第二九話 右胸心
「どうした、若造? お前の言うところのおっさんに、押されているではないか」
デュカキスの戦斧が、ギルバートの身体を徐々に、だが確実に削っていく。
ギルバートのコンポジット・アーマーに装着されていた増加装甲の大半は、すでに弾き飛ばされ失われていた。
ギルバートのウォーハンマーもデュカキスにある程度のダメージは与えているが、彼我の差は徐々に明らかになりつつあった。
「お前たち、あの治癒師の魔法で強化ができるのだろう? お前の力は、強化されてその程度なのか?」
ギルバートには、戦闘用の強化は施されていなかった。
悲観的な、しかし予想通りの展開になったことをギルバートは悟った。
「ちっ、仕方がねえなあ。お互い、手の内さらそうや」
赤毛の重攻兵は、巨大な戦槌を眼前に差し上げた。
「魔装具『フラックアタック』、励起!」
ギルバートの持つウォーハンマーが、金色に輝き始める。
デュカキスは、眼前の光景を驚くこともなく鷹揚に眺めた。
「ふむ、やはり魔装具を使うか。ならば俺も、使わなければ不作法というもの」
暗黒騎士の言葉に、ギルバートはぎょっとした。
「何? まさか、魔装具に魔装具で?」
「道具に使われるようでは、お前はまだ未熟。魔装具『ゴールデンアックス』、励起!」
デュカキスは、戦斧をいったん背後に戻す。
後光のように、金色の光がデュカキスの背から湧き上がった。
まずい。
居合が来る。
「ハイネケン・カット!」
デュカキスが裂ぱくの気合を発すると同時に、ギルバードの左腕は肩の付け根から失われていた。
鮮血が吹きあがり、数瞬遅れて切断された左腕が地面に落ちる。
ギルバートは、ついに片膝をついた。
地を睨みながら、荒い息の下でつぶやく。
「……また左腕かよ。せっかく一度は治してもらったのになあ。こりゃあ先生に、こっぴどく怒られちまうぜ」
じりじりと、立ち上がるギルバート。
魔装具を背に戻したデュカキスは、あきれたように言った。
「その出血で、まだ立てるのか。素直に倒れておいた方が、少しだけ長く生きられるぞ」
疲労と貧血にまぶたが落ちそうになるのを、ギルバートは懸命にこらえる。
「まだ、勝負はついていないぜ。俺の右腕を、甘く見るな」
「強がるな。お前のウォーハンマーは、重量がある。そのことが逆に、片手での戦闘をより不利にしている。ましてお前には、居合のたしなみもないだろう? 俺の斧よりも、素早く振るえるはずがない」
デュカキスは、ギルバートに非情な現実を指摘してみせた。
「御託はいいぜ。やってみなきゃあ、分からんぞ」
「俺を優位に立たせて油断を誘おうとしても、無駄だ」
デュカキスは、再び背のバトルアックスをつかむ。
もう一撃か。
奴は右利きだ。
それに、賭ける。
「ハイネケン・カッ……」
突如二人の間に、別の金色の輝きが割り込んだ。
「ヘビーアームズシェル!」
マシューの鎧型魔装具「メタルブラック」が、金色の輝きを発している。
彼の前面には青く輝くうろこ状の硬質体が形成されており、それがデュカキスの斧型魔装具「ゴールデンアックス」の金色の刃をも、防ぎきっていた。
青い力場がそのままデュカキスの魔装具を包みこみ、もはや押すことも引くこともかなわない。
「ばかな。励起状態での居合を止めただと!?」
マシューが、黒い肌に脂汗を流している。
奥歯が、ぎりりと鳴る。
「脚を強化してもらっていたので、間に合った……ギルバート、いまだ。長くは、もたん」
ギルバートはわずかに逡巡したのち、右腕だけで、戦槌型魔装具「フラックアタック」を振りかぶった。
「黒騎士のおっさん、悪く思うな」
「司令!」
近くで戦っていたリザードマンの副長ヒッサーが、デュカキスに駆け寄ろうとする。
その剣を、横合いから飛び出した手刀が叩き落した。
「行かせない」
ヒッサーの眼前に、銀髪の突撃兵アイリスが立ちはだかった。
万事休すか。
デュカキスは額に汗を浮かべながらも、口の端で薄く笑った。
「構わんさ。俺も先だっての戦いで、あの魔法戦士のレディに同じことをした。いまさら、卑怯などとは思わんよ」
その時。
城壁の上から、若い女の声が響いた。
「トライゴン!」
熱風とともに、巨竜をかたどった炎が、城壁の上からマシューに襲いかかった。
マシューの魔装具「メタルブラック」の力場形成能力「ヘビーアームズシェル」は、同じく魔装具である「ゴールデンアックス」に拮抗するため、その出力をすべて前方に集中していた。
無防備な背後から襲い掛かったクゥシンの炎熱呪文「トライゴン」は、マシューの身体を一瞬で炎に包む。
「がっ……」
ようやく炎が消えた時、マシューの焦げた身体は、まだ薄い煙を上げたまま地に伏していた。
彼の鎧型魔装具「メタルブラック」は、もはやその金色の輝きを失っていた。
「副長!」
ギルバートが、絶叫する。
マシューの魔装具による力場の呪縛を逃れたデュカキスは、その隙を逃さなかった。
「ハイネケン・カット!」
どん、という鈍い音とともに、デュカキスの魔斧がギルバートの左肩から胸にかけて、深々と食い込んだ。
