第24話B:交錯-bitter enemy, sweet haze
地上で待ち受ける小夜は翼を羽ばたかせた。舞い散る純白の羽根が弾幕となり発射される。
紅霧を割断する光の洪水が落下する2人を飲み込んでいく。
遥の剣が3つの鎌首を振り立てて光弾を両断する。怨敵を前に強化された身体能力と剣の防衛本能が、バランスの取れない空中において驚異の剣捌きを披露する。
アキラは壁を強く蹴って、さながら砲弾のように突撃した。
魔犬の護りを無効化する弾。被弾の苦痛は想像以上だったが、一直線に小夜へと向かう。
「おりゃあああ!」
右腕にブレードを形成し、推進力に乗せて振り下ろす。
アスファルトを砕く一撃は避けられたが、結果として小夜は弾幕を中断せざるを得なかった。
その間に隙の大きい着地・受け身を完了させ遥は、《起源》との距離を詰める。
「《起源》!」
「来なさい《復讐の女神》。あなたの目を覚まさせてあげましょう」
力の限り《怨疾毒蛇》を叩きつける。
強烈無比の一撃を見えざる《不壊》で受け止め、その衝撃を利用して《起源》は後方に飛び退った。
遥の右手に伝わる衝撃は思わず剣を手放してしまいそうになるほどだ。
今はそんなことを憂慮している暇はない。紅いベール越しの日光に輝く刃を自在に伸縮させ、刺し殺さんと追い縋る。
側面、頭上、アスファルトを突貫しての真下からの攻めも難なく全て弾かれてしまう。
「どうしました? あっしを貫くための牙でしょう。仕留めてみなせぇ」
《起源》もやられてばかりではない。攻撃の合間に不可視の盾を飛ばし、殴りつけてくる。
「ふっ」
一度受けた攻撃であり、霧のおかげで気流が読みやすい。当たることはない。
勝負は膠着状態に入っていった。
「相変わらず堅いわね。『外側』は」
「ふふ、あなた方の狙いは分かっていまさぁ。だが……」
「分かっているからこそ焦るんじゃない?」
自信に満ちた言葉が《起源》を遮った。
チラとアキラの方を見遣った。
アキラは《出来損ない》の回復力にものをいわせ、攻撃に対して一歩も引かない。
対して打たれ弱い小夜は遠距離戦に持ち込もうとしているようだが、距離を詰めることを念頭に置いた立ち回りをされて思うように動けない。
大振りの回し蹴りを躱した小夜は、その隙に空へ逃れようとした。
「逃がすか!」
いやに冷たい感触が右足に絡みついた。
見れば、アキラの身体からどす黒い影の触手が生えている。
地面に叩きつけられる寸前に切り離すことができたが、逃げの一手というわけにもいかないようだ。
四肢に生えた漆黒のブレードと膂力を活かし、アキラは隙あらば退避しようとする小夜を追撃する。
一見アキラの優勢に見える戦い。その内実は逆である。
切り結ぶ度に小夜はアキラの得物を打ち消す。それはアキラの核を為す《柘榴》を揺るがす大打撃である。
並みの外傷ならものともしない屈強な肉体でも、裂かれた心の傷からはどくどくと血を流しているのだ。
小夜が攻勢に転じれば、防御する術がない。
敗北も覚悟の上。それでも接近戦を維持しなければいけない。
遥に《起源》を滅ぼすチャンスを与えるためにも。
アキラは拳を握り締め、小夜に食らいついていった。
アキラ、負けないで。もうすぐだから。
心の中で祈りながら、遥も攻め手を緩めない。
むやみやたらと攻撃しているように見えて、《起源》を小夜の方へ移動させないように《毒蛇》の三つ首を振るっている。
もう何十発と打ち込んでいるが、息が切れることはない。
「く……」
平静を保っていた《起源》の顔が陰った。
遥はその瞬間を待っていた。
「効いているようね」
《起源》は忌々しそうに眉間に皺を寄せ、遥をねめつけた。
紅霧もとい《冥界の柘榴》は《魔姫》に身を委ねる意志のない者には毒と同じだ。
特に《幻象》は自我が固まっているため、他者に従属するのを嫌う傾向にある。それが毒性を強めることになる。
ふいと《起源》が目を逸らした。
「やああああ!」
集中の糸が切れたのだと悟り、3つの刀身を束ねて跳躍、刺突する。
《起源》の心臓を狙った渾身の一撃。
盾と剣がぶつかり合う壮絶な音が木霊した。
防がれはしたが、今までの頑健さが僅かながらも失われているように感じた。
「何のこれしき!」
盾に押し返され、傍にあった車に磔にされる。
「芸がないのね」
遥は冷ややかに笑うと、剣を握る手首を軽く動かした。
あっという間に車は解体され、崩れ落ちた。
「それでも時間稼ぎにはなりまさぁ」
《起源》は小夜へと距離を詰めていた。小夜もその意思を汲んで向きを変えた。
「させない!」
拘束の最中にピンを抜いておいた手榴弾を間に投げ込む。
爆発物に怯んだのは小夜だった。まっすぐ合流しようとしていていたのを軽く軌道修正した。
そこへアキラが割り込み、更に阻止する。
それを見た《起源》は早々と退避に移った。
同時に乾いた音ともに手榴弾が炸裂する。仕方ないこととはいえ、爆風と破片がアキラごと《起源》を襲う。
アキラは纏っていた魔犬を背面に集中させ、防御した。そして影が飲み込んだ破片を小夜目掛けて撃つという離れ業をやってのけた。
一方の《起源》も《不壊》で背後の爆発から身を守る。
「これで終わりよ!」
