第2話:夢惨-tragic
明人が2階にある教室に向かう途中で状況は一変した。
「キャーーッ!」
突然女子の悲鳴が校内に響き渡った。
「なんだ?」
不安を感じながらも好奇心に駆られて走った。悲鳴は上の階から聞こえた。
2、3階は異常無し。4階の廊下に出ると1つの教室に野次馬が集まりつつあるのが見えた。
遠目からでもかなり恐々としているのが見てとれる。
「ごめん、ちょっと通して」
本能が行くのを拒否している。しかし、踏み出す足も人を掻き分ける手も止まらない。
そして4階の特別講義室にたどり着く。
「あ」
見てしまった。
朝の陽光に照らされ真紅に輝く教室の中央にそれはあった。
普通の教室よりかなり大きな部屋に大量の机を繋げた粗末な舞台ができていた。その上にそびえる巨大で醜悪な肉のオブジェ。
舞台の縁には10本の腕が環状に生えていた。肘から先を輪切りにされその断面を机にくっつけて。
その中心には誰だか分からない5人の生徒がいる。
そのうち4人の男子は頭部と両腕を無くしている。そしてそれぞれが外側に向かって無い頭を垂れ、そのグロテスクな切り口から赤黒い液体をこぼしつづけている。
その4人が作るさらなる輪の中に1人の女子がいる。やはり腕は無い。
彼女は天井からぶら下がっている鎖に繋がった返し付きの杭に両肩と後頭部を貫かれ、支えられながら不安定に立っていた。
普通なら俯く頭を短い鎖が無理矢理あげさせている。それは憐れな女の子の表情を晒すためだろうか。
目を裂けんばかりに見開き、半開きの口からはだらだらと血を流す。そんな歪んだ顔を。
パシャァ
気の抜けた音に明人の思考が中断される。
振り向くと男子も女子もケータイで血のオブジェを写真に収めている。
「なにしてんだ! やめ、うわ」
明人は誰かに押されて教室に放り込まれた。
血の海と化した床で滑ってひっくり返り、立ち上がることもままならずもがいた。
その間生徒達は明人と血のオブジェを耳障りな音と共に撮り続ける。
前後のドアだけでは足りないらしく廊下の窓をぶち破りスペースを確保する奴もいる。
狂気のカメラマン達は飛散したガラスなど気にも留めずすぐにその場所を埋め尽くした。
明人を見つめる顔顔顔顔顔。誰も彼も気が触れた面持ちで撮影を繰り返す。
突然シャッター音が止んだ。そして狂人達は一斉に黒板を指差した。
気持ち悪いくらい息が合っている。
明人は恐る恐る指差された場所を見た。
『SOON』
緑、黄、赤、白と色とりどりのチョークでさも楽しい落書きのように描かれた単語。
理解不能だった。何が『すぐに』なのだろう。
「キネンサツエー」
誰かが奇声を発した。
パシャパシャパシャパシャパシャパシャ
すぐさま撮影が再開された。
あまりの意味の分からなさで、何かが切れたような気がした。
明人は意味不明な言葉を叫びながら狂人の群れに飛び掛かろうとした。
しかし、血で滑って激しく転倒する。暴れて起き上がろうとした時机を蹴り倒してしまった。
それは、オブジェの崩壊を招いた。
時の流れがゆるやかになっていくようだった。
腕と男子の体がゆっくりと落ちてくる。
ただ1つ。吊るされた女の子は足場を失い、ぶらぶらと揺れている。
明人と女の子の目が合った。抜け殻の瞳。
完全に命を失ったはずの女の子は表情を変えて、嗤った。
「うあぁああぁぁあ!」
椅子と机が弾き飛んだ。
「ど、どうした!? 榊原」
教師の質問。不思議そうにこちらを見つめるクラスメイト達。黒板には訳の分からない数式。
「…………へ?」
状況が飲み込めず突っ立ったままの明人の口からは驚くほど間抜けな呟きしか出なかった。
「ブッ、ヒッハッハッ」
「何だよ、明人、っく、ははっ」
「キモ〜イ」
誰かが吹き出したのを皮切りに教室中が爆笑の渦に巻き込まれた。
数学教師まで堪えきれず、くっく、と笑っている。
明人は体温が急上昇するのが分かった。
「ああクソッ!」
全力で教室から飛び出した。
授業中にも関わらず廊下は何があったのか確かめようとする教師と生徒で溢れていた。みな好奇心旺盛な視線を投げ掛けてくる。
今なら陸上競技で全国を狙えそうな速さで明人はその中を駆け抜けた。
「失礼します!体調が悪いのでベットを借ります」
明人はスライド式のドアを破壊せんばかりに開け保健室に飛び込んだ。
「え、ちょっと!待ちなさい」
校医の制止を振り切り空いていたベットに突進しカーテンを閉めた。
カーテンの向こうで校医はしばらくおろおろしていたが、結局何も言わずに仕事に戻った。
(んだよ、夢かよ。もう最悪。引きこもりたくなっちまったよ)
恥ずかしさと酸素を求める脳の指令と今後の学校生活の事で頭はカオス状態だった。
頭が整理されてようやく冷静さを取り戻したのは10分後。
ケータイを確認すると本日最後の授業の真っ只中だった。
それが終われば明人の恥態が電光石火で全生徒に知れ渡るだろう。
明人は放課後、生徒が全て出払うまでここに居ようと決心した。
そして残りの時間は誰も面会に来ないことを祈った。まあ、授業をサボってまで来るわけはないのだが。
終礼開始のチャイムが鳴った。
それからもう数分後、帰宅する生徒や外で活動する部の部員達の話し声が聞こえ始めた。
幸運にも保健室は1階、昇降口のすぐ近くにあるのでそういった状況は手に取るように分かる。
校医の先生も「榊原くん、帰る前に机の上のプリントに書いといてね」と言っていなくなった。おそらく職員会議に行ったんだと思う。
保健室には明人1人が残された。
昇降口から人の気配が消えるのを今か今かと待っていると唐突に保健室のドアが開いて誰かが入ってきた。
(まさか、クラスの悪魔共が来た!?)
夕日に照らされたカーテンに少女のシルエットが大きく映る。
「特別講義室に来て」
「誰?」
飛び起きてカーテンを開けたがその女の子はいなかった。
「しかし特別講義室とはまたタイムリーな」
特別講義室は4階にあり主に補習に使われるため普段人は来ない。密会にはうってつけだろう。
しかし明人が先ほど見た夢。はっきりとは思い出せないがあれも4階が舞台ではなかっただろうか。
背中に悪寒が走った。
やめてしまおうか。でもたかが居眠りして見た夢にびびるのも不甲斐ない。それに女の子に誘われて行かないのもどうかと思う。
「分かったよ。行ってやる」
散々悩んだ末、明人が決断した時にはもう校舎に人気はなかった。