表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/34

第三十話 想い

 黒人の大男が、静かに川の水面を見つめている。


 わずかな手ごたえ。

 素早く竿を合わせると、やがて大きな川魚が水面に姿を現した。

 慎重に取り込み、びくに放り込む。


 後ろからの足音に、マシューは振り返った。


「副長、お邪魔でしたか」


「アイリスか。いや、すでに夕食分の魚は確保できた」


 マシューは、白い歯を見せた。


「見事なお手並みです」


「そうだろう? 息子や娘に、もう少し教えてやりたいものだが。特に娘の方が、魚が嫌いでね。女の子は、やはり魚なんか、気味悪がるものなのかな?」


 女の子の一般的な感覚を、私に求めているのか。

 アイリスは、何となく申し訳なさを感じた。


「副長には、お子さんが?」


 マシューは、照れたように笑った。


「ああ。女房と、息子に娘。息子の方はまだ十歳だが、これが悪童でね。俺は教師だが、存外、自分の子供に教えるというのは難しいものだな」


 アイリスは、怪訝な顔をした。


「教える。記憶を、継承させるということですか?」


 マシューは釣り具を片付けながら、アイリスに笑いかけた。


「転生者だっていう、お前さんらしい考え方だな。それは、ちょっと違う。教育というのは、様々な出来事を通して、自分で考える力を養ってもらうことさ。そうやって、そいつだけの人生が作られていく。子供の人生は、親のものじゃあないからな」


