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第二話 ファースト・エイド

 浜辺に掘られた塹壕の中は、兵士達でごった返していた。

 やはり上陸した工兵たちにより、かなりの広さと深さのある塹壕に整えられている。

 天幕も張られちょっとした屋根付きの広場となっているそこでは、大抵の風雨はしのげそうだ。


 陽はもう西の空に傾きかけていたが、周囲はまだ十分に明るさを残していた。

 時折、海の塩を含んだ熱風が、塹壕の中を吹き抜けていく。


 同じ海岸に上陸した他の分隊もおおむね戻ってきているところをみると、まだ敵の前線は突破できていないらしい。


 ヒューゴは、あわただしく駆け回っている衛生兵の一人を捕まえてたずねた。


「第七独立分隊のギルバートを知らないか? 左腕を怪我しているはずだが」


「ああ、その方なら左奥のすみに。分隊付きの治癒師様が、そばについておられましたが」


「そうか、ありがとう」


 たどり着けていたか、ギルバート。


 ヒューゴは大勢の兵士をかき分けながら、負傷兵たちが横たえられている一角へと近づいていった。


 汗と、血の匂い。

 間違えようのない慣れたその匂いが、ヒューゴの表情を自然厳しいものにしていた。


 一人の大柄な兵士が、粗末な毛布の上で呻吟している。

 彼が装着していた鎖かたびらと増加装甲は、今は外されて足元に置かれていた。


 彼の横には、見覚えのある長い金髪の女兵士が、ヒューゴに背を向けてかがんでいる。

 その革製チュニックの左肩には、白地に赤い三本の縦線、「治癒師印章」がぬい付けられていた。


「ギルバートの様子はどうですか、先生」


 ルーシーは後方から不意にかけられた声にびくっと肩を震わせると、振り返ってヒューゴを見上げた。

 少女の面影を残しつつも端正なその顔に、憔悴の色が浮かんでいる。


「あの、隊長さん。さっきは私……」


「話はあとです。俺は、ギルバートの左腕が魔法で砕かれるのを見ました。奴の腕はどうなっています?」


 ヒューゴがギルバートに近づけるように、ルーシーは体の位置を少しずらした。


 ギルバートは、真っ赤な髪を短く刈り込んだ、彫りの深い顔立ちの屈強な若者である。

 重攻兵の彼はこれまであまたの傷を受けてきたが、それ以上の傷を常に相手に与え続けてきた。

 その歴戦のギルバートも今は目を閉じており、時々苦悶の声を漏らしている。


 ヒューゴはやや安堵した。

 うめくことが出来る間は、大丈夫だ。


「命に別状はないけれど、左腕はかなり厳しい。ほぼ、皮一枚でつながっているだけ」


 ルーシーはそう言って、唇をかんだ。


 それを聞いたヒューゴは、不意にギルバートのそばにしゃがみ込むと、左上腕の傷を丹念に調べ始めた。

 そんなヒューゴの様子を、ルーシーはいぶかしげに眺める。


「確かに派手に吹っ飛ばされていますね。マジックボルト。完全な衝撃魔法だから、幸いなことに熱傷はなし。欠損部は、上腕骨遠位端、上腕二頭筋と三頭筋の一部、正中神経含めた脈管系、か。動脈損傷による出血は……ああ、先生が肩の根元を布でしばってくれていたのですか」


 ルーシーは、彼のつぶやいた単語の大部分を理解することができなかった。


「え、ええ。とにかく出血が多くて、止まらなかったものだから」


 ヒューゴは、少し考えてからルーシーにたずねた。


「あなたの治癒魔法で、奴の腕を治すことができますか?」


 それは予想通りではあったが、彼女が最も恐れていた問いでもあった。

 くっとルーシーはうつむいたが、答えないわけにはいかなかった。


「治せるけれど、それは見かけだけ。傷はふさがっても、彼の腕は間もなく黒化して、いずれ切断が必要になる。ほら、もう指先が赤みを失って白色化しつつあるでしょう? 血液が、そしてライフ・フォースの流れが、傷のところで完全に途絶してしまっているから」


