第19話 朝風呂
「はぁー……お風呂っていいですよね」
少しざらつく壁に背を預け、お湯にまだら模様の血を浮かべながらそんなことを呟く。隣で私の服をごしごしとしていたミロが、そんな私を見て久しぶりに笑顔を見せた。ファラは……仰向けでお湯に浮かんでいる。
「焼け残ったテントの利用方法としては最善ですね。私達がいる間しか使えなそうですけれど」
「この時代、無駄にお湯が高いです」
お風呂を楽しむ私達を取り囲んでいるのは、少し焦げ跡の残る天幕だ。爆発の影響で所々穴が空いているが、それは別の切れ端を張り付けて塞いでいる。蛸の攻撃から焼け残ったテントの残骸である。
ミロと雪見が、疲れた私のためにお風呂を作ってくれたのだ。
テントの残骸で目隠しを作り、アースのカードで地面を掘って固め、ウォーターとファイヤで即席のお風呂にした。三人で入っても余裕のある、ちょっとした露天風呂である。ついでに大きな浴槽から届く範囲に洗濯用の場所も作って、そこで既にボロになってきている私の服をミロが洗濯してくれている。
袖を通してから数日しか経過していないような気さえするが、実際には5000年物のヴィンテージである。どうやって保管されていたのか、あの頃と変わらぬ……そういえば、心臓刺された穴は塞がっているので、もしかすると新しい物なのかもしれない。
ちなみに、私以外の二人は服もいくらでも複製できるので洗濯とかは特に必要ない。私も汗はかかないのだが、埃やら返り血やらで結構汚れる上に今日はもう血だらけになってしまった。何だかんだ洗濯が必要なのである。
「それにしても、これどうしましょうね。新しい服買いますか?」
ミロが私に穴の開いた上着を見せる。焼き切れたようなその穴は右肩。今日の昼頃の蛸の戦闘でできた場所だ。
とりあえず他に着る服がないので洗濯は必要だとしても、その後は捨ててもいいくらいの見た目だ。血の汚れというのは時間が経つと落ちにくくなるものだ。盛大にシミになるだろうな。そうでなくとも右肩が焦げたし。穴空いたし。
それだけ考えれば買い替えを考えるのには十分である。臨時収入もあったので懐も温かい。
「そうですね。言われて見れば、この時代の服屋というのは見た記憶がありません」
「今回の仕事は一日で構わないって言ってたし、明日帰ってお買い物ですか?」
「明日というか、もうそろそろ朝日が昇りますけど」
そう。今は別にあの蘇生魔法の直後ではない。というか、あの直後にお風呂とか入ったら体力の限界で死ぬ気がする。むしろ簡単に死なない分もうもう一度地獄を見そうで怖い。
あの後私達は疲れを癒すために自分たちのテントに入り、眠れないまでも目を閉じて休んでいた。私も横になると多少楽だったので寝台でじっとしていた。
そしてしばらくしてからふと、血で濡れた服がものすごく不快なことに気付いたのだ。あの時は疲れていてそんなことにも気が付かなかった。眠くてパジャマに着替えるのも面倒とかそういう感じだ。……いや、違うかもしれない。
それからミロはせっせとお風呂を作って私の服を脱がせ、こうして白んでいく空を見上げながらお湯を楽しんでいる。
そろそろ他の冒険者も起き出す時間だが、いつまで入っているつもりなのかと言えば、ミロが洗濯を終えるまでである。
今日の服はファラやミロに複製してもらった服を着せてもらうという最終手段もあるのだが、魔法の服という心許なさがどうしても嫌なのだ。だって、なんだか裸の王様みたいじゃない? 滅多にいないとは思うけれど幻術系効かない人から見たら私、全裸で闊歩している美少女なわけでしょ? 絶対嫌だ。それに、途中で霧散する可能性というものはどうしても付きまとう訳で……。
そんなことを考えている間に、私の服の洗濯が終わり私達はお風呂から出る。それと同時に最初から存在しなかったかのようにお湯が消えて、服や体も一瞬で乾く。
魔法で生み出した水は魔法を解けば消えるのでこういう時に便利だ。あとは浮いた汚れをパタパタと払えばいい。
目隠しの天幕から外に出ると、既に日は顔を出し始めていた。
このキャンプの冒険者は朝が早い。明るくなった時に行動開始していなければ時間の無駄、という意識があるのだろう。熱心な登山家みたいだな。
キャンプから街へ帰る準備のために荷物を纏めていると、見知った顔が近づいてくる。
朝にもう一度彼と会う約束をしていたことを思い出し、私は作業を止めて彼に向き直った。
「もう帰るのか?」
「とりあえず一日だけ、という依頼でしたので」
「そういえば新人なんだったな。忘れてた」
昨日の患者は、昨晩見せた不安そうな顔も、どこか怖がるような顔もしていない。それが作った笑みなのか、それとも自然なものなのかは判断がつかなかった。
被覆材が剥がれないように一応巻いていた包帯を外すと、水の膜に覆われた傷口が露になる。
……思っていた以上に治っている。昨日よりも随分マシだ。もしかしてこの時代の人間回復力が強いのだろうか。
