第三一話 どこかの誰かのために
地響きとともに、無数の黒い影が、周囲を包囲していた魔軍を分断していく。
グレースのそばにいたクリスティンが、喜びの声を上げた。
「ハリソンさん!」
間違えようがない。
波打つ刃を持った、フランベルジュ型魔装具「デスブリンガー」。
先頭に立ち剣を振るう白髪総髪の重攻兵の両脇から、屈強な獣人の戦士たちがなだれ込んでくる。
ワーウルフ、ワータイガー、ワーベアー。
その中から、白い毛を持つひときわ大きな狼が、グレースたちに素早く駆け寄ってきた。
護衛の兵がグレースを守ろうと前に出ようとしたが、
「おじい様!」
とのクリスティンの一言で、驚きながら後ろに下がる。
真っ白な人狼は、またたく間にその姿を初老の紳士へと変えた。
護衛のワーボアーが、衣服を差し出す。
老紳士は笑いながらクリスティンに軽く手を振ると、グレースに右手を差し出した。
「ミルダール王国の大隊長、グレース少佐でいらっしゃいますな? 私は獣人の部族を束ねております、シャルタットと申します。この度は孫がお世話になったようで、感謝の言葉もありません」
彼女はこわごわとシャルタットと握手をかわすと、驚いたようにクリスティンを振り返った。
「あなた、部族長のお孫さんだったの? すっごーい、お嬢様じゃない」
「えへへ。そういうグレースさんも、いい家系のお嬢様じゃないですか」
二人は顔を見合わせると、にっこりと笑い合った。
そして再びシャルタットを振り返った時には、グレースの表情は厳しい大隊長のそれに戻っていた。
「どうして、我々に助勢を?」
「戦争の事については、あの大剣の若者から、おおよその話は聞きました。我々の領地に迷い込んだ彼は、我々の部族長に代々伝わる白金のネックレスを持っていたのです。クリスティンから奪ったのかとも思ったが、どうやらそうではなく、預かり受けたとのこと。今の孫のうれしそうな顔を見て、それは確信に変わりました」
クリスティンが、にこにことしながらうなずいている。
グレースは雪崩を打って殺到する獣人たちを見ながら、疑問を呈した。
「しかしあなた方は、シーカーのもとにまとまって、この大陸を守っていたのでは?」
「それは、転生にまつわる事情を知らなかったからです。いわく、我々はシーカーに利用されているのだと」
シャルタットは、苦々しげに言った。
「え? どなたから転生の件を聞いたのですか?」
「先日、ふらりと現れた流れの魔導士が、私に話していったのです。この世に転生というものがあること、それを操ろうとしている者がいること。どうするかはお前たち次第だ、と言い残して去っていきました。どくろのピアスをした、奇矯な男でしたな」
グレースの口元が、我知らずほころんだ。
奇抜な風体の、魔導士か。
私の知らないところでも、様々な人たちが、この世界の事を大切に思っている。
周囲ではいまだリザードマンと獣人たちとの戦いが続いていたが、もはや攻守は逆転していた。
「我々は皆で相談しました。自分たちの運命は、自分たちで決めたい。それが、我々の出した結論です。異世界からの侵略などという大きなことについては、正直我々にはどうしたらいいか分からない。だから、分かるまで話し合いたい。あなた方とも」
グレースは穏やかに微笑した。
「感謝します、誇り高き獣人の長よ」
グレースは、正面で舞うように二刀を振るっているケイスを見た。
そのすさまじい太刀筋に、さすがの獣人たちも容易には近づけない。
「聞いてください、シーカーの指導者殿!」
グレースに呼びかけられたケイスは何か叫び返そうとしたが、彼女の表情を見て息をのんだ。
グレースのそれには、隠し切れない悲痛と悲哀とがあった。
「今私たちの近くに、戦争そのものを止めようという者たちがいます。私は、彼らを失いたくない。だが、彼らはすでに決心しています。この世界の、いやあらゆる世界の、彼ら自身も知らない誰かのために、彼らは戦っています」
ケイスは、両手の魔装具を下げた。
「そのようなやり方では、いけませんか? 彼らに、チャンスを与えてはくれませんか?」
ケイスは、混乱していた。
戦争を、止める。
そんなことが、果たして可能なのか。
もしそんなことが可能であるのなら。
自分が今までしてきたことは、一体何だったのか。
グレースは疲れた様子でバスタードソードを地面に突き刺すと、両手を組み合わせて目を固く閉じた。