背後に気を回している《起源》に、遥は鞭のように剣を振るった。これまで以上に多角的な攻めを展開する。
その都度弾かれてしまうが、それくらい想定の内だ。
遥は腰に付けたマシンピストルを抜き、引き金を引いた。
《起源》の頭から足先まで隈なく掃射する。空の薬莢が大量に零れ落ち、軽やかなリズムを奏でる。
遥の読み通り、致命傷になる《毒蛇》と頭部への銃撃は防がれた。だが防衛の的が前後左右に分散していることと魔薬の干渉が功を奏し、数発だが両脚を撃ち抜くことができた。
「おぉぁ……」
《起源》が苦痛に呻き、膝を着いた。
遥は身震いした。《毒蛇》が我慢ならないように激しくのたうつ。
躊躇せぬよう、怖気づかぬよう。深淵から湧き出す破壊衝動に遥は身を任せることにした。
「そんな……《起源》……」
今まさに決着がつかんとしているのを目の当たりにして、小夜の動きが鈍った。
アキラはがら空きの腹に黒い拳を叩き込んだ。
命令なので消し去るわけにはいかない。ダメージもあって十全といえる威力ではなかったが、小夜の身体は地面に崩れ落ちた。
「遥!」
友人の元に駆け寄ろうとした時だった。視界が暗転し、前のめりに倒れてしまった。
起き上がろうとするが、腕に力が入らない。体内の《柘榴》を大量に削られたせいらしく、魔犬を呼び出すこともできない。
「くそ……」
あの男は最後まで油断はできない。遥も分かっているだろうが、2人でいた方が対処しやすいに決まっている。
霧だけでは足りない。持ってきた《柘榴》を全て噛み砕いて嚥下する。
痺れるような快感に至福の酩酊を覚える。
だがいつまでも酔っているわけにはいかない。自らを叱咤し、立ち上がる。生まれ変わったように身体が軽くなっていた。
低く轟くような雷鳴が紅い空気を震わせた。
感じる違和感。その正体は突如、世界を白く塗りつぶして落ちてきた。
目を潰す烈光に続き、立っていられないほどの揺れが襲ってきた。
手榴弾など及ぶべくもない、爆音と熱風を孕んだ衝撃波に吹き飛ばされた。
気付けばアキラは無様に打ち捨てられていた。
数秒ほどで五感が戻り、アキラは変わり果てた風景を目にした。
遥と《起源》がいた場所を中心に、まるでミサイルでも落ちたかのようなクレーターができていた。
その傍で豪快にひしゃげた車両が炎上し、空気は火事場のように熱を持っている。
そんな戦場跡に2つの人影が立っていた。
「凄いよ、明人。流石に才能はあるね」
「……」
血塗れの制服を着た榊原明人。生気のない立ち姿。その手に握られた日本刀だけが刺すような光を帯びている。
表情の無い、鳥類のような目がアキラを捉えた。
心底楽しそうに明人の周りを跳ねていた綾瀬も気付く。
「お前たち、何をした?」
修復中の身体から絞り出すようにアキラが聞いた。
榊原明人。今回の作戦の鍵。すでに変容が始まっているらしい。
少女の方は会ったこともない。
「アキラちゃんとか言ったっけ? あなたは知らなくても私は知ってるよ、君のこと」
「なに……」
心を読まれたみたいで不快だった。
「でも今はあんたに付き合ってる時間はないんだよね。おへそもろとも消えてしまえ!」
嫌な予感がして綾瀬が言い終わる前に、アキラは死ぬ気で綾瀬へ跳躍した。
今までいた場所に光の塔が聳えていた。超高圧の電気エネルギーが地面を抉り飛ばしている。
「おっと!」
すれ違いざまに綾瀬を斬りつけたが手応えがおかしかった。綾瀬は何食わぬ顔でアキラを見ている。
攻撃はどうあれ、あの雷を避けられたのは僥倖だった。
だが次はないのは明らかだ。
「無差別攻撃も楽しいけど、ちゃんと狙って当てる練習もしなきゃね。それっ」
綾瀬の合図で、明人が刀を振った。
獰猛な唸りを引き連れた雷速の槍が、アキラを貫いた。
身体が石になってしまったようだった。耳も聞こえず目も見えず、叫ぼうにも口舌が硬直して呼吸さえ不可能。体機能は軒並み危険域で、死の淵まであと僅かだ。
この感覚、夜の街で《起源》と引き分けたあの時と同じだ。
違うことといえば治し方を覚えているのか、回復速度があの時の比ではないことか。
ますます化け物に近づいている。
ふらふらと立ち上がりながら、アキラは嗤わずにはいられなかった。
「やっぱり《出来損ない》は無駄に頑丈ね。あんたは度を越して変態性能みたいだけど」
まあいいや、と綾瀬も笑う。
「仕事は済んだし、もうひいていいよね」
エンジンを噴かせて突っ込んできた黒いワゴンがアキラを撥ね飛ばした。
着地もままならずボロ雑巾のように地面に叩きつけられた。
「ごめん、もう退くから許してね」
綾瀬は明人を引っ張って、意気揚々と車に乗り込んだ。
朦朧とする意識を現世妄執の治癒力で繋ぎ留め、アキラは見た。後部座席で昏々と眠る遥の姿を。
遥が奪われる。
痛み、憎しみ、怒り、友と居たい気持ちも。ありとあらゆる感覚や想念が《起源》への殺意に置き変わっていく。
体内の《柘榴》が負感情と欲望を増長させ、暴走状態に陥っていく。それを止められる余力は残されていない。
力なく横たわるアキラの周りに3匹の魔犬がうろついている。
彼らは互いに溶けて混ざり合い、紅霧を吸い込んで更に大きくなっていく。
やがて無抵抗のアキラをも取り込んだ巨大な闇の塊が、不気味に胎動を始めるのだった。