プロローグ2 今までとこれからと
暗く、深い場所へと落ちていく。
そんな感覚の中で私は、そっと昔を、今までの人生を思い出していた。
九重 アヤメは、元々はどこにでもいるような女の子だった。日本にある一般的な家庭に生まれ、普通に保育所に通って……。
ただ偶然にも類稀な魔法の才能を持っていた。おそらくは不幸なことに。
私の何を見てそう判断されたのかは、今でもよく分からない。
才能があると判断された私は両親の目の前で見えない何かに誘拐され、それからは“組織”に所属するとある一家に育てられた。
組織、もしくは魔術研究所としか呼ばれていないその場所は、酷く閉鎖的で排他的な共同体だったことを覚えている。実際に見たことがないので適切かどうかは分からないが、村社会的と言えるかもしれない。
科学研究者のように特別な知識を持つことを誇り、未知を探求しているのと同時に、偉大な権力者とその取り巻きだけが甘い蜜を吸っているような所だ。そんな碌でもない場所でありながら、底辺の下っ端ですら魔法の存在を知らない一般人を見下しているのだから世話がない。
魔法の力がその人個人の価値を決める社会だったが、個人の持っている魔法の才能は遺伝に起因する部分がほとんどという事は大昔から分かっていた。そのため特定の家系だけが組織の中で大きな発言力を持てた。
そこそこ才能のある女は大きな家で一番力のある男に宛がわれ、次世代の子供を産むだけの装置になる。女系の家ではその逆で、その世代で一番優秀な男を婿として迎え遺伝子を吐き出させる道具として扱う。
権力争いにご執心である優秀な魔術師の家はそんな、次世代の魔術師をより良くしようという事ばかりに躍起になっていた。地道な研究など下っ端のやることなのだと。もはや長年の研究の末に、人一人には扱いきれない量になってしまった既存の魔法を“練習”だけしていればそれで事足りるのだと。
閉鎖的なその場所では、余所者は例え一方的な都合で無理矢理連れて来られたのだとしても、余所者としてしか扱われなかった。新しい人材どころか、新しい発展や技術すらも拒まれている空気さえあったように思う。
それは仕方のない事なのだと、今でこそ思える。思い返してみれば魔法の“技術”の発展とは、それだけ優秀な人間が不要になっていくことそのものだったのだから。優秀な人間だけが扱える魔法など、圧倒的な数の前には大したものではなかったのだから。
自分たちが不要になることを恐れた組織の連中は、才能を伸ばすことだけに注力し、魔法そのものの改善を蔑ろにしていたのだ。
私はそんな場所の、優秀な人間が皆遺伝子を吐き出す装置として取られてしまった“元”良家、九重家に引き取られた。引き取られたというのは個人的には酷く不愉快な表現だが、それでも公的にはそういう事になっている。
誘拐された私は九重の姓とアヤメの名前を首輪に刻まれ、魔法の勉強ばかりをする毎日だった。
九重家にとって子供の誘拐は、か細い一発逆転のチャンスであり、そして保険であった。
万が一、子供が組織を代表するような魔術師になってくれればそれで良し、そうでなくともそこそこ優秀ならば奪われていった実子と同じように他の家が大金と引き換えに貰っていってくれるだろう。むしろ外部の遺伝子は貴重なのだからと、男系の家に女が高く売れる可能性すら見越していたように思う。
私と同じ理由で連れて来られた子供達は、他にも何人も居た。立場的に追い詰められていた九重家にとっては、法を犯すことすら安全策のように感じられていたのだろう。事実として多少の自由が得られた後に外で少し調べてみると、連続失踪事件として子供の誘拐が話題になっていた痕跡こそあれど、九重家やその身代わりが刑事罰を受けたという話はない。ほぼノーリスクの行為だったのだろう。
そして、幸か不幸か九重家は賭けに勝った。ジャックポット、大当たりである。
勝因はただ一つ。私が天才だったから。
他の子供たちが厳しい訓練に苦戦するのを他所に、私だけはあっさりとあらゆる魔法を次々と習得していった。集められた“養子”どころか、組織の中の自称天才とも比べ物にならない速度で。
そして小学校高学年になる頃には九重家が把握しているすべての魔法が使えるようになり、私にとってはそこそこ面白かった、他の子供たちから言わせれば地獄のような訓練から解放されてしまった。
それからは退屈な挨拶周りの始まりである。
九重家の当主は私を我が子のように、いやそれ以上の宝であるかのように触れ回り、他の家に挨拶と称し自慢して回る。他の良家がそれでもこれは出来ないだろうと門外不出の魔法を見せれば、それを私が数日で解析して同じものを使って当主に見せる。
特に彼が実子に愛情を持っていたようには見えなかったが、それでも我が子を他の家に奪われ、言外に嘲笑されていた当主にとっては最高の娯楽だったのだろう。
そんなことを続けているといつの間にか私は、戸籍上の父親である老人以外のすべての人間から疎まれるようになっていた。
