第10話 神話
その建物は、一言で言えば奇妙だった。
少なくとも私の価値観からするととても奇妙に映る。
ステンドグラスや白い壁は西洋風の教会のように見えるし、木の柱と石垣のような土台は神社のように、入口にある深い紫のカーテンに至っては何だかよく分からない。そのカーテンは扉の代わりなのか、朝の風を受けて少しだけ揺れていた。
正面から見ると正方形をしているその建物は、入口の上に放射状に延びた五本の線をシンボルのように掲げている。仏像についていたら後光の表現、つまりは光背に見えたのかもしれないが、それぞれの長さや曲がり方を見れば簡略化された手の表現であることが分かる。
というかこのまっ平な屋根、雪が降ったら大変なのではないだろうか。他の建物は屋根の傾斜がきついので降雪地帯だとは思うのだが。
私達がそんな建物に呆気を取られて突っ立っていると、窓ガラスの拭き掃除をしていた男性が振り返る。彼は若草で染めたような……一言で言えば地味な服を着ている。下は袴で上はパーカーのような形の服だ。お洒落で着ているのだろうか。
私がじろじろと彼の様子を無遠慮に見ていることも気にせずに、彼は笑顔で私達に挨拶をした。
「おはようございます。行商の護衛の方ですか?」
「……朝一番で城門を抜けたばかりです。ところであなたはここの人ですか?」
ここで旅の人とは考えないあたり、人が移動するにはそれなりの理由が必要な世の中なのだろう。
私は彼の質問に当たり障りのない返答をして、そんな予想を立てる。魔術師三人が他所から来るのは誰かの護衛が多いのか、それとも格好を見て単純にそう考えただけなのかは分からないが、やはり冒険者への登録はしておいた方がいい気がする。こういう時に適当に誤魔化すにはそれっぽい身分が必要だ。
私の返事をまともに聞いたのか聞いていないのか分からないが、その男は私の言葉に一礼するとにこやかな顔を見せた。
「それはそれは、私はこの神殿の神官長をしています。良かったら見学されていきますか?」
「……それでは、お邪魔させていただきます」
神官長の言葉に対して私達はしばらく相談するように顔を見合わせたが、特に断る理由もないので入らせてもらうことにする。ちなみに受ける理由も特にないが、強いて言えばこの国の信仰について聞くにはまたとないチャンスだろう。怪しい儀式の匂いはしないし。
紫色のカーテンを抜けて最初に目に入ったのは、建物の中央に鎮座する大きな木の柱だ。柱の先端からは八方向に梁が出ていて、力強く平らな天井を支えている。
梁の間には一つずつ絵が描かれている。天井画というやつだ。綺麗な色使いで、どことなく西洋風に見える。こんな場所に飾られているという事は宗教画だろうか。
それを見上げていると神官長が解説をしてくれた。
「この八枚の絵はですね、天地の再生を描いたものなのです」
「……なるほど」
私は神官長の言葉に曖昧に頷く。
解説はありがたいのだが、この情報が常識だった場合なぜ知らないのかと詰問される可能性があるので、迂闊なことを言えない。天地再生? 創造ではなく?
