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第二四話 塩基配列

 木漏れ日が差し込む森の道を、ルーシーは一人歩いていた。


 頭の中に思い浮かぶことは山ほどあったが、どれも一人では答えが出そうにもない。

 しかしその原因は、つまるところただ一つだった。


「うーん。やっぱり、隊長さんと直接話さないと始まらないな……エミリーちゃんに、いろいろと訊きそびれちゃったし」


 隊長さんは、これからどうしたいのか。


 私を連れて、ユークロニアに戻るのか。

 私を置いて、ユークロニアに戻るのか。

 ユークロニアに、戻らないのか。


「でもそれも、隊長さんとエミリーちゃんが話し合っての事だろうし。そこに私の入る余地なんて、ないよなあ」


 そこまで考えて、ルーシーははたと詰まった。


「私は、どうしたいんだろう……」


 あくまでも、この世界を守りたいのか。

 それとも、隊長さんと一緒に、どこまでも進んでいくのか。


 世界と、隊長さん。


 ルーシーは、ぶんぶんと頭を振った。


「だめだ、考えがまとまらない」


 何故、隊長さんのことがこんなに気になるんだろう。


 そもそも私、隊長さんのこと、ほとんど知らない。

 出会ったのは上陸作戦の直前だから、まだ二週間足らず。

 優しくしてくれて、色々教えてくれて。

 落ち込む姿も、弱気なところも、隠さずに見せてくれて。


 だけど、今日エミリーちゃんに出会って、思い知った。


 当然のことだけれど、隊長さんには、ユークロニアでずっと積み重ねてきた生活があった。


 医師としての仕事。

 エミリーちゃんが亡くなるまでの、親子の思い出。

 そして、奥さんのことは……怖くて訊けなかった。


 隊長さんが覚悟を決めて転生してきて、ようやくエミリーちゃんと出会えるって時に。

 私が自分の感情だけで、隊長さんの人生を、壊しちゃいけない。


「そうだよ。私、これまでも独りで生きてきたじゃない。せっかく隊長さんに、すごい治癒魔法を教えてもらったんだもん。世界を救うことは出来なくても、目の前の人を助けることくらいは、できるわ」


 そうつぶやいたところで、もう一人のルーシーが、自分に問う。


「じゃあ、あなたはこの世界に残るのね? あなたがユークロニアに行かなくても、代わりの治癒師を隊長さんが連れて行くことになれば、その治癒師を自分の代わりに犠牲にすることと同じ。それとも、隊長さんを説得して、その結果エミリーちゃんを見捨てさせる?」


「じゃあ、一体どうすればいいの?」


 もう一人のルーシーが、薄く笑った。


「簡単よ。あなたが犠牲になればいい。あなたがユークロニアに行けば、隊長さんとエミリーちゃんは元の生活に戻れる。エミリーちゃんを助けることだって、『目の前の人を助ける』ことには、違いないわ」


「……その結果、異世界同士の戦いが始まる」


「そんなこと、知ったことじゃないわ。第一、あなたがユークロニアに行かなくても、あるいは隊長さんが治癒師とエミリーちゃんをあきらめたとしても、この先同じことが必ず企てられ、遅かれ早かれ異世界同士の戦争は始まる。自分がユークロニアに行かなければ戦争を止められる、なんて思わないことね。どうせ戦争が起きるのなら、せめて隊長さんの役に立ちなさいよ」


 そうだ。

 隊長さんは、私が必要だといった。

 ずっと独りだった私に、生きてきた意味があるとすれば。


 ルーシーの視界が、曇ってにじんだ。


 ああ、会いたいなあ。


「どうした、ルーシー」


 背後から、なつかしい声が聞こえた。


「え、え、隊長さん?」


 振り向いたルーシーの目に入ったのは、確かにヒューゴだった。

 軽く右手を挙げながら、森の道をこちらへと歩いてくる。


 黒い瞳、黒いあごひげ。


「お疲れさま、ルーシー。街での治療はどうだった?」


 感情がごちゃ混ぜになり、言葉にならない。


「おいおい、考え事をしていて俺が近づいたことに気付かなかったなんて、不用心すぎるぞ。おっと、ライフ・フォースを消耗しすぎて疲れたのか? だったら、すまなかったな」


