第十話 それぞれの夜
「隊長さんがこの世界に来たのは、偶然?」
頭の回転が速いルーシーの事だ、とっくに答えはわかっているだろう。
記憶を持ったまま「異世界」に転生してきて、しかも自分の世界と敵対している「機関」を壊滅させようなどと、偶然であるはずがない。
当然、ヒューゴは彼の世界から送り込まれた工作員だと、疑念を持たれているはずだ。
彼の本当の任務が、たとえそうではなかったにせよ。
彼は、なぜか彼女に嘘をつけなかった。
「……いや、偶然じゃない。俺は、この世界に転生することを自分で選んだ」
さらに詰問されると身構えていたヒューゴは、しかし予想を裏切られた。
「答えてくれてありがとう、隊長さん。いろいろ訊いちゃって、ごめんなさい」
ルーシーはあっさりと立ち上がると、大きく背伸びをする。
「とにかく、その『機関』がなくなれば、『異世界』との戦争を回避できる可能性があるのね?」
「当面は、そうかもしれない」
それは、事実ではある。
それを聞いたルーシーは後ろ手を組むと、あっけらかんと言った。
「じゃあ、隊長さん。私はその『機関』と戦うわ。正直、王国なんかどうでもいいけれど」
忍び寄る夜気に、ルーシーはマントをそっとかき合わせる。
「戦争は、止めなきゃね」
ヒューゴは言葉に詰まった。
戦争を止めるために戦う、とルーシーは言った。
俺は、いつまで彼女を裏切り続けるつもりだ?
「……俺がこの世界に転生した目的は、訊かないのか?」
「私の隣は、いつでも空けてあるわ。人生相談なら、随時受付中よ」
ルーシーはヒューゴにおやすみの挨拶をすると、自分の天幕へと向かった。
隊長さん、悩んでる。
自分の世界と私たちの世界との、争いのこと。
でも、それだけじゃない。
「私」の事で悩んでる。
それが何故だか、わからないけれど。
打ち明けてはくれないんだ。
隊長さんの、馬鹿。
「ウィル。額の傷は、もういいのか?」
重攻兵のハリソンが食器を片付けながら、かたわらの少年兵にたずねた。
「大丈夫です。ルーシーさんに治してもらいましたから」
ハリソンは顔を近づけると、ウィルの額をしげしげと観察する。
「そうは言っても、わずかに傷跡が残っているぞ。本当に彼女、凄腕の治癒師なのか?」
ウィルはわずかに顔を赤らめたが、ハリソンは気付かなかったようだ。
その代わりにハリソンは、別の傷を目ざとく見つける。
「右の袖、ほころびているな。貸してみろ」
ハリソンは食器を置くと、自分のバックパックからソーイングセットを取り出した。
糸を針穴に器用に通すと、少し裂けたウィルの袖を縫い始める。
ものの数分で、少年の服は元通りに仕上がった。
「凄いですね、ハリソンさん。あんな大剣を使うのに、こんな細かいことまで出来ちゃうなんて」
ハリソンは再び食器を片付けながら、川面につぶやく。
「俺は奴隷だったからな。どんなことでも、自分でやらなきゃならなかった」
一通り片づけ終わると、ウィルの方を振り向いて苦く笑う。
「ウィル、お前はいい奴だな。代々奴隷の家系の俺にも、分けへだてなく話してくれる」
それを聞いたウィルは動かしていた手を止めると、改まった口調で言った。
「ハリソンさん。それ、やめませんか」
ハリソンは不意打ちを食らったように、その青い瞳を大きく開いた。
「僕には、奴隷のつらさはわかりません。だけど、ハリソンさんのご家族は、そんな中でもお互いに支え合ってきたはずです。そして今、こうしてあなたは僕たちと共に戦ってくれている。僕は、僕たちは、ハリソンさんのご両親に感謝しなければならない。だから」
ウィルは怒ったように言った。
「ご両親を、ご家族を、誇りに思ってください。何より、自分を哀れまないでください」
ウィルは、ハリソンを見てはいなかった。
もっと遠くの、失ったものや得られなかったもの、知ることのなかったもの。
彼が普通の十五歳とはさぞ異なる人生を歩いてきたのだろうということが、ハリソンにもはっきりと想像できた。
「……すまなかった」
「ごめんなさい、生意気言って。でも僕、両親の顔も知らなくて。ハリソンさんがうらやましいんです、きっと」
あはは、と笑うウィル。
ハリソンは、自分を恥じた。
ウィルに、言いたくないことまで言わせてしまった。
