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第7話A:決意-awakening of avenger

 灰色の雲は厚くあまねく天を覆い、気の滅入るような冷たい細雨を吐き出していた。世界はまだ夜の色を濃く残しているが、早いながらも朝を迎えている。

 遥は身体を半ば引き摺るように、学校の廊下を歩いていた。虚ろな瞳と制服に散りばめられた赤黒い染みは、ただならぬ雰囲気を醸し出している。

 誰かに見つかれば事件に発展するだろうが、休日でしかも時間が早いのでその心配はないようだ。

 遥の目に映る無機質な白い壁は寒さを助長させ、窓越しの薄汚い世界は惨めな気持ちにさせた。

 遥の中でどす黒い塊が脈打った。邪悪で陰惨なきおくが流れ出る。





 あの時教室を覆った綾瀬の血液は、一寸先も見えない闇を作り出し教室を包んだ。

 その中では最高純度の悪夢がこの世に顕現していた。それは性質たちの悪い現実と思えるほどにリアルな幻覚だった。部屋の風景は洞窟内の巨大な円形ホールのような場所に変わった。 灰褐色の寒々しい岩肌に覆われたそこは、どこからともなく淡い光明が降り注ぎ、洞窟であるにも関わらず多少目が利いた。

 だが、遥の目には洞窟より嫌なものが映った。ここの住民である。

 ゲームに出てくるオーガのような亜人系や巨大な獣もいたが、何と表現してよいか分からない奇々怪々なデザインの怪物が大量にひしめいていた。どれもこれも生理的嫌悪感の結晶というべき姿をしている。

「イイ趣味してるわね」

 遥が呟いた。それは小さく自分以外に聞こえるような声ではなかったが、怪物たちは一斉に遥の方を向いた。目のあるモノ無いモノ、顔がどこだか分からないモノも遥を認識した。

「グオォォォ……!」

 濁った咆哮を上げ、怪物たちは彼らの住みかに堕ちてきた憐れな犠牲者を歓迎しているようだった。

 怪物たちは攻撃をすることなく、遥から離れてこのホールに繋がる多数の通路に入っていった。

(一体何が……)

 遥が訝しげに思っていると一匹の怪物が穴から進み出た。

 遥の2倍はある血色の悪い巨大な肉の塊で、それに見合う不恰好な手足と頭部がついている。

 それはユラリユラリと巨体を揺らしながら、ゆっくりと遥に接近してきた。

「さしずめ闘技場での決闘といったところね」

 遥が不愉快そうに言うと、肉塊の上部が横に大きく裂け呼応するように低い音を出した。どうやらアレが口らしい。

 遥は出現させた三つ又の剣を構えたが、肉塊はただ巨大な体躯を揺するだけだった。

 それをチャンスと見て遥は肉塊に向けて走った。そのスピードは肉塊の無い目に止まるものではなく、遥はすれ違い様に深く斬りつけ肉塊から十分な距離を置いた。

 肉塊の腕らしき部分が地面に落ち、汚ならしい膿のような液体を流した。

(効いてない……?)

 それでも全く動じない肉塊に驚きながらも、遥は再度肉塊の周囲を駆け抜け片足を斬り捨てた。

 肉塊は図太い腕を振り回したが、もう遥はその範囲にはいない。そしてそのままバランスを崩し地響きを立てて転倒した。

「……イタッ」

 突然遥は腕に焼けるような痛みを感じた。見ると肉塊から出た液体が少しかかっていた。

 慌てて制服のスカートで拭う。見たところ痛いだけで赤くもなっていない。

(酸かな。でも服とか地面は溶けてないし。……まあ、夢だから何でもありか)

 内容はシュールだが、あまりのリアルさに真実を忘れそうになる。 

 のたうつ肉塊と怪物たちが消えたホールの際の暗闇を観察しながら、遥は思考を巡らせていた。

(再生はしない。斬り落とした肉が動き出すわけでもない……)