 頭をかきながら、心配そうに見つめるヒューゴ。


 ルーシーはやっとのことで口を開いたが、出てきたのはありきたりの会話だった。


「あ、あの、手伝ってくれた人がいたから」


 ヒューゴは、怪訝な顔をした。


「ん? まさか、別の治癒師に出会ったのか? この作戦に参加している王国の治癒師は、確か君一人のはずだが」


 エミリーちゃんには止められているけれど。

 やっぱり、話さなくちゃ。


「あのね、隊長さん。その人ってのは」


 ルーシーは、後の言葉を続けることができなかった。


 万力のような力で、のどが締め上げられる。

 そのままヒューゴから引きはがされ、後方の木の幹に身体を押し付けられた。


「か、はっ」


 呼吸ができない。

 ルーシーの指が、酸素を求めて空をつかむ。


 かろうじて彼女の目に映ったのは、あのカウボーイハットだった。


「おっと動くなよ、分隊長の先生。いくらこのお嬢さんが治癒師でも、死んじまったら自分を治すことはできないぜ」


 ドノヴァンは左腕一本でルーシーを吊るし上げたまま、口の端をゆがめて笑った。






 なんて速さだ。

 気配を、全く感じ取れなかった。


「ドノヴァン、貴様」


「久し振りだな。この間は、ウルフファングに邪魔されたからな。あいつを巻くのは、いつもながら実に苦労する」


 ドノヴァンはそう言いながら、大仰にため息をついてみせる。

 ヒューゴは何とか近づこうと隙をうかがったが、それはどこにも見えなかった。


「ルーシーを離せ。お前の目的は俺だろう? 勧誘にしては、度が過ぎているな」


 ドノヴァンは口元から微笑を消すと、その目をすうっと細めた。


「うぬぼれるな。俺が欲しいのは、お前ではない。ユークロニアから持ち込んだ、お前の知識だ」


「……異世界転生DNAと、記憶継承パスワードRNAか」


「それ以外に、何がある。アデニン、グアニン、シトシン。DNAにチミン、RNAにウラシル。たったこれだけの塩基配列が、俺を神へと変える」


「神だと。転生者を自由に増やし、異世界を侵略するつもりか。ユークロニアの、あいつらのように」


 ドノヴァンは、さげすんだ目でヒューゴを見た。


「ばかばかしい。世界の支配など、どうでもいい。ユークロニアの奴らはそのようなことを考えているようだが、愚かなことだ。転生を支配する者は、ただ一人でいい。俺は自在に転生を続け、すべての次元の英知を知り、それを永遠に保持する。それがたとえ、何万年かかろうとも。すなわち、唯一神だよ、ヒューゴ・カケハシ」


 ヒューゴは、顔をゆがめた。


「お前は、いや俺たちは、みんな誰かに踊らされている。それが、どうして分からない? 俺たちの世界に転生遺伝子の塩基配列をもたらした者がいまだに不明であるという、その意味を考えたことがあるか? これは、誰かのシミュレーションなんだよ。茶番といってもいい」


