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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女の猫

作者: 結城

 あるところに、魔女がいました。

 魔女は、可愛い生き物と美味しい生き物以外の生き物が嫌いなので、森の奥深くに引きこもって暮らしておりました。

 ある日、魔女は自分の森に侵入者が現れたことを知りました。その日大変機嫌の悪かった魔女はさらに大変不愉快になったので早急にお引き取り頂くべくとっちめに行くと、一人の少女が倒れておりました。

 少女は大変ぼろぼろで、放っておけば間もなく死んでしまうほどでした。

 ところで魔女は人間が嫌いでした。人間は可愛くないし、美味しくもありませんので。自分の森で死なれると、死体は腐るし肉目当てで鳥やら獣やらが騒がしくなるし、人肉を食った獣は美味しくなくなってしまうしといいとこなしです。さっさとどこかへ飛ばしてしまおうと魔法をかけようとしたところで、魔女はあることに気が付きました。

 少女の周りに、精霊がたくさん漂っているのです。彼らはふよふよと漂いながら少女の心配をしているようでした。どうやらこの少女は精霊に好かれているようです。

 まあそんなことはどうでもいいのでさっさと片付けようと思った魔女ですが、魔法を発動させようとした手をふと止めて少女を見下ろしました。

 この少女の生死は本当に心底どうでもいいのですが、多数くっついている精霊には多少の興味を引かれました。精霊がたくさんいる場所は祝福され、豊かになります。つまり魔女の森で採れるお野菜がより美味しくなり、獲れるお肉もより美味しくなるということです。

 これには一考の価値がある、と魔女は思いました。けれど魔女は人間が嫌いなので、少女をそのまま森に置く気はさらさらありません。どうしたものかと考えて、魔女は一つの魔法を使うことにしました。

 魔女の手から放たれた柔らかな光が少女へと降り注ぎます。光に包まれた少女の体は輪郭をぼやけさせ、見る見るうちに縮まっていき、光が消えた後には一匹の子猫が残りました。

 少女の髪と同じ真っ黒の毛皮を持つ子猫は、小さな四本の足先だけが真っ白でした。いわゆる靴下猫です。まだとがっていない丸い耳、それとは逆にまだ細く先がとがっている尻尾。ぽわぽわとした毛並み。小さな小さな可愛らしい子猫がそこにいました。

 魔女がかけたのは、少女を別の動物へと変化させる魔法です。けれど何に変化するのかは魔女本人にもわかりませんでした。もし可愛い動物へ変化したのならば助けてやろうと思っていたのですが、この愛らしい子猫は魔女のハートにクリティカルヒットしました。魔女はためらうことなく子猫を拾い上げました。そしてご機嫌に鼻歌などを歌いつつ、自らの住処へと連れて帰ったのでした。



 温かく、柔らかい。そして何か、いい匂いがする。誰かに頭を優しく撫でられたような気がして、少女はゆっくりと目を覚ましました。

 少女は寝起きの頭でぼんやりと考えます。ふわふわで、ふかふかで、とても気持ちがいい場所にいます。少女の記憶は森の中で倒れたところで途切れていましたので、きっとその時自分は死んでしまったのだろうと思いました。心地のいいここはきっと天国なのでしょう。

「おや、目覚めたかい」

 知らない声が聞こえて少女は飛び起きました。慌てて周りを見回すと、とても大きな人が少女を見下ろしていることに気が付きました。こんなに大きな人は見たことがありません。顔だけで少女よりも大きいのです。あまりにびっくりして、全身の毛が逆立ってしまいました。耳がぺたりと伏せてしまい、尻尾も足の間に隠れてしまいます。

 ……尻尾?

