第二十話 決意
ムーングロウの中央にある、塔の中の一室。
かつてイッチェル議長の執務室であったその部屋は、幸運にも火災をまぬがれ、調度もほぼ保たれている。
ヒューゴはエリックとクリスティンを伴って、グレース少佐と面会していた。
グレースの顔にはさすがに疲労の色があったが、セミロングの茶色の髪はきちんと整えられ、そのヘーゼルの瞳は輝きを失ってはいなかった。
彼女はクリスティンの前に立つと、目を伏せた。
「あなたがクリスティンですね? 部下に軍紀を守らせることもできない無能な人間の指揮官から、せめておわびをさせてください」
グレースはクリスティンの前で片ひざを折ると、頭を深々と下げた。
クリスティンは、あわててグレースを引き起こした。
「私はこの通り何ともありませんから、どうぞ頭を上げてください。どんな種族にも、残念な者はいます。それよりも……」
グレースは顔を上げると、柔らかな微笑を浮かべた。
「ハリソン上等兵のことですね? 同胞を殺し脱走したという事実は、軍隊では不問にはできません。ですが、彼が法廷に立つことがあれば、できる限りの善処をさせていただくことをお約束いたします」
クリステインの顔が、ぱあっと明るくなった。
「ありがとうございます! ハリソンさんは、必ず戻ってきます。私の部族の族長に、会うことになっているんです!」
グレースは一瞬きょとんとし、それからくすくすと笑った。
「うらやましいなあ。私のお父様に会いに来る人も、どこからか現れないかしらね」
彼女はエリックをちらりと見て、また笑いだした。
「退却できない?」
「そうです。正確には、『島』に撤退する方法がない、ですが」
グレースは、眉間にしわを寄せながらうなずいた。
「本国は何と?」
「その本国との通信が、完全に途絶しているのです」
「そんな馬鹿な。強力なジャマーが、『大陸』全体に張られているとでも?」
通信兵であるエリックが、グレースに尋ねた。
「いえ。単に、返答がないのです」
グレースは表情を引き締めた。
「ヒューゴ分隊長。今から私が話すことは、口外無用に願います。兵士達を、パニックに陥らせたくないのです」
わずかに青ざめた彼女の表情に、ヒューゴはただならぬものを感じ取った。
「どういう事です?」
「私たちはどうやら、本国から見捨てられたようです。北岸に上陸した第一海兵大隊は、救援艇が来なかったために撤退できず、全滅したとの報告を受けています」
ヒューゴは、深刻な事態に衝撃を受けた。
「本国が俺たちを。一体、なぜ」
グレースは、ヒューゴの表情を注意深く観察しながら言った。
「我々に、本国に帰還してほしくない理由があるのでしょう。その原因はあなたの分隊にある、というのは私の勘ですが、間違っていますか?」
少佐は信頼できる。
これは俺の勘だ。
それにこの状況。
もはや、隠している場合ではない。
ヒューゴは、ためらうことなく答えた。
「恐らく、そうだと思います。少佐殿は、転生というものを信じますか?」
「転生。正確には、異世界転生の事ですね?」
ヒューゴは驚いた。
「どうしてそのことを?」
「ベネット家は、代々軍人の家系です。私の父が本国の上級大将であることは、知っていますか? 私はおてんばでしたから、勝手に機密事項を読んでしまう癖があるのですよ。まあ、そんなものを机の上に置いておく時点で、父の危機管理が甘いということなのですが」
グレースは、笑って舌を出した。
「情報部の妄想だと思っていましたが、どうやら事実のようですね。だとしたら、つじつまが合います」
ヒューゴが、グレースを探るように見ながらたずねた。
「ご説明、願えますか?」
グレースは書斎椅子に深く腰掛けると、指を組んだ。
「我が王国は、異世界転生者をすべて処分する方針なのです。処分の意味は、わかりますね? 異世界からの有害な技術や知識をこの世界に持ち込ませない、あるいは、この世界の情報が異世界に漏れないための、いわば鎖国なのです。きわめて保守的な思考ですが」
「馬鹿な。そんなこと、長い歴史の中でいつまでも続けられるはずがない」
愚かだ、とヒューゴは思った。
きわめてまれであるとはいえ、俺のようなスペシャルは、今後も出現し続けることだろう。
それを、砂漠の中から特定の一粒を探し出すように見つけては、つぶしていく。
不毛であり、的外れであり、ナンセンスだ。
「その通りです。だが、変化を望まない老人たちは、自分たちを守るために鎖国を選んだ」
グレースの表情に陰りが見えた。
若い彼女を憂慮させるほどに、現在の王国は硬直化しているのだろうということが、ヒューゴには想像できた。
動脈硬化、といってもいい。
「だからなのですね、少佐殿。転生の秘密を知っている者が帰還することは有害だと、本国は判断した」
