第一話 上陸
顔面に、火花が散った。
その兵士は後方に吹き飛ばされ、どうと砂浜に倒れる。
瞬間、隠れていた岩陰から、倒れた兵士に向かって駆け出した者がいた。
「オリヴァーさん!」
革製サレット兜のすそから、長い金髪が流れている。
どうやら、女性の兵士のようだった。
「馬鹿っ。出るな、お嬢さん!」
同じ岩陰に隠れていた優男の兵士が叫んだが、女性兵はそれにかまわず、負傷兵のもとへと駆け続けている。
機動性を重視して選んだはずの、やはり革製のチェニックが、やけに重く感じられる。
軍用のブーツが砂にうまり、なかなか距離を詰めることができない。
もう少し。
あと五メートル。そこへ。
ざあっ。
彼女へ向けて数えきれないほどの矢が、放物線を描いて迫った。
女性兵は顔を上げてそれに気づくと、蛇ににらまれた蛙のように、すくんで動けなくなっていた。
彼女の淡い茶色の瞳は不思議に見開いたままで、矢が自分の身体に向かってくるのを、ただ見つめることしかできない。
私、ここで死ぬの?
まだ誰一人、救う事も出来ていないのに?
海岸の空は雲一つなく、早朝であるにもかかわらず、すでに明るい青空が広がっていた。
そうか。
もう、夏も近いなあ。
彼女はなぜか、そんなことを考えていた。
その視界が、不意にふさがれた。
カン、カカン、と彼女の耳のそばで、金属音が立て続けに起きる。
「動けますね。後ろの塹壕まで、全力で走ってください」
それは、彼女の新しい分隊長の声だった。
彼が左腕に構えた鋼鉄製のヒーターシールドが、矢の大半をはじき返している。
「! 隊長さん!」
ヒューゴ分隊長。
三十歳半ばだが、周囲と比べればまだ若い隊長と聞いている。
シャギーのかかった短い黒髪は今は鉄製のサレット兜の下に隠れているが、彼の短いあごひげは、塩と砂とですっかり白く変色していた。
兜のひさしの下に見える少し垂れた目には、わずかに焦りの色がうかがえる。
女性兵は盾を握っている分隊長の指を見ながら、意外に細く長いんだな、きれいな指だな、などとまたもや場違いなことを考えていた。
そしてはっと我に返ると、再び負傷兵の方へ駆け出そうとする。
ヒューゴは彼女の肩をぐっとつかむと、自分の方へと強引に引き戻した。
女性兵はヒューゴを振り返ると、きっとにらみつける。
「止めないでください! 私は治癒師です。オリヴァーさんを、助ける義務があります」
ヒューゴは表情を殺して言った。
「もう、その義務はありません」
彼は彼女の挑むような瞳から視線をそらさずに、言葉を重ねる。
「奴は、手遅れです」
その冷静な声に、女性兵は思わずかっとなって叫んだ。
「どうして、そんなことがわかるのよ! 治癒師でもないあなたに!」
そこが戦場であるにもかかわらず、ヒューゴは少し遠くを見ながら答えた。
「たくさん見てきたからです。ルーシー先生」
その言葉に込められた意味に、ルーシー、あるいは先生と呼ばれた女性兵は、息をのんだようだった。
ヒューゴは心の中でつぶやいた。
そうさ。そういう仕事だったからな。
治癒師じゃあ、ないがね。
彼は自分の思いを振り払うように、ヒーターシールドを構えなおした。
二の矢が来る。時間がない。
「マシュー副長。先生を塹壕へ、早く!」
ヒューゴが後方に叫んだ。
「イエッサー!」
先ほどまでヒューゴが隠れていた岩陰から、一人の兵士が素早く走り寄ってきた。
黒人の大男である。
彼もまた鉄製のサレット兜をかぶり、左腕にヒーターシールドを構えている。
マシュー副長と呼ばれたその兵士は二人に走り寄ると、ヒューゴとちらりと目配せを交わし、軽くうなずく。
そして無言でルーシーの腕をつかむと彼女を抱えるようにして、大急ぎで後方へと退避していった。
