第12話 冒険者の価値観
回復魔法が使えるわけない、という言葉はとりあえずいい。見ていないモノは信じられないという考えは、非常によく分かる。
もしかして今私、笑われました? 子供っぽく見えるから?
ギロリと背後を振り返ると、そこには胸元を大きく開けた褐色肌の青年が立っていた。年は私とそう変わらないように見えるが随分長身だ。私よりも頭三つ……いや二つ程度高い。おまけして2.7個分くらいにしておいてやろうかな、うん。
私はその彼の用紙を確認してから受付の男を振り返った。
「……受付さん、ファラの契約はこれで終了ですか?」
「え、あ、はい……終わりました」
「では、私はこれで」
青年は腰に二本のサーベルをぶら下げている。若そうに見えるが、もしかして現役の冒険者だろうか?
腕や首元に高価そうなアクセサリーを身を付けており、収入はそこそこある様に見える。
喧嘩を売られたのは確かだが、ここで買っても何も良い事はないだろう。むしろ冒険者登録の初日に無駄な敵を作ることになりかねない。
私は“大人”として対応するのだ。こう見えて5000歳を超えているからな。今後は口に気を付けろよ、若造。
決して喧嘩が怖いとかではない。刃物を持った男と喧嘩することを愚かだと思うから逃げるのだ。私にかかればこんなやつの相手、赤子の手をぷにぷにするようなものだが、それでわんわん泣かれたら敵わない。
私は未だに笑みを見せている青年を避けるように一歩前に踏み出すと、彼は私の行き先を塞ぐように動く。仕方ないので反対方向に避けても、彼はまたもや行先を塞いだ。何だ? 5000年という月日が流れても人は連続回避本能から逃れられないということなのか?
ならばと今度は壁に向かって横に進む。それでもついてくる男。どうやらどうしても私と話がしたいらしい。
……これは別にムカついたから喧嘩を買うとかではない。穏便に冷静に、話し合いでそこを退いて貰うことにしようというのである。
そんな秘かな決意を胸に足を止めると、にやけ面の男は私に対して一歩前に歩み出た。
「おいおい、嘘を吐いておいて挨拶もなしに帰るのかよ」
どうやら完全にターゲットにされてしまったようだし、遠慮は要らないだろう。私は帽子の鍔で顔を隠しながら、深くため息を吐く。まったく不愉快な男だ。今後の生活を気にしなければ痛い目を見せているのだが、どうもただの貧乏人には見えない。
そんな私の態度に、腰のデッキからどうしたのかと雪見が出て来て顔を舐めた。どうしても面倒な時は実力行使で突破するけれど、まだ出て来なくても大丈夫。我慢の限界が来たら一緒にヤろうね。
「その通り、帰るのです。退いて貰えませんか、名も知らないお方」
「おっと、確かに名乗ってなかったな」
「いえ、お名前は結構です」
こちらの声は聞こえていないのか、男は自分が持っていた一枚の紙を開く。封をされていたようだが、それをぴっと開くと私に見せびらかした。ところでそれって自分で開けていい書類なの?
