第五話 突貫講義
外が、ぼうっと赤い。
柔らかな金髪の少女は目をこすると、寝台の上に起き上った。
隣に寝ているはずの両親の姿は、そこには無い。
陽炎のようにゆらゆらと明滅する壁を不思議に思いながら、少女は周囲を見回した。
窓越しに浮かび上がる、複数の黒い影。
「この娘か。なるほど、ライフ・フォースが強い」
白いローブ姿が、幼子の夜目にも窓越しにはっきりと映った。
「間違いない。ルーシー・ハーディング。たしか、七歳になったばかりだってな」
答えたのは、若い男だ。
どうやら、幅広のカウボーイ・ハットをかぶっているらしい。
月を背にした男の顔は、見えない。
「両親は」
ローブの男は、とっくに調査済みの項目について若い男に念を押した。
「この娘と違って、治癒師の素養、なかったんだよねえ。残念だけど」
「わかった。予定通りに」
残念だけど?
私のお父さんと、お母さんが?
いったい、何を!
「それじゃあ。これも仕事だ、悪く思うな」
若い男は、身軽に窓から部屋の中に侵入してきた。
身がすくんで動くことができないルーシーに、手を伸ばす。
こいつら、許さな……
「レイ・ストーム!」
窓とは反対側にあるドアがいつの間にか開いており、長方形にぽっかり開いたその暗闇から、低く鋭い声が飛んだ。
「!?」
声の主からまばゆく輝く無数の青白い光線が放たれると、それぞれが優美な曲線を描きながら、カウボーイ・ハットの男に吸い込まれていく。
「……八本、いや、十六本! レイ・フォースの上位魔法? 冗談だろ!」
若い男はさっと窓に駆け寄ると、窓枠をひらりと飛び越えた。
光線の束が男を追尾しながら窓の外に消えると、部屋の中には静寂だけが残った。
「体術のみで、俺のロックオン・レーザーの射程外に逃れるとはな。面白え奴がいるな」
扉から部屋の中に入ってきた男の姿に、さすがのルーシーも一瞬息をのんだ。
男の左中指にはめられた指輪からは魔法的な光が放射されており、それが男の姿を幽鬼のように浮かび上がらせていた。
寝ぐせのような長いぼさぼさの金髪。
首には三重にネックレスをさげており、どくろが彫られた銀のピアスが、シャンデリアのように光を反射していた。
指に渦巻く、無数の指輪。ぼろぼろにやぶれたシャツに、細身の革製のスラックス。
ベルトにはいくつものチェーンをぶら下げているが、男がルーシーの方に歩み寄って来ても、それらは全く音を発することはない。
手入れもされていない長髪からのぞく男の目は、ルーシーに蛇を連想させた。
「こんばんは、無政府主義者さん。助けてくれて、ありがとう」
ルーシーは、そう声をかけてみた。
こんな格好をしているのだ。
普通の倫理観など、持ち合わせていそうにはない。
男はルーシーを見下ろすと、にやりと笑った。
「お前。さっきの奴らの話だと、七歳だってな。年の割には話せるじゃねえか、色んな意味で。無政府主義者ってより、そうさなあ、無世界主義者ってところか」
「そう、スケールが大きいのね。男の人ってみんな、子供みたい」
「子供のお前が言うかあ」
そういって、男はげらげらと笑った。
「ところで、私の両親だけど……やっぱり、その……」
ルーシーはやはりそのことについて、訊かずにはいられなかった。
「俺が来た時には、誰もいなかった。死体も見当たらなかった。知っているのは、それだけだ」
「そう……それは、良いニュース、なのかな」
男は、ルーシーのそばにしゃがみ込んだ。
黙ったまま、寝台の枠を指でコツコツとはじいている。
ルーシーは窓の外を見つめながらつぶやいた。
「私、独りになったみたい。こんな時に泣きわめいたり、取り乱したりしないなんて、おかしいよね? 人として、なにかが欠けているよね?」
「違う。それは、自分が壊れないための防御反応だ。今は、それでいい」
ルーシーは少しだけうつむいた後、顔を上げた。
「彼ら何者なの、とは訊かない。どうせ敵だから。だけど、私、これからどうするべきかな? 自分の事は自分で決めるけれど、人生の先輩から私へのアドバイス、何かない?」