 アイリスは、ふむ、と腕を組んだ。


「私たちの同胞は、なるべく情報を共有し平たん化することによって、データベースを大きくしてきました。情報の細分化とは、我々と逆の発想ですね」


 マシューは、少し真顔になった。


「アイリス。俺は、お前が異世界の、ただの端末だとはどうしても思えないんだ。お前は、お前さ。他の誰でもない」


 アイリスは戸惑った。

 彼女には、珍しいことだった。


「……個人と社会的自我については、その認識も解釈も様々ですが。率直に言えば、私は自分自身の特別な感情というものが、有るのか無いのかよく分からないのです」


「お前はそうでも、俺たちはお前に対する想いというものを持っている。それは、やはりお前だけのものだと、俺は思うぞ」


 マシューは、ぽんとアイリスの肩を優しく叩いた。


「私だけの?」


「そうだ。お前は、俺たちの仲間なんだ。おまえがどう思おうと、な」


 アイリスは、少し笑った。


「なんだか、穏やかな気分です。これが、嬉しいということなのでしょうか」


 マシューは目を細めた。


「お前はそういう風に、笑っていた方がずっといい。隊の皆も、そう思っているよ」


 アイリスは、マシューが釣った大量の魚を両手で抱えると、踵を返して颯爽と歩き去った。






 深紅の魔導士。

 城壁の上か。


 アイリスは、眼前のヒッサーに前蹴りを食らわせた。

 リザードマンの副長が、たまらずにもんどりうって後方に吹き飛ぶ。


 それを確認することなく、アイリスは、城壁へダッシュした。

 城壁を形成する石組みの、わずかなくぼみ。

 そこへ指をかけると、体を引き上げ上方へ跳躍する。


 治癒魔法で腕を強化しなければ、なし得ない業だった。

 ものの数秒で城壁の上に飛び上がり、着地する。


 クゥシンとの距離は、ほんの三十メートル程度。


「クゥシン様、お下がりください!」


 彼女についてきた通信兵が、身を挺して前に出た。

 その兵を、クゥシンはやんわりと後ろに押し戻す。


「ありがとう。でも、あと一撃なら間に合いそうだわ。あなたは早く逃げなさい」


 私のライフ・フォースも、これで尽きるわね。


 クゥシンは前に出ると、右手をアイリスの方に突き出した。

 左手の指を複雑に交差させると、呪文を紡ぐ。


「お願い、倒れてよね! ヘルファイヤー!」


 らせんを描く業火が城壁の幅いっぱいに広がり、アイリスを襲う。

 細い城壁の上は、退避する場もないように思われた。


 アイリスは、静かにつぶやいた。


「魔装具『Bウイング』、励起」


 四肢の魔装具が、金色の輝きを帯びる。


「バリアウイングを、使う」


 アイリスは、両のこぶしを構えた。

 前方の空間が歪む。

 彼女は襲い来る炎へと、ためらうことなく突進した。


 二、三度深呼吸すると、肘を後ろに引く。

 そこから繰り出されたのは、超高速の連打。

 アイリスの前方の空間が、崩壊する壁のように削り取られていく。


 魔装具「Bウイング」の空間歪曲能力と、ルーシーの治癒魔法による腕の強化。

 シンクロニシティが、クゥシンの投射魔法を散らして完全に無効化した。


「!」


 深紅の魔導士の眼前でアイリスは大きくジャンプすると、宙返りしながら背後に着地する。

 振り向く間もなく、クゥシンは両の手首と足首に激烈な痛みを感じた。


「つっ……」


 踏ん張ることもできず、彼女は城壁の石づくりの床に、前のめりに倒れ伏した。


 アイリスが、静かに歩み寄ってくる。


「手関節の屈筋腱と、アキレス腱を切断した。もうお前は、魔法を行使することも、移動することもできない」


 クゥシンは首を曲げて、アイリスを見上げた。

 アイリスの表情には、驚くべきことに、明らかな怒りが含まれていた。


「……今の間合いなら、首をはねることもできたのに。すぐに殺さなかったのは、私が憎くて、なぶり殺しにしたいから?」


 あの黒人の分隊員を殺したのは、自分だ。

 復讐されるのは、当然だろう。


 しかしアイリスは、クゥシンの予想に反して、寂しそうに彼女を見つめた。


「私には、憎しみや悲しみなどというものが、いまだに分からない。だが、もうこの世界で誰も殺したくない。お前が想っている者、あるいはお前を想っている者が、この世界にはいるのだろう?」


 クゥシンの脳裏に、額に傷のある、あの少年の顔が浮かんだ。


「それらの想いは、一体どこへ行くのだ? 転生することでリセットされるなどと、簡単なものではないはずだ。その資格があるとも思えないが、もしも私にも想いというものがあるのならば」