ヒューゴ。
ルーシー。
世界を救えない私たちを、許して。
ヒューゴ、ルーシー、そしてウィルの三人は、魔族の隙をついて、大門から街の中への侵入に成功していた。
「……隊長さん」
駆け続けるルーシーの目から、涙が後方へと飛び散る。
「ああ、分かってる」
門をくぐる際に遠目に見えたのは、黒焦げになったマシューの魔装具「メタルブラック」と、ギルバートとデュカキスが折り重なって倒れる姿だった。
「ヒューゴさん、一刻も早く『クレイドル』を破壊しましょう。そうすれば、シーカーもあきらめるはずです」
ウィルは唇をかみながら、しぼり出すように言った。
「こんな戦い、早く止めなきゃ」
ヒューゴは、黙ってうなずいた。
三人は暗い裏道を走り抜けると、階段を駆け登って城壁の上に上がった。
「恐らく、奥の尖塔の地下に『クレイドル』があるはずだ。城壁なら近道だし、敵の防備も薄い」
ヒューゴの言葉通り、魔族たちのほとんどは大門の防御に集中しており、城壁の上には人影もない。
シーカーが、「クレイドル」の存在を味方にすら秘匿していることも、市街の防御の薄さにつながっていた。
回廊を駆ける三人。
と、前方の曲がり角からふらりと現れた影があった。
「やっぱり現れたわね。しつこい男は嫌われるって、言ったはずだけど」
ルーシーが身構える。
黒いシャツに白いネッカチーフ、いつものジーンズ。
少し焦げた、カウボーイ・ハット。
「道化師ってのは、いつも空気を読まずに現れるもんさ。ジョーカーともいうがね」
皮肉を込めた冷笑を放ったのは、道化師ドノヴァン。
ヒューゴが、ルーシーをかばうように前に立った。
背負った盾型魔装具「S・D・I」を下ろし左手に構えると、ドノヴァンをにらみつける。
「どうした。今日は何やら、すすけている様だが」
ケイスとの戦いで爆炎を食らったドノヴァンの服は、あちこちが破れ、あるいは焦げていた。
「この世界は、無知で頑固な奴らが多い。ちょいと、掃除してから去ろうと思ってな」
この世界を去る。
やはり、そうきたか。
ヒューゴは、恐れていたことが現実になった落胆を隠しながら言った。
「そうか。お前、自分に転生遺伝子を組み込んだのか」
「イエス。そして恐らく、先生もそうなんだろう?」
図星だ。
俺の考えも、お見通しって訳か。
二人の会話の意味を理解したウィルが、驚いてヒューゴを振り返る。
「じゃあ、いずれ俺たちは、ユークロニアでまた殺し合うことになりそうだな」
そう言いながらヒューゴは、ゆっくりとショートソードを抜いた。
「相変わらず、喧嘩腰だねえ。向こうの世界では、友好的、ってわけにはいかないかなあ」
「その気もないのに、無駄な提案はするな」
「くっ。つくづく気に食わねえな、先生は」
口の端で笑う、ドノヴァン。
「しかしお前がユークロニアに転生したところで、治癒師を連れて行かなければ、転生を自由に操ることはできないぞ」
ヒューゴが、疑問を口にした。
ルーシー以外にも、そんな治癒師がいるのか。
「心配ご無用ってやつだ。俺の一番弟子の治癒師が、俺が死ねば自分も死んで転生する契約になっている。そこのお嬢ちゃんと同じくらい、凄腕の治癒師だぜ。本当は二人ほど連れて行きたかったんだが、もう一人はヘタれちまったからな」
ルーシーがしてやったりといった表情で、口を挟んだ。
「ヘタれたんじゃなくて、愛想をつかされて逃げられちゃったんでしょ。エミリーちゃんに」
ドノヴァンは、驚愕の表情を浮かべた。
「お前、何故エミリーのことを知っている」
「あなたの弟子にはもったいないくらい優秀で、しかもいい子だったわよ。あなたの持ち込んだ医学は、エミリーちゃんみたいな子にこそ、ふさわしいわ。エミリーちゃんを利用するつもりで、彼女に利用されてたってこと、分からないかな?」
ヒューゴも、ドノヴァン以上に驚いていた。
エミリーは、治癒師に転生しただけではなく、奴から医学を学んでいたのか。
しかしヒューゴは、それ以上の危惧を抱くことはなかった。
ルーシーの言うとおり、エミリーなら大丈夫だ。
きっと、立派な治癒師に、ドクターになってくれる。
虚を突かれたドノヴァンは、凶暴な本性をむき出しにした。
「誰だろうと、俺を利用するなどという奴は、許さねえ。とりあえず、先生は今ここで死んどけ。とどめは、改めてユークロニアで刺してやる」
