第二七話 撃つものと、撃たれるもの
「グレース少佐。第七独立分隊付きの治癒師、ルーシー・ハーディングです。少々、お時間をいただきたいのですが」
出撃の朝。
チェインメイルを着込んでいたグレースの陣幕の外から、ルーシーが声をかけた。
「あら、おはようございます。遠慮なく、どうぞ」
完全装備のグレースは、笑顔でルーシーを迎えた。
うつむいて黙っているルーシーを見て、おやと首をかしげる。
「お一人ですか。なにやら、大切なお話のようですね」
ルーシーは、意を決したように顔を上げて話し始めた。
「あの。うちの、隊長さんの事なんですけれど」
「ヒューゴ軍曹の?」
「はい。実は私、隊長さんに頼まれて、彼に転生遺伝子を組み込んだんです」
数瞬考え込んだ後、グレースが言葉を選びながら尋ねた。
「いでんし……えっと。つまり、彼が元の世界に戻ることができるようにした、ということですか?」
さすがに、グレースは聡明であった。
転生に、異世界の知識と治癒魔法が関連していることを、おぼろげながらも想像できている。
「そうです。彼が死亡すれば、記憶を保持したままで彼の元の世界、すなわちユークロニアに転生することになります」
グレースの顔に、憂いの表情が浮かんだ。
「そうですか。彼はいつの日にか、自分の世界に戻ることを選んだのですね。何故、戻ろうと?」
「ユークロニアに存在している、転生を利用して他の世界を侵略しようとする機関と、戦うと」
「……何と。自分の世界を裏切ってまで、他の世界を救おうというのですか」
グレースは、大きなため息をついた。
「そして、転生遺伝子を組み込むことを、今あなたに頼んだという事は」
ルーシーは、暗い顔でうなずいた。
「はい。簡単には死なないと言ってはいましたが、恐らく今度の戦いで、それ相応の覚悟をしているんだと思います」
天幕内に、沈黙が流れた。
しばらくしてグレースはゆっくりと両腕を組むと、挑むようにルーシーを見た。
「それで、ルーシー。あなたは、どうしたいの?」
グレースは、治癒師をその名前で呼んだ。
「え?」
「好きなんでしょ、彼の事」
ルーシーは、今では即答することができた。
「はい」
グレースは目を閉じると、微笑した。
「彼が自分の世界とは異なる別の世界を守りたいと思ったのは、きっとあなたと出会ったから。こんなに相性抜群の男の人、二度と出会えないかもよ?」
隊長さんと、二度と会えない。
そんなの、あり得ない。
「うん……うん! やっぱり、そうですよね。私、決めました」
譲れない、気持ち。
ルーシーは、もう迷わなかった。
「でも勘違いしないで、ルーシー。私は、本当はこんなことを言うのは嫌なのですよ? だから……どんなことがあっても、彼を離しちゃだめよ」
グレースはそう言って寂しげに笑うと、ルーシーを両の腕で強く抱きしめた。
「答えが出たのなら、行きましょうか。シーカーとは、一度は戦わないと分かり合えそうにはありませんから。悲しいことですけれど」
「カーマイン隊とヴァイオレット隊は右翼へ。エボニー隊は少し前に出すぎです、さがらせてください」
「了解しました、大隊長殿」
グレースは司令部付きの通信兵に、矢継ぎ早に命令を飛ばしている。
スカラブレイの街は、すでに指呼の距離にあった。
夏が近いとはいえ、早朝の風はまだ冷たさを含んでいる。
「大隊長殿、兜をお付けください。もうすぐ、ゴブリンアーチャーの弓矢の射程圏内に入ります」
グレースは、厳しい声で言った。
「不要です。戦場が見えないと、判断が遅れます」
彼女のセミロングの茶色い髪が、風になびく。
グレースが、隣を走るクリスティンに声をかけた。
「あなたは我々の兵士ではありません。危険を冒してついてくる必要はないのですよ?」
クリスティンは、凛として答えた。
「ここにいれば、ハリソンさんに会える。そんな気がするんです」
