第3話 当てもなく
とりあえず過去から現在までのざっくりとした話を聞き終えた私は、一つ最後に残った疑問をミラーに問う。
「……で? 今この時代はどうなっているんですか?」
「はい。分かりません」
ミラーのはきはきした返事に、思わず自分の耳を疑って目を瞬かせる。
「えっと、もう一度」
「はい。現在の状況は分かりません」
分かりません? 歴史についてあれだけ長い説明ができるのに、今一番大事な部分は何も分からないなんてことある?
困惑する私を前に、ミラーはカードになったり元に戻ったりを繰り替えす月見と雪見の頭を撫でた。
「バラバラになっていたカードと本を集めて、ドクターの蘇生をしてくれたのはこの二人ですが、厳重に保管されている場所はどれももう遺跡になっていたので、今の人間とは深く接触していないらしいのです」
「……なるほど。まぁ何せ5000年前ですからね。実感ありませんけれど」
ミラーの話を聞いて私も雪見の頭を撫でる。
私が保険というよりも、死後に対する興味本位で作った蘇生魔法は、私が作った23枚の魔法のカードを用いて行われる。一枚二枚……下手をすると半分くらいなくても魔力さえあれば発動はするが、不完全な蘇生になってしまって私の自我は永遠に失われてしまっていただろう。
カードを託したハナビがどうなったのかはよく分からないままだが、雪見と雪見は長い時間の中でバラバラになったカードを懸命に集めてくれていたのか。それこそ気の遠くなるような長い年月を。
そう言われてしまえばもう責めることはできない。
そもそもこうして蘇っただけでも快挙なのだ。流石にこれは実験する勇気がなくて自信なかったし。今はとにかくそれを喜ぼう。
「ありがとう。おかげで永い眠りから目覚めました。感謝していますよ」
二匹の頼もしい仲間を撫でると、二人は甘えるような声で高く鳴くのだった。
***
梢が頭上で音を立てるのに合わせて、僅かに零れた木洩れ日が瞬く。
正直実感の湧かないタイムスリップを前に多少困惑していた私の気持ちは、そんなある種当たり前の光景を前に少しずつ落ち着いていっていた。
「これからどうしましょうか」
ぽつりと呟いた言葉は、その意味する内容に比べると些か軽く木々の間に響く。
今夜の宿も決まっていない状態で、右も左も分からぬまま森を彷徨っている割に、私の危機感は異様なほど薄かった。いつかの記憶にあるような、学生の進路希望の相談のような言葉になってしまったのはそのためだろう。
歩いている足を止めぬまま、私達の存在を感知してがさりと音を立てて遠ざかっていく何かを目で追った。
食い荒らされたような木の皮を見るに、姿は見えはしないがどうやら動物はいるようだ。魔法を使えば食料の確保はできるだろう。そもそも私に食事が必要なのかは別として。
水も魔法で何とかなるし、生前と違って疲れることのない体はベッドを必要としないだろう。目を閉じて寝ようと思っても、眠れるのかは大いに疑問だ。
つまり何もせずにじっとしているだけでも別に私は構わないのである。
しばらく自分の体の観察をじっくりしたいので、むしろ二三日くらいはそうしていたいほどだ。
それでもこうして歩いているのは、人間、もしくはそれに類する存在、別の言葉で言い換えれば“現代人”と接触してみたいからだ。魔法が当然の世界で世代を重ねた知的な生物を。
私の行動の指針はたったそれだけである。
どこに向かって何をするのか、という話をするには情報が足りなさすぎる。現代人と接触するか人里を調べるかしないことには色々と始まらないのだ。
そんなこんなで、私の呟きには大した意味はなかった。どうせ現状ではそこに建設的な話し合いなどは望めず、ただただ私が葉擦れの音色に飽きていたというそれだけの話でしかないのだ。
しかし数千年ぶりに私に会った彼らにとっては、たったそれだけでもつい最近まであり得なかったことである。だから張り切ってしまうのも仕方のない事だ。
