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第25話A:逃避-escape journey

 紅霧が滞留する道路を黒いワゴンが進んでいく。

 視界は最悪で2、3メートルすら覚束ない。明らかに霧の濃さが増してきている。

 事故車が放置されていたり、変態が完了した人間が蹲っていたりするため無闇にスピードを上げるわけにもいかない。

 いずれアキラも追ってくるはずなので、何重にもじれったく感じてしまう。

「ん……う、ん」

 助手席で気を失っていた小夜は、ぼんやりと目覚めた。

 倒してあるシートから起き上がろうとした途端にアキラに殴られたお腹に鈍痛が走り、顔を歪めた。

「目が覚めましたか。早速で悪いんですがね、浄化をお願いします」

「は、はい!」

 状況を思い出して一瞬で頭が切り替わった。

 小夜は《起源》の胸に淡い光を帯びた右手を乗せた。

 聖浄の月の力が流れ込み、《起源》は苦痛とも解放感ともとれる大きな溜息を漏らした。

「辛くはないですか? 今日のあなたは力を使いすぎている」

 疲れの浮いた顔で《起源》が言う。

「それはこっちの台詞です。侵蝕も深い所まできてますし、酷い怪我じゃないですか。起こしてくれればよかったのに」

 脚の銃痕からはまだ生温かい血が流れている。時折、苦患の表情が垣間見える。

 アクセル・ブレーキは器用に《不壊》を使って行っているようだが、その姿は痛ましい。

「あなたには休めるときに休んでおいて欲しかったんでさぁ」

「気持ちは嬉しいですが、《柘榴》の処置は早い方がいいんです」

「それは分かってますがね……ありがとうござんした。後ろの方にもしてあげなせぇ。もちろんあなた自身にも」

 後ろを覗き込むと遥の姿が目に入った。

「《女神》は後回しでいいですね」

「ええ、ここで暴れられては困りまさぁ」

 小夜は言われた通りに動き出した。

 後部座席で明人はドアに靠れていた。目を瞑り、血塗れの格好で人形のように微動だにしない。死んでいるのかと錯覚してしまうほどだ。

 こちらもこちらで痛ましい。一体何があったのだろう。

 小夜は綾瀬を盗み見た。

 綾瀬は起きる気配のない遥のコートをひっくり返して何か探していた。

「彼を浄化してもいいわよね」

「ん? ああ、どうぞ。ただ《柘榴》だけにしとかないと痛い目に合わせるよ。すぐ分かるんだから」

 いつもの笑顔で遥の持っていた小銃を突き付けられた。

 だけと、言うからには他のものもあるのだろう。

 明人の手を握りながら、探りを入れてみる。

 漠然と3つの力を感じる。《柘榴》は確定としてあとは《楽園》だろうか。もう1つは力が強いのに掴みどころがない。

「私を殺したのはこのピストル? それともこのサブマシンガン? はたまたこの手榴弾かしら」

 綾瀬は遥の得物を並べて、怪しい笑みを浮かべている。

「殺されたことがあるの?」

 明人の浄化を進めながら、小夜が聞く。

「あれはあなたが日本に帰ってきた日かな。撃ち殺されたらしいんだよね」

「らしい?」

「私じゃないからね。……あれ、理解できてないみたいだね」

 曖昧な顔をしている小夜に、その方が理解できないという顔をしてみせる。

「《幻象》の再生能力を応用すれば、分身することができるって知らないの? 殺されたのはその1人」

「は、初耳よ。知っていましたか《起源》?」

「理論的には。あっしにはできませんがね」

 驚いた小夜が《起源》に聞くとそっけない答えが返ってきた。

「分かりやすく言うと細胞分裂みたいなものかな? あれは細胞内の染色体を一時的に倍にして分かれるけど、私たちは身体の一部を千切ればそれが元の姿に戻ろうと再生するんだよ」

 綾瀬は得々と話し出した。


 《幻象》の自己再生能力は単に傷を癒すものではないらしい。

 例えば髪を抜いて放置しておけば、そこからもう1人の自分が再生される。

 だが普通は抜けた時点で、現在もそれが自分だと正確に認識できる者は少ない。

 《幻象》になったとはいえ素体は人間。爪でも髪の毛一本でも身体を離れれば、それも自分だという常識など持ち合わせていないのだ。

 自分が何人もいればと、誰しもが夢想したことだろう。だがそれは大抵分身を便利な奴隷としか見ていない。

 実際は分身を生んだはずの自分が、いつのまにか分身に取って代わられる。それは珍しくもない茶飯事。

 人はアイデンティティーの危機を無意識下で忌避し続ける。まして自分殺しを敢行する狂気も持ち合わせてはいない。

 そういう認識が障害になって普通は分身できない。

「でも私はできるんだよね。互いに不干渉だけど、全員の経験と記憶は共有財産として使わせてもらってるわ」

 こんなの見たこともないけど扱いはお手の物よ、と自慢げに銃を弄んでみせる。

「……スケールが大きい話ね。はい、次は綾瀬の番よ」

 ひとまず明人は安静にして、綾瀬の横に移動する。

「痛くない?」

 急に不安になったのか綾瀬が尋ねてきた。こういうしおらしい一面もあるのかと、少し意外に思う。

「大丈夫。まだそんなに定着してないから」

「そっか」

 肩を寄せると綾瀬は安心したらしく身を任せてきた。

 やわらかな燐光が繭のように2人を包み込む。

「この霧もさ、同じ方法で生まれてるんだよ。ただ私みたいに放任主義じゃないだけで」

「どういうこと?」

「霧の一粒一粒がすごく小さい《魔姫》なの。再生が抑えられてるから霧みたいに見えるだけで」

「それじゃ《魔姫》を吸い続けてるわけ?」

 小夜は素っ頓狂な声を上げた。

「あはは、まあ血とかだと思うけどね」

 それが体内で増殖・分裂して人間を紅霧発生装置に変貌させてしまうらしい。有り体にいえばウイルスと同じである。

「だからアイツがやろうと思えば、お腹を突き破って出てくるとかもできるんじゃないかな」

「うっ……」

 少し想像して気分が悪くなった。

 《魔姫》と対峙する時は、浄化を欠かさないようにしないといけないなと、肝に銘じた。

「まあ無理だろうけど。アイツみたいなやつは自分が世界に2人もいるのを認めるわけないんだから」

「はい、完了。さっきから《魔姫》のことやけに詳しいみたいだけど」

「ああ、それはあっしがスパイをさせていたからでさぁ。あなたは早々に魅了されてしまったようですから」

「え……、あ、すみません」

 申し訳ない気持ちになって小夜は白い頬を朱に染めて俯いた。

「なに、謝ることはありませんぜ。あなたは立派に役目を果たしたじゃあないですか」

 何かできたことがあっただろうかと、記憶を反芻してみるが思い当たらない。これ以上恥ずかしい思いをするのも嫌なので、小夜はそこに追及しなかった。

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