それを瞬間見やってから、ヒューゴも踵を返して駆け出すと、ようやく元の岩陰に滑り込んだ。
彼がそれまで立っていた砂浜に、何本もの矢がぶすぶすと突き刺さる。
同じ岩陰に隠れていた先ほどの優男の兵士が、前方を警戒しながらヒューゴに叫んだ。
「あのお嬢さん、いかれてる。まさに自殺行為だ」
ヒューゴは、息を切らせたままで答えた。
「彼女、今日が初陣なんだ。こういう事もあるさ、エリック」
「治癒師様の職業意識ってやつですか? こんな場所で尊いとは思いますがね、あのお嬢さんと組むのは、金輪際願い下げですよ。治癒師のおかげで死人が出たんじゃあ、しゃれにならない」
エリックと呼ばれたその優男は仏頂面のまま、やれやれと首を振った。
まだ二十歳台半ばだろう。
黒みがかった茶色のやや長い髪、濃い茶色の瞳。
整った顔立ちに、百八十センチほどのすらっとした長身。
酒場で五分も座っていれば、女性の話相手にはまず事欠かないであろう。
しかし端正な雰囲気の中にも、どこかふてぶてしさを感じさせる若者であった。
ヒューゴは苦笑した。
「そのくらいにしてやれ、エリック。俺は、まだ生きてる」
エリックはふっと真顔に戻ると、ぽつりとつぶやく。
「そりゃあ俺だって、どれだけ飛び出したかったか。俺、オリヴァーに二万五千ダインも貸してたんですよ。出世払いどころじゃあ、なくなりました」
それがエリック流の追悼の言葉であることは、ヒューゴにもわかっていた。
エリックは前方を見据えたままであったが、その唇はきつく結ばれている。
ヒューゴはこの分隊に着任してまだ三か月にも満たなかったが、エリックとオリヴァーが古くからの戦友だとは聞いていた。
郷里も同じだったとも。
ヒューゴは、黙ってエリックの肩を叩いた。
「ところで、エリック。さっきオリヴァーを殺った火花、あれはマジックミサイルだったな」
「ええ、顔面に二発。目の前のあの断崖の上から、魔導士が撃ち下ろしたのを確認できました。しかし隊長、あれは通常のものよりもずっと破壊力が大きい。呪文がオリジナルにチューンアップされているのかも知れません」
「オリヴァーより前にギルバートの腕を打ち抜いたのも、同じ奴か」
ヒューゴは、同じ分隊の重攻兵であるギルバートが、左の上腕を魔法で砕かれた光景を思い出していた。
「きっとそうでしょう。一人でさえ手に負えないのに、二人も魔導士がいたんじゃあ、たまりませんからね」
エリックは肩をすくめて、そう答えた。
ここ「大陸」においてでさえ、魔導士という存在自体がかなりまれである。
「しかしギルバートがくらったのは、マジックミサイルじゃなさそうだったが」
「ええ、マジックボルトのように見えました。ギルバートの鎧が厚いのを見て取って、威力重視に切り替えたんでしょう。敵さんの魔導士、かなりの手練れですね」
左腕を負傷したギルバートは、同じ重攻兵のハリソンに引きずられて、後方へと下がったようだった。
ギルバートはあの通りの巨漢だ。ハリソンの腕力をもってしても、さぞかし苦労したに違いない。
遠目に見えたギルバートの意識は、確かだったように見えた。
生きてさえいれば、打つ手はある。
彼女の、治癒師の力があれば。
「しかし、分隊長。俺たちの受け持ちの浜に魔導士がいるなんて情報、ありませんでしたね。話が違う」
エリックは通信兵である。
彼は振動を操作する通信魔法を操ることで、本隊や他の分隊との通信を可能にしている。
しかし上陸後、彼には何の情報も届いてはいなかった。
「ああ。取り巻きのゴブリンアーチャーの数も、予想よりずっと多い。このまま崖の上にいる魔導士に近づくのは、厳しいな」
「アイリスやウィル君の足でも、さすがに」
彼らの分隊には魔導士はいない。
