一緒したいねえ」
今度は、通信兵のエリックが感嘆の声を上げた。
その場の空気を読もうともしない男である。
「……男って、馬鹿」
ぼそっと、ルーシーがつぶやく。
「それにしても真紅のローブって、一体何考えてるのよ。だいたい魔導士って、一番目立っちゃいけないポジションじゃない。自意識、高すぎ」
図らずも相手に対し、同じ感想を持った女性二人だった。
その差すような視線を感じたのか、女魔導士はルーシーの方を見ると、にっこりとほほ笑んだ。
「その左肩の『治癒師印章』から察するに、あなた、治癒師さんよね? よかったわあ。私たち、仲間になってくれる治癒師さんを絶賛募集中なの」
その容姿からの想像を裏切らない美しい抑揚の甘い声で、女魔導士はからかうように言った。
ルーシーは一歩前に進み出ると、腕を組んで答えた。
「あいにく私、あなたの事、好きになれそうもないわ」
彼女の目は細くすえられ、その返事はにべもない。
ヒューゴは、あきれたように首を振った。
こいつ、この状況で。
鉄の心臓か。
挑発ともとれるその返事を聞いて、女魔導士はくすくすと笑った。
「あら。別に私の事は、嫌いでも構わないわ。私の組織を好きになってもらえれば、それでいいんだから。いい男もそれなりにいるわよ、可愛い治癒師さん」
まさか、手のひらを返してついていくんじゃないだろうな。
ヒューゴもマシューも、そう危惧する自分を抑えられなかった。
しかし彼らの心配をよそに、ルーシーはぴしりと人差し指を女魔導士に突き付けると、大声で宣戦布告を行った。
「見損なわないで。私は治癒師よ。あなたは、オリヴァーさんを殺した。許せない。人を救うことが人を殺すことよりどれだけ困難か、人を簡単に殺すあなたには、わかっていない」
女魔導士は表情からすうっと笑みを消すと、後ろに下がった。
「世間知らずのお嬢様が。それを言うなら、あなたの仲間たちだってそうでしょうに。人殺しに、善も悪もない。勝てば官軍とは、よく言ったものだわねえ。その偽善者ぶりが、まったくカンにさわるわ」
「私の仲間を、馬鹿にするな!」
「まったく、物分かりが悪いわねえ。森羅万象はすべからく、弱肉強食のことわりの中でしか生きられない。あなたはきっと信じないでしょうけれど、私たちの組織は、そんなあなた達でさえ守ってやろうって言ってるのよ」
弱肉強食、か。
アイリスは無表情のまま、横目でハリソンを見た。
彼もまた、無表情だった。
「何を……」
なおも言い募ろうとするルーシーの肩を、ヒューゴがぐっとつかんだ。
「よせ、ルーシー。奴の言葉に惑わされるな。俺たちは奴を倒して、ここを突っ切る」
ヒューゴは静かに言った。
奴の言葉にも、真実はある。
しかし俺は、ここで止まるわけにはいかない。
「各自、魔装具の使用を許可する。ハリソン、後方を。ギルバートは、ハリソンの援護を頼む。マシュー、デビット達三人を、俺とお前で防御」
ヒューゴが素早く指示を放つ。
それと同時に、怪物たちの背後から女魔導士の声が聞こえた。
「グランド・ヘキサゴン!」
呪文の詠唱が終了するや否や、彼らの後方の地面が所々で六角形に分割されていく。
そのまま地上へと盛り上がった角柱の表面がひび割れると、何かが中からもがきながらはい出てきた。
白く細い指。
うつろな眼窩。
完全な、あるいは不完全な、骸骨。
「スケルトン。やはり伏兵を使ってきたか。ギルバート!」
総髪の重攻兵ハリソンは、波打つ刃を持った長剣を背から引き抜きながら、もう一人の重攻兵に叫んだ。
「分かってる。せっかく魔装具の使用許可が下りたんだ。片腕だからって、このチャンスを逃す手はねえ」
ギルバートは背からコンテナを下ろすと、二メートルはあろうかという長大なウォーハンマーを嬉々として取り出した。
長柄の槍に、つるはしと槌の頭を組み合わせた、独特の形状の武器である。
「お前、片腕でそれを振るえるのか?」
「ふざけろ。奥義は使えんが、スケルトンごとき、これでもオーバーキルだぜ」