 しかし予想外のことが起きた。

 肉塊が動かなくなると同時に、斬り落とした四肢共々爆発したのだ。

「ひぎゃあああぁぁ!?」

 全身に体液と肉片を浴び、遥は生きたまま火葬されるような痛みに絶叫した。乱舞して痛みに悶える遥を尻目に暗闇からまた怪物が一匹輩出された。


 それは蟲と幼い少女を合成したような怪物だった。

 少女は全裸。その未発達な肢体の肩口からは無数の長大なムカデが生え、腰から下はヌラリと光る黒い蜘蛛という有り様だ。

 少女自体は無表情ながらも可愛いらしいが、それが蟲と合わさることで度を超して痛々しく見える。いうなれば『合蟲少女』である。

 遥は痛みに耐えながら、新しい相手を見やった。

(子供……化け物とはいえ殺りにくいわね)

 朦朧とする意識の中遥が標的を確認し躊躇していると、少女は蜘蛛の足を器用に使って壁を登り、天井の闇が溜まっている場所に消えた。

 どうしたものかと悩んでいると、視界の端でキラリと何かが光った。

 反射的に遥は横に素早く跳躍した。

(糸……!?)

 壁には針金くらいの蜘蛛の糸らしきものが刺さっていた。それを確認して、遥はまた飛んだ。

 ガガガガッ

 遥がいた場所を連射された矢のように糸が抉った。糸とは思えない硬度と破壊力である。

(速い。けど動いていれば避けることは可能)

 そう分析し遥は走り出した。一歩遅れて糸が壁を突く音がついてくる。

(でも、これじゃ反撃できないわね)

 天井は高く、刀身を伸ばす攻撃も届かないだろう。それにこんな状況では立ち止まることも容易ではない。

「……げぇ!?」

 突然走っていた遥の身体が後ろに引き戻された。何かが首に引っ掛かり絞めつけながら、遥の身体を宙吊りにする。

「あ゛……ぅ……かはっ!」

 ジタバタともがいている内に、首に例の糸が巻き付いていることが分かった。それはちょうど首吊り自殺の時に使うロープの形状をしていた。ホールにはいつしかこのトラップが大量に仕掛けてあったらしい。

 怪しくなる呼吸に急かされ、遥は剣で糸を斬ろうとした。

 すぐさまそれを阻止せんと糸がその腕を貫いた。

「ぐっ!? しまっ…!」

 怯んだ隙に剣が手から滑り落ち、カランと音を立て地面に転がった。

 続いて全身に何本もの糸が刺さる。骨を貫通したものもあり、凄まじい痛みが遥を襲った。代わりに首締めから解放されて、遥はむせるほど空気を貪った。

「ぐふっ、は、はぁぁぁ…」

 だが、獲物の呼吸が安定するのを狩人が待つはずがなかった。

 糸には釣り針のような返しがついており、それで遥を吊り上げ洞窟の高みへ運んだ。重力に従い落下しようとする身体を支える糸は鋭い苦痛を生み出していた。返しは肌を破って食い込み、身体の中を通る糸は揺れる度に肉を切る。滲み出た血が制服を濡らし、眼下の地面に落ちていく。

 発狂して暴れそうになるの身体を遥は必死に制御した。今下手に動けば身体がバラバラになりかねない。

 上昇していくにつれ、暗がりに潜む少女の姿が見えてきた。蜘蛛の脚で逆さまにぶら下がり、無数のムカデ状の腕で器用に糸を持ち遥を操り人形のように弄んでいた。

(化け物が、私をどうするつもりだ?)