私の言葉を聞いていたらしい月見がカードの束から抜け出して、地面でその大きな耳を立てる。そして警戒するように何度か向きを変えると、ある方向を見てその動きを止めた。
そして数歩私たちを先導するように進んでから立ち止まる。
「月見、もしかしてそっちに何かあるのですか?」
彼は私の言葉に小さく鳴いて見せた。どうやら本当に案内してくれるらしい。
私とミラーは顔を見合わせて頷くと、月見を追って地面からせり出した木の根をまたぐ。
異臭を放つ大輪の花や、突然木の陰から飛び立つ大型の虫などに驚きながら歩みを進めていくと、次第に月見が聞き取った音が自分の耳にも聞こえる大きさになって来る。
「これ……人の声と……何でしょうか」
「月見さんも、音こそ聞こえていても内容はよくわかっていないみたいですね」
聞こえるのは切羽詰まったような人間の叫びと、何か硬質な物がぶつかり合うような音。ただ何を言っているのかは聞き取れないし、それが絶対に人間の声だという確証は持てなかった。
それでも月見の先導に従って歩いていくと、次第に木々の間からその光景が見えるようになってきた。
まず目に入ったのは大きなクマのような生き物だ。森の中なのにそれがクマであると言い切れなかったのには訳がある。
「……何ですか、あれ」
その巨大なクマは四足で歩行しながら、その剛腕を振るっている。
四本の脚の反対側、つまり背中……と思しき部分から上半身が生えているのだ。そこは丸太のような太い胴体、異様なまでに長い腕、そして自在に動く長い首……出来損ないのケンタウロスのような奇妙な骨格だが、すべてのパーツはあくまでもクマのようだ。
背骨は丁字になってるのだろうか。何がどうなってあれに進化できるのかという、中々の歪さである。
「あれはおそらく、どこかの国が研究開発していた魔法的に改造された動物ですね。どうやら逃げ出して野生化して……独自に進化していたのかもしれません」
ミラーの解説を聞き、私は深く息を吐く。
罪深いことだ。多少そんなことを考えないでもないが、私もペットに言葉を教えて新たな種族として改造してしまった過去がある。人のことを言えない。あの頃はちょっと話し相手が欲しかっただけなのだが、クソ生意気に育って飼い主に噛み付くようになったので完全に失敗作なのだが。
私が思うのは、そんな倫理なんかよりももっと大事なことだ。
それは生殖機能の有無である。科学的だろうと魔法的だろうと遺伝の話はそう変わらない。こうして過去の生物が今現在でも生き残っている以上、遺伝子の改良という手段を使ったのだろうけれど、改良した生殖可能な個体を逃がすという行動に呆れているのだ。
あれだけ絶滅危惧種だ生物の多様性だ何だと言っておいて、非常事態になったらこれかと。
クマもどきと一緒になって吠えている、骨の仮面を被った恐ろしい形相のオオカミもまた、そんな実験動物の一種なのだろう。あれ自分の骨なのかな……。
そして、そんな彼らと戦っているのは予想通りの存在、人間だった。
それはもう見るからに人間である。私と比べて見ても頭が大きかったり、手が長かったりはしない。普通の、どこにでもいそうな人間だ。
彼らはやや簡素に見える鎧を身に着けて、剣や槍、盾を構えて異形の動物たちの攻撃を懸命に凌いでいる。よく見れば彼らの後ろには、杖を持って軽そうなローブに身を包んだ魔法使いのような人物もいた。
それを見た私は少し首を傾げる。
「魔法を使っているのは確かなようですが……他の動物に比べて、人間は大きく姿が変わっていませんね」
「このままでは危なそうですが、どうしますか?」
「うーん……助けましょうか。情報が欲しいですし」
私はそう答えると、そっと月見の頭を撫でた。
続きは明日から投稿していきます。
よろしくお願いします。