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第二一話 水色の治癒師

「腕と足の怪我の人は、後にしてください。頭と胸、腹部に外傷のある人を優先に!」


 大きな商家の一階を利用した野戦病院は、傷ついた兵士たちで足の踏み場もなかった。


 血と汗の匂いが、建物の焼けた匂いと混じり合う。


「っと。左肋骨骨折が三本。肺損傷は……なし。兵隊さん、深呼吸、できますね?」


 ルーシーは、そばにいた衛生兵に腹帯を巻いて固定するように告げると、次の患者へと移動した。


「分かりますか? 目、開けれます?」


 ほおを強く叩いたが、負傷兵のまぶたは動かない。


 ルーシーは、兵士の衣服を手早く脱がせた。


 左の下腹部に、長さはそれほどでもないが、深い刀創があった。

 そこから絶えず、じくじくとした出血が続いている。


 ルーシーは鋭利な小型ナイフを取り出すと、自分の両手とナイフ、そして兵士の腹部のそれぞれに、浄化の魔法をかけた。


 直接、確認しなきゃ。


 ルーシーはナイフを握るとためらうことなく、創を上下に広げるように皮膚に切開を加えた。

 腹腔内の臓器をかきわけながら、順番に確認していく。


「横行結腸、脾臓……上腸間膜動脈……腹部大動脈!」


 わずかではあるが腹部大動脈が線状に裂けており、そこから拍動性の出血が続いていた。


 ルーシーが創部に手をかざし、集中する。

 見る見るうちに動脈壁の傷はふさがり、それに伴って出血も止まった。

 視野が確保できたところで、傷ついていた周囲の組織もそのまま同時に修復する。


 よし。

 後は、皮膚を閉じるだけだ。

 でも、ライフ・フォースが持つかどうか。


 疲労で思わずふらついたルーシーを、誰かが後ろから優しく支えた。


「ご苦労様です。後は、私が引き継ぎます」


 たけの低い毛皮の帽子の下から、黒い瞳が心配そうにルーシーをのぞき込んでいる。

 ツインテールにした髪は、やはり黒。


「あ……隊長さん?」


 ぼうっとしていたルーシーが、思わず口走った。


 ルーシーを支えたその少女は、一瞬不思議そうな表情をしたが、すぐに優しいほほえみを返した。


 ややたれ目ではあるが、かなりの美少女と言っていい。

 年齢は十四か十五、クリスティンと同じくらいか。


 水色のケープを、白いコートの上に羽織っている。

 黒いプリーツスカートに、ロングブーツ。


 少女は、あははと笑った。


「お姉さん、ずっと頑張りすぎですよ。適度に休息した方が、ライフ・フォースの消耗が少なく、結果としてより多くの人を助けることができます。私が閉創しておきますから、少しお休みになってください」


「閉創って。あなた、治癒師なの?」


「そうです。お姉さんの流派とは、多分違いますけれど」


 第二海兵大隊に、治癒師なんかいたっけ?