 遥は抵抗虚しく少女の目の前に持ち上げられた。

 少女がニィッと嗤う。するとムカデたちが糸を手放し、遥は宙に舞った。

「く、そ……ああぐっ!」

 想定外のことで焦ったが、なんとか体勢を立て直して、着地し受身をとった。全身が痛みに軋んだが、地面に叩きつけられるよりはマシだった。

 少女もまた天井の暗がりから這い出し、遥の近くへ降り立った。そしていとも簡単にそのおぞましいムカデの腕で遥を絡めとった。

「は、放せ! 気持ち悪い!」

 全身を這い回る何千という脚。その不快感はある意味先ほどの攻撃より威力があった。

 しかも蟲のくせに異様に力が強く、疲弊した今の状態では外せそうになかった。

「この子たちが、お姉ちゃんを食べたいって」

 少女が初めて口を利いた。人間部分の見た目同様幼く無邪気な声なだけに、余計に恐ろしかった。

「そんな、ことしたら殺すわよ!」

 顔以外をムカデに覆われながら、遥が叫んだ。その表情は言葉ほど厳しくなく、嫌悪感に歪んでいた。

「うるさいよ」

 苛立った声に反応して、ムカデが抱擁を強めた。

「がはっ…! ごぼぉ。……や、やめで、はなして!」

 強烈なベアハッグを受け、遥は身体を弓なりに反らせた。スレンダーな身体の線が強調される。

 骨が折れて内臓を損傷したようで、赤黒い塊を吐き出した。その血をムカデが先を争うように啜る。吐血程度の量では足りるはずもなく、ムカデたちは遥の口に殺到した。

「むぐっ!?」

 口腔は蠢く足と触覚との凄まじい感覚に満たされた。全身の毛が逆立ち、肌が泡立った。

「ダメだよ。おんなじところに行ったら、みんな食べられないでしょ」

 少女は楽しげに言って、一旦口から『腕』を抜いて抱擁も解いた。

(いまのうちに…)

 恐怖で震え役に立たない足に見切りをつけ、遥は無理やり転がって剣を奪取した。

「にげないでよ」

 反撃に転じる間もなく、遥の白い足にムカデが伸びてきて鋭い顎で咬みついた。

「ぐ! この…!」

 遥は更にまとわりつこうとするムカデを斬り伏せた。数匹が頭部を斬られ黄色い体液を滴らせる。

「痛っ!」

 少女は小さく悲鳴を上げた。感情が分かる所はただの蟲より戦い安い。

「覚悟しなさい。今から地獄を見せてやりゅ!」

 言った瞬間遥はしまったと思い、口を押さえた。

「『やりゅ』だってカワイイー」

「う、うるさい!」

 遥の方は恥ずかしくて怒鳴った。なんとも自然にそうなったので、多少混乱していた。

「それ、ただの『噛んだ』じゃないんだよ」

 意地悪そうに少女が口元を歪めた。そしてゆっくりと遥との間合いを詰めていく。

 遥の身体が電流が走ったようにビクッと震えた。突然遥は立つだけの力を失い、崩れるように膝を着いた。全身の筋肉が弛緩して力が入らなかった。

「な、なんれ…!? はぁ、はぁっ…」

 苦しげに喘ぎながら、遥は自分を見下ろす少女を睨み付けた。

「この子の毒だよ。お姉ちゃん、もううごけないね」

 少女は得意げに『腕』を振った。褒められて嬉しいのか、ムカデたちはキチキチと不気味な音を発して長い身体をくねらせた。

(これは…ヤバいわね)

 遥は悔尤かいゆうの念に浸りながら、嘲笑する怪物を睨むしかなかった。

「みんなおまたせ。ぜんぶ食べてもいーよ」

 ついに少女が死の宣告を下した。同時にムカデたちは歓喜して遥に襲いかかった。握っていた剣を弾き飛ばし、無力な肢体に群がる。

 我先にムカデたちが集まったのは口だった。

 閉ざそうとしても毒の効力でうまくいかない。為す術なく侵入を許してしまう。

「んぐっ!? んんむぐ!」

 舌で押し戻そうとすれば、多脚がその上を行進する。そのあまりの気味悪さに抵抗する気力が失せ、食道への進入を許してしまう。

「っぐっ、んひぃぃ! んー!」

 無数の爪を食道に突き立てながら、血と唾液と嘔吐物が混ざったものを退けながらムカデたちは更に奥を目指す。

 気道を塞がれ息をするのも困難になる。痺れて言うことを聞かない身体は時々反射的にビクンビクンと跳ねているだけである。その振動で、早くも生気が欠如した瞳に溜まっていた涙が頬を伝った。

