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第一三話 道化師

 ヒューゴたちが郊外の森にある野営地に戻ったときには、すでに太陽が西に沈みかけていた。

 春の終わりの夕暮れ時、風はまだ涼しさを含んでいる。


 ヒューゴは分隊員たちを集めると、イッチェル議長との交渉のいきさつについて、かいつまんで説明した。


 一部始終を聞いたマシュー副長は、思案気に言った。


「……これは驚きですね。正直、我々の分隊だけで判断するには、手に余りすぎる」


「しかし相手が攻撃してくるのであれば、反撃しなければやられちまいます。俺たちのこと、侵略者だって思っているんでしょう?」


 苦渋の色を浮かべたのは、赤毛の巨漢ギルバートだ。


 と、それまで黙っていたアイリスが、いつもの無表情でヒューゴに意見を述べた。


「隊長。とりあえずは、専守防衛、ということでよろしいのではないでしょうか。怪物の軍勢がこの街から退却したという情報は、我々の偵察でも裏付けられています。今後の方針については、本隊の到着を待ってから決めても遅くはないかと」


 それを聞いたエリックが、にやりと笑って言った。


「おいおい、アイリス。俺たちは軍隊だぜ。方針を決めるのは、お偉方だろう?」


「違うな。方針を決めるのは、隊長だ。少なくとも私個人においては。お前もなんだかんだ言いつつ、同じなのだろう?」


 見透かしたように、アイリスはすまし顔で答える。

 分隊員たちはアイリスの言葉に、異口同音にうなずいた。


 ヒューゴはそれを、あわててさえぎった。


「ちょっと待ってくれ、お前たち。もし俺が、怪物を攻撃せよという軍の命令を無視したらどうする? みんなまとめて、反逆者になるつもりか?」


 ウィル少年は、迷うことなく答えた。


「僕は、ヒューゴさんについていきます。今までもそうでしたし、これからも、きっとそうです」


 ウィルの顔は、憂いを含んでいた。


「そうでなければ、僕が今やっていることは、何なのかという話になります。昨日だって、僕は何十ものゴブリンを殺した……」


 その言葉を聞いた分隊員たちは、それぞれの思いに沈んだ。


 ヒューゴは、厳しい顔でウィルを見た。


「ウィル。お前は俺の私兵じゃない。今の俺たちの任務が、ひいては王国それ自体が果たして正しいのか、それは俺にすらわからない。だからお前には、自分自身の考えで、物事を決めて欲しいんだ」


 ヒューゴは、分隊員たちをぐるりと見まわした。


「お前たちも同じだ。俺はこれまで、多くの過ちを繰り返してきた。今だって、確かにそうなんだ。だから」


 ヒューゴの言葉を、ルーシーがぴしゃりとさえぎった。


「だったら、私たちに相談してよ。一人でかかえこまないで」


 彼女は腰に両手を当てて胸を張り、怒ったようにヒューゴをにらみつけている。


「隊長だからってすべて自分一人で決める必要、ないじゃない。男の人たちは鈍感で頼りないけれど、私とアイリスさんは頭がいいし、おまけに美人よ。相談相手として、不足だとは言わせないわ」