「俺の人生から見習うものなんか、何もないぜ。もっと言えば、他人の人生からなんて、学ばないほうがいい。だが、今のお前を客観視すれば」
「すれば?」
「なんだかんだ言って、おまえはまだ七歳だ。身を守るには、他人の力が必要だ。無世界主義者の、俺らしくないアドバイスか? だがな、利用できるものは利用しちまえ」
男はうそぶくようにそう言うと、口の端をゆがめて笑った。
「誰が私を守ってくれる? あなたかな?」
「悪いが、俺は誰ともつるむつもりはねえ。この国が、お前を保護してくれる。アカデミー、ってところへ行ってみな」
「ふうん、治癒師になれっていうのね」
男は、少し驚いたようだった。
「どうして知ってる」
「さっきの狼藉者が言ってたわ。両親にはない治癒師の素質が、私にはあるって」
男は気をのまれたように、顎をなでた。
「頭がよくて、しかも地獄耳か。これで美人になりゃあ、怖いものなしだな」
「私にはもう、怖いものなんてないわ。すでに美人だし、ね」
「上等だ」
男は立ち上がった。
「アカデミーの近くまでは、連れて行ってやる。アカデミーの一員となり、閉ざされた学園内で生活することで、お前は奴らから保護されるだろう。だが、決してアカデミーを信用するな。この国がお前を保護するのは、むろんお前のためじゃない」
「無世界主義者らしい言い草ね。でも」
ルーシーはベッドからすらりと降りると、男を見上げた。
月光が彼女の横顔を照らし、肩までそろえられた金髪を輝かせる。
「忠告、ありがたく受け取っておくわ。私は、ルーシー・ハーディング。あなたは?」
「この世界で名乗るっての、リスク高すぎなんだがな。そうだな、ローガ、って自称でいいか?」
「自称、ねえ。わけありって事か。でも」
ルーシーは後ろ手を組むと、いたずらっぽく微笑んだ。
「ローガさん。あなたって、いい人ね」
感謝しているわ、ローガさん。
今の私があげられるのは、笑顔しかないけれど。
ローガは薄く笑うときゃしゃな指をぱちんと鳴らし、入ってきたドアの方へと踵を返した。
「やはり、まだ経験が足りねえ。人を見る目を、もっと養わねえとな」
「おい、ルーシー。出発するぞ」
ううん。
もう少しだけ。
「おい、ルーシー」
しつこいなあ、もう。
「ルーシー」
「わかってるわよ! そんなに急がなくったって、アカデミーは逃げやしないわよ!」
ごん。
頭に、鈍い痛み。
「何がアカデミーだ。学生時代の夢でも見てるのか?」
「あれ?」
きょろきょろと、あたりを見回すルーシー。
早朝の塹壕の中はまだ暗い。
毛布越しに背中へと、砂の冷たさが伝わってくる。
「私どうして、こんな暗い穴の中で男の人と。はっ、あなた、まさか!」
ばばっと、胸の前でマントをかき合わせる。
「……お前の村、男と二人で穴の中にいたら、結婚しなきゃならない風習があるんじゃないだろうな?」
「え、どうして知ってるの?」
ヒューゴは頭を抱えた。
どんな風習だ。
「まったく。何ができないことなんてないわよ、だ。早起きできてねえじゃねえか」
「なんだ、隊長さんじゃない。おはようございます」
「ようやく、自分の置かれている状況を思い出したか」
何故かルーシーは、頬を赤く染めてうつむいた。
「そうか。昨晩は私、隊長さんにここに連れ込まれて、あんなことやこんなこと……」
思い出していなかった。
のみならず、記憶が改ざんされていた。
「楽しい会話は終わりだ。明るくならないうちに出発する予定なんだが……。ルーシー、一時間ほど、俺の講義を受けてくれないか?」
講義と聞いて、ルーシーの表情は治癒師のそれになった。
「え、講義! もちろん大歓迎よ。でも、もうすぐ出発でしょう? こんな切羽詰まった状況で、講義ってことは」
「お察しのとおりだ。すんなり迂回できるほど、敵は甘くはないだろう。お前さんの力が、恐らく必要になる」
え?
今、私を、必要って言った?