尤も私は文字が読めないので、何が書かれているのかは分からないのだが。
「俺はジン・モイブ。この都市に二人しかいない一級冒険者、ウラノ師匠の弟子だ」
「へぇ。それは凄いですね」
どうだと言わんばかりに突き出された紙を避けるように歩き出したが、やはり道を塞がれた。
徐々に苛立ちが募って思わず手が出そうになるが、権力者と喧嘩をしていい事などほとんどないのが世の常だ。自己紹介もしてもらったので知らなかったでは通らないだろう。
長い物にはとりあえず歯向かいたくなる気質ではあるものの、集団をぶっ壊すにはそれなりの手段が必要なのだという事を私は良く知っている。
「おいそこの。これ紹介状だ。俺の冒険者登録を頼むぜ、派手にな!」
「あ、あの、契約書にサインを……」
「代筆で構わん」
受付も私達の時とは明らかに態度が違う。どうやら一級冒険者とはそれだけの存在という事らしい。
まぁ国が直接頼み事をするような連中だし、管理側とはいえこんな受付業務に従事している木っ端役人では頭が上がらないのかもしれない。
ジンと名乗った男は、師匠に書いて貰ったらしい紹介状を受付に投げると、再び私にちょっかいを出す仕事に戻る。余程私とお話しするのが嬉しかったのか、彼は態々高い腰を折って帽子の下の私の顔を覗き込んだ。
「まぁこれも何かの縁だろう。同期の誼みってやつで急告してやる。お前みたいなお嬢様には冒険者は無理だ。金が要るならプライドなんざ捨てて花街に仕事探しに行くんだな。金が溜まったら遊びに行ってやるよ」
「……寡聞にしてウラノさんという方を知らないのですが、この弟子の相手は大変でしょうね」
私がそんなことを言い終える前に、男の眉がピクリと動く。
そんなものを見ていた私の首元には、いつの間にか銀に輝く刃が突き付けられている。
どうやら目の前の男が剣を抜いたらしい。まったく見えなかったので自信はないが、現状を見る限り多分そう。
「お前、死ぬか?」
そしてその刃よりも鋭い眼光が私を睨み付けた。
しかし、どうにも緊張感がない。別に彼の脅しが他に比べて怖くないとか、そういう事ではない。それでも私は刀を気にせずに見学者たちの表情を見たりする余裕まであった。
周囲を見るに、どうやらこの男はこの時代の常識から見てもやりすぎらしい。信じられないものを見る目で見られている。ハラハラして助けに入ろうか悩んでいるように見える者もいた。
こうして刃を向けられて一つ気が付いたことがある。
どうも私は、一度死んでから死に対する恐怖心というものがごっそりと抜け落ちてしまったらしい。この剣が自分を貫いた時に、待っているのはどうしようもなく優しい、温かな場所であるという事を心のどこかが覚えている。
こういう感情を懐郷と呼ぶのだろうか。ちなみに懐郷とは、日本語で言うところのホームシックである。違うかな。違うかも。
私は今一つ緊張感に欠けるこの状況を前にして、白けた目で彼の顔を見上げた。
「……そうですね。とりあえずあなたには、私を嘘吐き呼ばわりしたことを改めさせる機会を差し上げましょう」
「は? 何を」
さくりと、刃が私の喉を貫く。
何という事はない。私が一歩前に歩み出たのだ。
ここにきてジンはぎょっとしたような表情をして剣を引く。個人的にはようやくまともな顔を見られて何よりだ。こうして見ると結構顔立ちは整っている。モテるだろうな。
心臓が動いていないので勢いはないが、深く切られた首から血が流れる。
しかしそれもすぐに止まった。ハンカチで血の汚れを拭き取ると、そこには傷跡すら残っていない。
「どうでしょう。信じる気になりましたか?」
「お前、何を……」
「それとも、ご自分の怪我で試してみないと信じられませんか?」
私は血の付いたハンカチを畳みながら、まだちょっぴり痛みの残る首を触る。
自分の体で延々と実験していたので、もう治療魔法特有の激痛には慣れてしまったが、それでも痛い物は痛い。この体になってから痛覚は多少鈍くなっているようだが。
刀が抜けた直後に魔法を使ってくれたキュアに感謝しつつ、私はもう一歩前に進む。今度の一歩を阻む者は誰もいない。
私は更に冷めた目でジンを見つめた。
「一級冒険者の出来の悪いお弟子さんでも、自分の目で見た物を理解することくらいはできますよね?」
「……なるほどな。お前が普通じゃねーのは分かった。今日の所はこれで許してやるよ」
ジンはそう言って踵を返すと、契約書にサインもせずに組合を出ていくのだった。これで登録できずに明日も手続きだったら笑えるのだが、まぁそうはならないだろう。
それにしても、私いつの間にあいつに“許される”立場になっていたのだろうか。もしかして聞き間違いかな? 私が権力者だから殺さなかったという、極めて一方的な関係だと思うのだが……。