 ルーシーの言葉に、一同はきょとんとした。


 やがてアイリスがくっくと笑いだすと、それを引き金に一同は大爆笑の渦となった。

 無口なデビッドまでが、ひさしの下で笑いをこらえている。


 マシューも腕を組むと、笑顔でうなずいた。


「そうですね、隊長。判断するのは、もう少し状況を見極めてからにしましょう。やれやれ、腹がすいてくると、気持ちが性急になっていけませんね」


 そういうと、マシューは隊員たちを振り返った。


「そういうわけだ。各自、今夜の夕食の準備にかかるぞ。今日は、ニジマスが大漁だったからな。治癒師殿、作戦指示を」


「了解しました、副長殿。キノコと一緒に包み焼きなんて、いかがでしょう」


「結構ですな。聞いたか、みんな。すみやかに作戦開始だ」


 副長の合図で、分隊員たちはめいめいの配置につき始めた。


 一言も口を挟めなかったヒューゴは、あっけにとられて立ち尽くしている。

 その彼の腕を、ルーシーがとった。


「ほら、隊長さん。一緒にニジマスの下ごしらえ、しよ」


 そして彼女はヒューゴを、マシューが釣ってきた魚の山の方へと強引に引っ張っていった。






 夕食の後、ヒューゴは一人で川沿いの小道を歩いていた。

 夜風に吹かれると、様々なことが頭をよぎっていく。


 二つの世界。

 転生。

 治癒師。

 そして、人質。


 と、後ろから駆けてくる足音が聞こえてきた。

 ショートソードに手をかけたのもつかの間、


「隊長さん。私を、そう簡単に切れるかしら?」


 と、笑みを含んだ声が聞こえてきた。


「なんだ、ルーシーか。夜の一人歩きは危ないぞ」


「じゃあ、二人で歩こ」


 そういうと、横に並んで歩調をヒューゴに合わせる。


「解剖学の勉強は、明日でいいか?」


「え。借りたノート、全部暗記したわよ」


 化け物か。


「参ったな。怪我の治療に関しちゃあ、もう一人でも十分じゃないのか? 今度は分子遺伝医学と生物情報科学でもやるか」


 ルーシーは、笑顔とウィンクでそれに答えた。


「いつでもオーケーよ。タイトルだけじゃ、想像つかないけれどね」


 昨日よりも少しだけ欠けた月は、それでも二人が歩く小道を、明るく照らし出している。


 ヒューゴは前を向いたまま、口を開いた。


「さっきは、ありがとう」


「え?」


「俺、優柔不断なところがあるからな。自分でも、わかっちゃあいるんだが」


 ルーシーは、素直に驚いた。

 隊長さん、私にこんなこと、話してくれるんだ。


「もう、何言ってるのよ。私たち、えっと、仲間じゃない。あせることないって、副長さんも言ってたわ。とりあえず、今できること、しよ」


「……そうだな」


 ヒューゴの微笑を横目で見たルーシーは、自然自分も笑みがこぼれるのを感じた。


「ところで、ルーシー。俺に、いろいろと訊きたいことがあるんじゃないのか?」


「ん。まあ、ね」


 ルーシーは唇に手を当てて考える仕草をしたが、


「とりあえず、一つ。隊長さん、元の世界では何をしてたの?」


「医師、だ」


「いし。えっと、何かな」


「君と同じだよ。怪我をしたり病に倒れた人たちを、治療する仕事さ」


 ルーシーは、ヒューゴをまじまじと見た。


「え。じゃあ、隊長さんも治癒魔法が使えたの?」


「いや。俺の世界には、治癒魔法は存在しない」


「魔法なしで治せるの? すごいんだ……」


「お互いの世界に、存在しているものと存在していないものがある。当たり前だが、だからこそお互いの常識が通用しない。俺には、君の治癒魔法の方が大きな驚きだよ」


 ふうん、とルーシー。


「じゃあ、二つの世界の技術が合わされば、もっとすごいことができるんじゃない?」







 そこまでルーシーが言った時。


