~あなたもそのうち出くわす話(くろす駅)~
「くろす駅(三)」
電車は駅に停まっている。
乗っていた人達がノロノロと降りる所だった。あれだけさっきはっきり見えていた姿が遠目からだからなのか黒い影しか見えない。そもそも駅の明かりも異様なほど暗く、チカ、チカと明滅していた。
「うわぁ木造ですよ…なんなんだこの駅。40年以生きててここまで朽ちた駅を見たことがないですよ…?私…」
岩居が顔をしかめる。
磯部も眉を顰める。
「次の駅の霞場駅でもない」
「霧笠駅でもありませんね……」
電車の停車している道も柵はなくすぐに入り込めるような有様である。昨今の駅では考えられない。
「タイムスリップでもしてきたのか俺たちは」
磯部は木造の柱に貼り付けてある駅名のプレートに目をやった。柱もだいぶ朽ち果てており、プレートの文字も風化してようやく読める程度である。
「く…ろす…くろす駅?って書いてあるぞ」
磯部の言葉にぎょっと目を剥いて岩居が声を上げた。
「そんな馬鹿な!」
「思い当たる節でもあるのか」
岩居は頷く。
「でも…しかしなァ…有り得ない…有り得ない…有り得ませんよ」
「いいから話してみてくれ。このまんまじゃ気分が悪い」
「いや…実はですね、"くろす"って名前の駅、あったんです。今を去ること80年前に……。"九路巣"って書くんですが……。武蔵入宮線て昭和5年に開通した、この熊野町と入宮を繋ぐパイプ路線だったんですが…武蔵熊野線が出来たことで廃線になったんですよ……」
「じゃあ…なんだその…俺たちは今何を見てるんだ?」
「その九路巣駅…なんですかね」
磯部も岩居も自転車を降りて、電車の近くまで行く。電車の作りその物は昨今のものである。2人は駅の改札方面へ歩き出した。
「ウッ」
2人は同時に呻く。
「うわあ、なんですかこの臭い」
……とてつもない悪臭だった。
「アンモニア臭と他に嗅いだことない…なんかが腐った臭いか?…ウッ、そうか、この脇のはトイレか」
格子窓のついた木造建ての、小さめの小部屋らしきでっぱりのある向こう側から臭っている。
「こりゃボットンの臭いです…よね…いや参ったなこれは」
岩居が顔をしかめる。その木の壁をみつめた。ほとんど朽ちている。
「ボットン便所の臭い以外になんだろうな、この…奇妙な臭いは」
磯部が呟いたその刹那、2人の喉から同時にヒッと声が出た。
木の節穴…その向こう。
目がこちらを見つめている。
二人はモロに目が合ってしまった。
「いそっ…磯部さっ」
2人は同時に後退りする。
その時に気づいてしまった。
2人を見ているのは、"1人分"の"片目"ではなかった。
いくつもの濁った目玉が木の節穴や板間の隙間というありとあらゆる場所から、ふたりに一斉に視線をなげかけているのだ。
「ヒイィイイッ…いっ……磯部さん!」
岩居が磯部にしがみつく。
あまりの異常事態に混乱しながらも、これは悪質なイタズラとかではない、そんな生ぬるいものじゃない、と礒部は直感した。
だが、不安がそう見せたのかもしれないと思い直し、冷静になるべくもう一度小屋に目を向けた時、地面からじわじわと小屋が黒く干からびだす。よく見ると黒く干からびた木材の中にチラチラと赤い光。木の中で残り火が燃えている……。
そうかと礒部は悟る。
――この、古い便所特有の臭い以外に臭ったのは、火事場の後の古い木材や何かが燃えた後の臭いだ。さっきまで普通の古びた小屋だったのに!?
よく見れば周囲にモヤモヤと煙がたちこめ始めていた。
ズドンと不安が磯部の内臓に響く。
それをかき消す様に礒部は怒鳴った。
「乗れ!自転車に乗れ岩居!走れ!全速力で走れっ!」
磯部の怒声に顔面蒼白半べその状態の岩居が従う。自転車の停めてある所へとひた走り、跨った。ペダルに足を乗せ漕ぎ出そうとした瞬間、また強い視線を感じて2人は同時に左手側の草むらに目をやる。
2人はそこにあったものと目があった。
それは逆さまの顔であった。最初、人が草むらの中で仰向けになり首だけ道に出しているのかと思ったが、血の気を失って青い血管が不気味に浮き出すその白い顔と、虚ろな目をみて即座にそれが生きた人のそれではないと気付く。顔がごろりと横倒しになった。首から下がない。2人から同時に悲鳴があがった。
首はそれに呼応するように陸の上に上げられた金魚みたいに口をぱく、ぱく、と2~3度くらい動かし、どろりと口から黒い液体を流しながら二人をねっとりと凝視した。
2人は悲鳴をあげたまま、慌てて駅を後にした。
「くろす駅(四)」に続く