第28話 研究の話
私が大臣と交渉してから数日が経過した。
あれから私は、冒険者を半分休業して久し振りに魔法研究に勤しんでいる。
資金は潤沢、場所も悪くない。未見の研究資料ばかりの環境で、その上本当の意味で寝食を忘れて没頭できる体。
はっきり言って最高に捗る。生活費に困らなくなったのでミロやファラも、冒険者組合には顔を出さずに私の手伝いをしていた。
思えばあの奉仕活動のような冒険者の仕事の方が、私の生前の人生や適正から考えれば異常だったと言える。
既に日没や日の出といった時間感覚が抜け落ちたある日の事。私が木板にとある魔法についてまとめていると、この部屋にある唯一の扉がとんとんと叩かれた。
「どちら様でしょうか?」
ミロはそんな言葉を扉の向こうへと投げかけるが、正直その答えは聞かなくともほぼ分かっている。この数日でこの部屋を訪れた者はそういない。その中で毎日(多分)顔を出している人物と言えば、たった一人なのである。
その来客は返事もそこそこに部屋へと足を踏み入れる。長い時間開かれていなかった扉が開け放たれ、ファラがカードを使って気温を調整していた室内に外気が入り込む。
「今日の分の資料と、上がってきた質問だ」
「これはまた凄い量ですね。私が回答しておきましょうか?」
「お願いします。答えられる分はそちらで。……どうせそっちは大したこと無い話でしょうし」
部屋にやって来たゴルダ組合長はどさどさと本や木板を机の上に積み上げる。
作業を続けながらちらりと横目で見れば、ミロの言う通り私に来た“質問”は相当な量だ。彼女がやってくれるというのならば甘えておこう。
私が大臣と交わした契約は、何も単純な脅迫で向こうに何の利益もない物ではない。
私は別にそんな不平等を押し付け、無駄に恨みを買ったりする趣味はないのだ。最終的には自分だけ良ければそれでいいとは正直多少思っているのだが、結局一人で生きていくよりも他人と多少ビジネス上の協力関係があった方が生きやすいのは世の常だ。私があんな碌でもない組織を一人で抜けなかった理由でもある。
そのため大臣……というかこの国の魔法省とも協力関係を申し出た。住む場所とこの国が集めた研究資料、あと資金の提供を求める代わりに、私は自分の魔法知識を教えると。
私は自分の知識や才能に誇りを持っているし、それが侮られたり安く買い叩かれたりなど一切許さないが、未知が対価だというのならば特に惜しみはしない。
知識は秘匿すればするだけ儲かるとはいえ、別に私は金銭欲など特に強い方ではない。パトロンに足元を見られない程度には持っておきたいが、出資者を脅せる材料が他にあるならもはや研究費以外必要ないと言ってもいい程だ。
ただ、現代の魔法知識を全く知らない段階で、何もかもを一から教えるとなると流石に手間だ。
こちらも無数にある研究資料を読み漁る作業があるし、何より拙い言葉でどこまで正確に話せるのかは疑問が残る。何らかの齟齬があって、嘘を吐いたと言われても面倒だ。
なので、知りたいことは質問形式で毎日文書にして持って来てくれと注文を付けた。
これなら回答を考えるだけで済む。
少なくともあの時の私はそう思っていたのだが、質問は毎日増え続け、その内容もより専門的になってきている。
真面目に答えようとすれば数時間は余裕でかかるだろう。面倒なので質問の精査や順番待ちをしてくれとゴルダ組合長には頼んであるのだが、一応精査した上でこの量らしい。
心情的にはため息が出そうになる私は、最後の文字を書き上げ、握っていたペンを放り投げる。そのペンはくるくると回転しながら宙を飛び、ペン立てへと見事に収まった。
ナイスコントロール、というか普通に魔法だ。
私は整理整頓が得意な方ではない自覚がある。適当に投げ捨てればある程度自動で元の位置に戻る様に、身近な物に魔法をかけていたりする。それでもなくすのだが。
私は最後に誤字だけ適当にチェックしてから、視線も向けずに資料を突き出す。
「ゴルダ組合長。この内容を仕立て屋に話そうと思うのですが、頼めませんか?」
「仕立て屋だと?」
組合長は大きな腹を揺らしながら私の机までやって来ると、差し出された数枚の資料を受け取る。その内容を読んで眉を顰めた。
そこには布の折り方とその後の加工についてしか書かれてないから、見てもほとんど分からないと思うよ? というか、最終的な効果すら碌に書かれていない。精々強度が高くなるとか、魔力の制御が楽になるという程度だ。
彼も私と同様の結論を下したのか、早々に読み解くのを諦めて眉間を軽く揉む。
「ちなみにどこの仕立て屋にこれを教えるつもりだ?」
「ジナという人の仕立て屋に。3着分の恩がありますので。そこそこの有名店なのでしょう? 私への対価はそれの完成品で構いません」
「兄貴の店か……ま、妥当だな。名目上は組合の研究成果として売ることになるが、そこは構わんな?」
「ええ。ただ、あまり吹っかけたりは……え、兄貴?」
私は思わず流しそうになってしまった単語が、頭の片隅に引っかかって思わず聞き返す。今、兄貴の店と言ったかこの人? 兄貴って男の上の兄弟という意味であってる? それともソウルメイト的な意味合い?