 そういぶかしがりながらもルーシーは、彼女の黒い瞳になぜか安心できるものを感じた。

 この子なら、任せても大丈夫。


「じゃあ、お願いするわ。ちょっと一眠りさせてもらうけれど、必ず起こしてちょうだいね」


「え、なぜですか?」


「一度寝たら、永遠に起きないかもしれないから。私の可愛い魅力の一つね」


 ルーシーは彼女にウインクすると、壁際に背を預けて座り込み、早くも寝息を立て始めた。


 ほう、と少女は短い感嘆の声を漏らす。


「凄いなあ。場所を選ばず休息できるのも、いい治癒師の条件では、あるかな」


 妙なところに感心すると、少女はルーシーが治療していた負傷兵に向き直った。

 傍らにかがむと、患部を確認する。


「……驚いたなあ。大動脈を修復できる治癒師が、『島』にいるなんて。一緒にいるスペシャルって、ひょっとすると」


 少女が兵士の腹部に手をかざすと、その傷はまたたく間にふさがり、やがて跡形もなく消えた。

 首筋に指をあてる。

 確かな拍動が、確認できた。


「よし、血圧は安定っと。診断と処置が早かったから、助かったわね。あのお姉さん、トリアージも適切だわ」


 少女は眠っているルーシーに賞賛の言葉をつぶやくと、次の患者の診察に移った。






 様々なものが、焼けていた。

 建物も、人も、街の歴史も。


 焦げた匂いが街を包み、大きく息を吸うとむせる。


 ウィルは、がれきの下に生存者がいないかどうか、一棟一棟を丁寧に確認していく。

 事前の避難が功を奏したのだろう、建造物に比して人的被害が比較的少ないのが、せめてもの救いであった。


 そのまま街路を歩いていると、道路脇に放置してある壊れた荷馬車の荷台に、フードをかぶった女性が腰かけているのが彼の目に入った。


 生きていることだけを確認してその女性のそばを通り過ぎようとしたウィルは、不意に呼び止められた。


「サンドイッチがあるんだけれど。一休みして、一緒に食べない?」


 女はかぶっていたフードを後ろに払いのけ、マントを脱いだ。


 さあっと流れる、長い黒髪。

 切れ長の目に、黒い瞳。白い肌に細い眉。


「私だって、いつも赤い服を着ているわけじゃないし。今日は白のブラウスとネイビーブルーのロングスカートにしてみたけれど、どうかな?」


 深紅の魔導士、クゥシンだった。


 ウィルは素早く距離をとると、二本の魔装具のつかに手をかける。


 クゥシンは特に身構えるでもなく、形の良い脚をちょっと組み替えただけで、彼を静かに見つめている。


「もう、若い子ってせっかちね。ローブを着てないってことは、戦闘状態じゃないって事よ。それでも斬るっていうんなら、今の私にそれを避ける手段はないわね」


 ウィルは、構えを崩さない。


「その言葉、真に受けるわけにはいきません。あなたには、魔法以外の超技術があるでしょう? ほら、僕の額を削ったやつが」


 クゥシンは目をわずかに伏せると、心底申し訳なさそうに謝った。


「あの時は、本当にごめんなさい。一人で死ぬのかなと思ったら、急に怖くなっちゃって。思わず撃っちゃったけれど、外れて、本当に良かった」


 ウィルはなぜかその言葉に、嘘ではないものを感じた。


 敵なのに。

 オリヴァーさんを、殺した奴なのに。


「……こんなところに、何しに来たんですか」


「君と、話をしに。いけなかった?」


 いけない。

 とは、言えなかった。


 憎しみは、力にはならない。

 そうですよね、ハリソンさん。


 ウィルは剣のつかから手を離すと、大きく息をついた。


「分かりました。荷台の隣、座ってもいいですか」


 剣に手をかけられても動じなかったクゥシンが、わずかに身じろぎした。


「おっと。君って、結構大胆ねえ。今時の若い子たちって、みんなこうなのかしら」


「相手を知ろうとするのなら、隣に座るのがいいって、僕の尊敬する人が言ってたから」


「ふーん。まあ確かに、バーで話すなら私もカウンターが好きかな。おっと、お酒の話は、君にはまだ早いか。尊敬する人って、君のところのあごひげの隊長さん?」


 ウィルはクゥシンの隣に少し距離を置いて座ると、前を向いたままうなずいた。


「尊敬っていうか、とにかく放っておけない人なんです。いつもなんとなく、寂しそうで」


「うんうん、それで?」


 クゥシンは両手に顎を乗せて、にこにこと聞いている。


「あなた達もご存知だと思いますけれど、ヒューゴさん、隊長の名前ですが、単に異世界転生者だから寂しい、というんじゃないような気がして。なにか、大きな別れを経験してきたというか」


