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第1話 目覚め

 眠りから覚めるように意識が浮上していく。

 次第に体の輪郭を取り戻していくような感覚に、私はふと疑問を覚える。


 “私”とは何のことだっただろうか。

 随分と長い事忘れていたような気がする。深い深い海の中に意識が解けていて、こうして形を持った思考をしていたのは遠い昔のようにも、つい最近のようにも思えた。

 “そこ”では大勢の人、もしくはそれ以外の動物たちの意識が完全に均一になるまでドロドロになっていて、全体としての方向こそあれど、思考も自我も、そして何より自己と他者の境目さえも無かったような気がする。


 そんな場所から(すく)い上げられるかのような、初めての感覚だ。

 集合体の表層に近付く度に、ぬるま湯のような場所から熱がなくなる恐怖。失われていた自分という存在が取り戻されていく安堵。他者との繋がりが失われていく焦燥。そして何より、自分に今起きていることへの好奇心。

 錆び付いたように反応の鈍い私の思考は、そんなものであっという間に埋め尽くされていった。


 そして一番上の表層までやって来た時に、ふと後ろを振り返って気付く。

 ああ、ここには来たことがある。あの時は確か……。


 そんな思考が言語化される前に、私の意識はその暗い、そして温かな海のような場所から完全に引き上げられた。

 最初に感じたのは寒さだ。水面から顔を出したかのような、肌から熱が奪われる感覚。時間が経つにつれてそれは徐々に徐々に強くなっていく。


 寒い。凍えてしまいそうだ。

 しかしあまりの寒さに手足の感覚が麻痺するという事はなかった。むしろ明確に、そして冷酷に自分という輪郭を否応なく意識に植え付けられていく。

 自分が何を怖がっているのかも分からないが、曖昧だった自分の輪郭が整っていくのが何か非常に恐ろしいものに感じた。


 しかし、誰かがそっと私の体に触れる。

 温かな手が頬に触れて、耳元で優しい声が何かを囁く。そこで私はようやく寒さから解放され、音というものを認識することができた。

 一度気付いてしまえば私は自分の体がどこかに横たわっていることも、そこに柔らかな風が吹いていることも、誰かが名前を呼んでいることもはっきりと理解できる。今までも同じ状況だったのかもしれないが、ついさっきまでは何もない世界に一人きりのような時間だったのだ。


 触覚と聴覚が認識できたのは幸いだった。

 温もりを求めて顔を手の方向へと傾ける。すると私が声に反応していることに気が付いたのか、耳元の声が少し大きくなった。


 この声の主を私は知っている。

 知っているが、状況が理解できない。なぜならその人物とは……


「私……?」


 そう呟くと暗かった視界の中で、ぼんやりとその姿が見えてくる。

 最初に見えたのは、大きな鍔広の帽子に長い黒髪。子供っぽい顔つきが嫌で帽子で隠していたのに、結局書き仕事に邪魔で目元が隠れない物を買い直した。

 着ている物は、博士(ドクター)の肩書と一緒に父親からお祝いに貰った薄手のロングコート。白くないけど白衣みたいだから、何となく学者っぽくて袖を通すのが習慣になっていた。

 首には、自分一人で初めて街に出た日に父の日の特設売り場で買ったシンプルなネクタイ。その時は父の日という概念が良く分からなくて、結局自分用に買って帰った。……そういえば、あの人にプレゼントなんて一度も渡したことなかったな。


 いつも鏡の中で見る顔だけれど、状況を不思議に思う私とは違って彼女は感極まったように涙を零している。

 ……ああ、そうか鏡か。


「あなた、ミラーですね……泣かないで……私はここにいますよ……」

「ドクター……ドクター……!」


 いつの日か、似たようなことがあった気がする。

 その時は思い通りに動かなかった腕も、今はぎこちないけれど確かに持ち上がった。ぎしぎしと関節が音を立てている気がするが、涙で濡れる頬にそっと触れると途端に鮮明に感覚を伝え始める。