 それを聞いたドノヴァンは、確かに虚を突かれていた。


「……ふざけるな。俺は、常に原理を操作する立場だ。俺を操作する者が仮にあるならば、俺はそいつを殺す」


 ドノヴァンの目に、どす黒い怒りと狂気が宿る。


「勝手にしろ。とにかく、ルーシーを離せ。彼女は何の関係もない」


「塩基配列だ。今すぐ、そいつを紡いで唱えろ」


「俺が嘘の情報を教えたら、どうする」


「甘く見るな。俺は、遺伝子研の特待研究員だったんだぜ。いい加減な配列だと俺が判断したときは、この女を殺す」


 はったりだとしても、ヒューゴに選択権はなかった。


 ヒューゴはためらうことなく、記憶の中の塩基配列をドノヴァンに伝える。

 それは、ドノヴァンの予想よりもはるかに少ない情報量だった。


 ドノヴァンの表情に、驚愕と歓喜が入り混じる。


「それだけか。たったそれだけの塩基配列の違いが、奇跡を生み出すのか。まったく、宇宙的な脅威だ。もはや、恐怖といってもいい」


 ドノヴァンはもはや興味が無くなったように、ルーシーをヒューゴへ向かって放り投げた。


 ヒューゴは、彼女を受け止めるために駆けだした。

 両腕を前へと伸ばす。

 腕に彼女の重さを感じた、その瞬間。


 ヒューゴの後頚部から喉へと、鋼鉄の棒が貫通した。

 棒が引きぬかれ、その首から鮮血が噴き出す。

 仰向けに倒れたヒューゴは、それでもルーシーを抱きかかえて離さなかった。


「お前は、殺しておく。そこのお嬢さんに遺伝子を組み込まれたら、面倒だからな」


 驚くべきことにドノヴァンは、投げ出したルーシーよりも早くヒューゴの背後に回っていた。


 血のりがついた鉄棒をぶるんと振るうと、ルーシーを冷たく見下ろす。


「嘘……た、隊長さん……」


「申し訳ないが、お前にも死んでもらう。離せとは言われたが、殺すなとは言われてないしな。お嬢さん、さっきこいつが話した塩基配列、もう記憶しちまってるんだろ? 天才ってのが、お前の命取りになったな」


 ドノヴァンが、両手の鉄棒を逆手に構える。


「情報秘匿さ。アカデミーだってそうしてるだろう? 悪く思うな」


 悪く思うな、か。

 これで二回目ね。


 あの時は、お父さんとお母さん。

 今度は、隊長さん。


 こいつ、絶対に許さな……


「レイ・クライシス!」


 低い声と共に木立の奥が輝き、そこから無数の光条が飛び出すと、あらゆる方向からドノヴァンを襲った。


「またかよ! くそ、レイシリーズの最上級呪文!」


 ドノヴァンが前転、後転、側転、あらゆる回避軌道を取りながら、三十二本のホーミングレーザーの間隙をすり抜ける。


「無事か、ルーシー」


 強烈な、デジャブ。


「……ローガさん!」


 木々の間から進み出てきたローガが、その蛇の目で、ドノヴァンを見据える。

 さすがのドノヴァンも、四肢に数か所の傷を負っていた。


「どこまでも俺の邪魔をしてくれるな、ウルフファング。だが、今の俺はリスクを冒すつもりはない。遺伝子さえ組み込んだ後なら、いつでもお前に殺されてやるさ。まあ、そうなる前に必ず始末してやるがな」


 ドノヴァンは身をひるがえすと、森の奥へと駆けこんだ。


 その言葉を聞いたローガの顔に、驚愕が走る。


「ルーシー。奴は塩基配列を?」


「ごめんなさい。隊長さんが、私のために」


 激怒するとのルーシーの予想に反して、ローガは、ただ苦笑いを浮かべただけであった。


「……まあ、仕方ないさ。ユークロニアに与えられた任務のために、なんてお題目よりも、お前さんを助けるって理由の方が、万倍もましだぜ。こいつを殺すのは、ドノヴァンの次にしてやる」


「殺すも何も、隊長さん、もう死んでるかも」


 ルーシーは、ぴくりとも動かず目を閉じたままのヒューゴを前に、ただうなだれている。


 ローガは舌打ちすると、やにわにルーシーの両肩をつかんでゆさぶった。


「何言ってる。お前、怖いものなど無いはずじゃなかったのか。こいつを失うのが怖いのなら、自分で取り戻せ。今それができるのは、治癒師であるお前だけだ」


 ルーシーが、びくりと体を震わせた。


 当然じゃない。

 隊長さんを奪われて、たまるか。


 ルーシーの瞳に再び輝きが戻ったのを確認したローガは、勢いよく立ちあがった。


「俺は奴を追う。奴はもう、ただの道化ではなくなったからな」


 ドノヴァンの去った方向へと駆け出しながら、ローガが言葉を残した。


「悔いのないようにな、ルーシー。転生なんて、ただのレトリックさ。人生は、一度きりなんだぜ」


こんにちは、水色の治癒師ことエミリーです。

皆様とともに楽しんで来たあとがき、実はここでいったん終了なのです!

何故って?

皆様はもう導きなど無くても、もうこのお話を十分にご理解いただけているからです。

どんな出来事も、後戻りはできません。

この世界の一人一人の物語、最後まで見届けて下さればうれしいです。

それでは、次回「再会と別離」から「エピローグ」まで、お楽しみください!

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