「そうさ。人は、それをシンクロニシティと呼ぶ」


 突然かけられた男の声に、二人は総毛だった。


 小道の前方にある大木に寄りかかって、腕を組んでいる人影がある。


 こいつ。

 全く、気配を感じさせなかった。


 男はゆらりと体を起こすと、小道の真ん中に立つ。

 月を背にした顔はよく見えないが、その男は確かにカウボーイ・ハットをかぶっていた。


「あ、あ……」


 ヒューゴは、ぎくっとしてルーシーを見た。

 おおよそ物事に動じない彼女が、真っ青になっている。


「初めまして、あごひげの先生。俺はドノヴァン、道化師だ」


 黒いシャツに白いネッカチーフ、そして何より、ジーンズ。


 ドノヴァンはヒューゴの視線を感じたのか、


「あ、これかい? ジーンズは、俺たちの世界の製法そのままだ。先生も一本、どう?」


 と、おどけて見せた。


「俺たちの世界。お前、転生者か」


「この世界では、俺たちの世界からの転生者は、ユークロニアンと呼ばれてる。ユークロニアからの転生者だから、ユークロニアン」


「ユークロニア……時間の止まったユートピア。俺たちの世界は、そう呼ばれているのか」


「まあ、技術の袋小路だったからね。言い得て妙さ」


 ルーシーは唇をかんだまま、ドノヴァンをにらみ続けている。


「……何しに来たのよ、あんた」


 ドノバンはひさしの下からルーシーにちらっと視線を送ると、唇の端を吊り上げた。


「お嬢さん、ご無沙汰。あれから十一年か。立派な治癒師に成長したようだな。昔みたいに君を迎えに来た、と言いたいところだが、今日はそちらの先生に用がある」


 先生、と呼ぶドノヴァンの声の中に、ヒューゴはあざけりを感じた。

 以前のルーシーとの会話を思い出しながら、低い声で言葉を返す。


「俺を先生と呼ぶな。その呼び名は、好きじゃない」


「でも、ドクターだったんだろ? 隠すなって。この世界の治癒師に強化魔法なんかを教えることができるのは、ユークロニアの医師だけだからな」


 男が、カウボーイハットのひさしを上げた。

 月がその横顔を照らす。


 面長の、精悍な顔つきの男だ。

 年のころはヒューゴと同じく、三十台半ばといったところか。


「俺に何の用だ」


「決まってるだろ、スカウトさ。先生はただのユークロニアンじゃない、スペシャルだ。記憶もち、って意味だが」


「……スカウトだと。お前、シーカーの一員か」


「おっと、その名前を知ってるとはねえ。ご名答。そしてこの世界のスペシャルは、そのほとんどが俺たちシーカーに属している。なぜだか、わかるよな?」


「持って回った言い方はやめろ」


 ドノヴァンは、両手を上げてヒューゴを制した。


「そう、けんか腰になりなさんなって。先生も、この世界に転生した時から気付いているんだろ? 俺たちはもう、元の世界に戻ることはできない」


「どうかな。もう一度死んでみたら、戻れるかもしれないぞ。今ここで試してみるか?」


「面白い冗談だ。先生もひょっとしたら、聞いたことがあるんじゃないか? 俺たちの今の身体がユークロニアに転生できるDNA情報を持っている確率は、限りなく低い。さらに記憶継承に必要なパスワードRNAまでそろっている確率は、言わずもがなだ。ユークロニアでの俺たちの身体に、この世界のDNA情報と記憶継承用のパスワードRNAがそろっていたのは、奇跡に近かったんだよ。だから、スペシャルなのさ」


 ヒューゴは、表情を変えずに言った。

 こいつは俺がどこまで知っているか、かまをかけている。


「……何を言っているのか、わからないな」


「ふーん。まあ、いいさ。とにかく、元の世界に戻れないんだったら、この世界が俺たちの終のすみかだ。だったら、この世界を最強にするしかない。いずれこの世界は、ユークロニアも含めた他の世界と衝突する。食わなければ、食われる」


