~あなたもそのうち出くわす話(くろす駅)~
「くろす駅(六)」
磯部は悶々としながら痛む体を引きずって帰宅し、次の日、寝不足のまま出社した。
――……案の定、岩居は来ていなかった。
無断欠勤などする男ではないので、心配して課長が連絡を入れたら、岩居の奥さんに昨夜から行方不明だと告げられた。
警察に奥さんが捜索願を出し、3日後。
白骨死体が、隣の霞場町側の川の草むらの中で発見された。その時に岩居の自転車も発見されたのだが、奇妙なことにその自転車は何年も放置されたかの様に錆び付き腐食していた。白骨死体は何年も経っており、DNA鑑定と頭蓋骨の復元でようやく岩居のものと判明したと、後で岩居の奥さんから磯部は聞いた。自転車からも事件や事故に関する手掛かりは何ら見つからず、結局事件は迷宮入りしてしまった……。
それから1ヶ月後の夕方。
磯部はなんとなくあの無人駅の通りを通った。
しばらくの間、避けていた道だ。
ぼんやり踏切の遮断機が降り、電車が通り過ぎるのを眺めていたら、
「磯部さん」
と声を掛けてくるものがある。
振り向くと
「道に迷ったら上着を裏返ししろ」
と磯部に伝えた三峰が立っていた。
三峰は磯部の傍までやってくると
「岩居さん、上着ひっくり返すの間に合わなくて残念でしたね」
とポツリと言った。
磯部はその言葉に怖気立つ。
あの日の話しは誰にもしていなかったのに。
なぜ三峰はあの日、磯部がジャケットを裏返した事、岩居が間に合わなかったことを知っているのか。
磯部の驚いた顔をみたからなのか、三峰は落ち着いた様子で言った。
「私ね、ぶっちゃけると岩居さん本人…?から聴いたんですよ。あーつっても岩居さんの幽霊?…みたいな。夢枕に立ったっていうのかな、アレ。てか岩居さん、どうも生きたままあっち側行っちゃったんぽいんですよね。……たまぁにいるんです、そういう人……。だから、磯部さんは悪くないし、最善尽くしたと思います」
三峰は毅然と言いきった。
慰めとかでもなく、三峰は何か知ってるんだと解って磯部は身を乗り出す。
「三峰さん、あんた…その、何を知ってる?俺が体験した……あれは……あの一連の出来事は何だったんだ!?」
三峰は首を傾げ眼鏡を直しながら、磯部の隣に立つと上がっていく遮断機と点滅をやめた警報ランプを交互に見つめた。
「あの夜おふたりが見てしまったのは、あの世とこの世を繋げてる電車です。と言うより、本来はこの世でお役目を終えた者たちがあちら側に行くために乗るもんです。ちなみに電車も同じくこの世でのお役目を終えててあちら側で再利用されてるもんだと思います」
「あの駅はなんだったんだ?」
「お二人が迷い込んだ駅ですか?……まぁ廃線になった駅のひとつでしょう。因縁が強くてこの世に根を張った場所、というか」
「"くろす駅"ってのも知ってるか?」
「あぁ、お二人が行かれたのはくろす駅だったんですね。噂ではよく耳にしますよ。それこそ都市伝説なんかでもたまに出てくる名前ですね。なんでも火事で燃えて消えた駅舎って。挙句、火災に巻き込まれたお客が数名いたって話です。夏の盛りに火が出たってだけでなく、電車にまで燃え移ってしまったそうで。そこで死傷者があったそうです」
その時、磯部の脳裏に記憶が呼び起こされる。急に燻って黒焦げになった駅。周囲を包む煙。岩居親子を乗せた電車が突然燃え上がったこと。
「まぁ…生きてる人が時々迷い込む、"あちら側"の"境界線の駅"ってありますけどね。その類の霊とかそういうのを呼び込む駅だったと推測してます」
「岩居の…何十年も前に亡くなった親父さんが運転手だったんだ」
「あらぁ……」
三峰は眉を曇らせてレールの上に目を落とす。
「それ呼ばれちゃったンですね……益々私の手に負える案件じゃあない。岩居さん、ご病気だったそうですよ。ずっと悩んでたらしくて。痛みが怖いって。だから逝きたがってたンでしょうね。向こう人もきっと連れて来たがってたんでしょうから」
「お父さんが、てことか」
「そういうこと」
と三峰は頷いた。
「何年か経ってひょっこり戻ってきた、なんて話も時折聞きますけど、今回は行ったきりでしょうね。逆に磯部さんは、時間の誤差もほとんどない状態でよく帰ってこられたと思いますよ」
「時間の誤差なんてあるのか」
「有名なところだと浦島太郎だとか、すこしマイナーだと妖精の国にいった、天狗にさらわれた人の話だとかでえらい時間が何年も経過してるなんて事があるでしょう。神隠しとか。あれと同じ現象ですよ。磯部さんは本の3時間くらいの誤差だったんじゃないんですか?」
今度は磯部が頷いた。
「よかったですね。無事で」
「本当だな」
磯部は深いため息をつく。
「さて」
と三峰は踏切に1歩足を踏み出して磯部を見つめながら言った。
「今は逢魔ヶ刻ですから、これ以上の怪異や魑魅魍魎の類に出くわして、今度こそ帰ってこられなかったらイケナイんで、磯部さんをお宅までお送りしようと思うんですがいかがいたしましょうか?」
磯部は困ったように笑って「大丈夫」と言いかけたが、頭を掻きながら
「敵わないな。頼むよ。今は……一人じゃ気味が悪くて仕方ない」
と肩を竦めて、足を踏切に向けて1歩踏み出す。
「レールは踏まない方がいいですよ」
三峰が笑った。
「あっち側とつながってるかもしれないから」
磯部は渋い顔をした。
2人が踏切を渡り終えた所でカンカンと警笛が鳴り、遮断機が降りた。
「くろす駅(了)」