 ライフ・フォース。

 精神の息吹。超自然的なエネルギー。あるいは、魔力。

 俺の世界には、なかった概念だな。


「私みたいな治癒師を分隊に入れたってことは、隊長さんも治癒魔法について、ある程度の事は聞いているんでしょ? 戦場で治癒魔法が負傷者にできることなんて、そう多くはないわ。せいぜい、傷をふさぐことぐらい。動かなくなったり、血肉を失った腕を元に戻すなどということは、できない」


 ルーシーはそう言って、涙ぐんだ。

 そして、そのような自分を恥ずかしいと思った。


 戦場に行くと決めた時点で、覚悟はしていたはずなのに。

 私は、治癒師失格だ。






 ヒューゴは、不意に激しい怒りに囚われた。

 あるいはそれは、自分自身に対しての怒りであったのかもしれない。


 そうか。

 君たちは、そんなふうに教えられてきたのか。


 そして俺もまた、この世界に、そして何よりも君に、嘘をついている。

 ならば、せめて目の前で傷つき苦しんでいる人々にだけでも、できる限りのことをしよう。


 たとえ偽善だとしても、それが医師としての責任だろう?






「ギルバート、聞こえるか」


 赤毛の重攻兵はうっすらと目を開けると、意外にもしっかりとした口調で答えた。


「聞こえてますよ、隊長。それに治癒師の先生の声も。俺の指、動いてないんですか? おっかしいなあ、ちゃんと動かしてるつもりなんですけどねえ」


 のんびりした口調で、淡々と話すギルバート。


「重攻兵の俺が左腕使えなくなったら、もう隊長のお役には立てそうにもないですねえ。まだ『大陸』の奴らを、ぶっ壊し足りないんだけどなあ」


 そううそぶくギルバートに、ヒューゴは妙に確信のある声で言った。


「いや、お前さんにはもっと働いてもらうさ。今から、先生がお前の左腕を治してくれる。オリヴァーのかたきも、討たなきゃならんからな」


「……そうですか。オリヴァーの奴、死んじまったんですか」


 ギルバートはぐっと天幕をにらみつけていたが、ややあって、ゆっくりと目を閉じた。


「じゃあ先生、一つ頼みます。俺の左腕で、あの魔導士をひねりつぶさせてください」


 彼らのやり取りをそばで見ていたルーシーは、困惑を隠せなかった。

 この分隊長は、私の話を聞いていたのだろうか。


「先生。あなたたち治癒師は、どのように傷を治しているのですか?」


「それは、対象を魔術的に観察し、分析し、元素を集積重合させ、再構築する……」


 そんなことをきいてどうするのだろうと思いつつ、ルーシーは、アカデミーで学んだことを棒読みした。


「つまり、組織細胞を再生させる、ということですね?」


 そしきさいぼう?