私が足の踏み場にした子供たちからも、私が努力を否定した他の家の魔術師からも、そして私が不要な敵を作った九重家の者たちからも。組織のすべてから。
それでも組織は、形だけは実力主義の組織である。血筋が優先されている大前提が、その実力主義だからだ。
私は幼いながらも研究員として働き、幹部として取り立てられた。博士なんて呼び名を付けられてからは、自分の研究室で誰にも発表しない魔法の研究を続ける毎日だった。
時折家のためだ何だと迫って来る男ども(たまに特殊な女)を追い出していると、いつの間にかぱったりとそれが止まった。
不思議に思って少し研究室の外に出ると、原因はすぐに分かった。組織に反目する魔術師の家が出てきたのだ。
切っ掛けが何だったのか分からない。私のように碌な扱いを受けなかったのか、それとも遺伝子の改良作業が嫌になったのか、はたまた誘拐された子供たちの手引きだったのか。
とにかくいくつかの家が組織を出ると、組織の内部でも変化が起きる。裏切者を始末するために戦闘を生業とする魔術師が増え、そして完全に停滞していた魔法の技術の発展は人を傷付ける方向へと緩やかに流れて行った。
嫌われ者の私もそんな流れに飲み込まれて、何人か裏切者を捕らえて組織に処罰させたことがある。自分の手こそ汚していないが、彼らからすれば殺された方がマシだったのだから何の慰めにもならないだろう。
組織に残った勢力は大きく、また反逆者の中から組織に媚びを売る者、裏切者の裏切者まで現れ始める。反逆者と聞いた時はようやく組織の終焉かと嬉しくなったりしたものだが、詳細を聞いてみれば始まった時から私には結果が見えていたように思えた。
しかし私の予想は覆ることになる。
大方の予想通り大勢は組織の優勢で決まり、残党が降伏するのが先かこちらが殲滅するのが先かというそんな折、組織を出た内の一人、布野 正章がとんでもない発明品を作り出す。
それは、素人でも一瞬で熟練の魔法使いになれる道具だ。
私のように魔法の才能がある人間というのは、組織の外にもそれなりにいる。突然変異的にずば抜けた才能を持って生まれた者たちだ。
自分たちではもうどうしても戦況が覆らないのだから、外部から戦力を集めてしまおうという考えを取ったのだ。
小さな宝石型のその道具は、魔法の才能がある人間を魔術師に変身させる。使えるのは単純な身体強化や放出系の属性魔法程度ではあるものの、たったそれだけでも才能のある熟練の魔術師というのはそこらの木っ端共を圧倒出来てしまうのだ。
彼がどこからか才能のある少女を三人集めると、途端に組織と布野家は拮抗し始めた。
私でさえまともにやり合いたくはないと考えてしまうような戦力を前に、迂闊に手が出せなくなってしまったのだ。
遺伝子の改良にご執心だった組織の人間は、才能がある者ほど偉いので勝率の分からない戦場に出たがらない。それどころか、裏切者の始末は数に物を言わせる戦略が主で、才能がある者ほど戦闘経験がないという有様だ。
実際に働くのは嫌われ者の私と、私が飼っていたペット、そして女の子を殴って性欲を満たす変態眼鏡くらいだった。最後のはちょっと偏見かもしれないけれど、彼がなぜ戦場に出ているのか知らないので本当の所は分からない。
膠着状態に陥った戦況を前にして、私は戦っている三人の内の一人であるハナビの素性を暴くと、彼女たちの更なる情報を集めるために学校に潜入した。暗殺を……などと企んでいたわけではない。この三人を利用して組織も反逆者も同時に潰す計画を立てていたのだ。
一応魔法で顔を変えて通っていたのだが、およそ一か月ほどで偶発的に正体が暴かれてしまう。十分に集まったとは言い難い情報を手に学校をやめ、自分の家に帰る途中、同僚だった彼らに捕まってしまったというわけだ。
長かった走馬灯も友達との戦場を最後にして終わる。
もうじき私の意識も薄れ、消えて行くのだろう。思っていたよりも悪い気分ではない。大きな何かに溶け込んでいくような心地の良ささえ感じる。
ただ、心残りはいくつかあった。
もう本当の両親の顔も覚えていないが、今もどこかで暮らしているのだろうかとか。本当は明日調理実習で親子丼をつくるはずだったのにとか。興味本位で買ってしまったレディースコミックが今後誰に発見されるのかとか。月見と雪見は元気だろうかとか。……ハナビは、あの後どうなったのかとか。
……考えてみれば、今の状況は布野家にとっては都合がいい。反撃するなら今だと考えるかもしれない。
私が随分前から組織に仕込んだ様々な毒は、組織にすべてバレた所で今更取り返しのつかないところも多い。それを知らないのだとしても私が裏切者として処分されたと知れば、あの聡い男のことだ、そういうものがあるのだろうと予測は立てるはず。
それに自慢ではないが、魔法研究に関してはあの組織唯一のパイオニアである。組織側の大抵の発明品は私の作品だ。そんな人物が死んだのなら、進んでいる計画などもある程度は一時的に停滞するはずだ。
「何だ……意外に大丈夫そうじゃないですか」
思わずそう口が動いたが、暗いだけの世界では音は一つも響かなかった。