私は被覆材を消して一通り傷を観察してから、キュアのカードを使う。
痛みで顔を歪める患者を見て、ふと笑みが零れた。
「夜の間に何か体に異変はありませんでしたか?」
「特には。昨日は壮絶な物を見て寝つきが悪かったが、それはここにいた全員だからな」
「なるほど。では、治療費30カペラ」
私が手を出すと、男は予め用意していたのかポケットから数枚の硬貨を取り出す。
私がそれを勘定していると、男はそれを見て苦く笑って見せた。
「“あれ”を見てお前から治療費誤魔化そうなんて考えるやつ、そういないよ」
別れ際にそんな言葉を口にして。
***
街に戻ってきた私は関所の検問で止められている間、人当たりの良さそうな関守に服屋の場所を聞く。
その話では服屋というものはそう数が多いわけではないらしく、平民は布を売っている露店から買って自分で仕立てるらしい。では貴族や大手の商人はと言えば、専属の職人や流行りの仕立て屋に頼むそうだ。専属の仕立て屋とか仕事がない時は何をしているのだろうか。……これがホントのテーラーメイドなんて言ってね。
冒険者向けの武具店などなら価格帯は上から下まであるらしいのだが、正直私達が鎧を着てもあまり意味はない。私は筋力が足りずに満足に動けないだろうし、他の二人は鎧なんて足枷にしかならない。他の冒険者に比べて私達は怪我というものが怖くないのだ。即座に治せるし痛くないし。
既に日も西に傾き始めた頃、冒険者組合で仕事の報告をしてからやって来たのは、街の中心部に程近い仕立て屋である。
お金持ちが多く来る場所らしいその店内は、宝石やドレスなどが並んでいる。ただ、高級そうな外装や内装の割りに客層は意外に広い。貴人風の者もいれば、見るからに冒険者の恰好をした……
「あれ? マビですか?」
「えっ……!? アヤちゃん!?」
可愛らしい宝石のアクセサリーを、穴が空くほど睨みつけていた冒険者風の女性。どこかで見たことがあるなと顔を覗けば、本当に知り合いだった。私達に紹介状を書いてくれた上級冒険者である。
そういえば、こう見えて名家のお嬢さん(仮)なんでしたね、この子。いかにも冒険者という最低限の身嗜みをしているのであまりそうは見えないが。
しかし、こうして仕立て屋に来店しているという事は、お洒落にも一応興味はあるのか。
私がなるほどと頷いていると、ようやく状況を認識できたらしいマビは、私の恰好を見てもう一度驚く。
「ど、どうしたのその服!? 血だらけで穴も空いてるけど……」
「ああ、流石に冒険者はこれが血だと分かるのですね。一見するとそういう色味なのかと思いそうですけれど」
一晩にして血染めになったその服は、もはや見る影もない。赤茶色の血痕は服全体に広がり、元の生地の色は完全に死んでいた。
肩に穴が空いているのが目立ち、元の色の場所が一つも残っていないので、大抵の人は焦げたような穴に目が行くと思う。
私は昨日の出来事をマビに話しながら、店内を見て回る。
ただ、店内に並んでいるのは私が望んでいるようなものではなかった。服の完成品は数がなく、アクセサリーの類が多い。あと普通に調度品として置かれている高級家具。
仕立て屋という話だったので、おそらくここに並んでいる服は商品というよりもサンプルなのだろう。こうして並んでいるサンプルから流行が生まれて行ったりもするのだろうか。
私の大して長くもない話が終わる頃には、私達は店の半分ほどの品を見終わっていた。
マビは完全に私の話に意識を向けていて、既に悩んでいたアクセサリーの事は忘れてしまったらしい。驚きとも同情ともつかない表情で私を見ていた。
「初仕事でキャンプに水玉蛸複数に、怪我人多数……大変だったんだね……」
「運が悪い方なのですか?」
「もちろん。冒険者って怪我しないんだよ。怪我したら仕事無くなっちゃうからね。魔物のキャンプ襲来はまぁ、たまにあるけど」
「なるほど。ぼろい稼ぎだと思っていましたが、今後毎日というわけではなさそうですね」
「あはは……治癒魔法習得の労力考えたらむしろ赤字だと思うんだけど……ところで、一つ気になる噂を聞いたんだけど……」
噂?
私が青いネックレスから視線を外してマビを見ると、どこか不安そうな顔の彼女が映る。こうして改めて見ると、やはり美形だ。快活そうな顔をしている。
そんな彼女は、そんな年頃の女性の顔に似合わない噂話を私に聞かせた。
「凄腕の治癒魔術師が、女性冒険者を全裸にして土下座させたって本当?」
……勘違いしないで欲しい。
やりたくてやったわけではない。そうしなければならない理由があったからそうしただけである。
「……マビは財布の他にお金を持っていますか?」
「え? それはもちろん。というか、街中歩く時は財布に入ってる金額の方が少ないよ」
「そうなると支払いを渋る相手から、とりあえず有り金全部巻き上げる方法はそれしかないでしょう?」
「う、うーん……どうだろう……」
納得したようなできないような……マビは私の言い訳にそんなことを呟くのだった。