グレースは驚いたように彼女を見て、微笑した。
「狼の勘、あるいは女の勘、ってやつかしらね。そういうの、私好きよ」
グレースの言葉に、クリスティンもにっこりと笑った。
側近の兵士の一人がグレースの横に並んで、駆けながら報告した。
「エリック通信兵より連絡。第七独立分隊の配置が終了したと」
エリックの名を聞いても、グレースは眉一つ動かさなかった。
「分かりました。まずは、あの門までたどり着くことです。彼らを、信じましょう」
グレースは、バスタードソードを前方に差し出した。
「各隊、予定通りに。散開!」
郊外に立ち上る土煙の動きを見ながら、漆黒の騎士がつぶやいた。
「まあ、そうなるな。この街の外には、遮蔽物がない。数に劣る奴らは、正攻法では勝ち目はない」
脇にたたずむリザードマンの副長ヒッサーが、意見を具申した。
「だとすれば、奇策ですな。不確定要素は、転生者と治癒魔法、そして魔装具」
「ドノヴァンが報告した、超長射程の魔装具か」
「御意。恐らくは遠距離から、正門を破壊しようとしてくるでしょう」
デュカキスは、街を囲む城壁をちらりと見やった。
「あれに対抗できるのは、クゥシンしかいない。彼女が対応できなければ、我らはあの武器のいい的だ。一気に形勢が逆転する」
「綱渡りなのは、奴らも同様です」
「そうだな。まあ、俺たちはせいぜい暴れさせてもらうとしようか」
デュカキスが、前方をにらみながら薄く笑った。
「ヒッサー、スクランブルフォーメーションだ。敵一人に対し、必ず三匹で当たれ。相手は決して敗残の兵ではないぞ、あの動きはかなりの精兵だ」
漆黒の騎士は目を細めて遠くを望みながら、ムーングロウの街での戦いを思い出していた。
「そして魔法戦士のレディに、おまけといっちゃあなんだが、赤毛の若造。楽しみなことだな」
「まったく、司令の悪い癖です」
ヒッサーは喉の奥で笑うと一礼し、リザードマンの隊員たちに大声で号令をかけ始めた。
「エリック。気温と風向き、風速を」
「了解。気温十四度、東の風、風速六メートル」
スカラブレイの街のほぼ正面、二キロメートルほど離れた郊外の小高い丘の頂上に、デビッドとエリックは陣取っていた。
「……気付いているかも知れないが」
デビッドが背からコンポジット・ボウを取り出しながら、隣でかがんでいるエリックに話しかけた。
「何だ、デビッド」
「奴らは恐らく、俺の魔装具『ヘビーバレル』への対抗策を、すでに考えついている」
エリックは、デビッドの顔を探るように見た。
「まさか」
「奴らの陣形を見ろ。正門からグレース少佐の本隊の間、真正面だけを一直線にがら空きにしている。明らかに、こちらの射線を意識している」
「それは、単に俺たちの攻撃を避けるためでは」
「いや、違うな。奴ら、俺たちにわざと撃たせようとしている」
エリックの額に、脂汗がにじんだ。
「だとしても、防ぎようはあるまい」
「どうだかな。だが、俺たちは撃つしかない」
エリックは、気づかわし気にデビッドを見た。
デビッドは、門を見すえたまま動かない。
「わかった。一応、対策はしておくか」
エリックがデビットの背に手を当て、集中を始める。
「頼む」
デビッドは片膝をつくと、射撃の準備を始めた。
スカラブレイの城壁の上で、深紅のローブの魔導士が黙然と立っていた。
彼女の傍らでかがんでいた通信兵が、耳に手を当てて魔法を傍受する。
「敵が動き出したようです、クゥシン様」
「そうみたいね。すでに見えているわ」
クゥシンはローブをひるがえすと、中から黒光りする長大な銃を取り出した。
スナイパーライフル。
かつてウィルに使用したものよりも、二回りほど大きい。
クゥシンは、重量感のあるライフルを軽々と構えた。
恐らくその素材に、魔法的な加工が施してあるのだろう。
スコープをのぞき込む。
十字の照準線が、浮かび上がる。