ドノヴァンは、ジーンズの後ろポケットから二本の鉄棒をゆっくりと取り出した。
「あとの二人も、ここで死んでもらう。転生について知っている奴は、少なければ少ないほどいいからな」
それまで黙って聞いていたウィルが、前へ進み出た。
「大事にしたい人も、世界もない。そんな奴に、世界を支配されるわけにはいかない。お前は、この僕が倒す」
ドノヴァンはへらへらと笑った。
「別に殺されたって、俺は構わねえけどな? 殺されたところで俺は、ユークロニアに転生するだけだからな。そしていずれ俺は、多元世界を支配する存在になる。こんなちっぽけな世界など、取るに足らない存在なんだよ」
ウィルは、憎んだ。
転生。
こんなものがあるから。
「お前、命を何だと思っている!」
怒号とともに、ウィルが飛び込んだ。
「魔装具『達人』『抜群』、励起!」
ウィルの両手の魔装具が、黄金の光を放ち始めた。
ドノヴァンの目が、すっと細くなる。
「やはり、お前が持っているのもバラージ・シリーズか。クゥシンから聞いて、そうじゃないかとは思っていたが。だがな、さっきの戦いで、その魔装具については対策済みなんだよ!」
「一気に決める! ボンバー!」
ウィルは、右腕の「達人」をドノヴァンに向けて突き出した。
にやりと笑う、ドノヴァン。
「やはりボンバー頼みか。ケイスの坊ちゃんの方が、歯ごたえがあったぜ」
ドノヴァンは前方にダッシュすると、ウイルへ向けてスライディングした。
魔装具の切っ先を、頭上すれすれでかわす。
カウボーイ・ハットのつばが、すぱりと割れた。
「ボンバーを発する際には、自分に爆炎が及ばないために方向を指向してやる必要がある。そのために差し出した腕を……」
ドノヴァンは両手の鉄棒を交差させると、ウィルの右前腕を挟み込んだ。
「発動する前に叩く!」
ごきりと鈍い音がして、ウィルの右腕があり得ない方向に曲がる。
からん、と魔装具「達人」が石床の上に落ちる音が響いた。
「ぐうっ……」
ドノヴァンは素早く立ち上がると、右腕を押さえているウィルに前蹴りを放つ。
蹴りを胴にまともに受けたウィルは、城壁から地上へと落下していった。
「邪魔するんじゃねえ、雑魚が。俺がこいつら二人を殺すところを、下から黙って見てな」
「ウィル君!」
階段へ駆け出そうとするルーシーを、先回りして制するドノヴァン。
「おっと、お嬢ちゃんに治療されたら、振り出しに戻っちまうじゃねえか。回復役を先に倒す、ゲームでは常識だよな?」
ヒューゴが、ショートソードと盾型魔装具を構えて前に出た。
ドノヴァンは、あきれたように言った。
「おいおい、先生は装甲兵だろ? 突撃兵でさえかなわない俺に、戦闘で勝てると思ってるのか?」
奴の言うとおりだ。
勝ち筋がない。
しかも、仮に倒したところで、転生されてユークロニアに逃げられる。
「まあ、まずはそこのお嬢ちゃんから殺らせてもらうか。転生遺伝子を組み込める治癒師は、危険だ」
ルーシーは冷たい目でドノヴァンを見すえると、ぴしりと人差し指を道化師に突き付けた。
「ふん、何言ってるのよ。あなたみたいな馬鹿が医学を習得している方が、よっぽど危険だわ。あなたに今後なんてないけれど、二度と医師だなんて名乗らないで」
ドノヴァンは、今度こそ激怒した。
「ほざけ、あばずれが!」
「ルーシー!」
魔装具を使う余裕もなかった。
飛び出したヒューゴが、ショートソードを振るう。
ドノヴァンはヒューゴの突きだした短剣を眼前で軽くいなすと、左手の鉄棒を無造作に振るった。
ヒューゴの右手が手関節からもぎ取られ、ショートソードを握ったまま宙に舞い上がる。
鮮血が吹きあがった。
「……が、っ」
たまらず両ひざをつくヒューゴ。
「隊長さん!」
ルーシーが、悲鳴を上げた。
「おっと、医師の手を怪我させるなんて、問題かな? 先生、ユークロニアでは外科医だったのかい? だが、この世界じゃあ手術は出来ねえんだから、どうでもいいか」
余裕の笑みを浮かべると、ドノヴァンはルーシーに向き直った。
ルーシーは唇をかんで、ドノヴァンを睨み続けている。
「お嬢ちゃん、ゲームオーバーだ。この世界のどこかで、生まれ変わりな」
「私を殺したら、後悔するわよ」
「陳腐なセリフだ。どう転んだって、後悔しようがないね」
ルーシーの革製のチェニックが、深紅に染まる。
ドノヴァンの左腕が鉄棒ごと、ルーシーの腹部を貫通した。