その言葉が決してはったりなどではないことを、ギルバートはこれまでの戦いの中で証明してきていた。
「無理はするな。援護をしてくれれば、それでいい」
「はいはい、了解。ハリソン、お前の取り分もきっちりと残しとくよ!」
ギルバートはウォーハンマーをぶるんと一度振ると、後方のスケルトンの群れに突進した。
ハリソンは軽くため息をつくと、長剣を構え直し、自らも突撃を開始した。
ゴブリンの群れが迫る。
打ち当たったゴブリンの短剣とヒューゴのヒーターシールドが、鋭い金属音とともに火花を生む。
そのヒューゴの肩口を、後ろから一条の矢が通り過ぎた。
矢はゴブリンの顔面に吸い込まれ、怪物が奇声を上げながら後方に吹き飛ぶ。
「ビンゴ」
デビッドの速射である。
「マシュー、もう少し俺の方によれ! 隙間を抜けられる!」
背後の三人をかばいながら、ヒューゴは陣形を立て直そうとした。
しかしマシューも、その振るうメイスで足元に死体を積み重ねているにもかかわらず、数匹のゴブリンに肉薄されて身動きが取れない。
二匹のゴブリンが彼らの間をすり抜け、後ろの獲物を狙う。
「ルーシー!」
さすがのルーシーも、目の前に迫った緑色の醜悪な顔に、真っ青になっている。
意を決して短剣を抜いたものの、それにほとんど意味がないことは、彼女自身が一番よく知っていた。
ゴブリンのさびた短剣がルーシーの胸に吸い込まれる、寸前。
怪物の顔面が鉄球で破砕され、砕けた歯牙が周囲に飛び散った。
「お嬢さん、無事かい?」
通信兵のエリックが、後ろから声をかけた。
彼は二個の鉄球をひもでつなげたボーラと呼ばれる投てき武器を頭上で回転させると、突進してきたもう一匹のゴブリンに向けて投げつける。
それは目標に見事に絡みつき、脚を取られた怪物は派手に転倒すると、それきり動かなくなった。
ルーシーは息を整えながら、エリックを振り返った。
「あ、ありがと。お礼に、さっきの最低な発言は、水に流してあげるね」
「ううん、なかなかやるじゃない」
深紅の女魔導士は、素直な賞賛の言葉を口にした。
「だけど、やっぱり魔導士がいないってのは厳しいわよねえ。彼らの分隊構成では、多くの敵を一掃できる手段がない。結局のところ戦いは、数よ」
彼女がさっと右手を一振りすると、ゴブリンの前衛はじりじりと下がり始めた。
その後ろから、ゴブリンアーチャーたちが短弓を構えて前進してくる。
「じわじわと、すり潰させてもらうわ」
敵の陣形が変化したことに、ヒューゴはいち早く気付いた。
やはり、そうくるか。
「デビッド、エリック、ルーシー。俺とマシューの内側に固まれ」
ヒューゴが号令をかける。
「ラジャー」
ヒューゴとマシューの盾の陰に隠れる、その他の三人。
それを見た女魔導士は、あきれたように言った。
「弓に囲まれて、散開するんじゃなく密集するなんて。あのあごひげの分隊長さん、無能すぎ」
女魔導士は、ゆっくりと右手を挙げた。
「一緒に治癒師さんも死んじゃうけれど、まあ仕方がないか。……殺っちゃって!」
命令とともに、右手を躊躇なく振り下ろす。
ゴブリンアーチャーたちは、周囲から中央に向けて一斉に矢を放った。
空が矢で埋め尽くされ、暗くなる。
「どうするの、隊長さん!」
ルーシーが悲鳴をあげる。
ヒューゴは慌てた様子もなくサレット兜の位置を直すと、左腕のヒーターシールドを前方に掲げた。
「魔装具『S・D・I』、励起」
瞬間、彼の左腕のヒーターシールドが、金色の光を帯び始める。
盾の周囲の空間が、陽炎のように歪んだ。
「フォース・フィールド!」
その瞬間、彼ら五人は青い炎に包まれた。
そのただ中にいるルーシーには、世界がキラキラと青く輝く渦のように感じられる。
ルーシーは、我を忘れて両腕をいっぱいに広げた。
ああ、やっぱり夏がもうそこまで来ているんだ。
熱さのないその静ひつな炎は、その舌先から、細かく輝く微粒子を放出し続けている。
そしてその炎の表面に触れた無数の矢は、ことごとく空中で蒸散していった。
