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第25話B:逃避-escape journey

 小夜たちを乗せた車は先ほどから高架上を走っていた。

 ここでも街中ほどではないが片側二車線の道路に壊れた車やバイクが乗り捨ててある。

 午後3時も半ば過ぎ、冬の太陽は早くも傾き始めたらしい。血を吸った綿のような雲の切れ間から斜陽が射し込んでいる。

 高所から見ると緋森の町は紅いダム湖に沈んでいるようだった。

「どれほど範囲を広げたんでさぁ。終わりが見えませんぜ」

 小夜の隣で《起源》が呆れたように呟いた。傷はだいぶ塞がったようで、今は普通に足でアクセルを踏んでいた。

「仕方がありませんな。《女神》を浄化してやってくだせぇ。脳に直接電流を通しましたんで、途中で起きることはないでしょう」

 綾瀬に武装解除された遥はシートベルトできつく緊縛されていた。初動を少しでも遅らせることができたら上出来という程度の拘束でしかないだろうが。

「了解です」

 小夜が早速取りかかろうとした時、洞窟の崩落を思わせる音が車を揺さぶった。

 激しくも大きくもないが、生存本能を脅かす部類の超重音だ。

「見て!」

 後部に座っている綾瀬が緊張した様子で叫んだ。

 トランクの窓の外、紅い霧の中に追跡者の全貌を確認する。

 2メートル強はあるだろうか。影を凝縮した巨大な何かが四つん這いに近い体勢で迫ってきていた。

 狼とも虎ともとれる頭部には炎が2つ燃えている。異様に発達した前肢に備わった大振りの鉤爪がアスファルトを抉り、進路にある車両を薙ぎ倒す。

 力強く荒々しい前面に対して、下半身は気化しているようにおぼろげだ。陽炎のように揺らめいてマント状に広がっている。

 戦車と幽霊。影の魔物は別種の恐怖を同時に体現していた。

「見るも無残というべきか、流石の忠節というべきか」

 《起源》はバックミラーで確認して嘯いた。

「ちょうどいいのもあるし、獣狩りと行きますか」

 遥から取り上げたハンドガンをジャキッと構える綾瀬。

「トランクを開けまさぁ。しっかり狙ってくだせぇ」

「オッケー」

 ドアが開くや否や綾瀬は獣の頭に狙いを定めて引き金を引いた。

 銃弾は狙い通り額に吸い込まれていったが、何の痛痒も与えられないようだ。

 逆上した影の獣はおもむろに単車を鷲掴むと、投げつけてきた。

「《起源》右!」

 身も竦むような急な動きで車が車線を変える。すぐ左で単車がアスファルトに衝突して派手に爆発した。

「ひゃあ!?」

「浄化に集中して! あれを滅ぼせるのはそいつだけなんだから」

 思わず頭を庇った小夜に、綾瀬は振り向きもせず鋭い注意を飛ばした。

 綾瀬の背中からは冷たく研ぎ澄まされた闘気が立ち上っているように思われた。

 そう、ここはまだ紅の領土。気を休めていい時間などないのだ。

 小夜は遥の胸に軽く手を当て、清めの月光を巡らせる。

 やはり他の人に比べて侵蝕が進んでいる。自分から求めてしまったこともあり、中枢が冒されているのは明らかだ。

 相当の痛みを伴うのだろう。遥は無意識に小夜から離れようと身動ぎしている。

 迅速に、慎重に。小夜は気を引き締め己が職務を全うしにかかった。


 もう数発撃ち込んでみたが、手応えが感じられない。ならば、と綾瀬は手榴弾のピンを抜いて放った。

 沼に石を投げ入れたような感触と共に、爆弾は怪物の腹に吸い込まれていった。

 空隙の後、破裂音。相克する黒煙と赤炎の様相が呈される。

 怪物が巨体をよじり上半身が弾けた。まるで花が咲いたような形状になっている。

 闇の花弁の中央に腰から下が埋もれた状態でアキラが据えられていた。

「そこにいたんだ」

 何の呵責も感じさせない滑らかな動きで綾瀬は銃口を向け、弾を発射した。

 命中するたび黒い衣から血がしぶく。無抵抗なアキラは衝撃で身体を揺らすだけだが、影の魔物は痙攣して追跡を緩める。

「やっぱりあんたがコアなの。なんだかゲームみたい」

 狂える微笑みを浮かべながら綾瀬はマガジン1本を使い切った。

 リロードの隙に怪物はアキラを包み込んで横に跳躍した。黒い尾を引いて高架下に消えていった。

「やった!」

 ガッツポーズを決める綾瀬を小夜は複雑な目で見ていた。ためらいもなく人を撃てることがショックだった。