 何かが変です。少女は恐る恐る自分の体を見回してみました。両手は毛だらけでもふもふしています。先っぽだけが白く、他の部分は真っ黒に見えます。顔に触ると髭が引っかかりました。そしてやはりもふもふしています。お腹も、足も、みんなもふもふしています。耳は顔の横ではなく頭の上に移動していて、そして、やはり、尻尾があるようでした。

 さっぱり状況がつかめずに混乱して出てきた声はこれでした。

「……にぃー」

 多分、猫です。どうやら少女は猫になってしまったようでした。

「ああ、可愛いねえ。やっぱり猫は可愛くていいねえ」

 少女を見下ろしていた大きな人が、そう言いながら大きな手を伸ばしてきました。怖くて身をすくめた少女の頭を優しく撫で、顎の下をくすぐります。最初は怖くて怖くてどうしたらいいのかわからなかった少女ですが、気持ちよく撫でられるうちに恐怖は薄らいでいきました。知らないうちに喉がごろごろと鳴っています。

「お前、状況はわかるかい。お前はあたしの、魔女の森に入り込んだ。あたしは人間が嫌いだ。本当なら出て行ってもらうところだけどねえ、お前を動物に変化させたら猫になったんだ。あたしは可愛い猫は好きだ。だから猫のお前ならあたしが飼ってやろう」

 なんと、この大きな人は魔女なのだそうです。そして魔女は少女を猫にしてしまったのだそうです。それを信じるなら、この人が大きいのではなく少女が小さくなってしまったのでしょう。

 魔女は少女を猫にしました。魔女は人間は嫌いですが、猫は好きなのだそうです。猫の姿の少女を飼ってくれるのだそうです。

 少女は少し考えました。少女が寝ていたクッションは今まで触ったことがないくらいふわふわでふかふかで心地が良いものでした。先ほどからずっと撫でられていますが、その手つきはとても優しく気持ちが良いものです。飼ってくれるというのなら、きっとご飯を貰えるのでしょう。それならきっと、今までよりひどいことにはならないと思いました。

 少女はよろしくお願いしますの気持ちを込めて頭を下げて、一声鳴きました。

「ぴゃー」

「よし、聞き分けのいい子は好きだよ」

 魔女は笑って、下がった後ろ頭を撫でました。



 猫になった少女は、初めてお腹いっぱい食べさせてもらい、初めて優しく毛並みを整えてもらい、初めて眠るまで撫でてもらいました。体が良くなってからは猫じゃらしでいっぱい遊んでもらいました。姿に引っ張られているせいか、少女の行動は大分猫に近いものになっていましたので、猫じゃらしに飛びかかるのはとても楽しいことでした。

 少女は生まれて初めて大切にしてもらいました。もうあと死ぬばかりだった少女を助けてくれた魔女は恩人です。少女は死ぬまで猫として、魔女を楽しませようと決意しました。

 魔女の方はというと、可愛らしい子猫と一緒に暮らす生活を満喫していました。慣れない四足歩行でよたよたと歩く姿に悶絶し、膝の上で眠る姿に悶絶し、猫じゃらしに飛びかかってぽてりと落ちる姿に悶絶していました。

 それに少女についてきた精霊たちが、お礼とばかりに森を豊かにしていきます。お野菜も果物もたわわに実り、うさぎや魚は丸々と肥えています。魔女の森はとてつもなく豊かな場所になりました。美味しいご飯が食べられることで、魔女は大層ご満悦でした。

 子猫はすくすくと大きくなりました。すらりとした体は手触りが良く、耳が大人耳にとがり、尻尾は丸くなりました。金色の瞳が闇にきらめいて、まるで宝石のようだと魔女は思いました。子猫から猫になっても、やっぱり猫は可愛いのでした。



 魔女に拾われてからそれなりの時間が過ぎた頃です。どれくらいの時間が過ぎたのか、猫になった少女にはわかりませんでしたし、魔女は時間を気にすることはないので知りませんでした。

 とにかく、ある日のことです。魔女はまた森に侵入者が現れたことに気づきました。しかも今度は一人や二人ではありません。数十人が群れ為して魔女の森を踏み荒らしているのです。

