第17話 蘇生
ミロが書いてくれた丸い陣の中央に、寝台を改造した簡素な祭壇が設置された。ファラがリュートと呼ばれていた死体を、シーツごとそこにそっと置く。
陣の中の決められた位置に数枚のカードを置いてきてくれたミロは、私に一冊の本を返しながら眉を顰めていた。どうも私が彼の蘇生を行うのが気に入らないらしい。
「不満そうですね」
「それは……そうですね。私はアヤさんが頑張らなくともいいと思います。関係のない人が死んでも、私達には関係がない」
「そうでもありません。どうも冒険者というのは有事の際に協力し合う文化があるようですし、仕事の一部だと考えれば自分の評価にも繋がります」
冒険者同士の協力。これはつまり、冒険者は冒険者に優しいと言い換えてもいい。
これから冒険者になる(かもしれない)私達にマビやおじさん達が優しかったのも、ここの患者がやたら温情に縋るような値下げ交渉してくるのも、そういう事なのである。
だったら、今まで良くしてもらった分私も何か返すのがいいだろう。
“組織”でもそうだった。あそこはそれが協力などという前向きなものではなく、恨みだとか暴力だとかだったというだけで。
まぁそれはそれとして、凡人に安く買い叩かれるのは我慢ならないのだが。
準備が整ったその“祭壇”には、取り囲むように野次馬の冒険者達が集まっている。私の研究の成果が衆人環視の中でお披露目というのも落ち着かないので、見学料取るぞと言いたいのが本心だが、今日はもう既に人と関わる事に疲れているので諦めている。
私は人込みをかき分けながら、祭壇まで歩みを進める。
陣の一歩手前、祭壇の一番近くで不安そうな顔をしているのは、リュートの仲間の女性だ。名前は、そういえば聞いていない。表情を見る限り、本当に助かるのか半信半疑というところだろうか。
私は彼女を追い越して陣の中に足を踏み入れると、名も知らぬ彼女を振り返った。
「これから儀式を始めますが、私が何をしても決してそこから一歩も前に出ないようにお願いします」
「え、ええ、分かったけれど……本当に大丈夫よね」
「あなたは明日の生活の心配でもしていてください。こちらは何も心配いりませんから」
会釈するファラとすれ違い、円形の陣の中には私一人になる。
祭壇の上に置かれた死体を見ながら、私は右へと足を運んだ。一歩進むごとに儀式の内容が思い出されて微妙に陰鬱とした気分になって来るが、それでも一度決めたことをそう簡単には止められない。
その道の途中に、私以上に嫌そうな顔をしている、私と同じ顔が二つ。
「ミロ、ファラ、何も問題ありませんか?」
「……今からでも止めませんか?」
「問題はないのですね。始めます」
陣の中の道を歩き、最初のカード、通し番号0番、ライトのカードの前で立ち止まった。
そして懐から一本のナイフ――冒険者組合で貰ったただの安物――を取り出し、左の掌に深々と突き刺した。刃は貫通し、血が溢れている。それが足元にあったライトのカードを汚した。
見ていた誰かが息を飲むのが聞こえるが、正直あまり痛くない。普通の人間が手の腱や筋肉を断ち切るのはおすすめしないが、私は痛覚が鈍い上に簡単に治す方法があるのでこの程度ならば何でもないのだ。治癒魔法は痛覚関係なく痛いけど。
私は少し重くなった足を引きずりながら、左手に刺さったナイフを引き抜く。
その後も私はカードの上を通る度に、自分の体にナイフを思い切り突き刺した。
左手の次は左の前腕、左の上腕、左の大腿、左が終われば今度は右。合計八ヶ所を血で染め、陣の内部は奥に行くほどに量の増えていく血の参道が出来上がっていた。
ナイフで突き刺す度に鈍い痛みが走り、それ以上に魔力がごっそりと抜け落ちていく。その度に倒れそうになるのだが、それは根性で何とかしていく。
ただの精神論ではない。精神を強く持つというのは、魔力の効率の観点から見てもそれなりに重要なことである。
そうしてすべてのカードを血で染めて、ようやく私は祭壇まで辿り着いた。
既に周囲の人々の息遣いは聞こえない。耳に入るのはどこで鳴っているのかも分からない耳鳴りだけだ。
私は祭壇に血だらけの両手を置くと、大きく息を吐いて最後の覚悟を決めた。
「神に捧げし不死の霊薬、今ここに一滴の施しを……」
祭壇にありったけの魔力を注ぎ込み、そう呪文を唱える。
そして次の瞬間、自分でつけた刺し傷に激痛が走った。傷口が力任せに広げられているのだ。
痛みや怪我は歯を食いしばって耐えられるが、それ以上に問題なのは全身から抜けている魔力の量だ。
魔力を完全に失っても普通の人間は数日気を失った後に回復する。別に死ぬわけではない。
しかし、この体は現在、死体を魔力で無理矢理動かしているに過ぎない。完全に魔力を失えば再び死体に戻る。一度魔力がゼロになれば、もう自然に回復することはないだろう。
