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第21話B:狭間-intervalic moment

 深紅の鎖に緊縛された三つ首の銀蛇は、毒牙を振り乱し、身をくねらせ暴れた。

 しかし鎖が築いた呪縛の歴史は恐ろしく深い。喰らうことを抑圧され続けた蛇とは違い、己の実力を遺憾なく発揮し、洗練してきたのだ。

 飲み込まれるな、と蛇が喚いている。

 それを跳ね除けて何になるの? 遥は蛇を見つめた。

 答えは自明である。見渡す限りの殺戮の荒野。血塗れた物語の続きを紡ぐだけだ。

 殺しの苦悩と快楽に嬲られるだけなら私は奴隷でいい。アキラと一緒に過ごせれば、それで。

 尾を引く絶叫は怨嗟にまみれて、蛇は鎖に絡め取られていった。

 鎖の次の標的は無論遥だった。

 足元から這い上がり、胸を、腕を、首を戒めていく深紅。遥は抵抗しなかった。むしろ進んで受け入れたというほうが正しいだろう。

 気付くと遥は跪いて、小さな指に口付けていた。

 顔を上げると《魔姫》の蒼眼が見下ろしていた。見ている間に口元に三日月が刻まれた。

「今日からここがあなたの家よ。家族、そういうことになるわね」

 そう言った彼女の顔は慈愛に満ちていた。遥はそう思った。

「《忠誠(ケルベロス)》、彼女を開いている部屋まで案内なさい」

「はっ」

 脇に控えていたアキラに手を引かれ、遥は《魔姫》の部屋を後にした。



 遥は案内された部屋でベッドに寝転がって天井を眺めていた。

 不思議な感覚だった。我が身を苛んでいた蛇の慟哭が露ほども感じられない。それでいて喜びもない。たゆたうような虚無があるだけだ。

 果たして自分の選択は正しかったのだろうか。

 堂々巡りの思考に陥りそうなった頭を現実に叩き戻す。

 まだ始まったばかりだし、悩んでもしょうがない。今までの孤独に比べれば、アキラといられるだけでも幸運だ。

「霜崎様、いらっしゃいますでしょうか」

 謙虚なノックが部屋に響き、次いで女性の声がドアの向こうから聞こえた。

 遥が返事をすると、黒の服に白いエプロンのいわゆるメイドが扉を開けた。

 見れば自分と大して変わらない少女だ。そんな人に様付きで呼ばれるのは心地の良いものではなかった。

「お着替えの準備ができております。どうぞこちらへ」

「着替えって、何かあるんですか」

「霜崎様のための晩餐会でございます。あらかじめお伝えしなかったことをお許しください」

 遥の疑問に答えて、メイドは深々と頭を下げた。

 何だか気持ち悪かった。厭われるのには慣れているが、こうも丁重なもてなしをされるのは初めてだからかもしれない。

「晩餐会? 何で私に?」

「それはお嬢様が霜崎様を家族と認められたからです。これまでも幾度となく行れてきた慣例行事でございます」

 逡巡。断る理由は見当たらない。

 私は誓いのキスをした。あの時から《女神》の名が聞いて呆れるほど一縷の憎悪も抱けなかった。

 漠然とした畏敬と埋め火のような渇仰があるのみ。それも次第に形を得ていっているような気がする。

「よろしいでしょうか。では、こちらへどうぞ」

 メイドは遥が心を決めたのを敏感に感じ取り、部屋の外へ促した。

「その前に1つお願いがあるの」

「何でしょう。なんなりとお申し付けください」

「敬語はやめてくれない? 私と年も変わらなそうに見えるし」

「あいにく職業病でして。不治の病なのでございます」

 ニッ、とメイド少女はいたずらっぽく笑う。

 遥も笑い返した。ここへ来て初めての笑顔だった。



「お好きなのをどうぞ」

 メイド少女――菜々子に連れてこられた部屋。

 遥は目を見開いた。その瞳が失っていた無垢な輝きを取り戻すのに時間はかからなかった。

 背の高いタンスが壁を埋め、煌びやかな衣装が所狭しと置かれた部屋。

「うわあっ……」

「ゆっくり決めてくださいね。時間はまだまだありますから」

 あれこれ手にとって、試着をして、ポーズを決めてみて。途中からは菜々子も混ぜて、騒いでみる。

 それは奪われた青春の一幕のよう。

「今夜は何着る?」

「そうですね、いつも黒ばかりなのでたまには違うのを着てみませんか。お互いに」

「なら私も白とかにしようかしら」

 カチャリ、とドアが開く。

 そこへやってきたのは、白金の髪を靡かせた悪魔と影のような従者。手を繋いで笑い合う姿は親子に見える。

 両陣営ともその時まで気付いていなかったらしく、視線を交わしたまま固まる。

「お嬢様、《忠誠》様!? えぇ〜と、こういうときはなんて言えば」

「はぁ、あなたの従者病も大したものね。そんなに畏まらなくてもいいのに」

「そうですけど、あっ、ドレスどうなさいます?」

「切り替え早いわね……」

 《魔姫》があんなに親しげに……幻覚?