「みんな、今の王国の体制が良いとは、決して思っていません。たった九人で何ができるかわかりませんが、この戦いが終わったら、きっとヒューゴさんや分隊のみんなも、奴隷のいない国づくりに協力してくれます。だから」
ハリソンは、ウィルの言葉をやさしくさえぎった。
「ありがとう、ウィル。正直、俺は迷っている。どうすれば、世界をより善くできるのか。だが、お前の今の言葉は決して忘れない」
ウィルは茶色の前髪をかき上げると、うれしそうにうなずいた。
初夏の夜風が、彼らを包むように舞った。
「デビッド、邪魔するぜ」
「……ギルバートか」
射手のデビッドの天幕に入ってきたのは、赤毛の重攻兵だった。
白い歯を見せてにかっと笑うと、右手に抱えた数匹の焼き魚を眼前に掲げて見せる。
「副長が釣ってきたヤマメを、焼いてみた。一つどうだ?」
「頂こう」
二人はあぐらをかくと、串に刺さった焼き魚を黙ってかじり始めた。
すぐに、ギルバートが物足りないような声を漏らす。
「ん。少し、塩が足りないか?」
それを聞いたデビッドは、自分のバックパックから何やら取り出した。
「山椒をかけると、うまい」
「ほう、どれどれ」
手渡された粉末を焼き魚にふりかけて一口かじったギルバートは、感嘆の声を上げた。
「こいつはすげえ。これからは飯については、お前さんに相談させてもらうか」
「どうして、治癒師殿の料理の腕もなかなかのものだぞ」
ルーシーの話題が出たところで、ギルバートが口を開いた。
「やっぱり、あの先生の魔法、驚きだなあ。脚を強化できるってことは、俺やハリソンの腕も強化できるってことだぜ。これが、どういう意味を持つか」
デビッドは宙をにらみながら、言葉を継いだ。
「治癒師殿もそうだが、やはり隊長だ。俺たちの隊長は、どうしてあんな作戦を考え付く? そもそも、治癒師を分隊に組み込むことを上層部に提案したのも、その隊長自身だと聞いているが」
「ヒューゴ分隊長って、以前は何を?」
「一年ほど前の、前回の上陸作戦に参加したようだ。『大陸』で負傷して回収され、帰還後はしばらく療養。その後、復員したと」
「ふむ。取り立てて、治癒魔法との接点はねえってか」
「そうだな。だがその一年の間に、隊長の中で何かが変わったことは間違いない」
少しの沈黙の後、ギルバートが口をひらいた。
「わからないな。だがな、デビッド。俺はあの隊長を信頼してる。それにどこか、放っておけないんだよなあ」
デビットも、まれにしか見せない微笑を浮かべながらうなずいた。
「そうだな。俺たちが守ってやらなければ、治癒師殿やエリックにやられっぱなしだからな」
それを聞いたギルバートは大笑いすると、まだ湯気の立つ焼魚を再びかじり始めた。
古城の大広間では、長いテーブルを囲んでの会食が行われていた。
グラスを持ち上げながら口を開いたのは、あの深紅の女魔導士、クゥシンである。
「治癒師を確保できなかったことは申し訳ありません、代表。ちょっと強情な娘でしたので」
代表と呼ばれたのは、白いローブをまとった初老の男である。
やや白髪の混じった黒髪は、後ろにきれいに撫でつけられている。
とがった顎がやや峻厳な印象を与えるが、それは決して頑迷さを意味してはいない。
ローブの男は遠い目をして考えていたが、やがて思い出したように言った。
「そういえば、強情そうな子だった。その治癒師の娘は、確かにルーシーと呼ばれていたのだな?」
クゥシンは、形の良い唇を軽く尖らせて見せた。
「あら、代表。お知り合いだったんですか? お人が悪い」
「いや。君から名前を聞いて、ようやく思い出したのだよ。なあ、ドノヴァン」
テーブルの向こうで脚を組んでうつむいていた別の男に、白いローブの男が呼び掛けた。
カウボーイ・ハットを深くかぶったその男の口元が、少しほころぶ。
「ゆっくりと話は出来なかったけれど、あの時俺たちをにらんだ目は、怖かったねえ」
「十一年前か。歳は、取りたくないものだな」
二人の話にクゥシンが口を挟んだ。
「思い出に浸っていらっしゃる中恐縮ですが、私、治癒師よりはるかに面白い人物を見つけたように思います」
優雅にフォークとナイフを使っていた、戦斧と漆黒の鎧の男デュカキスが、初めて顔を上げた。
「いったい誰の事かな? 君がやられかけた、あの銀髪のレディか?」