「もしかしてあの方、組合長の親族ですか?」
「ああ、戸籍には繋がりがないが血縁はある。あれはゴルダ家の長男だったんだが、俺が魔術師として優秀だから家督は譲ると言ってな。あっさり家名を捨てて仕立て屋に弟子入りしたんだ」
「へぇ……」
ファラから新しい資料を受け取りながら、ラツ・ゴルダ組合長を横目で窺う。
言われて見れば確かに似てるかも……いや似てるか? 正直、類似点が太っていること以外思いつかない。ジナはどちらかと言えば優しそうな顔をしているが、ゴルダ組合長はどこをどう見ても悪人面だ。絵に描いたような悪徳貴族の風体をしている。貴族ではないけれど。
いや、そんなことよりもっと気になるのが、
「あの方、男性だったのですね」
「当たり前だ。あんな化け物みたいな女がいてたまるか」
「……探せばいると思いますよ?」
その後もゴルダ組合長と世間話を織り交ぜながら魔法知識について話し合う。
話し合うと言っても教えるのはこちらがほとんどだし、私から聞くのはこの時代についての常識や風習などばかりなのだが。
言葉を覚えたとは言え、その辺りがないと資料を読む時に結構躓くのだ。防腐処理した魚の血と言われても、猫の髭の量と同じと書かれても、何の話だか分からない。
大抵は有名な逸話の例え話だったり、その地元で古くから使われている料理の手法だったりする。当然の知識過ぎて辞書に載ってないんだもんなぁ。
組合長は流石に魔術師の親玉をやっているだけあって、その辺りの知識は豊富だ。そもそもこれらの研究資料のまとめや、その内容の精査などをしている人物なので当たり前なのだが。
反対に、組合長から私への質問は純粋な魔法知識が大半である。尤も、あの毎日大量にやって来る質問集と内容が被っていたことは一度もない。
組合の魔術師から提出されているらしいあの質問集は、質問者が現在進めている研究の答えや結果の解釈を求めるものが明らかに多い。研究者として気持ちは分かるが、その程度自分でやれと言いたい。
彼らは基本的に、現代の知識、つまりは自分の知識は間違っていると思ってもいない。今の実験の成果がまとまらずにどうにかならないかとか、行き詰ったから聞いてみようとかその程度の話だ。
それに比べると組合長は慎重だ。私に対して謙虚と言ってもいいかもしれない。
最近は特に、自分の知識の根本を疑い始めている。魔力とは何か。魔術とは何か。物理現象と魔力干渉は何が異なるのか。
内容が哲学染みて来ていて、そんなの私だって知りたいと答えることも多いのだが、それでもこの手の質問が途絶えることはない。
今も魔導書を読み進める手を止めずにそんな話をしていたのだが、組合長は急に黙り込んで顎に手を当てた。
「ふむ……お前と話していると、魔術とは分からないことだらけなのだと気付かされる。もちろん解明されていない部分ばかりだという事は知っていたが、気付いていなかった疑問点ばかりだ」
「……今私達が頭を悩ませている問題なんて、もう4000年前くらいに解明されているのかもしれませんけどね」
「5000歳の老婆は言う事が違うな」
私はぎろりとゴルダを睨むが、そんな視線怖くないとばかりに笑っていた。
大臣と組合長には、私の存在をそれなりに話してある。黙っていることもできたのだが、こそこそと裏で探られるのも気色が悪いし、何より余計な心配と労力をかけさせる必要もないと考えたのだ。
もしも私が申告している情報通り、他国から亡命してきた存在の場合、彼らは血眼になって私の出身国を探る必要に迫られる。流石に見つからない情報を探し続けるのは、顔も知らない諜報員に悪いと思ったのだ。
そのため私は、私が5000年前に死んだ魔術師だと話す代わりに、それを表面上だけでいいから信じておけと、無駄な詮索をするなと契約を交わしたのだ。
ただ、老婆呼ばわりは流石に無礼というものだろう。そもそも……あ、そういえばあれ聞いてなかったな。
私は老婆呼ばわりからの連想で、この魔術師組合に来た最初の理由……いや、あれだけ必死になって試験を受けていた理由を思い出す。
「話は変わりますけど、私の杖どうなりましたか?」
「ああ、あれか。流石に優勝賞品として出した物を、突然個人に貸与というのは難しくてな。それでも無理をすれば何とかなるが……まぁ、お前ならば優勝など容易いだろう?」
「……最初からそのつもりだったので問題ありませんけど、最近私の事、挑発すれば何でもやる人間だと思っていませんか?」
「あー……そういえば、前々から気になっていると言っていた自然魔法については話が付いた。こちらの予定に合わせるそうだ」
露骨に話を逸らされたが、確かに話題としては杖よりも重要だ。杖なんて速度重視なら欲しいというだけで、研究室に籠っている分にはなくも何とかなる。
都合のいい日付について組合長と話をしていると、なんだか誰かに見られているような気がして後ろを振り返る。
そこには、質問を書き上げたらしいミロとファラが立っていた。その目は妙に優し気だ。
「……何ですか?」
「いえ、大したことではありません。ただ、アヤさんにもようやくまともに話せる人が出来たんだなと……」
「感動です」
「いえ、何かその表現はおかしくありませんか? 今までだってマビと」
「でも魔術師の話し相手なんて、犬畜生と変態眼鏡くらいですよね?」
「あの二人もろくでなしです」
「他にもお父……九重の爺と、教育係のあれがいました!」
「名前も覚えていない教育係と最後に話をしたのいつですか? アヤさんの主観で十年近く話していませんよね?」
……そこまで言われると返す言葉もない。見ろ、詳しい事情も分かっていないはずのゴルダまで優しそうな目で私を見ている。
思えば犬もお父様も変態眼鏡も教育係も、まともに話せる人かと言えばそうではない気がする。全員5000年前に死んでるしね。
分が悪い会話を打ち切った私は、改めて唯一の研究友達、ゴルダ組合長と今後の日程の話を詰めるのだった。