鎖骨を断ち、肺を抜けて、心臓まで達したはずの。
渾身の一撃。
ギルバードが、ごぼりと血を吐く。
頭が、がくりと前に垂れた。
デュカキスは、大きく息をついた。
額には、滝のような汗。
「ギルバート、といったな。お前もまた、この世界のために戦ったのだろう。俺の記憶の中で生きるがいい」
瞬間。
ギルバートの目が、かっと開いた。
「やはり……左だったか……」
デュカキスは、今度こそ心の底から驚愕した。
「ばかな! とっくに心臓に達しているはず!」
ギルバートの口がかすかに動いたのは、あるいは笑ったのか。
そして血の混じった赤い泡とともに、彼は最後の一息を吐き出した。
「魔装具『フラックアタック』……励起……、クルードバスター!」
ギルバートの戦槌が、再び金色に輝く。
槌、やり、つるはしのそれぞれで構成された魔装具の頭部が、意思があるかのように柄から飛び出す。
高速回転したそれは、デュカキスの喉を皮一枚残して削り取った。
静寂。
永遠の時が過ぎたように思えた後、二人は重なり合うように崩れ折れた。
「おはようございます、ギルバートさん」
ルーシーが、ギルバートの天幕に入ってきた。
「おはようございます、先生。忍び込んでくるなら、相手を間違えてやしませんか?」
ギルバートの冗談に、ルーシーは赤くなる。
「な、何、馬鹿なこと言ってるのよ。今日の戦いに備えて、強化しに来たんじゃないの」
ギルバートは、大きく笑って答えた。
「すいません、先生。最近隊長とあまりに仲良さそうだから、ついからかっちまいました」
「え、そう見えるの? 気をつけなきゃ……」
「はいはい、ごちそうさまです。ところで先生、その強化の事ですが」
強化と聞いて、ルーシーは治癒師の表情に戻った。
「ライフ・フォースに限りがあるから、全身強化とか、再生能力強化、なんて消耗の激しいのは無理だけれど。ギルバートさんは、やはりあの暗黒騎士と戦うんでしょ? だったらやはり、腕かしら」
ギルバートは少し笑って、首を振った。
「悔しいですが、奴は強いです。部分的な強化をしても、恐らく俺は勝てません」
弱気に聞こえるギルバートの言葉に、ルーシーは戸惑った。
「そんな。ギルバートさんなら」
「ありがとうございます、先生。だが、俺も戦いのプロです。奴との力の差は、この前の戦いで理解できました」
「だったら……」
ギルバートは、言いかけたルーシーの言葉をさえぎった。
「先生。俺の内臓の位置を、左右反対にしてくれませんか」
「え?」
一瞬考えて、ルーシーはその恐るべき意味を悟った。
「ちょっと、ギルバートさん。あなた、まさかわざと心臓を狙わせて……」
ギルバートは、ただ笑っただけであった。
「そんな、いくら何でも無茶よ。たとえ心臓は外れても、鎖骨下動脈と肺を切断されれば、確実に死ぬわ。心臓をやられて即死するのと、数秒も変わらない」
「その数秒が、絶対的なチャンスなんです。奴は右利きです。左側のガードを開ければ、奴は必ず心臓があると思っている左胸を狙ってきます」
ルーシーは愕然として、首を左右に振った。
「私、協力できない」
ギルバートは、努めて明るく笑った。
「なあに、念のためです。奴に隙さえあれば、こんな裏技を使わなくても、充分勝機はある。俺にも、それだけの自負はあります」
そう言いながらもギルバートは、デュカキスの隙などには期待できないと悟っていた。
それを察したのか、ルーシーはうつむいた。
彼女の強く握った手の甲に、涙が落ちる。
「隊長さんもあなたも、保険だとか、念のためだとか。どうして皆、命を捨てようとするのよ。命を助けることがどれだけ大変か、分からないの?」
ギルバートは困ったように、大きな手で彼女の手の甲をぬぐった。
「それは、守りたいものがあるからじゃないですか? 俺には、世界がどうとか、大きなことはわかりません。だが、ここにいる仲間だけは、守りたい。隊長も、きっとそうです。この世界を守りたいんですよ。異世界の出身なのに、おかしな人です。だからこそ、俺はあの人を信じられる」
「ギルバートさん……」
「さあ、強化をお願いします。なあに、技量の差は、若さと勇気でカバーしますよ」
ルーシーはうつむいたまま、ギルバートの胸に両手を当てて、集中を始めた。
ギルバートを、誰かが呼んでいる。
「ほら、ギルバート。かぼちゃを持っていくの、手伝っとくれ。去年みたいに腰の骨を折っちゃあ、叶わないからね」
母親の声だった。
ギルバートは、周囲を見渡した。
物心ついた時から慣れ親しんできた、実家のかぼちゃ畑。
そうだ。
あのときはおっかさん、二週間も寝込んでいたっけ。
「分かったよ、無理するな。ほら、お前たち、おっかさんのかごをみんなで持ってやれ」
そばにいる弟や妹たちに声をかける。
彼らは、わっと母親のもとへ駆けて行った。
ギルバートは腰に両手を当てて見送りながら、真っ青な空に浮かぶ入道雲を見上げた。
「今年は、豊作だな。来年は、再来年は、その先は……」
ギルバートに、少し早い夏が訪れていた。