もちろんもう一度月見や雪見に助けてもらえれば現世にこうして帰って来られるのだが、二人が5000年分貯めた魔力を使ってようやく使えた蘇生の魔術は、そう易々と使えない。今は私がカード達に魔力を籠め直した直後な上、儀式に必要な道具がすべて揃っているので、流石に5000年は必要ないと思う。
しかしそれでも、数百年くらいは覚悟しなければならないだろう。
出来ればそれは避けたかった。
全身から力が抜けていく感覚に膝をつきそうになるが、何とか傷だらけの腕に力を込めて祭壇にしがみつく。気付けば体中にはナイフ以外の傷がいくつもできていた。
それに呼応するように、目の前の死体の傷が消えて行く。
そう。これはつまり、傷を他人に移す魔法なのである。何の対価もなく傷を癒すのは難しいが、同等の存在、生きた人間は傷を癒す対価になり得る。
更に平易な言い方をすれば、生きている人間に“死”を分け与える魔法と言ってもいい。
問題点は加減を間違うと術者自身が死んでしまう事と、壮絶な痛みの中で魔法を制御し続けなければならないことである。
そして地獄のような永い時、もしくはたった数秒の時が流れ、目の前の男に変化が起きる。
「あがっ、あ、あぁああ!!!」
突如目を開けたと思えば、絶叫と共に暴れ始めたのだ。止まっていたはずの彼の心臓はもう一度脈動を始め、傷口を無理矢理塞がれた体は激痛を訴えているはずだ。
事前にファラに祭壇に拘束されているので鎖をジャラジャラと鳴らすだけだが、それでも今すぐ止めろと言わんばかりに体を激しく動かしていた。拘束されているという事実に気付いているのかも怪しい。
さぞ痛いでしょうね。爪で首を裂かれ、全身の骨を砕かれた傷を無理矢理治されるというのは。
ついさっきまであの心地の良い場所で寝ていた所悪いのですが、あなたにはもう一度生きてもらいます。そう“勝手に願う人”がいて、死人に口はないのですから。
陣の外では誰かが何かを叫んでいるような気もするが、私の耳には入らない。
聞こえるのは自分の口から漏れたような声と、目の前の男の絶叫だけだ。当然、私の考えていることも彼には伝わっていないし、彼から返事があるわけでもない。
そんな地獄のような神の儀式は、彼の致命傷の一切が消えるまで行われた。
***
体感した時間は永遠のように長かったが、実際には私が血の参道を作ってから十分ほどしか経過していない。
一応すべての傷が塞がり、肌も健康的な彼の呼吸を確認して、私はフラフラと祭壇に倒れ込む。べちゃりと鳴ったのは私の血だろうか。
私が倒れるのと同時に、遠くから聞き慣れた声が耳に入る。
「アヤさん、お疲れさまでした」
「……ミロ、とりあえず私の傷を塞いでくれませんか。流石に辛いので」
思っていた以上に弱弱しい自分の声は、それでも彼女に届いたらしい。
いつの間にか参道から拾ってきていたらしいキュアのカードで、彼女は私に治療を施した。ちなみに魔力源は息も絶え絶えの私ではなく、不要な物と一緒に彼女らに渡した月見と雪見のカードである。
彼らは私とは別に魔力を生み出せる使い魔なのでこういう時に便利だ。
「無茶しないで下さいね」
「痛たた……」
いくら痛みに鈍いとは言え、流石に傷が多過ぎて痛い。その上、体力や魔力まで無くなっているので声もあまり出ない。
治っていく傷口を確認しながら何とか体を持ち上げると、遠くに聞こえていたはずの声の主は意外にも近くにいることに気が付く。どうやら文字通り耳が遠くなっていたようである。
体が治ってもまだ違和感の残る聴覚について考察しつつ、私は眠っている男の体を拭いていく。自分の血か相手の血か分からないが、拭けば驚くほどに綺麗な肌だ。首元の見るに堪えない傷口も、内出血も完全に消えている。骨や内臓も治っていることだろう。
しかし、油断は禁物だ。どこかにまだ怪我が残っているなら、私の知識と努力の結晶は無駄に終わってしまうかもしれない。ここまで来て明日の朝には死んでいたなんてことは避けたいので、早く確認するに越したことはない。
そんなことをしていると、綺麗な布を持ってきたファラに役割を奪われた。
どうやら私は休んでいろと言いらしい。実際に言っているのかもしれないが、上手く耳が聞こえないのだ。
それにしても酷い風邪を引いた時のように、いやそれ以上に体がだるい。
この体は、多少疲れることはあれど体力は実質無尽蔵にあるのだとばかり思っていたが、どこかに限界があるという証拠だ。もしかすると魔力量に応じて体力も変動するのだろうか。
私が寝台を改造した祭壇に腰を下ろしてそんな考え事をしていると、私以上に憔悴した様子の女性がフラフラと陣の中を歩いていた。
そして彼女は私の前、つまりは祭壇の前にまでやって来る。
「あ、の、その、リュートは助かったの……?」
「今は体力を使い果たして眠っているだけです。目が覚めれば私より元気なはずですよ」
「そう、ですか……」
何とか聞き取った小さな呟きに返事をすると、彼女は彼の寝顔を見てしばらくの間泣いていた。