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第一四話 進駐軍

 街道の向こう側に、わずかに砂煙が立つのが見えた。

 鼓笛隊を先頭にした隊列の上には、様々な色のペナントが風にひるがえっている。


 森の近くまで行進してきたその軍は、号令と共にヒューゴたちの前で停止した。


 一糸乱れず整列した重攻兵団の中央が左右に割れて、チェインメイルに身を包んだ一人の騎士が、ヒューゴたちに近づいてくる。


 ヒューゴは直立不動の姿勢で、王国式の敬礼を行った。


「第七独立分隊長、ヒューゴ・カケハシ軍曹です。到着、お待ちしておりました」


「先遣隊の任務、ご苦労でした。概要は、貴隊の通信兵殿よりあらかた聞いています」


 返ってきたのは、涼しげな女性の声。


 騎士は鉄製のサレット兜を脱ぐと、すらりとした腕で見事な敬礼を返した。


「第二海兵大隊長、グレース・ベネット少佐です。予定より遅くなりました、申し訳ありません」


 ややカールがかかったセミロングの茶色い髪。大きなヘーゼルの瞳。

 若い。

 ヒューゴよりも恐らく年下、ひょっとすると二十台かも知れない。

 身長はせいぜい百六十センチ程度、体格も一見きゃしゃな印象を与える。


「状況はどうなっているのでしょうか、少佐殿」


 ヒューゴの質問に、グレースは凛とした表情で答える。


「大隊を構成する六中隊のうち、ここにたどり着けたのは現状では四中隊、八百人ほどです。南西方面連隊の全体でも、半数の二千五百人ほどしか海岸線を突破できていません。沿岸の敵の防御陣、特にベヒモスとリザードマンが手ごわい」


 ヒューゴよりはるかに階級が上であるはずなのだが、その口調は柔らかく、部下に対する物腰も丁寧である。

 思慮深さや育ちの良さの表れでもあろうが、そのことはかえってヒューゴを緊張させた。


「ムーングロウの街の議長が、我々に会談を申し入れていると?」


 髪を振り払いながら、グレースがヒューゴにたずねる。


「はい。思慮深い人物との印象を受けました」


「街はすでに、武装解除されているのですね?」


「中には、わずかな数の衛兵が残っているだけです。住民の多くは、近隣の村々に疎開させたと」


 グレースは形のいい眉をひそめた。


「住民を疎開させた? 降伏するのであれば、街が戦場になることはないでしょうに。どのような意図なのでしょう?」


「議長の話では、街の食糧の貯えが乏しく、帰農による食糧確保のためと」


「……そうですか。海岸線の橋頭保の規模については、まだ十分ではありません。補給も滞りがちですので、街の備蓄には期待していたのですが」


 ヒューゴは、慎重に言葉を選びながら言った。


「拝見したところ軍令はよく守られているようですが、くれぐれも略奪などは」


 ヒューゴのその僭越ともとれる進言にも、グレースは気を悪くすることなく答えた。


「もちろんです。我々は、解放軍なのですよ? 補給については、本国も手は打っています。とにかく、議長と話をしましょう」


 グレースは整列した分隊員たちの顔を見渡していたが、ルーシーの前までくるとその視線を止めた。


 彼女はルーシーのチュニックの左肩に縫い付けられた「治癒師印章」を確認すると、優しく笑いかける。


「あなたが、分隊付きの治癒師殿ですね。通常は分隊に治癒師を編入することはないのですが、分隊長殿の強い要請で、今回は実験分隊として行動してもらっています。今後、その有用性が証明されることを期待しています」


「微力ながら尽くさせていただきます、少佐殿」


 ルーシーは、ぎこちなく敬礼を返した。


 隊長さん、治癒魔法の実戦での利用法については、上に報告していないんだ。


 彼女は、塹壕の中でのヒューゴとの会話を思い出していた。

 二人だけの秘密、か。


 グレースが隊列の中央に戻ると、やがて進軍の合図とともに大隊は街の方へと進み始めた。






 その翌日。

 分隊は、街の近くの森で野営を続けていた。


「おはようございます、デビッドさん。身体の調子はいかがですか?」


 ルーシーが、デビッドの寝ている天幕の外から声をかけた。

 彼はすでに目が覚めていたようで、すぐに返事が返ってくる。


「おはよう、治癒師殿。特に問題ない」


 中から出てきたデビッドは、すでに身なりを整え終わっていた。


「相変わらず朝が早いですね、デビッドさんは。私なんか、さっき起きたばかりで……」


 ルーシーのストレートの金髪には無残な寝ぐせがついており、その身なりも、インナーにマントを羽織っただけの見事な寝起き仕様だ。


 デビッドは苦笑した。

 これが、治癒師殿の唯一の弱点か。


「いや、治癒師殿も頑張っている。毎日俺たちのところを一人一人回っては、それをノートに記録しているのだろう?」


 ルーシーは、にっこりと笑った。


「隊長さんに乗せられて、派手な強化魔法とか使っちゃってますけれど、本来はこういう任務なんです。分隊員それぞれの体調を把握して、最高の状態で任務に送り出す。カウンセリングなんかも、しちゃいますよー。何か相談事、ありませんか?」