「そうです。何者かが、あなたの分隊に異世界転生の秘密を知る者がいると、本国に流言したのでしょう」
ヒューゴには見当がついた。
シーカーの誰かが、あえて王国に情報を流したのだろう。
俺を王国に戻れなくするための、策略。
「少佐殿。シーカーは、王国とは真逆の方針を採用しています。異世界転生者を人為的に増やすことで、この世界を強力にしようとしている」
「人為的に増やす。そのような方法が、あるのですね」
「何らかの方法で仮死状態の人間を作りだすことで、記憶を持った異世界転生者、スペシャルと呼ばれていますが、その転生を促すことができるのです。その技術は、まだ発展途上であると考えられますが」
「なるほど。我が王国とシーカーが、全く相いれないのも道理です」
グレースは額に手を当てて、壁を見つめながらじっと考え込む。
ヒューゴは、彼女の聡明さに内心で舌を巻いていた。
異世界転生など、この世界の人間にとってはその存在を信じることすら困難であるはずなのに。
彼女はその事実を受け入れたうえで、最善の道を模索している。
グレース少佐を信じようという俺の勘は、間違っていなかった。
一同の上に、しばらく沈黙が降りた。
やがてヒューゴは唇をかみながら、グレースに詫びた。
「申し訳ありません、少佐殿。俺は自分のみならず、分隊のみんな、果ては上陸兵全員までも死地に追い込んでしまった」
グレースは、静かに首を振った。
「分隊長殿、あなたのせいではありません。あなたたち転生者を排斥し、あるいは利用しようとする者たちの悪意、それが全ての元凶なのでしょう。まあ、分隊長殿が異世界転生者だというのも、私の勘ですが。当たりましたか?」
グレースは自分の正しさを確信しているように、にっこりと笑った。
「……少佐殿と賭け事をやるのは、ごめんこうむりたいですな」
ヒューゴは苦笑するしかなかった。
少佐も、俺の分隊の仲間たちも。
そして、ルーシーも。
異世界転生者の俺を、こうもあっさりと受け容れてくれるとは。
転生というものがひどくつまらないものに思えてきた自分に、ヒューゴはとまどっていた。
自分の予想が当たったグレースは満足そうに座りなおすと、表情を改めて、一同の顔を見渡した。
「さて、私たちはどうするべきでしょう。と言って、選択肢はあまりありませんが」
グレースは、窓ごしに遠く空を見た。
あるいは、王国の方角を。
「王国が私たちを拒絶したという事であれば、私たちも王国を捨てるしかありません。つまり、この『大陸』で生き残る方法を模索する必要があります」
「すると、魔物たちと戦うか、魔物たちに降伏するか、の二択ですか」
エリックが、いつものように首を振りながら言った。
「待って下さい」
クリスティンが必死に訴えた。
「私たちは、これまでも『大陸』の人間の皆さんと共存してきました。私たちは、私たちを殺そうとする『島』の人間とは戦えと教えられてきました。しかし、あなた方がこの大陸で暮らしたいとおっしゃるのであれば、それを拒絶する理由はないはずです」
ヒューゴは、クリスティンに笑顔を返した。
賢いだけではなく、優しい子だ。
「ありがとう、クリスティン。だがシーカーは、奴らの本当の目的を知った俺たちを見逃しはしないだろう」
クリスティンが、青ざめる。
「そんな、どうして……」
「異世界の技術や知識を得るために人間や魔物を利用している、という事実が明るみに出れば、シーカーが多種族をまとめることはできなくなる。だから、俺たちを消しにかかる。少佐殿は、どう思われますか?」
グレースは小さくため息をつきながら、うなずいた。
「恐らく、分隊長殿の推測は正しいと思います。シーカーは、我々と講和などしない。我々が幽閉していたイッチェル議長を見捨てて焼き殺したことも、それを裏付けるものでしょう」
「そうですか、イッチェル議長は亡くなられたのですか……」
ヒューゴは、顔を上げた。
「ならば、シーカーとは戦うしかありません。奴らが壊滅すれば、この『大陸』は無政府状態になるでしょう。だが、俺はそれでいいと思います。この『大陸』の未来を決めるのはそこに住む生き物たちであって、決して少数の者の意思によるものではないはずです」
そうだ。
自分で決めなければ。
今度会ったら、ルーシーにきちんと話そう。
そして二人で話し合って、二人で決めよう。
そして、絵美里とも。
一同は、ヒューゴの意見にうなずいた。
クリスティンが、にこにこしながらヒューゴをつつく。
「ヒューゴさん、いい顔してますね。人狼は、人の感情には敏感なんですよ? なにか、気になることが解決しましたか?」
「いや、何も解決していない。でも、道は見えたように思う」
グレースも微笑すると、きっぱりと宣言した。
「では、歩き出すとしましょう。腕を組んだまま座っていても、始まりませんから」