 魔女は激怒しました。必ずかの愚か者どもに後悔させてやると決意しました。まずは敵情視察からです。魔女は机の上にある鏡に侵入者の姿を映し出しました。ベッドで寝ていた少女は魔女の異常に気づくととことことやって来て机の上に上り、魔女と一緒に鏡を覗き込みました。

 鏡の中では、武器を持った男たちが大声を上げながら草むらを荒らし、木の実を勝手に取って食べ、花の蜜を吸っていました。魔女のこめかみに青筋が浮かびます。侵入した時点で奴らは抹殺対象でしたが、更に魔女の物に手を出したのです。死んだ方がましだと思えるような責め苦を与えてやらなければ気が済みそうにありません。

「にゃ」

 不意に少女が驚いたような声を上げました。

「どうしたんだい?」

「にぃ……」

 少女は鏡に映った男の一人をもふもふの前足でたふたふと叩いて見せました。困ったように魔女を見上げています。

「お前、知っているのかい?」

 こくりと少女が頷きます。けれど猫なので説明ができません。魔女は少女を抱き上げ、金色の瞳を覗き込みました。

「見せてもらうよ」

 魔女の魔法が、少女の記憶を暴きました。



 少女は魔女の森から少し離れたところにある集落の長の家に生まれました。長の娘です。普通なら大切に育てられるはずでした。しかしそうはなりませんでした。

 少女は双子の妹でした。この集落では双子は不吉なものとされており、下に生まれたものは殺されることになっていたのです。本来すぐに殺されるはずだったのに生かされていたのには理由がありました。双子が生まれた時に精霊たちが喜び、奇跡を起こしたのです。どちらかが精霊に愛されていることは確実でした。しかし人間たちには二人のうちどちらが愛されているのか判断ができません。仕方なく人間たちは妹を部屋に閉じ込め、ひっそりと育てて様子を見ることにしました。

 可愛い姉は大切に育てられ、明るい娘に育ちました。可哀想な妹は閉じ込められ、最低限の食事のみを与えられました。精霊に好かれた子が集落にいることで畑の収穫量は増え、栄えました。

 やがて人間たちは、精霊に愛されている子どもは姉の方だと判断し、少女に暴行を加えるようになりました。このままではいずれ殺されてしまうと思った少女は精霊の力を借りて集落を逃げ出し、魔女の森へ逃げ込んだところで力尽きて魔女に拾われたというわけでした。



「……そうかい。だからあたしは人間が嫌いなんだ」

 少女の過去を視た魔女は憎々しげにそう吐き捨てました。人間は汚く、愚かで、度し難い。だから魔女は森の奥で一人で暮らしているのです。

 魔女は改めて少女が指し示した男を見ました。この男は少女の父親、集落の長です。今更何をしに来たのでしょう。薄汚い人間の所業を見せつけられ、魔女の怒りは限界値を突破していました。

「いいだろう。お前、ここで待っておいで。ゴミを片付けてくるからねえ」

 魔女は可愛い猫の丸い頭を撫でました。少女はごろごろと喉を鳴らした後、にゃあと鳴いてベッドに戻りました。

 さあ、愚か者どもに後悔させてやらねばなりません。魔女は魔法で奴らの前へと移動しました。

「お前たち、ここがあたしの、魔女の森と知っての所業だろうねえ? 覚悟はいいかい?」

 侵入者たちはぎょっとした顔で後ずさりました。その中で一人、少女の父親が前に出てきます。

「待て、魔女よ。我らは探し物をしに来たのだ。それさえ見つかればすぐに立ち去ろう」

「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたらが踏み潰した草むらも、手をつけた果物も、手折った花も全てあたしのものだ。あたしの物に手を出して無事に済むと思うかい?」

 魔女の言葉に侵入者たちは武器を構えます。けれどそんなこと、魔女が許すはずがありません。魔女が呪文を唱えると草木から蔓が伸び、侵入者たちをあっさりと絡め取ってしまいました。わあわあ騒いでいるのが不快でたまりません。魔女は顔をしかめました。