「ほら、みんなにもあげなさい」

 少女は下準備が整ったのを確認し、『腕』に次なる指令を与えた。

 ムカデたちは遥の胃を占拠し、更に奥に進行しようとしていた。しかし合図に従って、身を捻ると肉壁に牙を立て喰い破りはじめた。

「ぐぎぎぎっ!」

 遥はかっと目を見開いた苦悶の表情で、声にならない咽びを絞り出した。ムカデが腹腔を引きちぎり、急速に身体の表面に迫るのが分かった。

 そして遥が見ている目の前で、ムカデたちは腹部を穿いて登場した。赤黒い血と粘液で濡れた体節がキチキチと耳障りな音を鳴らす。

 それは先陣に加われなかったムカデたちにとって、メインディッシュの蓋が取り払われたということだ。猛然と遥の腹部に突進し、穴を喰い広げた。赤いプールに溺れるような体勢で血を啜り、臓腑を喰い散らかす。

 少女は苦痛に歪む遥の顔を見やすくするために、遥の口から『腕』を引っ張り出そうとした。ムカデたちが食欲のあまり激しく抵抗するのでほとんど無理矢理する形になった。

 果てしなく無惨な音がした。何千もの鋭い爪を持つ脚が咽喉をズタズタに切り裂いたのだ。体内から出たムカデたちも、すぐに腹部に猛進して先陣に加わった。

 遥は血液が跳ね、肉と骨が削りとられる音を集めた曲を聞いていた。何も感じない。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!)

 痛み以外は何も感じなくなってきた。

 おぞましい蟲が己の欲望を満たすために、少女のたおやかな肢体に群がり蹂躙する様は筆録しがたいものがある。

 その間遥は意識を失うことも目を逸らすこともできず、未曾有の激痛に絶叫しながら自分の身体が減っていくのを見るしかなかった。声が出ていたのかも自分では分からない。なにしろ生き物としての機能は破壊されているのだから。

 遥が魂の苦痛から解放されたのは心臓を貪り食われた後だった。



 遥は意図せず再び覚醒することになった。とは言え、目も耳も鼻も機能しておらず唯一触感だけがある状態だ。そんな遥を変な感覚が襲った。

 全身がむず痒い。でも何となく気持ち良くもある。

 これが夢であることを思い出した。もしかしたら、もう終わったのかもしれない。あまりに過激な体験に身体がショックしているから、こんな状態なのではないか。希望が瞬いたが、すぐに現実に引き戻された。背中には洞窟のゴツゴツした感触があることに気付いた。

 それでもこの苦痛のない現状になら身を委ねてもいいと思った。

 それは勘違いも甚だしい。今は『治療』の真っ最中である。遥がそれを思い知るのは、視覚が回復してからだ。



 眩しさに目が眩んだ。久しぶりに見た光は、岩窟を照らす不思議な光だった。決して強くはなかったから、すぐに目が慣れた。

「ひっ!?」

 『治療』を目撃して、遥は思わず息を飲んだ。

 へし折られて身体から飛び出した骨は、赤黒い膜を張りつけた白い芋虫よろしく元に戻ろうと不器用に動き回っていた。

 裂かれた皮膚はノロノロと伸縮し繋がった。かと思えば力を無くしてちぎれたりしている。

 全身の部位が別の生き物のように蠢いている。純粋な恐怖が渦巻いた。

 声を出そうとして、口や喉の皮膚も再生していることに気付いた。体内でも同じことが起きていることを想像すると、身体が強張った。

 好き勝手に動き回る自分の一部は、刺激したら一斉に振り向いてきそうで怖かった。

 そう考えると目が離せない。ついつい好きでもないホラー映画を見てしまう感覚と似ている。『治療』を見せつけること。それは遥の身体を癒し、心を毒すものであった。


 最終的にはもう一度戦えるほどに身体は修復された。すると、待ってましたとばかりに怪物がまた一匹ホールに躍り出た。

 遥はこの『治療』を再び受けないために力を振り絞って戦いに挑んだ。勝つのは無理でも、なんとか悪夢の終了まで時間を稼ぎたかった。

 その油断も隙もない遥を嘲笑うかのように、思いもよらぬ所に罠はあった。

「ひぐぅぅ! があぁっ!」

 遥が醜い怪物に何度目かの斬撃をあたえようとする時に、それはきた。治ったかに見えた細い足を喰い破るようにねじきられたような断面の骨が顔を出したのだ。

 呆気に取られたのは一瞬。すぐに凄まじい痛みに転げ回ることになった。悶えれば悶えるだけ、遥の身体は腐った果実のようにズルズルと自壊していく。

 その状態で遥は怪物に嬲り殺され、また『治療』を受けることになった。しかも『治療』は完璧な時もあれば、少し動くと身体が壊れる時もあった。

 遥はいつまた身体が崩壊するやもしれぬ恐怖と、怪物に嬲り殺される恐怖との板挟みに苦しみながらも戦うしかなかった。


 