 一陣の強い風が、アイリスの銀髪を舞い上げた。


「たとえ転生しても、私は、それを失いたくない」


 クゥシンにはアイリスの境遇は知るべくもないが、彼女の言葉には同意できた。


 私はスペシャルだけど。

 この世界が、この世界に生きる人が、好きだ。


「それに、お前にはやってもらうことがある。それを果たすまで、命は預けておいてやる」


 アイリスの冷たい声が、クゥシンの頭上から降ってきた。


「え、何?」


「お前が殺した黒人の分隊員は、名前をマシュー・ケージという。お前は『島』に渡って、彼の家族を探し出せ。妻に、息子と娘が一人ずついるはずだ」


 クゥシンは、ふんと笑った。


「探し出してどうするの? ごめんなさいって言って、それで済む問題かしら?」


「彼の息子と娘に、魚釣りを教えてやれ」


「は? ちょっと、何言って……」


 アイリスはクゥシンの右ほおをかすめるように、手刀を超高速で床へと突き刺した。

 クゥシンの長い黒髪が、ごっそりとえぐり取られる。


 アイリスの目が、凶暴に光った。


「これは命令だ。命を懸けて、やり遂げろ」


 クゥシンは、息をのんだ。


 そうか。

 何故だかわからないが、これはきっととても大切なことなんだ。


「あなたの命令なんかに、従う義理なんてないけれど」


 クゥシンは、アイリスの目をにらみ返した。


「約束だって言うのなら、守るわ。命に代えて」


 アイリスは石床からゆっくりと手刀を抜くと、手を振り砂を払った。


「いいだろう」


 アイリスは、もう興味はなくなったとでもいうように、くるりと背を向けた。


 うつ伏せのままのクゥシンが、あわてて言った。


「ちょっと。手足切られて、動けないんだけれど」


「運が良ければ、この戦いが終わった後に助けが来るだろう。そこまで、私は知らん」


「えー、そんなあ」


 クゥシンの嘆きを一顧だにせず、アイリスは立ち去った。


 残されたクゥシンは腹ばいのまま、大きなため息をついた。


「参ったなあ。私、魚釣りなんて、一度もやったことないんだけれど」






 スカラブレイの街の正門は、混乱の極みにあった。


 グレース少佐の本隊が接近したときには、すでにデュカキスは亡く、副長のヒッサーが率いるリザードマン隊や、街の中から防衛のために進出してきた魔族の予備隊が、大門の前で王国の兵たちと乱戦を繰り広げていた。


 グレースは素早くバスタードソードを構えると、ヒッサーに向けて突進する。

 副長を守ろうと前に出たリザードマン達が一振りでなぎ払われ、地に伏した。


 相対する二人。


「暗黒騎士殿は……残念でしたね」


 グレースが沈痛な面持ちで、ヒッサーに声をかける。


「貴国の黒人の装甲兵も、あの赤毛の大男も、戦士として立派な最期を遂げられました」


 ヒッサーも手に持った曲刀を縦にささげて、死者への礼をとった。


 グレースが、ヒッサーを上目づかいににらみながら問う。


「どこまで続けるのです。どちらかが、全滅するまでですか」


 ヒッサーが口を開こうとしたとき、門の奥から返答があった。


「我々の理想を共有していただけるまでです、勇敢な王国の指揮官殿」


 よく通る声とともに進み出てきたのは、白いスケイルメイルの青年、ケイスだった。


 グレースが、驚きを含んだ声で尋ねた。


「あなたが、シーカーの指導者ですか。私は、白いローブの方だとお聞きしていましたが」


 ケイスは、沈痛な表情を浮かべた。


「残念ながら、今は私がその任を代行しています。代表は……亡くなられました」


 魔族の軍勢に、動揺が広がる。


「亡くなられた? いったい何故?」


「転生を悪用しようとする、卑劣な裏切り者の手によってです。だがそれは我が身内のこと、あなた方がご懸念に及ぶことはありません。我々の理念は、もうご存知ですね?」


 グレースはうなずいた。

 駆け引きの段階は、とうに過ぎ去っている。


「転生者を利用することによって、来るべき異世界からの侵略に備える、というのがその主旨だとうかがっていますが」


「その通りです。そして、我々に協力してくれているスペシャルも、すでに複数人います。我々の理想は、少しずつ現実に近づいているのです」


 グレースは、毅然として言った。


「あなた方の危機感は、理解できます。ですが、そのために誰かを犠牲にすることには、同意できません」


 ケイスは、わずかに冷笑した。


「何を甘いことを。戦争とは、常にそういうものです。故郷を、家族を、愛するものを守るために、兵となってその身を捧げる。そこに、何の違いがありましょうか」


 そして、ゆっくりと片手を上げた。

 数に勝る魔族たちの攻囲が縮まる。


「降伏してください。自国の兵を切り捨てるような国に仕えていても、むなしいとは思いませんか? あなた方の世界を救いたいという気持ちは、本物と見受けられる。我々に、力を貸してください」


 グレースの表情は、揺るがない。


「力で統一された総意など、総意ではありません。それは、異世界が他の世界を優位な技術や知識で侵食することと、何も変わらない」


 ケイスは、うつむいて首を左右に振った。


「残念です」


 本心だろう、とグレースは思った。

 バスタードソードを構える。


 ケイスが手を振り下ろしかけた、その瞬間。


 獣たちの咆哮が、遠くから響き渡った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