魔導士なしで魔導士に対抗するのは、至難の業だ。
ヒューゴは少し考えこむと、エリックの奥にしゃがんでいるもう一人の兵士に声をかけた。
「デビッド、お前の弓なら?」
デビッドと呼ばれた若い兵士は、目深にかぶったサレット兜のひさしを少し上げた。
年齢はやはり二十台半ばだろう。
クルーカットの短い金髪、青く鋭い瞳。
顎が細く面長の、ともするとやや冷淡な印象を与える若者である。
「断崖の上まで約四十メートル。距離は問題ありませんが、魔導士が表に出てくるときは、恐らくブラー、ゆらぎの魔法を自分にかけています。一射目を外せば、マジックミサイル、下手をしたらファイアーボールが返ってくるかもしれません」
それを聞いたヒューゴは、もう迷わなかった。
上陸地点の橋頭保はとりあえず確保した。
無理押しすると、逆襲を食らう可能性がある。
「よし、いったん引くぞ。エリック、向こうの岩陰のアイリスに合図を。デビッド、しんがりを頼む。援護の後、速やかに後退」
「了解、分隊長」
エリックが手信号で、別の岩陰に隠れている女兵士に合図を送り始めた。
「ラジャー」
デビッドは短く返答すると、背部から弓を取り出した。
長弓よりやや短いそれは、しかし単一の木製ではなく、層状構造になっているようである。
「いくぞ。三、二、一、ゴー!」
ヒューゴの号令とともに、デビッドを除いた分隊の全員がそれぞれの岩陰を飛び出し、後方の塹壕へと一気に駆け出した。
エリックはわずかに後ろに目を走らせた。
「オリヴァー、後で迎えに来るからな。利子も含めて三万ダイン、あいつらに必ず払わせてやる」
そして今度こそ、わき目も振らずに塹壕へ疾駆した。
途端に前方の断崖の下から、耳ざわりなときの声とともに、ゴブリンの軽装兵が砂浜へ駆け出してきた。
ゴブリン。
「大陸」で最も数が多い亜人族。
背丈は人間よりやや低いが、その俊敏性はあなどれない。
緑がかった肌に、不ぞろいで粗末な革鎧を着ている。
持っている獲物も、こん棒・木槍・さびた短剣など、統一性がない。
それらが一斉に、デビッドの隠れている岩場まで迫ってくる。
分隊が退却したのをみてとって、追い打ちを狙っているのだろう。
とがった鼻の上の赤い二つの瞳が、憎悪にぎらぎらと光っている。
デビッドは不思議に思った。
こいつらはなぜ、俺たちの「島」にはいないのに、この「大陸」だけに存在しているのか。
なぜ、人間だけに憎悪の目を向けるのか。
なぜ、俺たちを憎むのか。
十数匹のゴブリン兵が、ばらばらに迫ってきた。
すでにその距離は、二十メートルほどまで詰められている。
むき出しの不潔な黄色い歯の間からもれる、ひゅうひゅうという荒い息づかいが、今やデビッドの耳にもはっきりと聞こえていた。
デビッドは岩陰で祈りの言葉を短くつぶやくと、ゆっくりと立ち上がる。
瞬間。
デビッドが矢筒から矢を引き抜く動作は、まさに居合のそれに似ていた。
矢羽の風を切る音が起きるたびに、ゴブリンがもんどりをうって倒れていく。
一分間ほど射続けた後、動いているゴブリンはもはや一匹もいなかった。
デビッドは舌で唇を湿らせると、小さくつぶやいた。
「ビンゴ」
そして弓を背に担いで、彼もまた一目散に後方へと駆けだしていった。
初めまして! 天才で美人な治癒師の、ルーシーです!
あれ、自分で言うなって? ふっふーん、そんなこと言えるのも今のうちなんだから、まあ見ててよね。
でも今回は、危ないところを、隊長さんに助けてもらっちゃった。
ちょっと、うかつだったな……戦争なんだもん、もっとしっかりしなきゃね。
新米だけど一生懸命頑張るから、応援よろしくね!
それでは、第二話「ファースト・エイド」で。
次こそ私、大活躍しちゃうから!