彼女の表情は、大隊長のそれに戻っていた。
「とりあえず、先だっての戦いでの負傷者の回復を待って、シーカーの本拠地へ向かいましょう。分隊長殿、あなたはその場所について見当がついていますか?」
ヒューゴは、困ったように頭をかいた。
「先ほどお話しした仮死状態者の安置場所、俗に『クレイドル』とばれている場所が、そうだと思われますが。しかし、その正確な場所までは不明です。もしそれが『大陸』の中央部だとすれば、ここからはかなりの距離になりますが」
そこへ、クリスティンが助け舟を出した。
「それならきっと、スカラブレイの街だと思います。ものすごく厳重に警備されているし、徴兵された人たちも、まずはそこへ向かうって言ってましたから。ここからなら、北西に歩いて二日程度の距離ですよ」
やはり、利発な少女である。
ヒューゴは、机に広げてある空白の多い『大陸』の地図を見ながら、考え込んだ。
「『大陸』が五芒星の形とすれば、下の股に近いところか。ふむ、『島』からも人間を集めているのであれば、海に近い方が都合がいい道理だ」
グレースが立ち上がった。
「決まりですね。こちらは、もはや隠密行動ができるまでに人数が減っていますから、せいぜいそれを有効活用するとしましょう。出発は、二日後で」
分隊の三人も立ち上がった。
「了解しました」
お互いに、王国風の敬礼は行わなかった。
彼らにとって、それはもはや意味をなさなかった。
小高い丘の上に、漆黒の騎士が腕を組んで立っていた。
眼下の平野では、リザードマンの軍勢がひと固まりとなって調練を行っている。
騎士の背後から、赤い房の付いた兜をかぶったリザードマンが歩み寄ってきた。
「兵たちの動きは落ちていないようだな、ヒッサー」
漆黒の騎士デュカキスが隊列を見据えたまま、リザードマンの隊長に声をかけた。
「毎日三時間は、ああして駆けさせております。日々の積み重ねが、生死を分けますから」
ヒッサーと呼ばれた大柄のリザードマンが、騎士の横に立った。
「先日の戦いで、四人失った。ボリス、アレックス、リーフ、チャニ」
戦死した者の名前をすべてそらんじていたデュカキスに、ヒッサーはあえて苦言を呈した。
「司令。我らは、駒です。傷を負ったからと言って、その傷をいとおしむようなことは、なさるべきではありません」
「分かっている。だが、二十年以上も苦楽を共にしてきたお前たちは、このバトルアックスと同様、もはや俺の体の一部なのだ。傷は、いつか治るかもしれん。だが、その痛みを忘れることはあってはならない、と俺は思う」
「……もったいなきお言葉」
丘の上には、少し冷たい風が吹いている。
「思えば、俺たちもずいぶん長い間戦い続けてきたな、ヒッサー」
デュカキスは、遠い目をした。
「左様ですな。司令とお会いした、あの日から」
ヒッサーは、その長い口を少し曲げた。
どうやら、微笑のようだった。
「我らの種族は蛮族とあざけられ、自らの誇りも持てないまま生きてきました。しかし司令、あなたが我々に使命を与えてくださった。この世界を異世界から守るという使命を。その使命があればこそ、我らはどんな汚い作戦にも、耐えることができます」
デュカキスは、腕を組んだままだった。
「使命か。だが、それが正しいのかどうかは、誰にもわからん。強くなるためならどんな手段もいとわないのが、今の俺達だ。俺達は同胞に対し、大儀の名のもとに残虐な行いをしている。ゴブリンの脳を改造し憎悪を植え付け凶暴化し、攻撃性を高める。タイタンの肉体を改造し戦闘力を高めるのと引き換えに、寿命を極端に短くする。人間を仮死状態にし、転生者を呼び込む。ひかえめに言って、悪逆非道とのそしりは免れまい」
ヒッサーは、その細い目を閉じた。
「いつか異世界からの侵攻を受けたその時こそ、その意味を思い出す者も現れましょう。はるか、遠い未来やも知れませぬが」
「未来。そうだな。お前たちの、子供やその子孫。俺は異世界転生者だが、この世界が失われることには耐えられん。正しくはないかもしれんが、俺は、今のやりかたがこの世界を救う方法だと、信じている」
そういって騎士は、リザードマンの隊長へと向き直った。
「お前たちには、すまないと思っている。うまくいってもいかなくても、報われない仕事だ」
ヒッサーは首を横に振ると、深く頭を下げた。
「どこまでもお供させていただきます。司令」
皆様、こんにちは。大隊長を務めています、グレースです。
私たちみんな、もう戻る場所もなくなってしまいましたが、信じた道を進むだけですね。
まあ、きっとうまくいくと思います。ただの勘ですが。
それでは次回、第二一話「水色の治癒師」でお会いしましょう。
ルーシーさん以外の治癒師さんでしょうか、なんだか気になりますね。