冗談はさておき、私はすぐにその後を追って組合を出る気にもなれず、大きくため息を吐いた。どうも面倒そうなのに目を付けられてしまった気がする。私は何も悪くないのに。ああ、自分の才能が恨めしいね。
勢いよく開け放たれ、反動で開閉する扉を片手を腰に当てて見ていると、後ろにいた二人が私に駆け寄って来る。
「大丈夫でしたか?」
「あいつ、こっそり始末しますか?」
「そうですね……単純に疑問なのですが、あれ相手にファラだけで何とかなるんですか?」
物騒なことを言い始めているファラだが、ジンの実力は本物である。人を見る目はないが。
剣士としてはマビ何かよりずっと強いのではないだろうか。二人とも実際に戦っている所をじっくり見たことがないので何とも言えないが、少なくともジンは人を殺す術には長けているように思える。
それにしても、あれが同期か。しかも有名人っぽいし、面倒だな。もう冒険者止めようかな。
そんなネガティブなことを考えていると、壁際にずっといた男達がこちらに歩み寄ってきていることに気が付く。何か用かと視線を向ければ、そこには今までの観察するような目はなく、どこか安堵したような表情があった。
「大丈夫だったか? 初日からあんなのに絡まれるなんて運がねぇな、嬢ちゃん」
「何か御用ですか?」
「というよりも、そんなこと考えてたなら助けに入ってくれても良かったんですよ?」
同じ顔で同じ声の二人にそんなことを言われて、おじさんはあははと苦笑い。いや、髭が長くて老けて見えるが、もしかするとそこそこ若いのだろうか。良く分からない。
「無茶言うなよ。一級冒険者の弟子を止めるなんて、俺たちみたいな小物には無理ってもんさ」
本当にそう思っているのだろう。大事にならなくて良かったなどと笑っている。
聞けば彼らは、一級冒険者が紹介状を書いたという噂を聞きつけてその弟子を一目見ようと集まった中級冒険者達らしい。どうやら紹介状を出した時に、私が変な目で見られていたのはその所為のようだ。
5級やら4級やらといったあまりパッとしない等級と、耳慣れない名前が自己紹介されるが、正直覚えきれない。何度か会うならその内覚えるので勘弁してもらおう。
しかし本当にジンの顔を見に来ただけならば、こうして私に声をかける必要も、そして彼の悪口で盛り上がる必要もないはずである。
「それなら向こうに媚びを売った方が得じゃないですか?」
そんな、私からすれば当然の疑問をファラが口にするが、冒険者達はその意見に肯定することはなかった。
未来の有望株に目をかけてもらうのは、悪くない選択肢だと私も思うのだが……。そういえばあの時、助けに入りそうな人も中にはいた。あの場で助けに入るというのはつまり、私を庇ってジンと敵対するという事だ。
そんなリスクを負ってまで、無名の私に救う価値があるのだろうか。
私がそんなことを考えていると、一番手前の男が答えてくれる。
「そりゃあ、あいつはどこまで行ったって俺たちの商売敵か、無関係の同業者にしかならんからな」
「どういうことですか?」
「ああいう実力者は俺たちみたいな連中を助けてくれねぇのさ。あの実力なら中級なんざすっ飛ばしてすぐに上に行くだろ? そうしたら基本的に仕事場ではかち合わん」
私には分かるような分からないような理屈だ。どちらかと言えばずっとその“実力者”側だったからだろうか。
つまり彼らが言っているのは、ジンにとって自分達は取るに足らない存在だから嫌われてもいいという事だ。私は嫌われて尚且つ顔を覚えられたら、色々と不都合があると思うのだが……。
そんな疑問が顔に出ていたのか、おじさんはニッと笑うと言葉を続けた。
「その点、お前さんは仲良くすれば俺たちを助けてくれるからな」
「……ああ、魔法目当てですか」
「俺が怪我した時は安くしといてくれよ? 怪我の治療できる魔術師で冒険者何かやるのは貴重なんだよ。大体医者になって金持ち相手の商売始めるからな」
「そうそう、魔物の領域にいる手当てのできるやつってだけでありがたいから、俺たちとしては恩を売るなら嬢ちゃんの方が得ってもんなのさ」
なるほどね。私が治療用の魔法を使えると言った時の沈黙はつまり、本当に信じてもいいのかという疑問と、本当だった場合は助かるという期待だったのか。
一つ納得した私は、何の役にも立たなかったくせに値引きを要求する図々しい男達に一つだけ断言しておく。
「まぁ、恩は売られていないようなので、普通にお金取りますね。助けられてませんし」
「そりゃねぇぜ、嬢ちゃん!」
その後私は、何とか私に恩を売ろうとするおじさん達の、そこそこ有意義な話にそれぞれ得点を付ける。私のつける点数に一喜一憂する人々と、しばらくの間笑い合うのだった。