 呆気に取られて見ている遥の肩にアキラが手を乗せた。

「あれくらいで驚いてちゃきりが無いぞ。対外的には厳しいが、身内にはあんな風だから変に力を入れないほうがいい。疲れるだけだ」

 本当の子供のようにはしゃぐ《魔姫》を見ていると、頭を往来する《女神》と遥の立場のことも気にならなくなってくる。

「何してるの2人とも。決めないのかしら?」

「あの〜お嬢様?」

「何、菜々子?」

「私もここの衣装着てパーティ出たいなぁ、なんて」

「あなた不治の職業病はどうしたの」

「あーうー」

「仕方ないわね。あなたはなかなか優秀なメイドだし、ご褒美ってわけじゃないけど許してあげる。ただし、後で皆に自慢すること。分かった?」

「ほんとですか。ありがとうございます!」

「その方が労働意欲が湧くわよね」

 異質な者のそれとは思えないほど、平和な空気が満ち満ちてくる。

 しばらく4人の無邪気な笑い声が止むことはなかった。


 

 スイッチの切り替わる音と共に、遥の姿が複数のライトで照らし出された。

 白いクロスの掛かった円卓群。そこに座る異邦同邦の老若男女が注目する。

 マリンブルーのワンピースからすらりと伸びる足には白のパーティサンダル。肩には黒花のコサージュ。

 遥は照明に艶めくブラウンの長髪を波打たせながらその間を抜け、ゆっくりと、しかし力強く壇上へ向かう。

 ステージの端には《魔姫》とアキラがいる。

 レースの付いたアイボリーのボリュームドレスを着た《魔姫》。

 子供っぽい可愛らしさを押し出しているように見えても、その内面が揺るぎないことを瑠璃色の瞳が物語っていた。

 その一歩後方で影が紅蓮に燃え上がっていた。

 深いスリットの入ったドレスが、アキラのたおやかな脚線を中心に全身のラインを強調している。煽情的な肢体を衆目に晒しながらも、炎は微塵も揺るがない。

「今日から家族の一員になった《復讐の女神(ネメシス)》よ。異議ある者は、その由この場で述べなさい」

 遥がステージの中央に立つと、《魔姫》がその名を告げた。透き通った声はどこまでも深く場に染み渡っていった。

 所々でざわめきが起きる。人間と《幻象》の境界に住まう彼らが、首切り役人の名を知っていても不思議ではない。

 遥の立つ舞台から程近い場所にいた菜々子も口元を押さえ、目を見張っていた。

「危険はないのですか!」

 誰かが叫ぶ。

「無い。とは言い切れないわ。まあ、去勢はしておいたけど」

 会場から笑いが漏れる。

 遥は顔を赤くして俯いた。

「お、俺は反対だ! あんただって言ってたじゃないか。《幻象》は自分の欲望を最優先させるだって! じゃあそいつは生まれながらの殺し屋だろう。いくらあんたの支配力が強かろうが……」