ドクン。
鼓動が、響く。
「わかったわ。で、まずは何を教えてくれるのかしら?」
「時間がない。今回は、脚の構造と機能に絞らせてもらう」
「脚。ふーん。なんとなく隊長さんの考えてること、わかってきたような」
ヒューゴは一冊のノートを取り出すと、机代わりにしたバックパックの上に広げてランプをかざした。
ノートには様々な図と説明文が、びっしりと丁寧につめこまれている。
「じゃあ、まずは骨と関節から。股関節。寛骨臼と大腿骨頭から構成される、半球状の関節。おっと、関節ってのは、骨と骨が連結した部分だ。そして、関節を保護する関節包と靭帯。それぞれの骨には筋肉が付着しており、筋肉の繊維方向によって運動の種類が異なっている」
いきなりこんな未知の単語の羅列、我ながら無茶だよなあ。
そんなヒューゴの危惧もどこへやら、ルーシーは涼しい顔でざっと目を通すと、
「ふむふむ。だいたいわかった」
と、ぱらぱらとページをめくりだす。
本当かよ……天才すぎる。
とにかくここはルーシーを信じて、続けるしかない。
「そして、この前君がギルバートを治した時に再生した、血管。これが筋肉に血液を供給することによりエネルギーが生まれ、筋肉の収縮が可能となる。さらに、神経。頭の中には脳っていう中枢神経があって、そこから手足の先端にまで、この神経がつながっている。脳からこの神経を介して手足に信号が送られなきゃ、手足は動かない」
「……脳。そんな構造物が、頭の中に」
ルーシーはぶつぶつ言いながら、ページに書かれた内容を細大漏らさず吸収している。
「もう、脳まで説明している時間がない。とりあえず、脚の構造を理解したら」
ルーシーはノートをぱたんと閉じると、鋭い視線をヒューゴに返した。
「アイリスさんとウィル君を、呼んでくるんでしょ?」
機先を制されたヒューゴは、驚きに目を見張った。
「なぜ、わかった?」
「突撃兵が、脚を一番有効に利用できるから」
参ったな。降参だ。
「じゃあ、ひとっ走り頼む。と、その前に。コーヒーを飲むくらいの時間はあるな」
ルーシーはにっこりと笑うと、自分のマグカップを差し出した。
「ありがとう、隊長さん。もち、ブラックで」
「アイリスさん。どうやらヒューゴさんの言っていたことは、本当みたいですね」
二本のロングソードを腰の背に装着しながら、ウィル少年はまだ半信半疑だった。
「そうだな。君はやはり、隊長のことをヒューゴさん、と呼ぶほうが似合う」
銀髪ショートボブのアイリスは、両手に手甲をはめながら言った。
彼女の手甲は、皮の下地に細かい金属の板を精巧に組み合わせたものである。
ブーツにも同様の細工が施してあり、どうやら四肢で一組となっているようだ。
金属片の隙間から、小さな発光体が様々な色で明滅しているのが見える。
「アイリスさん、そういうことを言っているのではなく」
「わかっている、治癒魔法の事だろう? 私も、こう見えても驚いているんだよ。この世界もまだまだ奥が深い」
アイリスは相変わらず無表情に言った。
この人、本当に驚いているのかな。
やっぱり女の人って、みんな変わってるな。
身近な女性がアイリスとルーシーという二大変人しかいないウィル少年は、そんなことを思った。
不幸である。
「でもこれで、僕たちの役割は決まりですね」
ウィル少年は、茶色の前髪をかき上げサレット兜をかぶり直すと、まだ幼さをかすかに感じさせる黒い瞳で前方をぐっと見据えた。
「ああ。敵の魔導士の、首を落とす。君たち風に言えば、敵討ちってやつかな」
アイリスも鉢金をぐっと締め直すと、水色の瞳を細めてウィルを見た。
もしその場に彼女を知っている別の者がいたならば、その瞳にかすかな優しさが含まれていることに、さぞかし驚いたことだろう。
二人は準備を終えるとそれぞれ塹壕の壁にもたれながら、遠い波の音を聞くともなく聞いていた。
……アイリスです。
人が感想を書きたがらない理由は大きく分けて六つほど挙げられるけれど、最も頻度として多いのは、「面倒だから」かしらね。
気にしないで、私もそうだから。
だけどお互いの理解を深めるためには、ちょっとした手間をかけることも、時には必要かもしれない。
私が言うのも何だけどね。
それでは、第六話「夜明け前」で。
いろいろな世界に、いろいろな人がいる。
まったく、興味深いわね。