「あたたかいですね……」


 そう言ってふっと零れた笑みを見た彼女は、ついに既の事で堪えていた涙が大きく決壊し倒れたままの私に抱き着く。

 そうして大きく空いた視界に広がったのは、青い空と白い雲だ。しばらく泣きじゃくる自分と同じ顔の子を撫でていると、私の顔を白と黒の二匹の動物が踏む。こちらもよく知っている顔だった。


「月見と雪見……久しぶり……」


 ウサギとネコの合いの子のような二人は、雲より白くて目が青い方が雪見、夜空よりも黒くて目が赤い方が月見だ。

 月見はそのまま怪我をしない程度に爪を立てて私の顔を踏み、雪見はペロペロと私の顔を舐めた。


 しばらくそんな愛情なのか苛立ちなのか判断に困る行動を甘んじて受けていたのだが、ふとあることに気が付いた。

 気が付いたというよりも、ここまで来てようやく現状に疑問を感じたと言った方がいい。私は何一つ現状を理解できていない。


「私、どうしてこんな場所で……あ」


 自分の中にある直前の記憶を何とか引っ張り出した私は、月見と雪見、そしてミラーさえも押し退けて勢いよく飛び起きる。


 そこに広がっていたのは見たこともないような深い森だった。森なんて日本にはごまんとあるし、と一瞬思うが、植物の種類が完全に知らないものだった。


 まず視界を塞ぐように乱立しているのは葉の多いバオバブのような不思議な樹木。本物よりサイズは控えめに見えるが、葉が空を完全に覆いつくしている。

 そして地面には木陰で生活しているためなのか、真っ白な謎の葉っぱばかりである。見た目はクローバーのようで、しかも色は純白とよく見ればかなり可愛いが、私の植物への常識から外れた見た目だ。見渡す限りの一面に生えているのを見ると多少不気味である。


 そして何より、ようやく思い出した私の“最期の光景”からは遠く離れた景色だった。

 私は、事情を知っていそうで唯一正確に意思の疎通ができる人物へと視線を向ける。


「ねぇミラー。ここはどこですか? 私はあの後、どうなったのでしょうか?」

「……はい、ドクター。私が知り得る範囲ですべてを説明します」


 ミラーはそう言うと私の頭にいつもの帽子を乗せ、そして21枚のカードを手渡した。

 そのカードは見覚えのあるものだ。私が戦闘から日常生活まで幅広く使っていた魔法のカードである。0から22までの番号が振られたそれを順番に見ていくが、20番と21番である月見と雪見、そして使用中であるミラーのカード以外はちゃんと記憶通りの見た目をしている。尤も魔力がすり減っていてすぐに使用できるような状態ではないのだが。


 しかしこれは妙な話だ。

 私の主観記憶では、ついさっきあの変態眼鏡に7番のフライト、16番のスター、18番のミストが槍で貫かれたはずだった。それなのに特に穴が開いている様子はなく、誰かが完全な状態へと修繕したという事が分かる。


 私は一つの可能性を思いつき、自分の手首に指を当てて脈を調べる。


「……そっか。私、死んじゃったんですね」

「はい……」


 全く動く気配のない心臓や、意識しないと自然に止まる呼吸。そして何より死後に漂っていた謎の海の記憶。それらの情報を統合して私はそんな一つの答えを導いた。


 それも死後二日とかそんなレベルではない。

 もっと長い長い年月が経っているのだ。


 死体の私の意識を呼び出すために力を使い果たしたのであろうカードに、私は一枚一枚魔力を籠めていく。

 私は一度死んで死人、それっぽく言ってみればリッチとして再び現世に帰って来たという事なのだろう。なぜか体内の魔力量は生前よりも強くなっていた。とはいえ、完全に魔力がなくなると再び死体に戻るだろうから無理はできないのだが。


 私は何も言わずに、私のためにずっと頑張ってくれていたのだろう者たちに、深く感謝しながら魔力を渡していった。



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