「つくづく、魔法って恐ろしいわね。調整もなく照準線に正確に着弾するなんて、ユークロニアでは考えられない」
ライフルの弾道は、重力や風、湿度、気圧などに左右される。
よほどの経験と計算がなければ、素人に長距離狙撃など不可能であるはずだった。
しかし、そばに控えている通信兵の操る大気の魔法は、弾丸に作用するこれらの影響を、ほぼ無効化することに成功していた。
クゥシンはボルトを後方にひくと、弾薬を薬室に装填した。
「さあ、撃って来なさい。撃たれる覚悟があるのならね」
「デビッド、本隊から連絡。予定通り、散開行動に入ったと」
エリックが耳に手を当てながら、拾うことができた通信情報を伝える。
「分かった。始めよう」
デビッドが立ち上がった。
今回の作戦では的が大きいため、デビッドの眼に対するルーシーの強化も、限定的なものに絞られていた。
限られたライフ・フォースでの強化を、隊員たちになるべく効率的に分配するための、彼女なりの工夫であった。
しかしその持続時間は、初期の三時間から今では五時間余りと、飛躍的に伸びている。
実に、驚くほどの成長ぶりだった。
角膜と水晶体の形状を調節。
眼の焦点を、街の大門に合わせる。
デビッドは矢筒からひときわ長く頑強な矢を選び出すと、ぎりぎりと引き絞り始めた。
緊張をほぐすように舌で唇を湿らせると、静かにつぶやく。
「魔装具『ヘビーバレル』、励起」
彼の複合弓と矢が、まばゆい金色の光を帯び始めた。
「見えた!」
クゥシンのスナイパーライフルのスコープは、はるか遠い丘の頂上に発生した金色の光を、はっきりととらえていた。
スコープの倍率を上げる。
敵の狙撃兵の顔が、目の前にあるかのように鮮明に見えた。
クルーカットの金髪、青く鋭い瞳。
男の顔面を十字の照準線の中央にとらえると、クゥシンは迷うことなく引き金を引いた。
「!」
エリックは、突然右肩に激痛を感じた。
何かが、貫通している。
そのあまりの激痛に、のけぞりながら草むらに倒れこむ。
「狙撃、されている? まさか」
革鎧に開いた孔を中心に広がる血のりを見ながら、驚愕するエリック。
デビッドは前方を見すえたまま、魔装具の発射作業を続行する。
まるで、このことを予想していたかのように。
矢の射線上に、金色に輝く幾何学模様が砲身のように組まれていき、臨界に達する。
「ワイプ・アウト!」
巨大な光条が、彼らのいる丘とスカラブレイの正門をつないだ。
クゥシンは、スコープ越しに巨大なレーザーが街に迫ってくるのを見た。
網膜が焼けないように素早く目を閉じ、石造りの床に伏せる。
轟音。
彼女が再び目を開けた時、街の正門は跡形もなく吹き飛んでいた。
「私、外したの……? 嘘でしょ」
なぜ。
傍らで耳を押さえている通信兵を見た彼女は、はっとした。
「そうか。ブラー」
あの狙撃兵にも、通信兵が同行していたのか。
通信兵が使用する大気の魔法の一つ、ゆらぎの魔法で、本体の位置をずらして投影する。
「魔術師である私のお株を奪うとはね、やられたわ。しかし、これで終わらせる。ブラーの弱点、知ってるかしら?」
素早くボルトを引いて、排莢。
次弾を装填すると、再びスコープをのぞき込む。
「あれだけの熱量。直後の大気はかき乱され、すでにブラーの効果は消えている。私だったら、炎の魔法を放ったら速やかに移動するけどね」
照準線の中央に、狙撃手が見えた。
今度こそ、本体。
「これが戦争。ごめんなさい」
クゥシンが、再び引き金を引いた。
デビッドの鉄製のサレット兜が、宙を飛ぶ。
彼は草むらの中に仰向けに倒れると、それきり動かなかった。
エリックが右肩を抑えたまま、デビッドに這いよる。
即死だった。
ライフル弾の破壊力は高い。
額を打ち抜かれたデビットの損傷は、激しいものだった。
「デビッド、お前。狙われてることが、分かっていながら」