「浄化は終わりましたか?」

 ふっと一息ついた《起源》が尋ねてきた。

「ほとんど完了しました」

 マンションで強引に浄化したのが幸いした。あの時、蓄積し固く定着していた部分を崩していなければこうも簡単にいかなかっただろう。

 アキラが与えた数粒の《柘榴》と霧では鎖の補強には足りなかったようだ。

 遥の体内にもうほとんど《柘榴》は残っていないはず。

 あとは精神力次第だ。体力が回復しさえすれば、目も覚めるだろう。

 小夜は汗を拭き、息抜きに窓の外に目をやった。紅霧が薄くなっているように感じるのは気のせいだろうか。

 何かを暗示するような空隙があった。

 次の瞬間、車の左側、高架外の中空から黒い津波が押し寄せてきた。

「くそっ!」

 《起源》は思いっきりハンドルを切り、影から逃れようとした。

 その甲斐なく金属のドアを紙か何かのように貫いて、影の爪牙がなだれこんできた。車は左へ引き摺られ、妙な浮遊感も伝わってきた。

「ぐっ! ん……」

 逃げ場のない車内。小夜の左肩を漆黒の爪が抉った。

 鋭い痛みが刻み込まれる。だがそれ以上の快感が押し寄せ、逆にとろけてしまいそうになる。

 一度《魔姫》に従属した身。意識で依存から抜け出ようと、味をしめた小夜の身体はすんなりと快楽を受け入れてしまう。

「やああああ!」

 倦怠な吐息を振り払い、気合いの声を上げて小夜は光の剣を振るった。

 スッパリと裂かれた闇が痙攣し、侵攻を止めた。

「早く!」

 綾瀬と明人はトランクから、《起源》は運転席のドアから脱出した。

 影を食い止めながら、小夜は遥を縛るシートベルトを外すのに四苦八苦していた。

 影は車を覆い尽し、金属の骨組みが鈍い悲鳴を上げている。汗がじっとりと浮かび、心臓が破裂しそうになる。

 何とかシートベルトを外し、遥を抱える。ドアを塞ぐ影を斬り裂いて外に飛び出した。


 間一髪。歪んだ音を立てて車はスクラップに変わり、巨大な影に飲み込まれていった。

 息つく暇もなく、小夜は異変に気付かされる。

 小夜たちは高架から引きずり降ろされ、空を舞っていたのだ。

「いやああ! 死んじゃうううう!」

 綾瀬の悲鳴が下から聞こえてくる。

 スカートを押さえながら、落下していく綾瀬が見えた。

 即座に純白の翼を展開。霧を退けながら急降下し、綾瀬を捕まえる。近くにいた明人の手も掴む。

 能力を使ったことで麻酔まやくが切れ、焼けるような痛みが左肩に再来した。

 体勢を元に戻そうとしたのだが、3人分の体重が小柄な身体にかかり、翼から力を奪っていく。

「も、無理……!」

 翼が霧散し、4人の身体が自由落下を始める。

 地上でとぐろを巻いていた影から4人を槍玉に挙げるべく触手の群れが突き上がってきた。

 小夜の両手が塞がっている。防御も攻撃もままならない。

 綾瀬の幻覚もこれを止める即効性を持たない。明人への命令も同じだろう。

 軽い風切音がして、目も開けられないほど鋭利な風がすぐそばを通り抜けて行った。

 明人と綾瀬を掴んでいた感触が消える。

 ゴオオオオアアア!

 暗闇の中、魔物の慟哭が聞こえる。

「あぐっ!」

 背中から地面に落ちて、呼吸が止まりかけた。

 何とか身体を起こすと、痛みに混乱する視界に影法師が揺らめいていた。

「はあ……やっと解放されたわ」

 その声が、気配が周囲の温度を墜落させていく。

 《柘榴》による暴走よりも厄介な存在に今更気付いた。

 冷気を帯びた硬質なものが小夜の首から頬をなぞっていく。

「震えてる。うふふ、かわいそうに」

 指一本動かせないほど硬直している身体。その中で行き場を失った恐怖が暴れている。

 ようやく視力が戻ってきた。目の前を白刃が生物的な滑らかさで主の元へ戻っていった。

 伝承にある復讐の3女神、その蛇髪のごとき死毒の剣がゆったりと身をくねらせている。

 友のため復讐の道を歩む彼女とは違う。冷めたようで熱い心を持つ彼女とは違う。遥とは別の何か。

 無の地平に血生臭い欲望だけが聳え立つ。唯一《幻象》を討滅でき、そのことしか頭に無い者。

「……ネメシス」

 呻きに似た呟きが零れ落ちた。


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