 僕は、何故この人にここまで話しているのだろう。

 あるいは、誰かに聞いて欲しかったのか。


「どうかしらね。私もスペシャルだけど、元の世界では、両親とそりが合わなかったからね。家出したみたいな気分で、かえって肩の荷が下りたくらいよ」


「え。あなたも、スペシャル」


「シーカーの幹部は、全員そうよ。あなた達も会ったことのある黒騎士デュカキスも、道化師のドノヴァンも」


 代表もね。


「そうですか。でも、もったいないですよ。せっかく両親がいたのに、疎遠だったなんて」


「……え。君、ご両親いないんだ。悪いこと、聞いちゃったわね」


「いいんです、慣れてますから」


 そんな会話を続けながらも、ウィルは、クゥシンの心の中を図りかねた。


「……あの、こんな話をしに来たんですか?」


 クゥシンは、子供っぽく笑ってうなずいた。


 ウィルは意表を突かれた。

 この人、こんな顔もするんだ。


「そうよ。私がしたかったのは、こういう話。他愛のない話を積み重ねていく中で、相手のことが少しずつ分かっていくんじゃない?」


 クゥシンは、荷台から下げた両足をぶらぶらさせながら言った。


「私は君と、駆け引きなんかしたくない。たまたまここで出会って、戦っちゃったりなんかしてるけれど、何でこうなったかなあって。これってきっと、私だけじゃなくて、他のもっと多くの生き物たちも、同じ気持ちじゃないのかなあ」


 本当に。

 こうしていれば、単なる、隣のお姉さんじゃないか。


「そうですね。何でですかね」


 ウィルは、彼女の問いに答えることができなかった。


 クゥシンは、空を見上げた。

 たなびく煙の向こうには青空があるはずだったが、いまはそれも見えない。


「みんな、おなかがすいてるから、怒りっぽいのかもしれないわね。はい、サンドイッチ。大丈夫、毒なんか盛っちゃいないわよ」


 クゥシンはくすくすと笑いながら、サンドイッチを一つつまみ、小さくかじった。

 ウィルも一つ手に取ると、口に放り込む。

 パンの間には様々な具材がていねいに入っており、時間をかけて作られたものだと分かった。


 二人は、ゆっくりとサンドイッチを分け合った。






 食べ終わってしばらく黙った後、ウィルがぽつりと言った。


「この先、僕たち、戦うんですか」


「きっとそうなるわね。みんな、悩んでる。この世界を守るために、何がベストなのか。でもそんなの、トライアンドエラーで進んでいくしかない」


「話し合うことは、できないんですか」


「そうするには、私たちの手は汚れすぎているわ。今やめたら、これまでの犠牲はどうなるの。あなた達は、私達が人間や魔物をだまして実験していると思っているでしょうけれど、この世界を守るために、自ら進んで身をささげた者たちも多いのよ。自分たちの未来を異世界から守るために、今を捨てた多くの魂が」


 クゥシンは、うつむきながら言葉を紡いだ。

 長い髪が顔にかかり、その表情はウィルには見えない。


「……だから、私は今の道を貫く。ごめんなさい、ウィル君」


 クゥシンは、初めてウィルを名前で呼んだ。






 冷たい風が街角を吹き抜けたのを潮に、クゥシンは、ぽんと荷台から飛び降りた。

 顔を上げた彼女は、いつもの自信に満ちた表情に戻っていた。


「遠出してきたかいがあったわね。若い男の子と話すと、若返るわあ。それじゃお互い、仕事に戻りましょ」


 クゥシンは、くるりと背を向けた。

 ネイビーブルーのロングスカートが、弧を描いて風に舞う。


 と、思い出したように、後ろ向きのままウィルに声をかけた。


「その額の傷、完全には消さなかったんだ。あの治癒師の子、凄腕なんでしょ? きちんと消せるはずだけどなあ。もしかして、私に対するうらみを忘れないために、わざと残しているとか?」


「違いますよ、うらみだなんて。ただ……何となく」


 言い淀んだウィルの言葉に何かを感じたのか、クゥシンはすこしむくれた。


「ふーん、訳ありね。女の勘だけど、ちょっとやけちゃうわね」


 ウィルは、自分の顔が赤くなるのを感じた。

 クゥシンに見られなくて、良かったと思った。


「それじゃあね。楽しい時間を、ありがとう」


 彼女は手をひらひらと振ると、ウィンドーショッピングでもするように、ぶらぶらと街中へと消えていった。


エリックだ。お嬢さんがた、元気かな?

え? グレース少佐に色目を使ってるだろうって? 気のせい、気のせい。

ところでウィルの奴、なんだってああも年上に好かれるかね。

何かこつがあったら、ぜひ教えて欲しいもんだ。

それじゃあ、第二二話「人質」で。

次回、治癒師のお嬢さんに最大の試練が! まあ、人生何事も経験さ。


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