残酷な現実から、それでもエリックは目をそらさなかった。
次は自分が狙撃されるという恐怖感は、なかった。
実際に次の弾が彼に放たれることも、ついになかった。
わずかな時が過ぎた。
まるで何事もなかったかのように丘の上には微風が吹いており、蝶がただ一匹、ゆっくりと舞っていた。
エリックは右肩を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
「デビッド。それじゃ、俺行くぜ。分隊の奴らを、助けてやらなきゃあな」
デビッドは、エリックの複合弓を自分の背中に担いだ。
「転生ってやつで、またいつかこの世界で会えるんだろ。気付かずにすれ違うだけだとしても、それでも、俺は楽しみにしてるぜ」
エリックは兜のひさしをぐっと引き下げ、自らの視線を隠した。
「しばしのお別れだ、デビッド」
「やはり、二発で壊れちゃったか。この世界の工作技術じゃ、これが限界ね」
クゥシンは、ライフルをがらんと投げ捨てた。
「あとは魔法で、やれるだけやってみるけれど。ドノヴァンの援護なんて願い下げだし、デュカキスのいる正門へ回ってみようかな」
クゥシンは、まだしゃがんでいる通信兵の手を引いて、起こしてやった。
「あ、クゥシン様、申し訳ありません」
クゥシンは、にっこりと笑った。
「あの魔装具、凄い威力だったものね。無事だったら、一緒に移動するわよ」
「デュカキス様、クゥシン様より連絡。敵の狙撃手は倒したが、門は守れなかった。ごめんなさい、と」
「了解した。あの派手な攻撃が無くなるだけで、充分だ」
王国の兵士たちが、もはやその表情までわかるほどに迫ってきていた。
「正門の前をふさぐぞ。ここからは、小細工はなしだ。ゴブリンアーチャーは、城壁に上らせて待機させろ。ここから射たところで、大した損害は与えられん」
副長のヒッサーが、前に出る。
「来るぞ、密集形態を崩すな。盾は斜めに構えろ、斬撃を流せる」
リザードマンたちが、整然と隊列を組む。
グレースの指揮する重攻兵団が、魔族に向けてポールウェポンを振り下ろすのを合図に、激闘が始まった。
彼方から響いてくる、怒号と絶叫。
デビッドの魔装具「ヘビーバレル」が街の正門を吹き飛ばしたことを確認したヒューゴは、今が作戦の分水嶺であることを悟った。
グレースの本隊の左翼前方に位置していた第七独立分隊が、行動を開始する。
「マシュー、アイリス、ギルバート。デュカキスは任せたぞ、グレース少佐を救ってやってくれ」
「了解しました。必ずや」
マシューが、背にメイスとヒーターシールドを装着する。
「副長。前方に三百メートル直進の後、右に八十度転回。側面からリザードマンの分隊を撃破するのが、接敵への最短の選択です」
アイリスが鉢金を締め直しながら、分析結果を伝えた。
「俺は、正面からでも構わないんだが。まあ、あのおっさんと早く戦えるってんなら、近道も悪くないかな」
ギルバートは駆けやすいように、長大なウォーハンマーを脇に抱えた。
「ルーシー、本当に行くのか」
「ごめんね。足手まといなのは、わかってるけど」
ヒューゴはルーシーの言葉の中に、秘めた決意を感じた。
彼女には、何か予感があるのだろう。
ウィルが腰背部に二本の魔装具を差しながら、ルーシーに声をかけた。
「大丈夫です、ルーシーさん。決して、僕から離れないでください。もちろん、ヒューゴさんでもいいですけど」
ウィルは赤くなった顔を見られまいと、わざと戦場の方を向いた。
「うーん、隊長さんとウィル君。迷うなあ、なあんてね。ありがと、気を付ける」
にこりとして返事を返すルーシー。
「それじゃ、行くぞ」
ヒューゴはマシューに、右手の親指を立てて見せた。
白い歯を見せて、同じくサムズアップで答えるマシュー。
二手に分かれた分隊は、それぞれの運命に向けて進路を変えていく。