救いようのない狂気的な想像力が作り出した、どこまでも惨慄な夢。結局それは、綾瀬の右手に宿っていた力を使い果たした時点で終わった。



「……」

 脳裏に染み付き、隙あらば思考の表層に浮かび上がろうとするそれを遥は懸命に振り払った。

 今は疲弊しきった心身を休める場所を探すのが肝要である。悪夢を回想し、無駄に精神を病む必要はない。

(体力が回復したら、アイツをぶった斬る)

 綾瀬の邪悪な内面を隠すような眩しい笑顔を思い浮かべると、遥の本能が目覚め始めた。



《復讐の女神ネメシス

 それが遥の幻象フェノミナとしての名前だ。唯一幻象を造り出す能力を持ち、遥を血塗られた運命に決定付けた幻象、《起源オリジン》。それが復讐の対象である。


 今度は在りし日の思い出が脳裏を掠めた。

 ――血まみれの少年を抱きしめ、泣きじゃくる少女の姿。全てが変わったあの日――

 その幻想をも遥は振り払った。

(過去を憂いて悲しむ時間は私にはない…)

 遥は剣を出現させ、目を閉じその刀身に祈るように額をつけた。

 美しくも歪なこの三ツ又の剣は、斬った幻象を再発生させずに消滅させる力がある。同時に周囲の幻象の存在を感知できる。

 だが、デメリットもある。

 まず人間は斬れない。これは、明人を刺した時に初めて知った。

 最たるものとしては、幻象への殺戮衝動が起こることだ。このせいで遥は憎んでもいない同族を殺戮していった。

 彼らは望む望まないは別として、『起源』に人生を変えられた仲間のはずだ。それを自分勝手な欲求だけで殺すのは辛かった。これでは、あのムカデたちと何ら変わらない。

 だが、止めようと思っても止められず、無理に我慢すれば意識を失ったりもした。そして目覚めた時には、必ずと言ってもいいほど手は血に染まっていた。

 遥はそんな自分が怖かったし、嫌いだった。しかし殺戮行為を止めると自己否定になるらしく、消滅しかかったこともある。

 復讐を果たすためには殺るしかなかった。

 だから、この衝動を多少コントロールする術を身に付けた。だが次第に肥大化する欲望を完全に制御するのは不可能だった。

 遥は衝動に身を任せ、殺人の快楽を求めるようになっていった。復讐と保身の板挟みに遭った精神の一種の防衛機能である。

 もはや《復讐の女神》などという大層なものではないのかもしれない。『辻斬り』『通り魔』そんな呼び名の方が似合っている。

 幻象を殺しても消滅する為証拠は残らないが、目撃者にはには大量殺人犯として見られている。幻象とも人間とも相容れない。遥は孤独な存在になっていた。

 それを悲しく思ったのは最初だけだった。その後は《起源》を探しながら、出会う幻象を殺し飢えを満たした。

 能力ゆえ、傷つくことはあれど負けることはほとんど無かった。

 今回は久しぶりに大敗を喫したことになる。この綾瀬というなかなか骨のある獲物は、遥の心はいつになく沸き立たせた。

 殺人衝動以外の理由で剣を振るう機会は久しく無かった。



 剣から額を離し、遥は目を開いた。その赤い瞳から虚ろな光は消え、並々ならぬ狂気と強い意思が宿っていた。

「生きるためには殺すしかないのね」

 いや違うか。これは贖罪だ。あの日、この狂った獣の欲望で大切な人を殺したことに対しての。それは綺麗事だ。本当はもっと単純に、殺したいだけなのだ。だが、殺人の重圧は幻象になったとしても軽くなるものではない。だから、手頃な理由が欲しいだけ。

「どうでも良いわ」

 浮かんできた様々な想いを一蹴して、遥は再び歩き出した。

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