ヒューゴは、ゴブリンアーチャーたちが驚きのあまり動けないことを確認すると、ヒーターシールド型魔装具「S・D・I」を、ゆっくりと下ろした。
いまだ。
ゴブリンアーチャーを一掃し、魔導士を倒す。
「! 魔装具!」
女魔導士は、自分の目算が甘かったことを認めざるを得なかった。
魔装具を与えられているなんて。
こいつら、ただの偵察分隊なんかじゃない。
その時彼女は視界の片隅に、ちらっと動く二つの影を認めた。
左右から近づく影は、それぞれが別のゴブリンアーチャーの群れに突進していく。
「突撃兵か! 奴らも伏兵を。しかし、それにしても……」
彼女は、妙な違和感を感じた。
速い。
速すぎる。
「嘘でしょ。人間が、あんなスピードで」
「魔装具『Bウイング』、励起」
アイリスが疾走しながらつぶやくと、四肢の装具が金色の光を帯び始めた。
「サイドウイングを、使う」
彼女の短いつぶやきと同時に、両手のガントレット型装具と両足のブーツ型装具のそれぞれから、外側に向かって短い突起がせり出してきた。
突起の先端がしゅごおっと音を立てると、アイリスの左右の空間が歪み、水蒸気が雲のように流れて行く。
時速、五十二キロ。
脈拍、毎分百八十八回。
最高血圧、二百三十水銀柱ミリメートル。
血中酸素飽和度、八十八パーセント。
組織中の酸素が枯渇するまで、あと四十五秒。
右前方十二度の角度で直進し、ゴブリンアーチャーに接敵。
前方に二十四メートル駆けた後、左前方八度の角度で、群れから抜ける。
呼吸すら忘れる速度の中で、アイリスはその動作を、三秒で正確にトレースした。
谷間の大地に、静寂が戻る。
彼女の進路の左右にいたゴブリンたちの胴体は、すべて上下に両断されていた。
「魔装具『達人』『抜群』、励起」
ウィル少年はゴブリンの群れに突っ込みながら、背後から二本のロングソードを抜き放った。
それぞれの刀身が、彼の命令を合図に金色の光を帯びる。
狼狽したゴブリンアーチャーが、それでも数本の矢をかろうじて放った。
「僕に飛び道具は、効かない」
ウィルは、右手のロングソード型魔装具「達人」を前方に突き出して叫んだ。
「ボンバー!」
その瞬間、刀身を中心に巨大な青い爆炎が発生し、ウィルの前方へと膨張した。
炎の渦はどくろ状の紋様を形成すると、周囲のゴブリンを、矢とともに呑み込んでゆく。
こいつらには、剣を振るうまでもない。
ウィルが通り過ぎた後には、焼け焦げた兜がただ数個、転がって残されているのみであった。
「……おかしいわね。奴らの魔装具は、攻撃型。その威力はともかく、速度については説明がつかない」
魔導士の魔法というものは、その原理上、人体に直接作用を及ぼすことはできない。
かといって、脚の速い超人が二人も同じ分隊にいるなんて、あり得ない。
何らかの方法で、ブーストしているはずなのだ。
一体どうやって?
しかし、考えている暇は彼女にはなかった。
ゴブリンアーチャーを全滅させた二人の突撃兵は、その速度を減じることなく、合流してこちらに突き進んでくる。
「赤鬼、青鬼。奴らを止めなさい」
女魔導士は、左右のタイタンに号令を発した。
それぞれの色の甲冑を装着した二匹の巨人が立ち上がると、ゆっくりと前方へと踏み出していく。
あの男が造り出した、改造魔人。
ただの人間に倒せるはずがない。
それに。
これも使っちゃおうかな。
エリクサー症候群ってやつ?
出し惜しみして死んじゃうなんて、最高に間抜けだしね。
女魔導士はローブの内側に隠し持ったそれを、いとおし気に握りしめた。
やあ。分隊の王子様、エリックだ。
今回の俺の活躍、見てくれたかい? 女性のピンチは見過ごせないたちなんでね。
素敵なお姉さんも、小さなお嬢ちゃんも、きれいな人妻さんも、ファンレター絶賛受付中だ。もちろん、連絡先も忘れずにね。
おっと、野郎どもは……まあ、適当に楽しんでくれ。
それじゃ、第八話「強化」でも、俺の活躍、期待してくれよな!
……え? 俺の見せ場ない? ……マジかよ。