 今度は若い男の半狂乱になった主張が飛んだ。敬語すら忘れているところを見ると、最近《幻象》絡みで生命の危機でも感じたのだろうか。

 自分が男を追い詰めてはいないとはいえ、その言葉は胸を抉る。

「ならお前、ここへ登ってきなさい」

 《魔姫》の冷たい声が響き、男は萎縮した。

「ぐずぐずしない!」

 強制力を秘めた恫喝に抗える者はこの場にいるはずもない。

 壇上に召し上げられた男は、いかにも気の弱そうなひょろ長い男だった。

「知ってると思うけど、ここにいる人間は私の《柘榴》に適応して半分《幻象》になりかけてるわ。食べたことないわよね? どんな味がするのかしらね?」

 耳より流れ込み、霜崎遥という存在の根幹を揺さぶる呪詛。

 氷杭を脊髄に打ち込まれたような悪寒。しかもその杭が貫いたのは感覚だけではなかった。

「……!」

 鎖の呪縛を逃れた半身が、鎌首をもたげているのを感じた。

「お、おい!? どういうつもりだ!?」

 凶兆を察知した男がもがく。身体は舞台に縫い付けられている。

 およそ100通りの興奮あるいは恐怖でホールは静まり返る。

 その静けさと反比例するように、蛇人混淆の叫びが頭蓋に轟き渡る。もはや意味などなく、抑制につぐ抑制で剥き出しになった《怨疾毒蛇(エリニュエス)》の本能の咆哮だ。


「よいのですか。あのまま暴走されては、あたしでも止められるかどうか」

「ふふっ、誰がなんと言おうと彼女は家族なのよ。信じてあげるのが、私達の役目ではなくて?」

 《魔姫》は目線を遥から外さず、自信ありげに笑った。

 主人の意向に逆らわないのが従者である。アキラもそれ以上は言わなかったが、万一の時は親友として飛び出すつもりでいた。


 遥に2人の会話を聞く余裕などない。

 今までに無いほど凶悪にギラつく三刃がすでに発現している。猛烈な飢餓感と眩暈と絶叫が主導権を奪おうとしていた。

「寄るな! 寄るなあああっ!」

 知らず右足を踏み出していたらしい。無様に腰を抜かした男が喚いている。

 汗の臭い、怯えた声と挙動、脈拍の上昇。どれもが蛇を興奮させる。恐怖の染み込んだ獲物ほど舌をとろけさせるものはない。

 左、右、また左。焦らすように旨味が増すように、ゆっくりと歩を進める。

 音も無く銀の舌が伸びて、獲物に触れる。

「いえ゛アアアア゛ァ!?」

 振り切れた男は信じられないほど素早い動きで剣先をかいくぐり、遥に飛び掛った。

 予想外の反撃に対応できず、遥はそのまま押し倒された。頭を打ちつけた衝撃で全身が麻痺した。剣は真っ先に弾き飛ばされた。

 男は泣き笑いしながら殴打と絞首で追撃する。細腕の血管が全て浮き上がり、尋常ならざる怪力を物語っている。

 私、死ぬのかな。

 ふとまともな考えが浮かんだ。《毒蛇》の凶念が薄れたせいだろう。

 視界の端を赤と黒の閃光がはためいた。

 咄嗟に脚を曲げ、男の腹の下に入れて突き出す。男の身体が浮くと同時に身を起こし、男に覆い被さる。

 暴行だけに心血を注いでいた男は、いとも簡単に立場を逆転される。

「ぐうっ!」

 背中を黒のブレードが切り裂く。凍えるような痛みが神経に食い込む。

「大丈夫、ですか」

 痛みに負けじと尋ねる。

 男は酸欠でも起こしたように口を開閉している。驚きで目を白黒させている。

「遥、すまない。あたしは……」

 駆け寄ったアキラは後悔を顔に滲ませていた。命令されて行動したわけではなさそうだ。

「分かってる。助けようとしてくれただけなんでしょう。ありがと」

 幸い傷は深くない。遥は顔をしかめる代わりに、笑顔で立ち上がった。

「私の右腕に仲間殺しをさせないため。自分を罵った男を助けるため。なにより認められたいため。彼女は身を投げ打ったのです。同じことがあなた達にできます?

 その決意を見せてもらったからこそ、私も誓うわ。もし彼女があなた達に危害を加えるようなことがあれば、私が全力で守ります。

 じゃあ改めて賛否を問おうかしら」

 一瞬の間。会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。満場一致の承認。

「言っておくけどこれは『やらせ』じゃないわよ。自分の意志も表明できない者をこの船に乗せたりはしないから。ま、こじつけがましいのは承知の上よ」

 《魔姫》は真剣な眼差しで言った。

「どうした!? 痛むのか?」

 突然泣き出した遥を見て、アキラは慌てふためいた。

 会場もざわめく。

「違うよ」

 アキラのこんな姿はなかなか拝めるものではない。少しおかしかった。

「もう1人じゃないんだなぁ、って思ったら、何だか……」

 久しく忘れていた感覚。受け入れられる嬉しさ。

 どうやって報いていこう。自分にできることなら、何だってやるつもりでいる。

「ありがとうございます! これからよろしくお願いします」

 まだ顔も名前も分からぬ家族を向き直って、遥は深くお辞儀した。


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