第6話 これからと人里
マビの大推理を聞いていた私たちは、森を抜けて草原へと出た。
大きく視界の開けたその場所は小高い丘のようになっており、目的地である村が一望できる。木製の建物と畑が整然と並んでいる様は、今までの森とは違って人の温かみを感じさせる。別に寝泊まりするところが必要な体ではないはずだが、不思議とその温かさがほっとする。
5000年分のカルチャーショックを期待していたのだが、建物は特に常識から外れている形をしていない。作物も畑毎に植わっている種類が違うのか、まだまだ小さな物からもう既に収穫できそうな物まで様々だが、遠目から見る分には特に奇抜な野菜は見受けられなかった。
魔物避けと思しき木製の柵を横目で見ながら進んで行くと、番兵が並んでいる村の出入り口にたどり着く。柵自体はあのクマ相手に何の役にも立たなそうに見えるのだが、所々に魔術的な仕掛けが施されているのが見て取れる。保護や強化というよりは魔除けに近い物だろう。古くから伝わっている物の改良版のような物ではあるが、動物相手には意外に効くのだ。あと病気とか。
私達の先頭を歩いていた男が番兵に一言二言話すと、番兵はじろりと私を見てから道を開けた。
大歓迎……という雰囲気ではなさそうだが、拒絶の意志も見受けられない。不機嫌というよりも、単純に見張りが暇なのだろう。二人いる内のもう一人も仏頂面で森を睨んでいるだけだ。
そうして私達は、この時代に来てから初めての人里へと足を踏み入れた。
5000年後の建造物は未来的……というよりも、どちらかと言えば原始的に見える。森が近いためか木造の建築物が多い。壁も柱も木製だ。良く燃えそう。
兵士以外の住人のほとんどは農家のようで、目に映る範囲の人々は春の日差しの中で畑仕事に精を出している。私よりも年下の子供も手伝いに駆り出されて忙しそうだが、不思議と年寄りは見当たらなかった。
「じゃあ、俺達で報告してくるから」
「うん、よろしく」
兵士にも話を付けていた男がそう言って村の奥へと歩いていくが、マビはとある一軒家の前で立ち止まる。私もそれに倣った。マビと別れてこのまま村を見学するにしても、別れの挨拶くらいはしなければならないだろう。
そんな思惑で立ち止まった私を見て、マビは一つ咳払いをする。
「えっと、二人はこれからどうするとかあるかな?」
「いえ、特にはありません。急ぎの用事もないので」
というよりも、漠然とした目的しかないので行動の指針は全く決まっていない。
このままマビにお世話になるのもいいかもしれないし、村で話を聞いて回るのも悪くはないだろう。目につく建物の数と畑の面積を考えると、どこかと取引しているはずなのでそこに行ってみるのもいいかもしれない。
“とりあえず人に出会う”という目的を果たしてしまった私は、もう何でもいいかと言わんばかりである。
それをそのまま話すわけにもいかないので、嘘ではないが曖昧な表現をする。そんな私を見て何を思ったのか、マビはうるうると瞳を潤ませた。
「そっか……頼れる人もいなくて不安だよね……」
「え、あの、そんなこと一言も言って……」
「私は味方だからね!」
突然マビに緊と抱き締められた私は、改めて生きている人間の体温を実感する。そしてそれは当然こちらの低すぎる体温も相手に伝わるということで……。
死体のような(本当に死体なのだが)冷たさに驚いたマビは、目を丸くして私の肩を掴んだ。
「どどど、どうしたの、すごく冷たいんだけど……」
「……体質です」
実は死体ですと言う訳にもいかず、再び嘘ではない言い訳をマビに話す。
体質と言えば体質である。他にも心臓が動いていないとか食べた物を消化できないとかありそう。自分でもその辺りはまだ把握しきれていないけれど。
またまた私の話をどう受け取ったのかは分からないが、マビはぽろぽろと涙を零した。
「そっか、怪しい魔法の実験台にされてきたんだね……」
「……それでいいです、もう何でも」
彼女の中で私は一体何になっているのだろうか。否定もできないし、詳しく事情を聞かれないので都合はいいのだが……。
……まぁでも怪しい魔法の実験台というのは、意外に言い得て妙と思えなくもないかな。そんな涙を誘うような話ではないのだが、少なくとも亡国の姫君何かよりは私の実態に近い気がする。
一頻り私に同情して泣いたマビは、この村への滞在中にお世話になっているという家に上がり込む。
木の香りのするその家は見る限り普通の民家だが、どうやら誰も住んでいない空き家を一時的に宿として使わせてもらっているらしい。空き家にしては新しく見えるのは、この“村”自体が都会から職に溢れた人間を有効活用するために開拓された、かなり新しい農村だから。道理で区画整備がきっちりしていると思った。
寝台と思しき、布か敷かれた箱の上に腰を下ろしたマビは、私とミラーに椅子を薦める。
「それで、二人はこれから……というか、お金を稼ぐ当てはあるのかな?」
