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第一七話 無世界主義者

 街の大門の前は、混迷を極めていた。


 街から脱出しようとする人間の兵士と、それを包囲しようとするリザードマンの軍勢が入り乱れ、もはやどちらが優勢なのか、誰にもわからなくなっていた。


 カールがかかったセミロングの茶色い髪をひるがえしながら、女騎士が後ろ回し蹴りをリザードマンの腹部に叩き込む。

 数匹のリザードマンが巻き添えを食って倒れたことを確認して、グレース少佐は後方に叫んだ。


「第七独立分隊の射手殿、ここから街の中へ。援護します!」


 グレースは身を沈めてバスタードソードを旋回させ、更に数匹のリザードマンの足をなぎ払った。

 彼女の後ろから、デビッドとエリックが門の中へ滑り込む。


 すれ違いざまに、エリックがグレースに声をかけた。


「感謝します、少佐殿。お礼と言っては何ですが、王国に戻ったら、食事でもご一緒にいかがですか?」


 グレースは流れる汗もそのままに、エリックに微笑を返した。


「上官を食事に誘うなんて勇気がありますね、ハンサムな通信兵殿。期待せずに、待っていますよ」


 そして彼女は再び、敵の集団の中に飛び込んでいった。


 デビッドとエリックは街の中央の塔にたどり着くと、階段を上り始める。


「デビッド、さっきの聞いたか。グレース少佐、いかしてるよなあ。こいつは絶対、脈ありだぜ」


 相変わらず無表情のデビッドが、冷静な分析を返す。


「勘違いするな、あれはリップサービスだ。彼女は指揮官だ、部下の士気を鼓舞する術にたけている」


「ちぇっ。いつも水を差しやがるよ、お前という奴は」






 二人は扉を開け、塔の屋上に出た。


 ムーングロウの街はその大部分が炎に包まれ、灰燼に帰そうとしている。


「こいつはひどい」


 デビッドが、眉をひそめた。


 西の丘の頂上からは、いまだにファイアーボールが次から次へと射出されている。


「一体、どんなからくりで魔法を使ってやがる。『大陸』で確認されている魔導士って、せいぜい二十人前後じゃなかったか? それが全てあそこに集まっているなんて、あり得ないんだが」