 この隊長は所々で、彼女に理解できない言葉を挟んでくる。


「じゃあ先生、すぐに始めましょう。駆血してから、もう四時間程も経過しています。血行再建のゴールデンタイムは六時間程度です、壊死まで時間がない」


「くけつ……り、了解。では、始めます」


 ルーシーはギルバートの左腕の傷に両手をかざし、集中しようとした。


「待って下さい、先生。あなたは、浄化の魔法を使うことができますか?」


「え? 浄化? 使えるけれど」


「じゃあ、まず最初に浄化を行ってください。これから先も、怪我の治療をするときには常に」


 組織が再生されても後に感染が生じれば、それは重大な合併症を引き起こす。


「まず浄化、ですね。わかりました」


 おかしい。

 この隊長は、いったい何者なのだ。


 しかしルーシーは、何故かその言葉の中に、抗えない何かを感じてもいた。

 それはあるいは、彼女の治癒師としての勘であったのかもしれない。


 自分の口調がいつしか変わっていることにも、ルーシーは気付かなかった。


 彼女は改めてギルバートの傷に両手をかざすと、患部を凝視して集中し始めた。

 ヒューゴには、傷の周囲が数秒の間、わずかに薄い光を帯びたように見えた。


「浄化、終わりました。次は?」


「傷の上の方、そこの奥をよく見てください。わずかに血が出ている、白い管が見えますか?」


 ルーシーは目を細めて傷をのぞき込んだ。


「ええ、よく見えます」


「それは動脈といいます。その横のやや赤黒く太いのが、静脈。まずはこの二本を修復することができますか?」


「どうみゃくと、じょうみゃく。了解、やってみます」


 再び、彼女が集中を始める。


 ヒューゴは目を見張った。


 傷の近位と遠位から、それぞれの血管の断端がゆっくりと伸びていく。

 やがてそれらは中央で接すると、完全に連続した二本の管となった。


 やはりそうか。

 治癒師の魔法は、再生・組織新生ですら可能だ。

 いや、あるいはさらに……


 そして彼女らは、解剖学や病理学、細菌学などといった、基礎医学についての教育を受けていない。


 骨も、筋肉も、内臓も。

 細菌や、ウィルスも。

 そして、遺伝子も。


 すべて教えられていない。

 それらは恐らく、意図的に伏せられている。


 畜生。

 どいつもこいつも腐ってやがる。






「上出来です、先生。肩をしばっていた布を、外してみましょう」


 ルーシーは慌てた。


「え、だめ。出血が」


「血が大量に噴き出てくることは、もうないはずです」


 ヒューゴはギルバートの肩をきつくしばっていた布を、ゆっくりとほどき始める。

 彼の言うとおり、ギルバートの傷口は、その表面から多少の血液がにじんでくる程度であった。

 そして先ほど修復した動脈は、やや赤みを帯びて膨らみ、微弱な拍動を見せている。


「隊長さん、見て! 彼の指に赤みが」


 ルーシーが驚きと歓喜の入り混じった声を上げる。

 その目の当たりにしている現実を、ヒューゴは畏怖した。


 やはり凄いぜ、この治癒魔法ってやつは。

 攻撃魔法なんかよりも、はるかに危険すぎる。


 そんな内心をおくびにも出さず、ヒューゴはルーシーに先を促した。


「その調子です。次は、今再生させた管の内側にある、白い糸をやってみましょう」


「これは、何?」


 ルーシーは、もはや自分の興奮を隠しきれない。


「神経といいます。手首や指を動かす導線……操り糸と思ってもらえれば。今の要領でお願いします」


 こうしてルーシーはヒューゴに言われるがままに、血管、神経、骨、筋肉、皮膚の順に、再生を終えていった。


 ヒューゴは一息つくと、ギルバートの顔色と呼吸、脈拍を手早く確認する。


「よし。ギルバート、終わったぞ。おっと、目はまだ閉じたままだ。左手を、握ったり開いたりしてみてくれ」


 当のギルバートは、大胆にも寝入っていたようであった。

 自分の左腕がなくなるかもしれないという時に、まったく大した度胸だ。


「ふわあ。え、終わりましたかあ。それじゃあ。っと、動いてますか?」


 ギルバートの左の五指は、しっかりと把握動作を繰り返していた。


「隊長、なんか腕の感覚が全くないんですけれど。本当は、切断しちまったんじゃあないでしょうね」


 大男のギルバートが、泣きそうな声で訴える。


「大丈夫だ、いずれ戻る」


 ヒューゴは安堵のため息をつくと、苦笑しながら答えた。

 そして、キツネにつままれたような顔をしているルーシーの方へと向き直る。


「先生、感謝します」


 ヒューゴがそう言った途端、ルーシーは塹壕のすみにへたへたと座り込んでしまった。


「何よ、隊長さん。ひと眠りしたら、きっちり説明してもらうから」


 ルーシーはそう言って顔を赤らめながらそっぽを向くと、立てた両膝に顔をうずめるようにして、早くも静かな寝息を立て始めた。


「手術終了です。お疲れ様でした、治癒師殿」


 ヒューゴは彼女にそっと毛布を掛けてやると、分隊員たちが待つ一角へと、足音を忍ばせて立ち去っていった。


始めまして。第七独立分隊長の、ヒューゴだ。

みんなも治癒師殿の魔法、見てくれたかい?

まあ当のお嬢さんは、その真の凄さに気づいていないみたいだけれどな。

でもたとえ戦争中であっても、やはり患者が治るというのはうれしいもんだ。

そういうのも、ちょっと偽善者っぽいかも知れないけどね。

それでは、第三話「作戦会議」で。

次回は、俺の分隊員たちを紹介させてもらいたい。


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