椅子に腰を下ろした私は、マビのそんな言葉を聞いて動きを止めた。
そうか。私、働かなきゃいけないのか。今更そんなことに気が付いた。
今まで私は碌に働いたことはない。同い年の女の子がバイトだデートだ、シフトだ遊びだと言っている間に、一人で研究室に籠っていたのだから当たり前である。
それでも失敗作や実験のデータを提出すればそれに応じて組織から給金は支払われていたので、あの作業も仕事と言えば仕事と言えるのかもしれないが、少なくとも所得税とか年金とかを支払ったことはない。税務署的な意味でブラックだ。何せ公的には存在しないことになっていた闇の組織である。公になったのも壊滅させられた後なので、最後の最後までブラックだったに違いない。
そんな私が仕事……と悩んでいると、マビが言葉を続けた。
「でもその、私が紹介してあげられる仕事は、あんまりなくて……農村も国民資格持ってないと農地貰えないし、魔法省の研究員も実力だけじゃ入れないし……」
「国民資格?」
「あ、国民資格って言うのはね……」
私を完全に不運な異邦人だと思っているマビの説明によると、国民資格とはこの国、ジャイ王国の国籍の事らしい。
実はそれほど難しい制度ではなく、両親が国民である証明があれば厳正な審査の下で一月ほどで発行される。外国人は基本的に取れないが、出身地が友好国であり、かつその身元を出身国が保証してくれる場合は例外的に発行されることもある。
確かに難しい物ではないのかもしれないが、それでも両親も国へのコネクションも持っていない私には取得はほぼ不可能と言ってもいいだろう。
「それがない人は国民ではないのですか?」
「法的にはね。持ってないと失業率とか識字率とかの調査に含まれないし、……あ、持ってない人側から見て一番重要なのは、指定都市への滞在期間が決まってることかな。延長の手続きをないと指名手配されて逮捕される。それと仕事の選択肢がほぼない以外は……いや、私が知らないだけでまだあるのかも」
「なるほど」
民の管理には必要なのかもしれないが、中々面倒そうな制度である。
もういっそ、もっと管理の杜撰な他の国に行った方が何かと……と考えた直後に、マビは言葉を続けた。
「国民資格持ってない人向けの仕事で、私が紹介できるのは二つかな」
「……というと?」
マビは多少言いづらそうにしながらも、私に小さな声で教える。どうやらどちらも大っぴらに相談する内容ではないらしい。
「一つ目は冒険者。命の危険はあるし、大きな怪我をするともう碌に仕事無くなっちゃうからあんまりいい仕事じゃないんだ。ただ、私が言うのもアレなんだけど、上級まで昇級できればその辺の平民とは桁が違う収入があるの」
「……なるほど」
今までぼんやりとしていた冒険者の実情に触れて、私は一つ確信する。
つまり冒険者とは、国側が用意している口減らしの精度なのだ。
あんな魔物と戦うのに無傷で続けられるなんて、そうあることではないだろう。それに対して碌な保証はなく、更には身分の不確かな者でも儲かる仕事だ。後者は上手く行けばという話ではあるのだが。
後が無い者は縋らざるを得ないだろう。そうして弱くて国にとって“余分な人材”は勝手に国外で事件性もなく消えて行き、使える強い者は勝手に生き残る。実に恐ろしきはジャイ王国。
つい気になってマビに聞いてみた所、上級まで昇級できる冒険者は登録数だけ見れば全体の1割ほどでしかないのだそうだ。上級の中でも更に一番上、一級冒険者など国に数えるほどしかいないのだという。
「まぁただ、登録だけしてお金が足りない時に依頼を見に来るっていう、副業目的の人も多いから、実際に私みたいに専業でやれば自然と上に進む制度にはなってるんだよね。それ以外の人は……色々あって続けられなかったってことなんだけど」
「なるほど。……それで、もう一つは何ですか?」
「え? あー……えっと、国境は無許可で超えられないから、戦う力があって身分がない人は大抵冒険者になるかな」
急に話を変えたマビをじっと見ていると、彼女は諦めた様にため息を吐く。
「その、私達が拠点にしている街、城壁都市フジャラって言うんだけど、花街があってね」
「はな……まち?」
耳慣れない単語を聞いて首を傾げる。どういう意味の単語なのだと聞き返すと、マビはうっと言葉を詰まらせた。
「そこはまぁ、女郎とか男娼とか色々いるんだけど……」
「え、何の話ですか?」
「えっ、うんまぁ、双子で綺麗だから多分売れるんじゃないかなと、思ったり……一応知り合いがいるから紹介はできるけど……命の危険も一応ないから……」
一体何の話だろうか。知らない単語が多くて良く分からない。
急に歯切れが悪くなったマビに首を傾げていると、彼女は急に勢い良く立ち上がった。
「あー! ダメだよ、こんな幼気な子にこんな仕事薦められない! 冒険者組合への紹介状書くから、ちょっと待ってて!」
そう叫んでから、彼女は一枚の紙を鞄の中から取り出すのだった。