宗教の話と聞いて私が一番最初に思い描くのは、天地創造の神話なのだが、少なくともこれは違うらしい。
どこから見ればいいのか分からない私は、勘で入り口側から時計回りに絵を見ていくことにした。反時計回りだと一見話が繋がらないように見える。
最初は世界が壊れている絵だ。ずっと広がる荒廃した世界。その一個手前が楽園のように描かれているので、もしかするとそっちが最初かもしれないが、私はそれを確かめることもせずに歩みを進める。
次が三人のローブの男たちが神から宝石を授かっているシーンだ。宝石は人数分ある。何か特別なものなのだろうか。
その隣ではその三人が黒い何かをを魔法で打ち払っている。宝石が魔法を出しているようにも見える。相手は人型の……黒い人だろうか? とはいえ黒人差別ではないと思う。肌は墨のように黒いし、第一黒人に羽は生えていない。私には悪魔のように見えるが、何かこういう生物がこの時代にはいるのだろうか。
悪魔が退いた次は崩壊した世界に三人が花を……植えているのか愛でているのか分からないが、何かしている。荒野に一輪だけ咲いていて、そこに光が差し込んでいる。特別な花なのだろう。
その次は三人の下に多くの人間や動物が首を垂れるシーンだ。もしかすると建国か何かだろうか。
そして三人はそれぞれ異なる魔法を民衆に……教えている? 多分そう。まさか見せびらかしている訳ではあるまい。
次の、つまり七枚目の絵は難解だ。
一つの石碑を前にして人々が俯いている。建国のように見えた二つ前の絵に構図が似ているが、今一つ何をしている場面なのかが分からない。
私が足を止めて首を捻ると、その答えは意外な人物からもたらされた。
「多分これは、死別ですよ」
「え?」
すぐ隣、ファラから聞かされた言葉が頭の中で反響する。
死別、つまりは英雄三人のお墓の前で人々が泣いている図……なのだろうか。そう言われて見ればそう見えなくもない。悲しんでいる割に献花もされていないのが、少し気にならなくもないが……。
「……そうですね。“ドクター”はお葬式もしませんでしたから、ちょっと似ているかもしれません」
ミロの言葉を聞いて、私は少し納得する。
そういえば私は葬式というものに出席したことがない。多分、この死体も自分の葬儀には出席しなかっただろう。
だから少しだけこの絵の解釈に迷ったのだ。死んだ人を悲しんだことは、今まで一度もなかったのだから。
人々が泣いた後は、最後の一枚。花の咲き乱れる楽園の絵だ。
その隣が荒廃した世界。最初の一枚。
この二枚を出発点にして、その絵はぐるぐると終わらない物語を伝えているように見える。これが神話なのであれば、実際にはここの間のどこかに始まりと終わりがあるのだろうけれど。
入口の方に設置されたステンドグラスは、一輪の花が描かれている。おそらくは三人で植えていた花なのだろう。
「奇跡の花、始まりの花……きっと、そんな感じなのでしょうね」
神から力を譲渡され、敵を打ち滅ぼし、そして荒廃した世界を再生し、人々に魔法という知恵を与えた。英雄であり、天使であり、そして神に近い行いをした。これはその三人を称える話なのだろう。そしてこの神殿が伝えているのは、それを根幹にした“宗教”だ。
それを象徴するように、入口のない壁にはそれぞれ一体ずつローブを着た男の像が並んでいる。これらはこの三人なのだと思う。人数も格好もそれに近い。
ここで礼拝をしている者を見学すれば、全員神殿を時計回りに回っている。どうやら絵と同じ順番で祈りを捧げるらしい。
「何というか……意外に普通の神話じゃありませんか?」
「そうですね。どちらかと言えば建国物語のように見えますけれど、伝承としてはオーソドックスに思えます」
もう一周絵を見てきたらしいミロの言葉に、私も頷く。
天地再生と聞かれたときは何か非常に新しいものだと思ったのだが、それは間違い……と考えて一つ不思議なことに気付く。
ステンドグラスから建物の中を振り返れば、まるでただの美術品であるかのように像を観察していたファラと、それに対してお手に触れないようにと注意をする神官長がいた。
私は彼の背中に追いつくと、一つ気になった疑問をぶつける。
「あの、聞いてもよろしいでしょうか」
「はい、何ですか? 我々は教えを広めることが第一なのですから、何でも聞いてください」
「……この三人に力、つまりは宝石を与えたのは何者なのですか?」
この神殿は明らかに英雄である三人を祀っている。特別そういう場所なのだという可能性もなくはないが、これは少し不思議だった。
神話は彼らよりも更に上位の存在を仄めかしているのだ。普通はそちらを一番丁重に祀り、その下に三人を配置するのではないのだろうか。もしくはキリスト教のように神とキリストを同一視するとか。
これこそまさに、私が建国、王権神授説の物語のように見えた一番の要因である。
そんな疑問に彼は苦い笑みで答えた。
「それは、私達にも分からないのですよ。神話の原典にも偉大なる者としか書かれていないのです」
「良く分からないモノは崇められないと?」
「少なくとも私達は。貴方のような魔術師の方はこの偉大なる者に信仰を抱く方も多いのですけれどね」