「うるさいねえ。大体何を探しに来たってんだい。あたしの森にある物は全てあたしの物だ。あんたらの物なんざ一つもない」

「っ、魔女よ、ここに娘がいるはずだ! 精霊に愛された娘が!」

 やはり少女が目的でした。けれど魔女は顔色を変えることなく言いました。

「そんなものはいないよ」

「そんなはずがない! この森が最近豊かになったことはわかっているのだ! アレは私の娘だ、私の物なんだ! 返してもらおう!」

 とんでもありません。あの猫は魔女の物です。魔女の森に落ちていて、魔女が拾ったのだから、紛れもなく魔女の物です。魔女が拾わなければとっくの昔に死んでいたはずなのですから。今更何を言っているのでしょうか。

 大方、少女を追い出したことで精霊の祝福を失って焦っているのでしょう。散々しいたげてきたのを精霊もわかっていますから、少女とともに集落にいたほとんどの精霊がいなくなってしまったはずです。草木は元気をなくし、収穫量は減り、困り果てて調べたところ、魔女の森に祝福があることに気づいて取り返しに来たと、そんなところでしょう。

 言語道断です。これほど不愉快な目に合うのは本当に久しぶりのことです。身勝手で愚かな人間に可愛い猫を渡すはずがありません。魔女は右手を上げました。それに呼応して、蔓がより強く人間どもを締め上げます。

「ぐうっ、かえ、せ、アレを、返せっ!」

「愚か者め。言っただろう、この森にある物は全てあたしの物だ。あたしはあたしの物に手を出そうとした奴らを決して許さない。さあ、どうしてくれようかねえ」

 少し考えて、魔女は森に棲む狼を呼びました。大きな狼の群れがのそりと姿を現し、侵入者たちが悲鳴を上げます。

「お前たち、今からあの馬鹿どもを豚に変えて逃がすからねえ。存分にいたぶってから狩り尽くしておやり」

 狼たちは楽しそうに遠吠えを上げます。魔女の魔法が力を振るうと、少女の父親以外の全ての人間が豚に変じました。蔓がほどけ、豚たちが我先に逃げ出すのを狼たちが喜んで追いかけていきます。あの狼たちはとても優秀な狩人ですから、必ず言葉通りにしてくれるでしょう。

「さて」

 魔女はたった一人残した少女の父親へと視線を戻します。男はがたがたと震えていました。

「何をいまさら怖がってるんだい。あたしの森に入った時からこうなることは決まっていたのに、本当に救いがたい愚かさだねえ」

「た、助け、」

「お前は豚になって狼に喰われるくらいじゃ許さないよ。私の可愛い猫に馬鹿なことをしてくれたんだからねえ。生まれてきたことを後悔するんだね」

 森中に男の悲鳴が響き渡りました。



 魔女が住処に戻ると、可愛い猫がお座りして待っていました。

「にゃあ!」

 魔女の姿を見るなり飛びかかってきた猫を捕まえて、喉をくすぐってやります。

「今戻ったよ、遅くなっちまったねえ」

 体をすりすりと擦り付けて猫は魔女が返ってきたことを喜んでいます。思う存分撫でてもらった後、少女は魔女に尋ねました。

「なぁん?」

「あの馬鹿どもかい? 目いっぱいお仕置きしてやったからね、二度と来ることはないよ」

 全員があの世へ送られてしまったのですから来れるはずがありません。少女もうすうすとはわかっていましたが、今の少女は魔女の猫です。命の恩人である魔女のそばで魔女を喜ばせることが自分の使命だと思っています。だから、その言葉に納得して頷きました。

「さあて、今日はお前の好きな魚を焼いてやろうかねえ」

「にゃあん!」

 尻尾をぴんと立てて喜ぶ猫の頭をもう一撫でして、魔女はいつも通りの暮らしに戻るのでした。

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