「……そうだな。何か面白い本を、紹介してくれないか」


 ルーシーは、デビットが片手に本を持っていることに気付いた。


「デビッドさんの趣味って、読書だったんだ……」


「意外だったか?」


「いいえ、全然。ただ、戦場に必要なものって、リアリズムっていうか。空想癖なんかあったら、敵を撃ったりするときなんかに、邪魔になりませんか?」


 ルーシーは、自分の空想癖を棚に上げてたずねた。

 微笑を浮かべてデビッドが答える。


「治癒師殿、それは逆だ。もちろん、撃たねばならない時は撃つ。だが、何のために撃つのか、誰のために撃つのか。そのことについては常に想像しておいた方がいい、と俺は思う。そうでなければ、そいつはただの殺人狂だ」


 デビットは少し目を細めると、まだ朝もやが残る森を見ながらつぶやいた。


「そして自分もまた、敵にとっては撃つべき相手である、ということも想像しておかなければならない。奴らだって、何かしらの戦う理由はあるのだから」


 戦う、理由。


「隊長さんが言ってました。この世界で戦争が起きているのは、意見の相違に過ぎないって」


「そうか、隊長が。その通りだ、戦争に善悪などありはしない。結局は、お互いの都合とコミュニケーション不足さ」


「なんだか、切ないですね。分かり合えない、って」


「そうさ。だから戦いの中にあっても、相手を理解しようとする努力は必要だ」


 みんな、いい人ばかりだな。


 ルーシーは、この分隊に編入されためぐりあわせに感謝した。


「大変参考になりました、デビッドさん。ちなみに好みの本のジャンル、教えて欲しいんですけれど」


「ふむ。今読んでいるのは、『今宵、伯爵夫人にお休みを』というやつだが」


「え、ふ、夫人?」


 ルーシーは、目を白黒させた。


「いわゆる禁断の恋、不倫ものだな。最近同じようなものが粗製乱造されて、食傷気味なのだが。何かおすすめがあるかな?」


 おいおいおい。

 あれだけいい話をしときながら。


「ふ、不倫。あ、あはは……本国に戻ったら、探しときますねー」


 彼女はそそくさと退散しながらつぶやいた。


「『亀の迷路実験における知能アルゴリズム』なんか勧めなくて、本当に良かった……」






「戒厳令」


 ヒューゴが、苦々しげに言った。


 エリックの報告によると、進駐した王国軍は街を戒厳令下におき、議長と守備兵は一か所に集められて軟禁されているという。


「まあ、つい先日まで敵の勢力下にあった街ですからね。おまけに、怪物たちは仲間だって主張してるんですから。グレース少佐だから軟禁で済んだんじゃないですか、下手すりゃ処刑されてる」