 エリックは目の前の光景に、いまだに半信半疑だ。


 デビッドは、崩れた壁の間から西の丘が視認できる位置を見つけると、片膝をついた。

 背後からコンポジット・ボウを取り出すと、ブレーサーを左手に装着する。


「エリック。気温と風向き、風速は?」


「気温十九度、南東の風、風速三メートル」


 エリックは、空を見ながらつぶやいた。


 通信魔法は、大気や大地の状態にその伝達精度が左右されるため、彼ら通信兵は気温や風など自然環境の状態を感知する魔法を習得している。


「ラジャー」


 デビッドには、千八百二十二メートル先の西の丘の頂上が、はっきりと見えていた。


 強化、か。

 恐るべき能力だ。


 角膜と水晶体の形状を調節し、焦点を魔導士に合わせ、解像度を上げる。


「どうだ、デビッド。視認できたか?」


「ああ。茶色のローブの魔導士が、三……いや、四人。背後に、多数の木箱。何か赤い管のようなもので、魔導士と箱が接続されている」


「管? そいつが魔力を供給しているのか?」


「分からん。だが、それを確認する時間はない」


 奴らは、この距離から狙撃されるとは想像していまい。

 今見えている魔導士の姿は、幻影ではなく、恐らく実像だ。


 最初の一射で決まる。

 外せば、散開される。


 デビッドは、弓を構えて立ち上がった。

 矢筒からひときわ長い矢を取り出し、つがえる。


「魔装具『ヘビーバレル』、励起」


 彼の複合弓と矢が、金色の光を帯び始めた。


 矢の射線上に、やはり金色に輝く幾何学模様が、砲身のように組まれていく。


「……ワイプ・アウト!」


 臨界に達した弓型魔装具「ヘビーバレル」の先端から、直径五メートルはあろうかという極太の光の帯が放たれる。

 伸びた光柱は少しのタイムラグもなく、西の丘の頂上を正確になぎ払った。


 デビッドはその効果を確かめるまでもなく、静かにつぶやいた。


「ビンゴ」






 カウボーイ・ハットの道化師は、丘のふもとへと近づいてくる者の気配を、はるか離れた頂上に居ながらにして感知していた。


 雑な女の足音。

 あの治癒師か。

 とするともう一人、いけ好かないドクターもご一緒だろう。


 飛んで火にいる夏の虫だ。


 にやりと笑って山道を下りかけた瞬間、まばゆい光が彼の目を焼き、頭上を熱風が吹き抜けた。


「何っ!」


 さすがのドノヴァンも、完全に不意を突かれていた。


 踵を返して頂上へと戻った彼の目に映ったのは、焼け焦げて朽ちた数本の樹木と、木棺の残骸のみであった。


「くっ、貴重な魔導士を四人も。やりやがったな……!」






 ようやく丘のふもとに到着したヒューゴとルーシーは、突然頭上を通過した閃光に、一瞬視界を失った。

 目をしばたかせながら、ヒューゴがつぶやく。


「やったか、デビッド」


 間断なく続いていたファイア―ボールの連弾が、今では全く途絶えていた。


 全く予期せぬ出来事であったのだろう、ルーシーも隣で目を白黒させている。


「あー、びっくりした。あれも魔装具?」


「そうだ。さすがに連射は出来ないが、丘の上の敵は恐らく全滅だろう」


 それを聞いたルーシーは、安堵のため息をついた。


「そっか。じゃあ隊長さん、いったん野営地に戻る?」


 ヒューゴは無意識にあご髭を触りながら、数瞬考え込んだ。


 ファイアーボールを妨害できたのであれば、ひとまずの目的は達したといってよい。

 このまま戦力を分散させておくのは、確かに危険だ。


「そうだな。ウィルとハリソンに合流できなかったのは、気になるが……」


 その時、低い男の声が二人の会話に割って入った。


「てめえはここでくたばってもらうぜ、新米のユークロニアンさんよ」


 森の奥の暗がりから、ゆっくり歩み寄ってきたのは。


 長いぼさぼさの金髪に、三重のネックレス。

 どくろが彫られた銀のピアス。

 ぼろぼろにやぶれたシャツに、革製のスラックス。

 音もなく光る、腰のチェーン。


「久し振りだな、ルーシー」


 またしてもあの夜の光景が、ルーシーの脳裏にフラッシュバックする。


 年月を経てその顔つきにはやや渋みが加わっているが、蛇のようなその視線は、忘れようもない。


「無世界主義者さん!」


 奇矯な風体のその男は、やや拍子抜けしたように肩をすくめた。


「ちっ、まさか名前忘れちまったのか。ローガだよ、ロ・オ・ガ」


 ルーシーは、すまし顔で答えた。


「それって、自称だったじゃない。そんなんじゃ、すぐに忘れちゃうわよ」


 それは嘘だ。

 ルーシーの記憶力は、一度聞いた名前を決して忘れない。


 ローガは組んでいた腕を解くと、ゆっくりとあごをなでた。


「なるほど、美人にはなったな。だが、まだ経験が足りてねえようだな。ちったあ、成長しろよ」


「ん、ご挨拶ね。どういう意味よ」


「言っただろ。人を見る目を、もっと養えって」


 ローガは、ヒューゴの方へと鋭い視線を移した。


「ルーシー。その男はな、この世界に戦争をもたらすためにお前の前に現れたんだぜ。知ってたか?」






 え?

 隊長さんが、この世界に戦争をもたらす?


 何言ってるの、この人。


「馬鹿言わないで。私は戦争を止めるために、隊長さんと戦ってるのよ? 命の恩人だからって適当なこと言ってると、怒るわよ」


 ローガはひゅうと口笛を吹くと、ヒューゴをにらみつけた。


「おい。女の子をここまでだましといて、恥ずかしくねえのかよ。てめえ、ルーシーに全然話してねえな?」


 何? 何の話?


「いいか、ルーシー。お前が言ってるのは、『島』と『大陸』との戦争のことだろ? その男は、異世界同士の戦争を始めようってんだ」


 ルーシーは、息をのんだ。

 そして、それが訳もなく真実だと感じられた自分自身に、とまどいを隠せなかった。


 ローガには悪いけれど、異世界の存在については、すでに隊長さんに教えてもらっている。


 この「大陸」に存在する、異世界と戦うための軍隊を組織しているシーカーとやらを、壊滅させる。

 そうすることで、異世界との戦争をひとまずは回避できるはずだ、と隊長さんは言っていた。


 そして、クリスティンと出会ったいま。

 この人なら、異世界同士の戦争などという想像しにくい状況だけではなく、今の私たちにとってはより切実な「大陸」と「島」との戦争を回避する方法も、一緒に探してくれるかもしれない。

 そんな淡い期待すら、私は隊長さんに抱いてしまっている。


 そんな隊長さんが、戦争をもたらす?