 ヒューゴは、心の中で少し安堵した。


 今の発言は重要だ。

 こいつはどうやら、まだ手に入れていないらしい。


「それで。俺なんかが、役に立つかな?」


「もちろんさ。先生もそこのお嬢ちゃんで、試してみたろ? この世界の治癒魔法と先生の医学知識、相性バツグンなのさ」


 ルーシーで、試す。

 ずきん、と心がうずく。


「話は大体わかった。お前さんは、この世界では正義の味方ってわけだ」


 ヒューゴは口の端でふっと笑うと、ドノヴァンに言い放った。


「断る」


 その返事にドノヴァンは驚いてみせたが、あるいはそれは、半ば予想していた返答であったのかも知れない。


「……冗談。先生も、ユークロニアの連中がどれだけ傲慢な奴らか、知ってるだろ? 奴らはいずれ必ず、転生のメカニズムを解明し、この世界に軍隊を送ってくる。奴らからこの世界を守ることができるのは、俺たちだけなんだぜ」


 それは確かにそうだ。

 俺をこの世界に送り込んだ奴らは、最低のゴミ野郎どもだ。


 だが、こいつは信用できない。


「ドノヴァンとかいったか? お前、何か隠してることがあるんじゃないのか? あえて聞いてやるが、じゃあお前たちは、どうやってこの世界を最強にするつもりなんだ?」


「この世界のあらゆる生物を、強化するのさ。いろいろな方法でね。この『大陸』で二千年前から行われてきた、伝統的な手法さ」


 二千年前から。

 まさか。


「気に入らないな。おおよそ、人道的とも、倫理的とも思えないが」


 それを聞いたドノヴァンは、さもおかしそうに笑った。


「先生はユークロニアでは、さぞかしいいドクターだったんだろうねえ。人道、倫理。でもそんなもの、異世界の争いの中では、何の価値もないんだよなあ」


 ヒューゴは、背に装着したヒーターシールド型魔装具「S・D・I」を、ゆっくりと外しながら言った。


「交渉決裂だ、道化師。価値観の相違、ってやつかな」


 ドノヴァンも、ジーンズの後ろのポケットから二本の鉄棒を取り出した。


「そう? 考え直してもらえないかなあ」


 二人の間に緊張が走る。


 そこへルーシーが、ヒューゴの前にずいっと出てきた。


「振られちゃったようね、ピエロさん。しつこい男は嫌われるわよ」


 ドノヴァンは、ルーシーに目を向けた。


「じゃあ、お嬢さんだけでもどうかな? 君の力で、この世界を救ってみないかい?」


「おあいにく様。ナンパなら、間に合ってるわ」


 そいつは嘘だろう、とヒューゴは考えたが、もちろん口には出さなかった。

 ルーシーをナンパするなんて、命知らずな。


 ドノヴァンは薄ら笑いを浮かべると、二本の鉄棒をジーンズの後ろポケットに突っ込んだ。


「わかったよ。今日はひとまず退散するけれど」


 ふわりと背を向けると、カウボーイ・ハットを深くかぶり直す。


「俺の言ったこと、考えておいてよ。スペシャルを殺しちゃうのは、あまりに惜しいし」


 そして小道を歩いて去りかけたが、ふと足を止めた。


「そうそう、お嬢さん。再会できたお祝いに、一ついいこと教えてあげるよ」


「何」


「君のご両親ね、生きてるよ。俺たちが保護してる」


 ルーシーは表情を変えまいと努力したが、驚きと怒りがそれを上回った。

 こいつら。

 どこまでも、馬鹿にして。


「……言い方間違えないでよね。保護じゃなくて、拉致でしょ」


「俺たち的には、保護なんだけどなあ。それとも、保管、かな。それじゃあまた、お二人さん」


 そういうと道化師は、かき消すように姿を消した。


 ヒューゴは、小刻みに震えているルーシーの肩をぐっと抱きよせる。


 月はただ静かに、残された二人を青白く照らしていた。


こんにちは、副長のマシューです。

魔物が敵とは必ずしも言えないという隊長の話、驚きでした。

これからの戦いがどうなるのか、やや不安なところです。

こんな時は釣りでもして、心を静めるに限りますね。

それでは、第一四話「進駐軍」で。

ようやく、わが王国軍の本隊の到着です。

大隊長はかなりの切れ者だと聞いていますが、さて。


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