 エリックが例のごとく首を振りながら答える。


「イッチェル議長には、面会できそうにないな」


「重要参考人ですから。おそらく、本国に護送されることになるんじゃないですかね」


「和平交渉とは、程遠いな」


 マシュー副長が、ヒューゴにたずねた。


「隊長、私たちはどうします?」


「当面は、待機だな。第二海兵大隊自体が、立て直しにしばらく時間を必要としている。街を固めながら後続を待って、進撃再開というところだろう」


「後続、ですか。かなり苦戦している方面もあるようですが」


 エリックの情報によると、海岸線から船で本国へ撤退しようとした部隊すらあるらしい。

 士気に関わることでもあるので情報統制されている様だが、どだい完全に秘匿することなどできるはずもない。


「そうだな。孤立すると、厄介なことになるが」


 ヒューゴは眉をひそめた。


「ところで、ヒューゴさん。どうして僕たちは、街の外で野営なんですか?」


 と、ウィルが素朴な疑問を口にした。


「うーん。何というか、本隊と距離を置いておきたいというのか。すまん、特に根拠はないんだ。グレース少佐は、悪い人ではないと思うんだが」


 ヒューゴは頭をかきながら、困ったように答えた。

 赤毛のギルバートが、陽気に言う。


「なあに、かまわないですよ。街の中、あまり食糧がないんでしょう? 森の方が、よほど食い扶持には困らない」


「そうだな。デビッド、狩りばかりですまないが」


 射手のデビッドが、矢筒を確認しながら答える。


「いえ、隊長。むしろこれが、人間らしい生活というものでしょう」


 その時、森の小道から女性の声が聞こえた。


「今日は、狩りには及ばないですよ。少ないですが、いくらか食糧を運んできました」


 噂をすれば何とやら、笑顔とともに現れたのはくだんのグレース少佐だった。






「少佐殿、どうしてこのようなところに」


 狼狽するヒューゴに、


「私も、時々距離を置きたいことがあるのですよ。立場上、困難なことも多いのですが」


 と、グレースはいたずらっぽい微笑を含んで答えた。


 やはりチェインメイルを着込んではいるが、快活な印象は、初対面のそれとはまるで違っていた。


「悪い人ではないという評価、ありがとうございます。ですが、ただのいい人では少佐にはなれません」


 さっきの会話、聞かれていたのか。

 ヒューゴは赤面した。


「このようなところに、少ない護衛で。危険すぎます」


「自分で言うのもなんですけれど、私はかなり強いですよ」


 グレースは笑って胸を張った。


「……食糧の配給、ありがとうございます。ですが、大隊もかなり苦しいのでは?」


「ええ。ここだけの話ですが、我が大隊は、退却も視野に入れています」


 グレースは、なにげに重要なことをさらりと伝えた。


「え? ようやく街に達したというのに。何ゆえです?」


「恐らく、これは罠です。無血開城であるのに、街に残った人間も、そして食料も少ない。おそらく、補給線の伸び切った我が隊を、機会をみて殲滅する計略と考えます」


 ヒューゴは、白髪の議長の顔を思い出していた。


「街の人たちを疎開させたのは、イッチェル議長です。彼が、内通していたと?」


「いえ。昨日面会しましたが、あなたの話の通り、彼自身は実直で慈悲深い人物に見えました。しかし疎開の件については、恐らくシーカーの入れ知恵と思われます」


「しかし、わざわざ防御力の高い街に軍隊を引き入れる必要がありますか? 我々に籠城された方が、よほど厄介でしょうに」


 グレースは額に指をあてて、やや考え込んだ。


「それについては、私も疑問に思っております。しかし早いうちに、ムーングロウの街を離れた方が良い気がしているのです。これは、単なる勘にすぎませんが」


 ヒューゴも漠然とした不安を感じた。

 何かがおかしい。


「ところで、少佐。イッチェル議長は、怪物の件については話していませんでしたか?」


「ええ。『大陸』の人間と怪物たちが、共生しているという件ですね」


「どう思います?」


 グレースは、ヒューゴの顔を探るように見た。


「ヒューゴ軍曹。これも私の勘ですが、あなたは何か重大な使命を抱えているようですね。軍とは関係なく。ああ、そんなに警戒しないでください。だからこそ、あなたは信頼できる」


「……続けてください」


「議長は、『大陸』と『島』との間に、誤解があると言いました。これまで我々『島』の人間は、怪物を倒して『大陸』の人間を解放する、と信じていました。一方、『大陸』の人間は、共存している怪物たちを殺戮しようとする『島』からの侵略者を駆逐する、と信じています。ここまでは、いいですね?」


「ええ」


「さて、怪物。いえ、この言い方はあまり適してはいないかもしれませんね。魔物、と呼びましょうか。個人的な意見ではありますが、私は少なくとも、害のない魔物たちを好んで絶滅させたいとは思わない。あなたたちもそうですか?」


 ルーシーは再び人狼の少女クリスティンの事を思い出し、おもわず割って入った。


「もちろんです、少佐殿。軍の上層部に少佐殿のような考え方の人が多ければ、心強いのですが」


 グレースはルーシーをやさしく見つめたが、やがて首を横に振った。


「我が王国は、真実を知ったとしても、やはり魔物を絶滅させようとするでしょう。人間のための世界を作るのが、恐らくその国是だからです。そしてその人間同士ですらを管理するための、身分制度なども採用してしまっています」


 ウィル少年は、ハリソンを盗み見た。

 総髪の重装兵の表情は、仮面のように冷たい。


「それにシーカーとやらも、我々『島』の政府をつぶしたいようです。これは、何故だかわかりませんが。しかし、シーカーがいまだに我々に接触してこないのが、その意思の表れだといえます。停戦など、最初から考えていないのでしょう」


「そんな……」


「つまり、我々の王国とシーカーは、誤解でもなんでもなく、それぞれの状況を理解したうえで戦っていると考えられます。だから、和平交渉はあり得ない」


 一同を、重苦しい沈黙が支配した。


「それでは少佐殿。我々は、どうしたらよいのでしょう」


 グレースは、ヒューゴを静かに見つめた。


「先ほどお話しした通りです。退却します。全滅する前に」


お嬢さん方、ご無沙汰。分隊の貴公子、エリックだ。

それにしても大隊長殿が女性だとは聞いていたが、ちょっと驚きだぜ。

あんなに美人で細身なのに、戦闘の実力はすごいらしいときてる。

まあきれいな女性なら、守るのも守ってもらうのも、どちらも大歓迎だな。

それじゃ、第一五話「シンクロニシティ」で。

やっぱり魅力的な上司がいると、働き甲斐があるってもんだ。

いや、別に分隊長殿に不満はないぜ?

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