第十一話 虹丸
伊織はふと目覚めた。
なかなか寝付けぬ自分に苛立っていたが、気づかぬうちに眠っていたらしい。
既に夜は明けたようで、仰向けの己の目に映る天井には、光が差し込んでいた。
まだ眠気の残る頭で何気なく横を向いて、そして冗談では無く息が止まる。
「……!」
自分のすぐ横、顔が触れる程の近さで眠っている女がいた。
しばし無言で大混乱した結果、昨日助けた彩のことを思い出す。
晴れてようやくひと安心、ではない。
-いやいやいや! なんで彩がここにいるんだよ-
改めて確認するが、自分の布団で間違いない。
奥の方に彩が寝ていたはずの布団も見える。
ならば寝相が悪く転がってきたのは彩だろうが。
事実が分かったところで何の解決にもならない。
-とりあえず、起こさないように布団を出て-
そっと後退りしようとしたが、伊織は自分が部屋の端ギリギリに布団を寄せたことを忘れていた。
背中が壁にぶつかり、音を立てる。
「……ん?」
「……っ!」
ぼんやりとこちらを見つめた彩の瞳が、次に大きく見開かれる。
と同時に。
錠のかかっていなかった戸が勢いよく外側から開けられた。
「伊織! 女と暮らし始めたって、聞いたけど……ほん、と……か?!」
見れば、猫と同じくらいに見える少年だ。
彼もまた目を丸くして、言葉を途切らせ、そして最終的に右手で握りこぶしを作った。
がんばれ、とその口が声を出さずに大きく動く。
「待て! 違うからなっ、虹丸、勘違いするな」
「あの、な、何もないですからっ!」
二人の声に無言で頷くと、虹丸と呼ばれた少年は、来た時とは正反対に静かに戸を閉めた。
そして一呼吸置いた後、大事件だ!という叫び声が聞こえた。
「あのクソガキっ!」
彩の横から、信じられない速さで伊織が飛び出して行ったかと思うと、すぐに虹丸の口を塞ぎ羽交い絞めにした状態で戻ってきた。
「虹丸。いいか、ちゃんと話を聞け。とりあえず大声は出すな。分かったか」
口を塞がれたままの虹丸が、うんうんと首を縦に振った。
それを見て、伊織がゆっくりと手を外す。
「他の奴らからどう聞いたか知らないが、この人はただの依頼主だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ただの依頼主が添い寝してくれるのか」
「……事故だ。それも、それ以上でもそれ以下でもない。虹丸が周りで言いふらすようなことは何もない。第一、猫だっているんだからな」
そう言って伊織は部屋の奥を指さす。
そこでは猫が暢気にお茶を飲んでいた。
その姿を見て、はっとする。
「そうだ、お前だよ、猫! 見てたんなら、こんな大事になる前に何とかしろ!」
「お主が彩に近寄るようなら噛みつくとは言ったが、彩が転がっていく分には、まあ良いかと思ってな。彩、お主はなかなか寝相が悪いのう」
「……そうみたい、ごめんなさい」
「どっちが転がっても、お前が止めろ!」
「朝からうるさいのう。また隣から怒鳴られるぞ」
「くっ……ま、まあ、そういう訳だ。わかっただろ、虹丸」
「分かった。……彩ちゃん」
「は、はい?」
虹丸は、彩の方に歩み寄ると、しっかりと頭を下げた。
「伊織って本当にここ一番って時に駄目な男なんだ。でも悪い人間じゃないから、どうぞよろしくね」
「は……え?」
「虹丸。お前何を……」
「俺からもちゃんと頼んでやったよ、伊織。それに、この不甲斐なさも皆には黙っておいてやる。貸しだからな、今度必ず返してもらうよ」
「おい、ちょっと待て」
「今日は俺、寺子屋なんだ。忙しいからまたね〜」
子供らしくにこりと笑うと、虹丸は出て行ってしまった。
今度は大声も聞こえない。
とりあえず黙っている、というのは今のところ守ってくれているようだ。
「あの、虹丸君という子は……」
「虹丸でいい。向かいの長屋に住む大工の子で、猫の遊び友達でもある。……あいつ、餓鬼のくせに妙に聡いところがあってな」
「いい年をしてボンクラなのと、どちらがマシであろうかの」
「うるさいぞ」