「彼女は彼女で気になる存在だけれど、別にもう一人。彼らの分隊の、恐らく隊長と思われる男よ」
代表と呼ばれている男は、その話に興味を持ったようだった。
「ほう。今の我々に、治癒師より重要視しなければならない存在があるかね?」
「その男は私が構えたライフルを見て、射線から逃げるように指示していました。つまり」
クゥシンは一呼吸おいて、続けた。
「あれがライフルであるということ、そしてそれがどういう用途で使用するものであるかということを、知っている」
一同をしばらく沈黙が覆った。
それを破ったのは、デュカキスだった。
「……それじゃあクゥシン。あの分隊の隊長は、ユークロニアンだと?」
「しかも、スペシャル。そうだとしか思えないわ」
カウボーイ・ハットの男ドノヴァンは、帽子のひさしをくいっと上げた。
「なんだ。じゃあ、俺たちと戦う理由はねえな。この世界に来てからまだ日が浅くて、何も知らないのかも。事情を話せば、仲間になってくれるんじゃ?」
軽い調子で話す彼を、白いローブの男がたしなめた。
「まだ判断するのは早計だ。万が一、我々のことを知った上で、あえて敵対しているのだとしたら」
デュカキスは動かしていたフォークを止めると、笑って答えた。
「代表。あなたは、我々がこの世界に転生した際にも、同じ危惧を抱かれていたはずです。しかし結局我々はそうではなかったし、この二千年間、そのようなものは一人も現れていない」
代表と呼ばれている男は、その言葉を聞いても眉をひそめたままであった。
「いままでそうではなかったから、この男もそうではないと、一体誰が言えるかね? 歴史が動く瞬間というものは、おおよそ誰にも気付かれることがないものだ」
クゥシンが、凛とした表情で答えた。
「代表のおっしゃる通りです。慢心こそが、破滅の源。今後の彼らの一挙手一投足、細大漏らさずにご報告させていただきます」
ドノヴァンが鼻をふんと鳴らすと、茶化したように言う。
「あなたは、意外に仕事熱心だな。感心なことだ」
女魔導士は腕を組むと、挑戦的なまなざしをドノバンに返した。
「そうそう、もう一つ。あの分隊の隊員、強化されていた節があるわ」
それを聞いたドノヴァンの瞳に、一瞬凶暴な光が宿った。
「……強化」
「どう思う、道化師さん。これもかつてないことだけれど、同業者さんじゃないの?」
穏当とは言えない二人のやり取りを、代表と呼ばれる男がさえぎった。
「とにかく、その男とは何らかの形で接触する必要があるな。彼らは、ムーングロウの街に向かっているのだろう? かの街は、王国軍に包囲されつつあるようだが」
デュカキスが立ち上がって答えた。
「戦況は、現在のところ五分五分です。我らは腕利きが多いが、いかんせん数が少ない。正念場と言えます」
白いローブの男も立ち上がると、改めて一同を見回した。
「我らが破れれば、『島』の保守主義者らが、この世界を退化させる事になる。そうなれば、いずれ必ずユークロニアの蹂躙を許すことになる。それは、何としても避けなければならぬ」
四人はグラスを掲げ、それが散会の合図となった。
街を囲う広い濠に、月の光が反射している。
風も今は凪いでおり、水面は鏡のように滑らかであった。
小さな人影が一つ、音もなく水際に現れた。
白いコートの上に、水色のケープ。
黒いプリーツスカートに、ロングブーツ。
頭にはパパーハと呼ばれる、たけの低い毛皮の帽子をかぶっている。
「『島』の治癒師さんがもうすぐここに来る、って言ってたけれど。ウルフファングの情報じゃ、話半分ね」
人影から漏れ聞こえてきたのは、少女の声であった。
黒い瞳に、帽子からのぞく短いツインテールの黒髪。
「軍隊が来る前に会えるかしら。私より年上の、お姉さんらしいけれど」
少女は濠の向こうにそびえたつ、ムーングロウの街の高い外壁を見つめた。
「スペシャルが一緒にいる、って言ってたっけ。治癒師とスペシャル。まさか、ね」
分隊で重攻兵をやっているハリソンだ。
この分隊は、本当にいい奴ばかりだ。みんなもそう思うだろう?
俺もそいつはわかっている。わかっては、いるんだ……
次回、第一一話「狼の少女」。
アイリスは、力で手に入らないものがあると言った。
俺の渇きは、それで止まるのか?