 ルーシーの動揺を、ローガは気の毒そうに見つめる。


「どうだ、スケールの大きな話だろ? あの時お前さんが言ったように、男ってのは、どうしようもないガキばかりだ」


 何か。

 何か、反論しなきゃ。


「……意味が分からないわ。異世界と戦争をするために、どうして私が必要なのよ」


「異世界の存在ってのは、もう知っているんだな。じゃあ、分子遺伝医学、もう学んだか?」


「ぶんしいでんいがく。まだよ、それがどうしたのよ」


「いずれその男は、お前にそいつを教えるだろうさ。お前がいなきゃ、転生できねえからな」


 それまで一言も発しなかったヒューゴが、重々しく口を開いた。


「……その通りだ」


 ドクン。

 またしても、自分の鼓動が響く。


 隊長さんは、私が必要だ、って言った。


 なぜ。

 たぶん。

 だから。

 それでも。


 ルーシーは目を固く閉じると、首を激しく振った。


「いい、隊長さん! 言いたくないことは、言わなくていい! ローガ、誰があなたに再会したいなんて言った? いますぐに、ここから消えてよ!」


 ローガは、眉一つ動かさなかった。


「ああ、消えるさ。その男を消し去ってからな」


 そう言うと、ローガは無造作に右手を突き出した。

 それぞれの指にはめられた異形の指輪たちが、低くうなり出す。


「レイ・ク……」


 ローガが呪文をつむぎかけた、その時。


 ごおっ。

 彼の眼前で、一陣の風が巻き起こった。


 つむじ風の中から十字に組まれた鉄の棒がふわりと差し出され、ローガの腕を挟み砕こうとする。


「! アクトフェンサー!」


 瞬間、ローガの左腕全体が、鈍く光る金属でコーティングされた。

 迫りくる鉄棒をその腕で横に払うと、そのまま襲撃者に密着し、その顔面を砕こうとする。

 突き出したローガの銀色の左腕を、しかし相手は軸にして回転し、ジーンズをはいた細い脚でローガの胸に蹴りを放った。

 背中から真後ろに倒れ込むことで、かろうじて蹴りをかわすローガ。


「アルバレスタ!」


 今度は、ローガの右手指が緑色に輝きだす。

 後方転回して立ち上がりざま、ローガは相手が持っていた鉄棒を、輝く右手でつかんだ。

 棒が赤熱し始めたのを見た乱入者は、それを放り投げる。


 瞬間、限界まで熱膨張した鉄棒は二人の中央で爆散した。


 カウボーイ・ハットが爆風で飛ばないように抑えていたその男、ドノヴァンは、ひらりと飛び下がってローガと距離をとった。






 道化師ドノヴァンは、黒シャツに積もった砂ぼこりを、仰々しく丁寧に払った。


「肉弾戦が一番得意な魔導士って、そんなのありかよ。相変わらずでたらめだな、ウルフファング」


 ウルフファングと呼ばれたローガは、明らかにいらだっていた。


「……ドノヴァンか。お前の優先順位は、二番に格下げだ。この次に殺してやる、下がってろ」


「そうはいかないねえ。今の話、聞かせてもらったよ。いや、実に驚いた。その先生」


 ドノヴァンは、舌なめずりをした。

 その両目は、熱に浮かされたようにぎらぎらと輝いている。


「……また転生、できるんだ。つまり、ユークロニアで解析できた、ってことだな? これこそ、俺が長年待ち望んでいた情報だぜ。魔導士四人の命でも、充分釣りがくる」


 ローガは舌打ちした。

 口は災いの元、ってか。

 俺も随分と、おしゃべりになっちまったもんだ。


「そいつを知られちゃあ、なおさらそのあご髭野郎は生かしておけねえ。さっさと終わらせるぜ」


「だから、殺させねえって。俺が、そいつを手に入れるまではな」


 ドノヴァンはカウボーイ・ハットをかぶりなおすと、無事だったもう一本の鉄の棒をくるくると回転させた。


「仕方ねえ。じゃあ、お前が先だ」


 ローガはそう言うと、ルーシーをちらりと見た。


「ルーシー。お前には悪いが、その隊長とやらはあきらめな。この世界を守りたいんだったらな」


 そう言うと、ローガとドノヴァンは、じりじりと間合いを取りながら森の中に消えていく。

 やがて森の奥から電光が閃き、地鳴りがとぎれとぎれに響いてきた。


 うつむいたままのヒューゴの手を、誰かがとった。


「隊長さん、行くよ。とにかくここ、離れよ」


 ルーシーだった。

 彼女の手は優しく、そして温かかった。


 ヒューゴは思わず手を引こうとしたが、ルーシーは強く握って離さない。


「ルーシー、俺は」


 ルーシーは人差し指で、言いかけたヒューゴの唇をふさいだ。

 ライトブラウンの澄んだ瞳が、ヒューゴの瞳を映している。


「大丈夫。私の隣は、いつでも隊長さんに空けてあるわ。いまでも」


 遠くから、二人を呼ぶウィルの声が聞こえてきた。


……アイリスです。

この世界にも、異世界の影が落ちてきている。

でもそれは、永遠の輪廻の中の、ただの一要素に過ぎない。

状況をどう感じるか、あるいはどう折り合いをつけるかは、つまるところその人次第なのだから。

次回、第一八話「転生者たち」。

みんな、ただ覚えていないだけ。

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