第24話A:交錯-bitter enemy, sweet haze
「アキラ、寒くない?」
遥は長袖の制服の上に黒のロングコートを羽織っているが、アキラは肌に張り付くような奇妙なスーツだけ。胸や関節部分には装甲があるものの相当寒そうに見える。
「大丈夫だ。これは機動性を最大限に活かす造りだが、見た目より頑丈だし保温性も上々だ。ちょっと恥ずかしいのが難点だけど」
「セクシーなボディラインがくっきりだよ?」
「言うな! ああもう余計恥ずかしくなってきた」
顔を赤らめるアキラ、くすくすと悪戯っぽく笑う遥。
紅い霧に満ちた住宅地に人影はなく、道端には人体を冒涜したような歪な発生装置が転がる。そしてこれから殺し合いに出向くようには見えない2人の無邪気さ。
それらを異常と感じる者はすでにいない。
しばらく歩くと目的地が見えてきた。
「ここよ」
遥が指差し、アキラが見上げる。
紅いベールに包まれたマンションはゲームの中の魔物が巣食う塔のようだ。待ち受けるのが人間ではないあたり、その形容もあながち間違いではない。
ふとそんなことを考え、遥は瞼を閉じて索敵を開始した。
やはり光点が2つここにいる。
俯瞰的な見方でしか場を捉えられないため、何階に標的がいるのか分からない。遥の能力はこういった多階層の構造では真価は発揮できない。
だがここには1度、明人と来ていた。おそらく彼の家が拠点になっているのだろう。
遥とアキラは武装の最終点検を手早く済ませた。
「ついてきて。たぶん8階にいる」
遥の声は少し強張っていた。
2人でエレベーターに乗る。
遥は明人と仲直りした後、彼の家にお邪魔したことをぼんやりと思い出していた。
あの時もこうしてこの狭い箱に乗っていった。
お互い利用しあう欺瞞的な関係。
彼の《天使》抹殺計画は頓挫した。
遥も偽の情報に踊らされた結果、仇敵の下僕になっている。《魔姫》に従うのは今でも違和感があるが、アキラと再会し家族のような枠に入れたことは素直に嬉しかった。
彼はどうしているだろう。
チンと音が鳴り、思考は中断された。
エレベーターの扉が開く。
遥が先に降り、敵の気配を探ろうとした瞬間だった。金属のロープが切れる音がした。
「アキラ!」
目の前でアキラを乗せたままエレベーターが落下した。
脳髄に突き刺さるような金属同士が奏でる不快音が響き渡る。
慌ててシャフトを覗き込むと、暗い縦穴に火花を散らしてエレベーターは落ちて行くのが見えた。
罠? 襲撃が悟られていた? 何故?
「分断は成功よ」
声が耳に届くか否かの刹那に遥は三つ又の剣を振り抜いた。
空ぶった銀色の刃の向こう。そこには白い翼を展開し、霧中に浮く小夜の姿があった。
ゴスロリ風の黒装に包まれた白蝋の身体。霧と同じ色の瞳が無表情に遥を見ている。
小夜は手にしたケータイをポケットにしまった。
金属がひしゃげる轟音と衝撃がマンションを揺らした。
「何故《魔姫》に従っているのですか? あなたの出生を鑑みれば随分おかしい気がしますが」
小夜が遥に問いを投げかける。
すぐには仕掛けてこないらしい。だがアキラを助けようにもこの狭い縦穴に入れば、上からくる小夜を止められない。
考えた末、遥は時間を稼ぐことにした。アキラの治癒力と破壊力をもってすれば、脱出にそう時間はかからないはずだ。
「あなたこそ戻らなくていいの? 《魔姫》さまはお怒りよ」
「お断りします。それでこっちにつく気はありませんか? 私は《柘榴》を無効化できるので、その心配しなくてもいいですよ」
「……何が目的なの?」
「もちろん《魔姫》を滅ぼしてこの毒霧を消すためです」
遥は眉をひそめた。
《魔姫》を滅ぼす。その言葉に眠っていた毒蛇が静かに目を覚ますのが感じられた。
「私にメリットがあるとは思えないわ。どうせ《起源》の差し金でしょうに」
「……やっぱり、あなたが言ったとおりでしたね」
小夜が溜息をついて、妙に弛緩した体勢をとる。
とっさに迎撃の構えをとった遥を、側面からの重撃が襲った。
「な……!?」
見えない何かに弾き飛ばされ、廊下の端の壁に押さえつけられた。
逃げようにも上半身ががっちりとホールドされていて動けない。
「だから言ったでしょう。《天使》早くしなさい。彼女が戻ってきまさぁ」
忘れもしない声が遥の耳に届いた。
「《起源》!」
胸を圧迫する不可視の盾のせいで遥の声は掠れていたが、より怨嗟を強調する形となった。
不倶戴天の男が通路の奥から悠然と歩み寄ってくる。
黒い羽織が紅い風にゆらめく。灰色の着物の袖から伸びた細腕が煙管を弄ぶ。平素の生気に乏しい目がいまや爛々として歪光を滾らせている。
真っ向から視線をぶつける両者の間に、小夜が降り立った。そして浄めの月光で構築された剣が遥の右腕を貫いた。
「ぐあ、ううぅっ!」
神経が焼切れるような痛みに襲われ、思わず《毒蛇》を落としてしまう。
「《魔姫》の呪縛から解放してあげます。もう少し辛抱してください」
盾越しに小夜が遥を抱擁する。
光り輝く翼に包まれて遥は声なき声で絶叫した。
赤熱するワイヤーで縫われるような痛みが全身を苛む。
頭や両足が勝手に暴れている。背後の壁に打ち付けたせいで後頭部からぬるりとした液体が滴った。
そのうちに苦痛の中に別の感覚が生まれてきた。
錆が落とされ、がんじがらめの鎖が緩むような解放感。あるべき場所に帰りつつある安心感。
それらに身を任せようとした時、地獄の底から溢れ出す鬼の咆哮を聞いた。
「《天使》!」
エレベーターの天井が破壊される音を聞きつけ、《起源》が警告する。
「あとちょっとなんです」
小夜は遥から離れようとしない。
《起源》は小夜に駆け寄った。
「ここであなたを失うわけにはいかんのでさぁ!」
背後でシャフトの金属壁が抉られる音が高速のビートを奏でる。
《起源》は小夜を無理やり引きはがして抱えると、通路の格子を飛び超え空中に身を躍らせた。
触れるもの全てを切り刻んで、今いた場所に黒い暴風が到達するのとほぼ同時だった。
「遥! 大丈夫か、しっかりしろ!」
軽く頬を叩かれて、遥は意識を取り戻した。
「あ……か……っ」
息ができない。喉の奥がカラカラに干上がっている。
アキラが素早く《柘榴》を何粒か取り出し、遥に飲ませた。
窒息しそうになりながら何とか飲み下すと、気分が落ち着いた。
「ありがと」
「アタシがもっと注意していればこんなことには……戦奴が聞いて呆れる」
「油断した私が悪いんだから気にしないで。それより今は」
遥は立ち上がると眼下に目を走らせた。
下の駐車場に2つの影が立っている。
「やっと見つけた。アイツを滅ぼさないと」
「みんなの仇だからな」
もう戻れない日々の映像が脳裏をよぎった。アキラにしても同じなのだろう。
「行こう」
どちらからとも言わず、2人は中空へ身を投じた。